第28話 再会
月明かりの下、人数分の魔明の光が夜の砂漠を照らす。
知識としては知っていたが、寒い。
これまでは基本的に魔家で過ごし、フェスティバルのときは炎塊石があったので感じなかったが、体験してみると思ったよりも厳しい環境。
昼は暑く夜は寒い。
この寒暖差に体を慣らすだけでも、かなり苦労しそうだ。
もっとも、僕たちは聖痕者。
【身体強化】の効果はこう言う部分にも有効で、そこまで深刻な影響は出ていない。
だが、そうじゃない者にとっては辛いはず。
ルナの話を聞く限り、奴隷たちにとっては命に関わると思う。
そう言う意味では、良く生きていてくれたものだと、後ろを歩くルナをチラリと見た。
それに気付いた彼女は蠱惑的な笑みで投げキッスを返して来たので、思わず苦笑してしまう。
何にせよ、やはり奴隷たちの待遇改善は必須。
その為にはレジスタンスを壊滅させるか、もしくは別の道を辿るか……選択を間違えないようにしたい。
ラギさんの言葉を念頭に置きつつ、真っ新な気持ちで判断しようと考えていると、やがて古びた施設が見えて来た。
かなり巨大で、隠れる気などサラサラないように見える。
そのことを疑問に思ったのか、リルムが訝しそうな声を上げた。
「あれがレジスタンスの拠点?」
「そ、そのはずです。 地図の場所とも一致しますから」
「でもアリアちゃん、目立ち過ぎじゃない? レジスタンスって、もっとコソコソ活動するものじゃないの?」
「サーシャ様の言う通りですけど、他にそれらしき建物はありませんよね……」
「……まさか、ボアレロに騙されたのかしら?」
「そう決め付けるには早いですよ、ルナさん。 場所に関しては、ラギさんも特に何も言っていませんでしたし。 まぁ、彼も嘘をついている可能性は、ゼロではありませんが」
「そうですね、姫様。 とにかく、行ってみましょう。 僕が先頭に立つので、姫様たちはあとから付いて来て下さい。 敵意は見せず、それでいて警戒は忘れないようにお願いします」
「わかりました、シオンさん。 皆さん、行きましょう」
少しばかり戸惑った少女たちを引き連れて、砂漠に足跡を残しながら進む。
その際に魔明の光量を強くすることで、敢えてこちらの存在を知らしめた。
拠点らしき施設の入口には2人の聖痕者の姿があったが、こちらを油断なく窺いつつ冷静に見える。
何と言うか、彼らの方がよっぽど王国軍に相応しい。
内心でそんなことを思った僕は充分に距離を取り、両手を挙げると同時に紹介状を掲げて告げた。
「僕たちは『輝光』のパーティです。 レジスタンスのリーダーと話がしたくて来ました。 これは、ラギさんからの紹介状です」
「……そこに置いて下がれ」
「わかりました」
指示された僕は紹介状を地面に置き、姫様たちの元に戻る。
それを確認した番人の1人が慎重に紹介状を拾い上げ、中身を取り出した。
僕たちも何が書かれているか知らないので、僅かばかり緊張する。
すると暫くして文面を読み終えた番人が、もう1人に何事かを話してから施設に入って行った。
今のところこちらが出来ることはなく、ただ待つしかない。
リルムが焦れている気配を感じるが、大人しくしてもらわなければ。
などと考え10分が経ち、ようやく番人が戻って来た。
その顔は硬かったが、言葉自体は淀みない。
「リーダーがお呼びだ。 付いて来い」
「はい、有難うございます」
取り敢えず、最初の関門は突破。
人知れずホッとしていた僕の背後では、アリアとサーシャ姉さんがわかり易く安心していた。
素直な反応に苦笑しそうになりながら、姫様たちと目配せして番人に付いて行く。
施設の中には魔明が点いており、視界は申し分ない。
更に清掃も行き届いているのか、古さの割に不潔さを感じなかった。
こう言うところも、フランムの王国軍よりよほどしっかりしている。
レジスタンスと言う言葉の印象と、随分違うと感じつつ歩を連ねていると、やがて広い空間にやって来た。
砂利が敷き詰められた円形の広場で、まるで闘技場。
番人は入口で止まり、視線で中に入るように促された。
大人しく従って足を進めると、奥には2人の人影があったが――
「良く来たな、シオン。 歓迎するぞ」
「気持ちはわかるが、少し気が早いな」
瓦礫に泰然と腰掛けたヴェルフさんと、その隣に立つナルサスさん。
当然と言えば当然だが、今の彼らは水着姿ではない。
ヴェルフさんは赤い甲冑と同色のナックルガードを身に付け、ナルサスさんは銀の甲冑と反りのある細身の剣を装備している。
こんなところで再会するとは思っていなかったが……なんとなく、意外ではないかもしれない。
面識のあるアリアは戸惑っており、相手が僕のことを知っていた事実に、他の少女たちは驚いている。
しかし流石と言うべきか、すぐに居住まいを正した姫様が口を開いた。
「初めまして。 わたしはグレイセスの姫であり『輝光』でもある――」
「あぁ、自己紹介ならいらないぞ。 もう知ってるからな」
「……どこかで監視でもしていましたか?」
「そうじゃない。 ラギの紹介状に書いてあったんだ。 とは言え内容は、名前と外見、特殊階位が3人いることくらいだ。 キミたちの具体的な目的も、まだ知らない」
「目的も知らずに、良く中に通したわね?」
「ラギが紹介状を書くなんて初めてなんだ、リルム=ベネット。 だから、それなりに重要な案件だと思ってな」
「なるほどね。 でも、わたしたちがラギの名を騙った敵だとは思わなかったのかしら?」
「勿論、思ったぞ。 だが、あの紹介状には仕掛けがあってな。 間違いなくラギ本人の物だとわかったんだ」
こちらの質問に対して、快活に答えるヴェルフさん。
これまで接した感触と今の会話を総合して判断すれば、この人は善人だ。
だが、だからと言って、完全に信用する訳にも行かない。
世の中、自覚なく悪事を働く輩もいるのだから。
それゆえに僕は、おもむろに斬り出した。
「ヴェルフさん、レジスタンスの目的は何ですか?」
いきなりな僕に姫様たちは目を丸くしていたが、努めて気にせずヴェルフさんを凝視した。
もしここで狼狽えたり誤魔化すような素振りを見せれば、疑いを持たざるを得ない。
逆にきっぱりと言い切られた内容が看過出来ないなら……残念だが戦うことになるだろう。
ところが――
「ボアレロから、フランムを取り戻すことだ」
どこまでも真剣な面持ちで断言されて、思わず圧倒されそうになった。
ナルサスさんも静かながら強い決意を秘めた眼差しでこちらを見ており、彼らがどれだけ本気か伝わって来る。
それでも僕は平然とした態度を貫き、淡々と問い掛けた。
「具体的にはどうするつもりなんですか? この施設にいる人数では、反乱を起こすには足りないと思いますが」
「ここの人数がわかるのか、凄いな。 ちなみに、何人だ?」
「1568人ですね。 王国軍の、約6分の1程度かと」
「……完璧だ。 いや、ただ者じゃないとは思ってたが、想像以上だな」
「恐れ入ります。 それで、どうするつもりなんですか?」
「当然、考えていることはあるぞ。 だが、これを教えられるのは限られた者だけだ。 正直、お前たちのことはまだ信頼し切れない」
それはそうだろう。
何せ僕たちは出会ったばかり。
いきなり重大な計画を明かすようでは、リーダー失格。
しかし、だからと言って地道に信用を勝ち取って行く時間はない。
オアシスの町の滅亡は、もうそこまで迫っているのだから。
そのことは姫様たちもわかっているが、一足飛びに信頼を得られるような裏技など――
「良し、殴り合うか」
理解出来ない言葉が聞こえた。
姫様たちは目を丸くしており、僕も驚きを禁じ得ない。
だが、そんなことに構わずヴェルフさんは甲冑とナックルガードを外し、準備運動を始める。
その隣ではナルサスさんが盛大に溜息をついていたが、止める様子はなかった。
尚も置いてけぼりにされていた僕たちに向かって、ヴェルフさんは楽しそうに声を発する。
「キミたちの目的はレジスタンスの壊滅、もしくは加担……違うか、ソフィア姫?」
「……その通りです」
「やはりな。 なら、俺たちとしては加担してもらえるようなものを、提示する必要がある。 そしてキミたちは、俺たちの信頼を得る必要がある」
「そ、そこまではわかりますけど、ど、どうして殴り合いなんかを……?」
「こう言うときは、拳で語り合うのが1番なんだ、サーシャ=リベルタ。 武器も防具も神力もなし。 正真正銘、体だけの勝負だぞ」
「そ、そんなことを言われましても……。 他に手段はないんでしょうか?」
「探せばあるかもしれないな、アリア=クラーク。 だが、俺はこの方法を望む。 受けたくないなら、受けなくても良い。 ただ、その場合はお引き取り願おう。 俺たちを壊滅させると言うなら、本気でやり合うしかないが」
一方的に告げたヴェルフさんは、準備万端のようだ。
はっきり言って、全く理に適っていない。
殴り合いをしてわかることなど、精々どちらの体術が優れているか。
しかし、それでも――
「シオンさん……!?」
「シオン!?」
無言でヴェルフさんと相対した僕を見て、姫様とリルムが驚愕の声を上げる。
ルナやアリア、サーシャ姉さんからも視線を感じたが、敢えて無視して口を開いた。
「僕には、拳で語り合うと言う意味がわかりません」
「そうか」
「ですが、それしか道が残されていないと言うのなら、付き合いましょう」
「……良い目だ。 それにしても、お前が男で助かった」
「どう言う意味ですか?」
「遠慮なく顔を殴れるからな」
そう言って獰猛な笑みを浮かべたヴェルフさんが、構えを取る。
自然体でありながら力強く、隙らしい隙は見当たらない。
なるほど、殴り合いを提案するだけあって、かなり体術の練度は高そうだ。
もっとも、僕が恐れを抱くほどじゃない。
「当てられると良いですね」
ゆらりと左手を前に出して、右拳は腰の辺りに据える。
足を前後に開いて、いつでも踏み込めるように力を蓄えた。
挑発とも取れる僕の言葉にヴェルフさんは何も言わず、闘志を昂らせている。
最早、言葉は不要と言うことか。
すると、ナルサスさんがコインを僕たちに見せ付け、高々と弾く。
姫様たちが固唾を飲んで見守る中、重力に引かれて地面に落ち――戦いの火蓋が切られた。
「おぉッ!」
真っ直ぐに突貫したヴェルフさんが、右拳を撃ち込んで来た。
混ざり気のない、素直な一撃。
破壊力は相当高く、まともに受ければ危ないかもしれない――が――
「ぐッ……!」
右拳を避けつつ懐に潜り込んだ僕は、カウンターで鳩尾を打ち抜いた。
カスールの船乗りたちは、これだけでことごとく沈んでいたが、ヴェルフさんは呻きつつも耐えている。
凄まじい耐久力……いや、この場合は根性とでも言えるかもしれない。
胸中で感心していた僕に向かって、至近距離から膝蹴りを放つヴェルフさん。
後方宙返りで難なく離脱したが、彼は追い掛けるように駆け出した。
ダメージは間違いなくあるにもかかわらず、それを全く感じさせない。
初撃はどちらかと言えば大振りだったが、接近して来たヴェルフさんが今度は連打を繰り出した。
左右の拳を間断なく振るい、僕を攻め立てる。
威力を犠牲にする代わりに速く、精確で、随所にフェイントも散りばめられていた。
豪快なようで緻密な計算も入った体術は見事だが、やはり僕に届くことはない。
その全てを躱し、捌き、時折カウンターで顔面を打つ。
しかし、どれだけ殴られようとヴェルフさんが怯むことはなく、瞳の光が陰ることはなかった。
それを見た僕は、拳で語ると言う意味が、ほんの少しだけ理解出来た気がしている。
1,000の言葉を尽くすよりも、彼がどんな人物か雄弁に訴え掛けて来た。
やろうと思えば左右に受け流すことも出来るが……ここは、正面から受けて立つべきだろう。
現在進行形でヴェルフさんの顔はボロボロになっており、既に当初の面影はない。
それでも諦めない彼を見て苦笑を浮かべた僕は――防御を放棄した。
姫様たちが息を飲む中、当然ヴェルフさんの拳が顔に迫り――
「……なんでやめた?」
ギリギリのところで、止まった。
その顔は腫れ上がっているが、嘘偽りを許さない迫力を持っている。
彼の目を真っ向から見返した僕は、悪びれることもなく言い放った。
「貴方が、無防備な人間を攻撃するかどうか試したんです」
「……俺が止めなかったらどうする気だったんだ?」
「別に、どうもしません。 少し痛い思いをするでしょうが。 それに、そうならない確信がありましたから」
「まったく……敵わないな。 俺の負けだ」
「手合わせ、有難うございました」
「あぁ、こちらこそ」
ボロボロのまま笑みを浮かべ、手を差し出すヴェルフさん。
再び苦笑を漏らした僕はその手を取り、強く握り返した。
この瞬間、僕らの間にある種の信頼が生まれたのかもしれない。




