第31話 決戦前
翌日、太陽がようやく眠りから目覚めようとし始めた頃。
僕たちはフランムに帰って来た。
結局、夜通し歩くことになったものの、1日くらいなら大きな問題はない。
サーシャ姉さんだけは多少疲れが見えるが、弱音を吐くことはなかった。
事前にガレンから譲られた変装用の服に着替えた僕たちは、なるべく人目に付かないようにフランム内に入る。
相変わらず王国軍は不真面目な者が大半で、変装が必要だったか疑問に思うほど。
とは言え、こちらにとっては有難い要素だ。
まずはラギさんを探すべく【転円神域】を展開すると、すぐに反応があったが……何かがおかしい。
少し表情が硬くなったのか、目聡く気付いた姫様が声を掛けて来た。
「どうかしましたか、シオンさん?」
「いえ……ラギさんの居場所が判明したんですけど、どうにも様子が変でして」
「変って……どう言う風にですか?」
「神力が活性化しているんだ、アリア。 同じ場所に複数人いて動きがないから、もしかしたらトラブルが起きているかもしれない」
「間が悪いわね……。 それで、どうするの?」
「取り敢えず現場に行こう、サーシャ姉さん。 その後の行動は、状況を把握しないと決められないからな」
「それもそうね。 何事もない可能性だってあるのだし」
「ホント、あのオジサンにも困ったものね」
僕の決定に同意するルナと、ラギさんへの不満をこぼすリルム。
どうでも良いが、彼はまだオジサンと言う年齢ではないはず……。
それは横に置いておくとして、姫様たちからも了承を得た僕は先頭に立ち、王国軍に見付からないように移動した。
幸いにも現場は近く、すぐに辿り着いたが――
「だから言ってんだろ! そいつらは、一旦放棄されたんだ! もう奴隷じゃねぇんだよ!」
「ふん。 この奴隷商は、放棄した覚えはないと言っているぞ? あのときははぐれただけで、ずっと探していたそうだ」
「そんな訳あるか! サンド・ワームの大群と魔族から、こいつらを置いて逃げたんだろうが! その時点で、所有権はなくなったはずだ!」
「だから、はぐれただけだと言っているだろう。 それともお前は、この奴隷商がこいつらを放棄した明確な証拠でも持っているのか?」
「……ッ! それは……」
「わかったら引き渡せ。 これ以上歯向かうようだと、ボアレロ様に報告してギルド自体に処分が命じられるぞ?」
嘲笑を浮かべる王国軍。
その背後には奴隷商らしき男がおり、こちらもいやらしい笑みを浮かべている。
対するラギさんたちギルドメンバーは悔しそうにしつつ、少年と少女を庇っていた。
こう言った展開自体は、ある程度予想通り。
だが問題は、庇われている少年たちだ。
「あの子たち……」
路地の角に身を潜めながら、ポツリと呟くルナ。
そう、渦中の2人はパニックになっていたフランムで、ルナが助けた少年と少女。
そのことを知ったルナは、無言で銃を生成した。
気持ちはわかるが、ひとまず落ち着かせる必要がある。
「待て、どうするつもりだ?」
「……助けるわ」
「ここで王国軍と事を構えたら、作戦に支障が出るかもしれないぞ?」
「それでも……放っておけないの」
小さな声で紡がれたルナの気持ちを知って、姫様たちも僕に強い眼差しを向ける。
困った人たちだ……。
もっとも、僕とて最初からそのつもりだが。
「わかった。 ただし、条件がある」
「条件?」
「絶対に殺すな。 それから、王国軍に姿を見られるな。 奴隷商には手を出すな。 この3つが守れるなら、僕も手を貸そう」
「……わかったわ」
「良し。 それから姫様、お願いがあります」
「またですか? シオンさんは、本当に甘えん坊ですね」
「……すみません」
「ふふ、冗談です。 それで、わたしは何をすれば?」
姫様にあることを伝えると、快く引き受けてくれた。
それを確認した僕がルナに合図を出した瞬間、彼女は建物の壁を足場に高くジャンプして――
「【眠りましょう】」
両手の銃に薄紫の短剣を生成しつつ、兵士たちの背後に着地すると同時に繰り出した。
短剣はほんの小さな傷しか付けておらず、ほとんど血も流れていない。
それでも睡眠毒の効果は発揮され、兵士たちが倒れてスヤスヤと寝息を立て始める。
お見事。
非殺傷弾を使う方法もあっただろうが、その場合は攻撃された事実を記憶されてしまいかねない。
しかしこれなら、あくまでも寝てしまっただけ。
無力化の結果としては上々。
とは言え、このままだと目立ってしまう。
それゆえに僕は、驚いているラギさんたちに呼び掛けた。
「ラギさん、その王国軍たちと奴隷商を路地裏に連れて来て下さい。 ルナは少年たちを頼む」
「その声……お前、シオンか?」
「今は話している場合じゃありません。 人が来る前に早く」
「お、おう! テメェら、手伝え!」
そうして路地裏に兵士たちを放り込み、奴隷商もお招きした。
圧倒的アウェイな状況に怯えていたが、大事なのはここから。
「確認するが、貴方はこの子たちを放棄した。 違うか?」
「だ、だから、わたしは……」
「ここからの発言には、気を付けた方が良い」
敢えて多くは語らず、強い殺気をぶつける。
「ひ!? わ、わかった、認める! わたしはそいつらを放棄して逃げた! これで良いだろう!?」
「あぁ、充分だ。 もう帰って良いぞ」
「く、くそッ!」
解放された奴隷商は転びそうになりながら路地裏を出たが、完全に諦めた様子じゃない。
そこで僕は、釘を刺しておくことにした。
「言っておくが、後日王国軍に泣き付いても無駄だぞ。 今の会話は録画しているからな」
「な!?」
「シオンさんの言う通り、これが証拠です」
驚き振り返る奴隷商に、姫様が鏡の魔道具で映像を見せる。
選別審査大会でミゲルの悪事を暴いた物だが、持っていてくれて助かった。
絶望した顔になった奴隷商に、追加の一撃を加えておく。
「脅されたと証言しても良いが、それを立証するのは難しいだろう。 僕は何も強要していないからな」
「ぐ……!」
「わかったなら、去れ。 そして、奴隷商などと言う非人道的行為からは、足を洗うことを勧める」
「ちくしょうッ!」
半泣きで走り去る奴隷商を見送った僕たちは、フードとマスクを外して改めてラギさんたちに振り向いた。
彼らは苦笑を浮かべており、少年たちは未だに状況に付いて来れていないのか、困惑した様子。
それを見たルナは歩み寄り、淡々と告げた。
「貴方たちは奴隷じゃなくなったそうよ、感謝しなさい」
「……有難う」
「……元気がないわね、嬉しくないの?」
「う、嬉しいけど、どうせ金はないし……。 それに、俺はまたリリーを守れなかったから……」
「そんなことない! カイルはずっと、わたしを守ってくれた! だから、そんな顔しないで!」
「リリー……」
俯いた少年カイルと涙目の少女リリーを、ルナは真っ直ぐに見据えていた。
彼女が何を思っているのかわからないが、ここは任せて良いだろう。
姫様たちを視線で制すると、彼女たちも心得た様子で頷いた。
それから暫くは無言の時間が続き、やがて溜息をついたルナが重い口を開く。
「ラギ」
「な、何だ?」
「この子たちにも出来る仕事ってあるかしら?」
「ん? あぁ……そう言うことか。 まぁ、大した報酬は出せねぇが、あると言えばあるぜ」
「だそうよ。 貴方たちにやる気があるなら、なんとかなるのではないかしら?」
「ほ、本当に俺たちを雇ってくれるの……?」
「おう。 その代わり、しっかり働いてもらうからな」
「う、うん! 俺、頑張るよ!」
「わ、わたしも! よろしくお願いします!」
ぴょこんと頭を下げたリリーに倣って、カイルも勢い良く頭を下げた。
それを受けたギルドメンバーは顔を見合わせ、快活に笑っている。
なんとか丸く収まったことに僕たちも喜んでいたが、何やらルナが革袋を取り出した。
この時点でおおよその事情を悟った僕は密かに苦笑を浮かべ、思った通り彼女は無言でカイルたちに革袋を差し出す。
いきなりのことに2人は戸惑っていたが、ルナは強引に受け取らせて告げた。
「無駄遣いは駄目よ」
「これって……お金……。 良いの、姉ちゃん……?」
「えぇ。 その代わり、その子にちゃんとした服を買ってあげなさい。 見ていられないわ」
「あ、有難う! リリー、良かったな!」
「う、うん! お姉ちゃん、有難う!」
興奮した様子のカイルと、涙ながらに感謝を伝えるリリー。
それを受けたルナは、恥ずかしそうにそっぽを向いている。
いつまで経っても素直じゃないな……。
呆れ混じりにそんなことを思った僕だが、もしかしたらルナはリリーに、過去の自分を重ねているのかもしれない。
彼女も辛い奴隷時代を経験していることで、感じることもあるのだろう。
そう考えた僕は、いつの間にか無意識にルナの頭を撫でていた。
彼女は驚いて振り向いたが、念の為に断っておく。
「子ども扱いしているんじゃないぞ?」
「……そう」
頬を朱に染めて顔を背けたルナ。
このときばかりは姫様たちも苦笑を浮かべ、止めようとはしなかった。
穏やかな空気がこの場に満ちていたが、いつまでも浸る訳には行かない。
暫くして手を止めた僕は、ラギさんたちと相対して声を発した。
「この子たちを、出来るだけ安全な場所に連れて行って下さい。 それと、住人の避難誘導もお願いしたいです」
「避難誘導って……どう言うことだ?」
「詳しくは、これに書いてあります」
そう言ってヴェルフからの手紙を取り出した僕は、ラギさんに手渡した。
それを見たラギさんは真剣な顔付きになり、中身を取り出して読む。
沈黙が辺りを支配し、やがて全文を読み終えたラギさんが他のメンバーにも手紙を読ませた。
ギルドメンバーたちは揃って驚きながら、すぐに決意に満ちた面持ちになっている。
良い気迫だ。
ラギさんも満足そうに笑みを浮かべ、感慨深そうに言葉を連ねる。
「とうとう、このときが来たか……」
「はい。 改めて言いますが、作戦決行の深夜までに住人の避難誘導を頼みます。 ただし、こちらのことを気取られないように、慎重にして下さい」
「あぁ、わかってる。 ポンコツの王国軍どもに気付かれることはねぇと思うが、細心の注意を払うぜ。 おい、この小僧たちを案内してやれ」
「わかりました!」
ラギさんに指示されたギルドメンバーが、カイルたちを連れて行く。
2人は不安そうにしていたが、ルナに頷かれて素直に従っていた。
すると、頃合いを見計らっていたのか、ラギさんが続いての行動に出る。
「じゃあ、俺たちは早速打ち合わせをして来るぜ。 深夜まで時間はあるが、やることは山ほどあるからな」
「頼んだわよ、オジサン。 この作戦の半分くらいは、あんたたちに懸かってるんだからね?」
「誰がオジサンだ!? 俺はまだ27だ!」
「え? 嘘? 全然見えないんだけど」
「喧嘩売ってんのか!?」
「お、落ち着いて下さい。 リルム様も、あまり失礼なことを言わないで下さい」
「そうは言うけどメイドちゃん、実際老けて見えない?」
「それは……その……」
「アリアちゃん、そこは言い淀んじゃ駄目でしょ……」
「ご、ごめんなさい、サーシャ様!」
「もう、わたしに謝ったって仕方ないじゃない」
「あぅ……」
にわかに騒がしくなる路地裏。
何だこの流れは。
思わず溜息をつきたくなったが、緊張を和らげてくれたと思っておこう。
そうして無理やりに前向きになっていると、微妙に挙動不審なルナが言い難そうに口を開いた。
「ラギ」
「何だ!?」
「……悪かったわね」
「あん……?」
「だから……前に、王国軍と大差ないと言ったことよ。 貴方たちはフランムの為に、出来ることをしていたとわかったわ」
目を泳がせつつ、はっきりと謝罪を口にするルナ。
意外な事態にラギさんは面食らい、それは僕たちも例外じゃなかった。
その場が何とも言い難い雰囲気に包まれたが、苦笑を浮かべたラギさんが口火を切る。
「気にすんなよ、ルナ。 実際、俺たちは今まで具体的な行動は起こせてなかったしな。 だが、それも今日までだ。 今夜は思い切り暴れてやるぜッ!」
「えぇ。 わたしも、今回ばかりは本気を出すわ」
「こいつは頼もしいな。 良し、お前らは時間まで休んでてくれ。 ギルドの息が掛かった宿なら安心だろ? 俺の紹介って証を兼ねた地図があるから、持って行け」
「有難うございます、ラギさん。 では、お言葉に甘えてわたしたちは、力を蓄えておきます」
「おう、頼んだぜ『輝光』。 行くぞテメェら!」
『はいッ!』
ラギさんの呼び掛けに、ギルドメンバーが勢い良く返事した。
彼らの様子を見る限り、士気はかなり高い。
それだけでも1つ安心出来た僕はフードとマスクで顔を隠し、率先して足を踏み出しながら言い放つ。
「僕たちも行きましょう。 宿は……こっちですね」
なるべく人目を避けて宿に向かうと、一見しただけではそうとわからない建物が見えて来た。
確かにここなら、よほどのことがない限り、嗅ぎ付けられることはないだろう。
背後を振り返って姫様たちに確認を取り、中に入る。
入口には強面の男が1人陣取っていたが、ラギさんからもらった地図を見せると、何も言わずに数字の書かれた鍵を人数分渡された。
どうやら、この番号の部屋を使えと言うことらしい。
無言で頭を下げて2階に上がり、奥に進むと目当ての部屋が並んでいた。
何もないと知りつつ、一応【神域】で確認してから借りた部屋の1つに入る。
思ったよりも広く、この人数でも充分。
全員が揃ったのを確認した僕は入口の鍵を閉め、フードとマスクを取って告げた。
「取り敢えず、僕たちが為すべきことは終わった。 あとは、決行時間まで待つだけだ。 それまではそれぞれ、ゆっくり休むとしよう」
「そうですね、シオンさん。 ひとまず仮眠は取った方が良いと思います」
「わたしもソフィア姫に賛成だけど、寝過ごさないようにしなきゃね」
「早めに起きて、準備しておく方が良いですね、サーシャ様。 でもその前に、ご飯を食べませんか? 軽食を作っておいたので」
「ナイスよ、メイドちゃん! あたしもう、お腹ペコペコなのよ!」
「痴女レッド、もう少し緊張感を持てないの?」
「まぁまぁ。 ルナちゃんも、お腹は空いてるんじゃない? 昨日の夜から何も食べてないし」
「淫乱シスター……。 まぁ、補給は大事ね」
「優しくなっても素直ではありませんね。 アリア、お願いするわ」
「はい、ソフィア様。 少々お待ち下さい」
テーブルを壁際に寄せて、レジャーシートを広げるアリア。
流石に7脚も椅子はないので、床に座ることになった。
それでも味に影響はなく、今回もアリアの料理は最高の一言。
姫様とリルム、サーシャ姉さんは惜しみなく賛辞を贈っており、ルナは無言ながら手を止めずに食べ続けている。
少女たちの和気藹々とした姿を見ていると、今夜に待ち受けている決戦を前にしてピリピリしていた気持ちが、少し収まった気がした。
勿論それは気が緩んだ訳じゃなく、無駄な力が抜けたと言うこと。
彼女たちもそれは同じで、良いブレイクタイムになっている。
心中でアリアに礼を述べつつ食事を進め、やがて完食した。
その後は各部屋で思い思いに過ごすことになり、僕も一眠りするべくベッドに横になる。
ただし、考えておくことはあった。
今、僕の思考を占有しているのはボアレロ国王……いや、ボアレロと側近2人。
彼らの実力が高いのは間違いないが、それ以上に気になるのは……初めて会ったときに感じた気持ち悪さ。
意識し過ぎなのかもしれない。
しかし僕は、どうしても忘れられなかった。
そうして僕が懊悩していた、そのとき――
「シオン、ちょっと良い?」
ドアがノックされた。
相手はリルムで、若干の緊張を感じる。
不思議に思いつつ体を起こした僕は、ベッドから下りて鍵を開けた。
「どうしたんだ?」」
「その……ちょっと話があって」
「……わかった、中に入ってくれ」
「ん……。 ありがと」
どうにも様子がおかしい。
先ほどまでの元気な様子も鳴りを潜め、まるで怯えているかのようだ。
怪訝に思った僕が黙っていると、リルムは1度深呼吸してから水晶を取り出す。
魔道具なんだろうが、効果はわからない。
それゆえに沈黙を続けていると、彼女は意を決したように効果を説明し――僕は驚いた。
硬い面持ちでこちらを見ているリルムと視線を絡め、僅かに逡巡しながら問い掛ける。
「どうして、これが作れたんだ?」
「……」
「言いたくないのか?」
「……うん」
「そうか」
一言だけ言って、水晶を受け取った。
それっきり、室内に静寂が落ちたが――
「……ッ!」
「心配するな。 何があっても僕は、リルムの味方だ」
「シオン……」
「だからキミには、今まで通り笑顔でいて欲しい」
リルムを優しく抱き締め、頭をゆっくり撫でた。
彼女の身体は強張っていたが、少しずつ緊張が解けるのを感じる。
それから暫くして落ち着きを取り戻したようで、微かに不安そうに次のようなことをのたまった。
「じゃあ、キスしてくれる?」
「……わかった」
一瞬だけ躊躇ってから、要望を受け入れる。
体を離してリルムと向かい合い、どちらからともなく顔を近付けた。
唇を重ねると彼女はピクリと震えたが、構わず続ける。
今日も彼女からは甘酸っぱい良い匂いがして、安らかな気分になった。
やがてキスを終えたリルムは僕の胸に顔を埋め、甘えるように声をこぼす。
「ちょっとだけ、このままでも良い……?」
「あぁ」
「ありがと……」
脱力して僕に体を預けるリルム。
彼女の苦悩を僕は、少しでも和らげることが出来たんだろうか。
そうあって欲しいと願いながら背中を撫で続け、徐々に決戦のときは近付いて行く。




