第35話 抗え、絶望の障壁に
床から天井に向かって、黒炎が立ち昇る。
僕とヴェルフは的を絞らせないように国王の間を走り回り、ボアレロの魔法を避け続けた。
しかし適当に逃げている訳じゃなく、連携を取って攻撃するチャンスを窺っている。
1度は殴り合ったことと共闘したことを経て、ヴェルフのリズムはある程度把握済み。
僕が呼吸を合わせていることを察したらしく、ヴェルフは薄く笑みを浮かべた。
そして、敢えてこちらのことを考えずに、自分の戦いをすることに決めたようだ。
それで良い。
ヴェルフを主軸に置いた戦術を仕掛け、ボアレロに決して楽をさせない立ち回りを続ける。
ボアレロは邪悪な笑みを崩していないが、あまりゆとりはなさそうだ。
そうして攻防が続き、遂にヴェルフが奴の懐に到達する。
盛大に舌打ちしながらボアレロは後方に跳躍したが、逃がしはしない。
【閃雷】を撃つことで退路を断った僕を、睨み付けるボアレロ。
すぐさま踏み込んだヴェルフが、怒りを胸に秘めて、冷静ながら豪快さを感じさせる連撃を浴びせた。
そのことごとくをボアレロはガードしてみせたものの、完全にダメージを殺せてはいない。
やはり単純な体術ではヴェルフが上で、間合いを嫌ったボアレロが再び距離を取りながら、黒炎の弾幕を放つ。
凄まじい手数と威力で、リルムの【火球】と同等。
ところがヴェルフは多少の被弾に構うことなく前に出て、それを見たボアレロは苛立っていた。
ヴェルフに意識が向いていた隙を突いた僕は背後に回ったが、マークは外していなかったらしい。
「させるかよ!」
こちらに右手を向けて、黒炎の収束砲を放つボアレロ。
今のところ奴の最大火力で、まともに受ければ危険。
もっとも、そうはならないが。
「【閃雷】」
収束砲を【閃雷】が貫きながら散らし、ボアレロの頬を掠めて血を流させる。
ボアレロは僅かに驚いた様子だが、舐めないでもらおうか。
【閃雷】は攻撃範囲を狭めている代わりに、威力と貫通力、射程では他の追随を許さない。
お前の雑な魔法と一緒にするな。
わざと勝ち誇るように見つめると、ボアレロは見るからに機嫌を損ねている。
だが、そんな暇があるのか?
「オォォォォォッ!!!」
「ちッ!」
雄叫びを上げながらヴェルフが殴り掛かり、ボアレロは防戦一方。
クリーンヒットこそ許していないが、軽打は何度か当たっている。
それでもボアレロを崩し切ることは難しく、長期戦の様相を呈して来た。
今度もヴェルフの右拳を、ボアレロは防ごうとして――
「【バスター・ナックル】ッ!」
「ぐはッ……!?」
加速。
途中で拳の速度が上がり、タイミングを外されたボアレロの顔面を捉えた。
奴からは何が起きたかわからなかったかもしれないが、端から見ていた僕は詳細を認識している。
簡単に言えば、拳を振り切る直前にヴェルフの右肘から神力が噴射された。
それによって打撃の速度を上げた訳だが、単純なようで扱いは難しいスキルだ。
噴射する神力のタイミングや量を間違えれば、むしろ自分が大きな隙を生みかねない。
使いこなす為には、自分の体術や相手の動きを加味した上で、緻密な神力制御が要求される。
反対に、それを完璧に行えるなら――
「ラァァァァァッ!!!」
「ごふッ……!」
相手の防御をすり抜けた攻撃が可能。
ボアレロも何とかガードしようとしているが、ヴェルフがその全てを上回っている。
単純に加速するだけじゃなく、ボアレロが加速を見越して早めに守りを固めるようなら、敢えて速度を上げずに別の場所を痛打。
加速しないと判断したときに加速して痛打。
いずれにせよ痛打。
戦闘の最中にこれを正確に実行出来るヴェルフは、凄まじく判断力に優れていると言える。
顔面だけじゃなくボディへの攻撃も混ぜ、次第にボアレロを追い詰めて行った。
流石にこれ以上のダメージは不味いと思ったのか、ボアレロはヴェルフの足元から黒炎を立ち昇らせて、強引に動きを止める。
バックスステップを踏んだヴェルフは回避に成功したものの、ボアレロとの距離が空いた。
何度も顔面を殴られたボアレロは、口の端から血を流しつつ笑みを浮かべ、広範囲を黒炎で焼き尽くす。
避けるのが困難だと悟ったヴェルフは、痛みを耐えるべく備えているようだが、その必要はない。
「【固】」
事前に【閃雷】を撃って用意していた僕が割って入り、雷剣で黒炎を真っ二つ。
更にボアレロの腕にも裂傷を刻み、顔を歪めさせる。
ヴェルフは一瞬驚いた顔になりながらすぐに勝気な笑みを浮かべ、黒炎が分断されて出来た道に突撃した。
「【ボルケーノ・グライド】ッ!」
瞬間、ヴェルフの両足から神力が噴出し、推進力を上昇させる。
レリウスの技術に似ているな。
途轍もない速さで接近したヴェルフは、その勢いのままボディブローをお見舞いする。
「かはッ……!」
完全に捉えた一撃は、ボアレロを壁まで吹き飛ばした。
今のダメージは大きいだろう。
実際、ボアレロは立ち上がるまでに時間が掛かっており、大量に吐血していた。
それにもかかわらず――
「く、くくくく……やるじゃねぇか、ゴミ王子」
笑みは保ったまま。
強がりの可能性もあるが、僕の直感は違うと訴え掛けて来る。
ヴェルフも同じ思いのようで、不気味に感じているようだ。
それでも手を緩めることはなく、その後も攻撃を加え続ける。
僕のサポートもあるが、基本的にはヴェルフだけでも戦えていた。
優勢なのは間違いなく、このまま行けば勝てるだろう。
だが……そんな簡単には終わらないはずだ。
ボアレロが何を考えているのかわからないが、この程度でグレビーとレイヌがひれ伏すとは思えない。
姫様たちの戦いを窺ったところ苦戦しており、彼女たちが本来の力を発揮しなければ勝てない相手。
ボアレロも強力な魔族なことに違いはないが、グレビーたちと大差があるようには感じなかった。
何かがある。
そう警戒していた僕はサポートを続け、遂にそのときが来た。
「これで終わりだ! 【バスター・ナックル】ッ!」
【ボルケーノ・グライド】で突っ込んだヴェルフが、【バスター・ナックル】も上乗せした一撃を繰り出す。
ほとんど満身創痍のボアレロの背後は壁で、逃げ場はない。
ヴェルフ渾身の一撃は、紛うことなくボアレロの顔に吸い込まれ――
「楽しかったか? ゴミ王子」
「な……!?」
寸前で止まる。
いくら力を込めても無駄のようで、あらんばかりに目を見開くヴェルフ。
しまった。
頭がそう考えるより先に動き出した僕の眼前で、ヴェルフが黒炎に包まれる。
タックルする勢いで黒炎に飛び込み、なんとか炭化する前に救出した。
しかしダメージは深刻で、即座に最高級の回復薬を取り出した僕は、問答無用でヴェルフの口に流し込む。
すると、全身大火傷状態だった彼の体が癒され、辛うじて息を吹き返した。
もっとも、これでは戦闘続行は不可能。
苦しさと悔しさに呻くヴェルフを壁に寄り掛けた僕は、油断なくボアレロを見据える。
意識の片隅で姫様たちの様子を探ったところ、反撃開始したらしい。
これなら、自分の戦いに集中して良さそうだ。
そう判断した僕は、尚も立ち上がろうとしているヴェルフに言い放つ。
「お前は良くやった。 ここからは任せろ」
「シ、シオン……」
「大丈夫だ、必ず勝つ。 だから大人しくしていろ。 お前には、取り戻したフランムを立て直す仕事が待っているからな」
「……わかった、頼んだぞ」
ようやくヴェルフが体から力を抜いたのを見て、安堵した。
だが、問題なのはここから。
視線の先のボアレロには、ヴェルフによるダメージが残っているものの、そんなことは関係ない雰囲気を感じる。
その理由はなんとなく察しているが……試した方が良いな。
ニヤニヤ笑っているボアレロと相対した僕は――
「【白牙】」
前置きなくスキルを発動した。
最短距離を走った刃が、ボアレロの胸を貫――
「無駄だぜ、イレギュラー」
かない。
皮1枚ほどの距離を隔てて、完全に停止している。
この現象に覚えのある僕は、すぐさま後方に跳び退った。
その直後、寸前まで立っていた場所に黒い炎柱が立ったが、これに関しては予想通り。
瞬時に距離を取りながら直剣を突き付けた僕は、【閃雷】を発動する。
考えている通りなら、これで決まるが――
「無駄って言ったろ?」
届かない。
貫通力に優れる【閃雷】が、障壁に阻まれてしまった。
これは……想像以上に厄介かもしれない。
そう判断した僕は一旦手を止めて、ボアレロを鋭い目で見やる。
すると奴はニヤニヤ笑いながら、両手で2つの宝石を取り出した。
それを見た僕は、推測がほぼ当たっているんだと悟る。
こちらの様子に気分を良くしたのか、ボアレロが心底楽しそうに告げた。
「お前らの魔道具で、物理攻撃を無効にするやつがあるだろ? 基本的な効果は、あれと同じだ。 だが、あんな欠陥品とは違うぞ? こいつの効果は、常に俺を対象に発動出来る。 しかも、片方は魔法攻撃を無効にするタイプだ。 この意味がわかるか?」
「……僕たちの攻撃は一切通用しない。 そう言いたいんだろう?」
「そう言うこった、イレギュラー。 理解したか? お前がどんだけ強かろうが、俺には勝てねぇんだよ」
完全に勝ちを確信しているボアレロ。
傷付いていた体も回復し、こちらを弄んでいたのだとわかる。
ヴェルフが悔しそうにしているのを感じるが、今は放置して別の事柄に着手した。
「お前は『魔十字将』なのか?」
「は、あんな奴らと一緒にすんな。 お前らがここに初めて来たとき、なんで魔族が襲って来たと思う?」
「もしかして……お前が狙いだったのか?」
「くく、あぁそうだ。 俺は魔王の方針に従ってない異端だからな、排除したかったんだろ。 それなのに追っ払ってくれて、馬鹿な奴らだぜ」
どこまでも見下すように、ボアレロは笑っていた。
腹が立たないと言えば嘘になるが、ここは堪えて質問を続ける。
「魔王の方針に従っていないと言うが、お前の目的は何だ?」
「別に、特別な目的なんかねぇぜ? 敢えて言うなら、自由気ままに生きることだな。 もう少しはフランムで遊ぶ予定だったんだが、お前らのせいで予定が狂っちまった。 全員殺したら、ついでにフランムも滅ぼして別の遊び場を探すとするか」
「ふ、ふざけるな……。 そんなこと、絶対に許さん……! ぐッ……!」
「無理をするな、ヴェルフ。 心配しなくても、僕が止めてみせる」
「はん。 出来もしないことを言うなよ、イレギュラー。 異端の俺がどうして、今まで生き残れたと思ってんだ? この無敵の障壁があるからだ。 『魔十字将』だろうが魔王だろうが、俺には勝てねぇんだよ!」
「無敵かどうかは、やってみなければわからない。 少なくとも僕は、試す価値があると思っている」
「面白ぇじゃねぇか。 だったら、証明してみろよ」
そう言ってボアレロは2つの宝石を手に、こちらの出方を窺っている。
口では自信満々に言っているが、僕が何をして来るか警戒しているらしい。
意外と小心者だな。
そんな感想を抱きながら、僕は斬り掛かろうとして――ナルサスさんの妙な行動を察知した。
グレビーを仕留めたあと3人でレイヌに挑もうとしていたようだが、その際に姫様を狙おうとしている。
直前で優先順位を入れ替えた僕は、ナルサスさんに【閃雷】を撃とうとしたが――
「おいおい、無視すんなよ」
ボアレロによる黒炎の弾幕に邪魔された。
その全てを双剣で叩き落としたが、僅かに遅れてしまう。
既に剣を振り上げていたナルサスさんを見て、僕は殺すしかないと考えたが――小柄な黒い少女が姫様を救った。
「うッ……!」
「ルナさん!?」
姫様を突き飛ばしたルナが代わりに斬撃を受け、右腕に大ダメージを受けてしまっている。
だらんとさせて血を滴らせ、あれでは銃を持つのも無理そうだ。
そんな彼女に目もくれず、ナルサスさん……いや、ナルサスは姫様に追撃を掛けようとしたが、今度こそさせない。
【閃雷】
牽制することで後退させると、厳しい表情で睨んで来た。
もうわかっていたことだが、確定だな。
彼は――
「何を、しているんだ……? ナルサス、お前は、いったい何を……?」
信じられないと言ったように表情を歪ませて、ヴェルフが問い掛けた。
気持ちはわかるが、既に答えは出ている。
それでも黙っていると、ナルサス本人が淡々と明かした。
その顔には、無の表情が浮かんでいる。
「すまないな、ヴェルフ。 わたしは元々、フランムに潜伏していた魔蝕教なんだ」
「魔蝕教……? 馬鹿な、信じないぞ。 お前は奴らを殺していたじゃないか!」
「それは、僕たちに仲間だと信じ込ませる為の芝居……だろう?」
「シオン……? 何を言っているんだ。 芝居? 実際に大勢の人が死んだんだぞ?」
「魔蝕教なら、それくらいのことはしかねない。 あの場で正面から挑んで来たことを不思議に思っていたが、そう言うことなら合点が行く」
「流石だな、シオン。 その通りだ。 上手く行ったと思ったんだが、まさかルナに阻まれるとはな」
「嘘だ! ナルサス! フランムを取り戻す為に、レジスタンスで必死に戦って来たのも全て演技だと言うのか!?」
両の瞳から滂沱の涙を流しながら、問い質すヴェルフ。
しかしナルサスはそれを無視して、レイヌに向かって口を開いた。
「レイヌ、ルナを任せる。 『輝光』はわたしが殺す」
「あらぁ? なんで魔蝕教がぁ、あたしに命令してるのかしらぁ? でもぉ、都合が良いから乗ってあげるぅ」
文句を言っているが、どことなくレイヌはこの状況を楽しんでいる。
一方の姫様たちは深刻な空気を纏い、小声で言葉をやり取りしていた。
「……ルナさん、行けますか?」
「当然よ。 ……と言いたいところだけれど、少し厳しいかもしれないわね。 あのメス、抜けているようでこちらの動きを探っているわ。 本当は回復薬を使いたいけれど、たぶん狙い撃ちにされるわね」
「すみません……。 わたしがもっと、注意していれば……」
「済んだことを言っても、仕方ないでしょう? とにかくわたしはレイヌをなんとか抑えるから、痴女姫はあの裏切者をサッサと殺して」
「ナルサスさんを殺す……。 正直に言って、まだ吹っ切れていませんが……」
「無理にでも吹っ切りなさい。 ほんの僅かでも隙があれば、命取りよ。 そしてそれは、わたしの死も意味すると覚えておいて」
「……わかりました。 わたしは必ずナルサスさん……ナルサスを殺します。 ですからルナさんは、絶対に死なないで下さい」
「言われるまでもないわ。 今夜はシオンに、抱いてもらう約束をしているのだから」
「な……!?」
「冗談よ」
「この人は……。 ふぅ……とにかく行きますよ」
「指図しないで、痴女姫」
どこまで狙ったのか不明だが、ルナによって姫様の精神状態はかなり落ち着いたらしい。
とは言え、問題は彼女自身だ。
僕が見たところ、ルナの腕の傷はかなり深い。
あの状態でレイヌと戦えるのか、不安に思う。
正直に言うと加勢に入ろうかと考えていたが、ルナから強く視線で止められた。
強情だな……。
こうなったからには、彼女を信じるしかない。
そして姫様も、かなりの苦戦が予想される。
今のままなら、姫様がナルサスに負ける道理はないが――
「『輝光』に死を」
やはりと言うべきか、躊躇なく宝石を取り出して飲み込んだナルサス。
その途端に、彼の身体が変質して行く。
肌は灰色に変色し、背は高く体は逞しく。
獣の耳が生え、伸びた口にはびっしりと牙が見えた。
その姿は、あたかも狼の剣士と言ったところ。
ヴェルフは最早言葉もないようで、あらんばかりに目を見開いて絶望に暮れているようだ。
しかし、それを許す訳には行かない。
「しっかりしろ、ヴェルフ。 まだ何も終わっていない」
「シオン……」
「ナルサスのことがショックだったのはわかる。 僕だって、出来れば嘘であって欲しい。 それでも、現実だ。 ならば、今出来ることをするしかない」
「今出来ることを……」
「そうだ。 僕は必ずボアレロを倒す。 だが、それでフランムが、真の意味で平和になる訳じゃない。 そのあとに国民を導く者が必要だ。 そしてヴェルフ、その役目はお前にしか出来ない」
「……そうだな。 俺には、まだやるべきことがある。 こんなところで、折れている場合じゃないな」
「その意気だ。 じゃあ、行って来る」
敢えて軽い口調で言うと、ヴェルフは苦笑を浮かべていた。
普通に考えて、物理攻撃も魔法攻撃も通用しないボアレロ相手に、勝ち筋を見出すのは難しい。
だとしても――
「【閃雷】」
こじ開けてみせる。
その意思表示として射出した白い雷は、呆気なく障壁に防がれてしまった。
ボアレロが嘲るように笑っているが……無駄な攻撃だったかどうかは、あとでわかる。
1つ深呼吸した僕はボアレロに強い眼差しを突き刺し、言い放った。
「ここにある財産は、ヴェルフに有効活用してもらう。 安心して死ね」
「ほざけ、イレギュラーが。 まだ俺に勝てると思ってるおめでたい頭、吹き飛ばしてやるよ」
1歩も動くことなく大仰に手を広げるボアレロと、全力で駆け出す僕。
こうして戦いは、最終局面へと向かった。




