第21話 ソフィアの戦い
ソフィアが向き合った相手は、ノイム。
これは狙ったのではなく、流れでそうなっただけだ。
サンド・ワームの邪魔も想定していた彼女だが、その心配はない。
シオンが引き付けているのかノイムたちがそう仕向けているのかは謎だが、この場には静かな空間が広がっている。
砂漠を吹き抜ける風の音が聞こえるほどで、緩やかに砂が舞った。
しかし、ソフィアが油断することはなく、注意深くノイムを観察し――
「わたしが美しいからと言って、そんなに見つめないで欲しいな」
本気か冗談かわからないようなことをのたまいながら、ノイムが弓を生成した。
それを見た瞬間――
「はぁッ!」
長槍を投擲するソフィア。
それと同時に駆け出し、ノイムとの距離を埋める。
飛来する長槍をヒラリと躱した彼は、どことなく芝居掛かった挙措で弓を引いた。
警戒の度合いを更に引き上げたソフィアは大盾を力強く握り――矢の雨が襲い掛かる。
両足で砂地を踏み締め、凄まじい連射を受け止めた。
かなりの時間を耐え切ったソフィアは長槍を再生成し、間髪入れずに投げ放つ。
だが、またしてもノイムは華麗に回避し、お返しとばかりに矢を乱れ撃った。
対するソフィアも負けじと防ぎ切り、隙を見逃さずに長槍を投げる。
何度も同じことを繰り返し、ソフィアは中々ノイムに接近出来ずにいた。
いや、この場合はノイムが接近を許していないと言えるだろう。
ときどきふざける余裕すらあり、ソフィアの長槍が当たる気配はない。
逆にノイムの矢は、確実にソフィアの耐久力を削っている。
もっとも、決定打にはほど遠いので、現時点ではどちらが有利とは言い辛い。
そんなとき、前触れなくそれは起こった。
「む……!?」
幾度となくソフィアの長槍を楽に躱していたノイムの顔に、初めて焦りの色が混ざる。
彼の視界に映ったのは、凄まじい速さで迫り来る長槍。
今までと次元の違う速度で、避けられるか際どい。
このとき彼は、ソフィアがわざと投げる速さを落としていたと知った。
自分がまんまと策にはまったことを悔しく思ったノイムだが、ギリギリのところで被弾を許さない。
お気に入りのマントに風穴が空いたものの、体は無事。
とは言え、安心など出来るはずもなかった。
苦し紛れに矢を連射したが、体勢が大きく崩れていた為に充分な威力を出せずにいる。
その好機を逃さず、全力の踏み込みを敢行するソフィア。
大盾で前面を覆いながら走り、遂にノイムを射程圏内に捉えた。
それを見たノイムは忌々しそうに顔を歪めながら、必死にバックステップを踏む。
一方のソフィアは既に長槍を引き絞っており、神速の刺突を繰り出した。
目視出来ない速さで突き出された穂先はノイムの胴を掠めたが、致命傷には至らない。
傷口を押さえながら後方に跳び退ったノイムは、大きく息を吐き出してから声を発する。
「見事だ。 流石は『輝光』と言っておこう」
「お褒めに預かり光栄ですが、仕留められなかったのは不覚です」
「ふふ、そう簡単にやられる訳には行かないさ。 わたしにもプライドはあるからね」
「そうですか。 では、そのプライドごと討ち滅ぼすまでです」
悠然とした足取りでノイムに歩み寄るソフィア。
同じ手段は通用しないだろうが、少なくとも彼女の全力の投擲に対してノイムは、回避に専念しなければならない。
そうなれば、有利なのはソフィア。
そのことは彼女もわかっているが、だからと言って気を抜くつもりはなかった。
相手は魔族。
次の瞬間には、何を仕掛けて来るかわからない。
内心で気を引き締めたソフィアは、凛々しい面持ちでノイムを見据えていた――が――
「それにしても、キミは醜いね」
「……え?」
理解出来ない言葉が耳朶を打ち、ポカンとした間抜け面を晒してしまった。
断っておくと、彼女に自身の美貌をひけらかすつもりなどない。
だが、生まれたときから容姿を褒められ続けて来たソフィアにとって、ノイムの言葉は大きなショック。
思わぬ精神的ダメージを受けている彼女に構わず、ノイムは嘆かわしそうに言葉を連ねる。
「その顔もそうだが、戦闘スタイルが不細工過ぎる。 まるでイノシシじゃないか。 少しはデュエ様を見習って欲しいものだな。 もっとも、キミ如きがどうしたところで、あの方の足元にも及ばないだろうが」
「……随分な言われようですが、それに関しては良いです。 それより、デュエと言うのは誰ですか?」
「口を慎みたまえ。 キミのような醜い生き物が、デュエ様を呼び捨てにして言い訳がないだろう」
「……では、そのデュエ様とやらは何者ですか?」
胸中でイライラを募らせつつ、ソフィアは努めて冷静さを保って尋ね掛ける。
はっきり言って腹に据えかねるが、少しでも情報を得たいと考えたからだ。
そんな彼女に向かって、ノイムは――
「女神さ」
「……はい?」
「聞こえなかったのかい? 耳まで悪いんだね」
「いえ、聞こえてはいました。 ただ、意味がわからなかっただけです」
「なるほど、悪いのは耳ではなく頭だったか。 デュエ様は女神。 このようなことは、自明の理だろうに」
「……要するに、女神のように美しい魔族と言うことですか?」
「無粋な言い方をすればそうだね。 不細工なキミにはお似合いだが。 わたしたちの主、『魔十字将』のデュエ様を良く覚えておきたまえ」
「……はい、覚えておきます」
今の言葉は出任せではない。
大半の言葉を聞き流していたソフィアだが、『魔十字将』と言うワードには強く反応した。
単純に考えて、ヴァルと同等の力を持つ存在。
詳しい能力などはわからないが、そう言った魔族が他にもいることを知れただけでも収穫。
そう考えたソフィアは戦闘を再開しようとしたが、その前に言っておきたいことがあった。
「ノイムと言いましたね。 貴方はわたしのことを醜い、不細工と言いますが、それに反論するつもりはありません。 ですが、1つだけ良いですか?」
「何だい?」
「シオンさんは、わたしのことを美しいと言ってくれます。 それだけで充分なのです。 世界中の誰に醜いと言われようと、彼の心にさえ届くのなら……わたしは幸せです」
華やかな笑みを浮かべて宣言するソフィア。
それを見てもノイムの心は揺るがなかったが、別の要因で認めざるを得なかった。
「キミは醜い。 だが……誰か1人を想う心、それだけは美しい」
「有難うございます。 貴方のデュエ……様に対する気持ちも、素晴らしいと思いますよ。 ですが……勝つのはわたしです」
「そうは行かないよ。 デュエ様の腹心として、わたしも負けられないからね」
互いに強気な笑みを交換し合ったソフィアとノイムは、静かに、それでいて熱く戦意を高める。
そうして再び戦端が開き、先に仕掛けたのは――ノイム。
「喰らいたまえ!」
先ほどまでと違い、広範囲を覆うような同時射撃。
避け難いのは確かだが、ソフィアは訝しく思った。
これならば、集中攻撃された連射の方が厄介。
広範囲をカバーする半面で、各面積に対する攻撃力が落ちているからだ。
事実、ソフィアは労することなくガードに成功し、即座に打って出ようとして――
「……ッ!」
砂漠に身を投げた。
その直後、寸前まで彼女が立っていた場所に膨大な矢が突き立つ。
それを見たソフィアは、冷や汗を流しながらノイムの狙いを悟った。
「広範囲を攻撃することでわたしにガードを強要し、尚且つ外れた矢を操って背後から攻撃……ですか」
「その通りさ。 いや、わたしとしては今の攻撃で終わらせるつもりだったんだが、良い反応だったよ」
「有難うございます。 こう言った戦法には慣れていますから」
ルナとの訓練やナミルとの戦闘を思い出すソフィア。
ナミルのことを思い出した際に、ほんの微かに悲しい気持ちになったが、すぐに戦闘に集中する。
改めて長槍と大盾を構え直し、強気に言い返した。
「わかっていれば、対処のしようもあります。 いつまでも通用するとは思わないで下さい」
「そんなことはわかっているさ。 ただ、キミこそ勘違いしているのではないかな?」
「勘違いですか?」
「そうさ。 わたしの能力を、甘く見ないでおくれ」
そう言ったノイムは広範囲ではなく、当初と同じように集中射撃を行った。
対するソフィアは大盾でガードしようとしたが――曲がる。
大盾に激突する直前に矢が軌道を変え、ソフィアの背後と左右から襲い掛かった。
その一方で前面からの攻撃も続いており、大盾を動かすことは出来ない。
瞬時にそう結論付けたソフィアが選んだ手段は、絶対防御スキル。
「【護り防ぐ光】」
ソフィアを中心に展開する、光の障壁。
ノイムの矢で破ることは不可能で、何発受けたところでビクともしない。
全周囲からの攻撃を完全にシャットアウトしており、これで戦況はひっくり返った――かに思われたが――
「知っているよ。 確かにそのスキルの防御力は脅威的だ。 しかし、維持するのに膨大な神力が必要だね? 何より、発動中は動くことが出来ない。 これまでは短時間の発動だったから問題なかったのだろうが、今回はどうかな?」
「……随分と詳しく調べたのですね」
「言いたくはないが、格上に挑むなら当然の準備さ。 そして戦闘において、力のある者が必ずしも勝つとは限らない」
弓を引き続けながら、朗々と語るノイム。
彼にも余裕はないが、ソフィアはそれ以上に厳しい状況。
すぐに【護り防ぐ光】が解けることはないが、それも時間の問題。
ほぼ間違いなく、ノイムが力尽きるより先にソフィアの限界が訪れる。
そう判断したソフィアは、決死の覚悟で前に出た。
正面から降り注ぐ矢の雨だけは大盾でガードし、背後や左右からの攻撃は、体捌きで可能な限り回避。
流石に全てを避け切ることは出来ず、彼女の美しい肌に赤い線が走る。
それでも彼女が止まることはなく、ノイムとの距離を徐々に詰め――
「イノシシのキミには、それしかないだろうね」
連射が止まった。
何事かと思ったソフィアが見る先では、ノイムが限界まで弓を引き絞っている。
ただし、番えているのは矢ではなく赤い剣。
それが何を意味するのか――と、ソフィアの頭が答えを出すのと同時に剣が放たれ――大爆発。
尋常ではない破壊力が砂漠を抉り、辺りに砂煙が巻き上がった。
大半の魔力を注ぎ込んだ奥の手を使ったノイムは肩で息をしていたが、ソフィアを殺せたのなら大きな功績。
デュエに褒められる妄想をした彼は、顔を弛緩させたが――
「終わっていませんよ」
背後から声が聞こえて、あらんばかりに目を見開く。
咄嗟に振り向いたノイムが目にしたのは、服どころか下着まで布切れになりながら、戦う意志を欠片も失っていないソフィア。
眼前に迫る長槍を必死に躱そうとしたが、反応が遅れたせいで浅く頬を傷付けられてしまった。
デュエの次に大事と言っても過言ではない顔を傷付けられて、怒り心頭なノイム。
しかし辛うじて感情を押し殺し、ソフィアから離れつつ矢の雨を放ち――
「【流れる星の光】!」
水平に放たれた光の流星群が、矢の雨ごとノイムを飲み込んだ。




