第8話 汚れたわたし
時はしばし遡る。
真夜の大陸から渡ったノイムとスール、クロトも、シオンたちと同時刻に熱砂の大陸に辿り着いた。
違う点を挙げるなら、彼らは人がいない地域を選んだことだろう。
デュエの腹心であるノイムたちは強大な力を持っているが、余計な戦闘をして消耗するのを避けたいからだ。
それほど、彼らが与えられた使命を果たすのは難しい。
「ここが熱砂の大陸かー。 マジで砂ばっかだな」
「呑気なことを言うな、スール。 サッサと行くぞ」
「待て、クロト。 潮風で髪がパサつく。 手入れをしなければ」
「ノイム……僕たちは遊びに来たんじゃないんだぞ? そんな暇があるか」
「クロトこそ、ちょっとピリピリし過ぎじゃねぇ? まだ先は長いんだから、もっと肩の力を抜こうぜ」
「貴様たちが抜き過ぎなんだ、スール。 僕はデュエ様の腹心として、恥ずかしくない振る舞いを心掛けている」
「む、それじゃあ俺たちが恥ずかしいみたいじゃんか」
「そう言ったつもりだが、伝わらなかったか?」
「この野郎! 先にテメェをぶちのめしてやるッ!」
「望むところだ。 僕もいつか、貴様を黙らせたいと思っていた」
些細な言い争いから、スールとクロトが戦闘モードに入った。
互いに魔力を練り上げ、本気の死闘が始まろうとしている。
しかしそこに、軽い口調でノイムが言葉を放った。
「この状況をデュエ様が知ったら、どうお思いになるかな?」
『……ッ!』
「腹心2人が使命を忘れて争っている……いやはや、何とも情けない限りだ」
「……髪がどうのこうのと言っていた奴に言われたくない」
「そうだそうだ! テメェが1番、不真面目じゃねぇか!」
「わたしにとっては必要なことなのさ。 使命に集中する為にね。 さて、準備も出来たから行こうか」
「ったく、自分勝手な奴だぜ……。 クロト、今回は一旦お預けな」
「腹立たしいが、やむを得まい。 そう言えば、この大陸にはサンド・ワームが大量にいたな。 何かに使えるかもしれん」
「あの醜いモンスターか……。 出来れば遠慮したいところだが」
「あはは、ノイムはああ言うの苦手だからなー。 ま、取り敢えず行こうぜ!」
宣言したスールを先頭に、ノイムたちも足を踏み出した。
結果的にノイムの言葉を受けて、矛を収めたスールとクロト。
やはりこの3人の纏め役は、意外とノイムなのかもしれない。
こうしてデュエの腹心たちも、使命の完遂を目指して熱砂の大陸を歩み始めた。
認識阻害の魔道具を使ってから魔家を建て、僕たちは砂漠で夜を明かす。
中の空調は完璧なので、非常に快適。
熱砂の大陸の人々には、若干申し訳なくなるが……。
だからと言って、敢えて使わないのは勿体ない。
そんな免罪符を胸に、今日もアリアの夕食に舌鼓を打っていたのだが――
「ルナ様、お口に合わなかったんでしょうか……」
「そんな訳ないじゃない。 メイドちゃんのご飯は、今日も最高だったわよ」
「うんうん。 わたしも料理は出来る方だと思ってたけど、アリアちゃんには遠く及ばないわね」
「あ、有難うございます……。 ですが、食後の紅茶も飲まずに部屋に戻るなんて、今までありませんでしたし……」
リルムとサーシャ姉さんから褒められても、アリアは納得出来ない様子だ。
それも仕方ないかもしれないが、今回ばかりはルナに問題があると言える。
もっとも、具体的なことはわからない。
それゆえに僕は席を立ち、手っ取り早い解決策を取ることにした。
「ルナの様子を見て来ます」
「あまり推奨したくはありませんが……今はそれが良さそうですね。 シオンさん、よろしくお願いします」
「はい、姫様。 お任せ下さい」
少女たちに見送られた僕は2階に上がり、ルナの部屋のドアをノックする。
暫くは待つ心構えでいたが、予想外にもすぐに開いた。
「いらっしゃい、シオン」
「中に入っても良いか?」
「勿論よ。 どうせなら、朝まで一緒でも良いのよ?」
「そんな冗談が言えるなら、思ったより大丈夫そうだな」
「もう、相変わらずつれないわね……。 まぁ良いわ、入って頂戴」
「あぁ、失礼する」
招き入れられた僕はドアを閉め、ルナと向き合い――唇を奪われた。
姫様たちとはまるで違う、濃厚で貪欲なキス。
全く考えていなかった訳じゃないが、いきなりなのは想定外。
舌を絡ませながら唾液を交換し、貪り合う。
僕の体をドアに押し付ける勢いで抱き付いて来ており、困惑より先に疑問に思った。
いったい、ルナに何があったんだ?
現在進行形でディープキスを続けながら思考を回転させようとしたが、彼女の色香によって考えが纏まらない。
諦めた僕はキスに集中して、やっとのことで終わりを迎えた。
ルナは息も絶え絶えで、僕であっても多少は乱れている。
そのまま無言の時間が続いたが、取り敢えずハンカチで互いの口元を拭いた僕が声を発した。
「とにかく、座ろう。 話はそれからだ」
「……えぇ」
これまでは、キスした直後の彼女は幸せそうだったにもかかわらず、今は悄然としている。
それだけでも何か異変があったとわかるが、一気に聞き出そうとは思わない。
ルナの部屋は彼女の趣味らしく、黒いゴシック調の家具で統一されていた。
僕としては微妙に落ち着かないが、ひとまず椅子に腰掛ける。
するとルナは、別の椅子やベッドを使うことなく、僕の膝の上に座った。
またふざけているのかと思ったが、どうもそう言う雰囲気じゃない。
今の彼女は不安そうにしており、縋り付いているかのようだ。
そのことを察した僕は、後ろから優しく包み込み、ゆっくりと頭を撫でる。
何も言わずに手を動かし続けていると、時計の音が室内に響いて聞こえた。
それでも口を閉ざしていた僕に、ルナは小さく声を落とす。
「何も聞かないのね」
「今は落ち着かせるのが最優先だと思ってな」
「わたしは落ち着いているわよ」
「そんな状態で、良く言うな」
「わたしのスキンシップが激しいのは、とっくに知っているでしょう?」
「確かにそうだが、今のキミはその行為を楽しんでいるんじゃなく、何かを振り払おうとしているように見える」
「……」
「沈黙は肯定と取るぞ?」
「わかった、認めるわ。 今のわたしは、確かに平常心を失っている。 でも、だからって戦闘に支障は出さないから。 それで良いでしょう?」
「良い訳ないだろう。 僕にとってルナは、戦闘の為の道具じゃないんだ。 仲間が辛そうにしているのを、見て見ぬふりは出来ない」
僕としては本心を語っただけで、そこに特別な意味などなかった。
ところが、ルナにとっては違うらしい。
「道具じゃない……ね」
「どうした?」
「いえ、随分とタイムリーな言葉が出たと思っただけよ」
自嘲気味に笑うルナ。
いまいち要領を得ない僕が黙っていると、彼女はどこか遠くを見つめながら話し始めた。
「わたし、熱砂の大陸の出身なの」
「そうだったのか」
「当時の奴隷の多くは、サレリアの連中ほど酷い扱いは受けていなかったわ。 フランムがしっかり管理していたから。 でも、全員ではなかったのよ。 わたしに言わせれば、あれでもマシな方よ」
「もしかして、キミは……」
「お察しの通り、奴隷だったわ。 それも、お金に困った両親が、非合法な奴隷商に売ったの。 6歳か7歳くらいのときだったと思うわ」
「……そうか」
「シオンは、最底辺の奴隷がどう言う扱いを受けるか、知っているかしら?」
「いや……詳しくは知らない」
「まぁ、人にもよるんでしょうけれど、わたしの場合は……まさに道具だったわ」
「道具……」
「最初は窃盗からだったわね。 毎日ノルマを課されて、その金額を集めて来るまで寝床に入れてくれないの。 しかも、必死に掻き集めたところで、もらえるのは腐りかけのパン1つ。 オマケに靴で踏み付けられて、這いつくばって食べるように強要されたの。 捕まって暴力を振るわれたことだって、数え切れないほどあるわ」
「酷いな……」
「こんなの序の口よ? それからわたしを買った人は、わたしの容姿に目を付けたの。 使えるって」
「使える……?」
「えぇ、2つの意味でね。 1つは、顔が良くて幼いわたしは警戒を抱かれ難いから、暗殺者として育てられたの。 初めて人を殺したときの感触は、今でも覚えているわ……」
自分の両手を見つめて、呟くルナ。
そこにどれほどの苦悩があるのか、僕には想像することも出来ない。
「もう1つは、そのままね」
「それは……」
「えぇ、性処理よ。 主人だった男は当然として、数え切れない人数の相手をさせられたわ。 小さい子の方が良いって変態は、山ほどいたから。 他の大陸に行くこともあったけれど、そのときもお金なんて持たされないから、股を開いてなんとか乗せてもらっていたの。 船が苦手な本当の理由はこれね」
「……どうやって、その環境から抜け出したんだ?」
「『殺影』になったからよ。 知っているでしょうけれど、聖痕者になった瞬間からその階位の戦い方はある程度わかるから、あとは簡単だったわ。 主人だった男を始めとして、わたしを嬲った連中を片っ端から殺したの。 そのあとは知っての通り、殺し屋として生きて来たわ。 他に何をすれば良いかわからなかったしね」
「すまない、辛いことを話させた……」
「別に良いわよ。 吐き出したことで、少しは楽になったから。 もう、何年も前のことだしね。 でも、もう1度聞かせて欲しいの」
そう言って腰を上げたルナは振り返り、僕を真っ直ぐに見据えて問い掛ける。
その顔には笑みが浮かんでいるが、今にも泣きそうに見えた。
「こんな汚れたわたしでも、抱いてくれるのかしら?」
ルナの言葉を聞いた僕は椅子を蹴倒しながら立ち上がって、彼女を強く抱き締めた。
僕はなんて愚かだったんだろう。
ルナが笑顔の下でどれほど傷付いていたか、全くわかっていなかった。
悔しさに歯を食い縛りながら、腕に力を込める。
そんな僕の反応にルナは驚いたようだが、クスリと笑ってポンポンと背中を軽く叩いた。
「苦しいわ」
「……すまない」
「まったく、なんて顔をしているのよ。 シオンが悲しむ必要なんてないでしょう?」
身を離したとき、僕はよほど酷い顔をしていたらしい。
苦笑を浮かべたルナが僕の頬に手を沿えて、優しく撫でた。
慰めるべき相手から逆に心配されては、世話ないな……。
1度深呼吸した僕は、頬に沿えられたルナの手を掴んで告げる。
「僕は今後も、ルナを傷付けるかもしれない」
「えぇ、覚悟しているわ」
「だが、絶対に汚れているなんて思わない。 キミは魅力的な人だ」
「有難う、嬉しいわ」
「罪もない人を殺したのは、良くないことかもしれない。 それでも僕は、ルナを肯定する。 誰がキミを非難しようと、僕だけは味方だ」
「……頼もしいわね」
「キミは充分以上に傷付いた。 これからは、幸せになって欲しいと思う。 その為に出来ることがあるなら、僕は協力を惜しまない」
嘘偽りのない思いを、誤魔化すことなくぶつける。
それを受けたルナは目を見開いていたが、次いでニヤニヤとした笑みに変わった。
彼女が本調子になった証のようなものだが、早まったか……?
胸中でほんの少しだけ後悔していると、やはりと言うべきか、ルナが楽しそうに言い放つ。
「わたしが幸せになるにはシオンが必要不可欠なのだけれど、わたしだけのものになってくれるかしら?」
「……それ以外で何かないか?」
「うぅん、キスはさっきしたばかりだし……抱いてくれる?」
「……それ以外で」
「もう、わがままね。 協力は惜しまないって言ったじゃない」
「軽率だった……」
「はぁ……仕方ないから、今夜一緒に寝てくれたら一旦許してあげる」
「……普通に寝るだけで良いんだな?」
「あら、普通ではない寝ると言うのは、どう言うことかしら?」
「言わせたいのか?」
「ふふ、まぁ良いわ。 それで? 引き受けてくれるの?」
「……協力を惜しまないと言った以上、それくらいなら良いだろう」
「良かったわ、有難う」
心底嬉しそうに笑うルナを見ていると、受け入れて良かったと思う。
ところが――
「待て」
「どうしたの?」
「何故服を脱ぐ?」
「その方が、強く貴方を感じられるじゃない。 ほら、シオンも脱いで」
「僕も脱ぐのか……?」
「女の子だけに脱がすつもり?」
「……やむを得ないな」
あっさりと下着姿になったルナ。
黒の大人っぽいデザインで、彼女らしい。
ゴスロリ服で隠れてわかり難かったが、身長の割に出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。
数多の男に抱かれたと言っていたが、そんなことを感じさせないほど美しかった。
僕が見惚れていることに気付いたのか、ルナは蠱惑的な笑みで人差し指をペロリと舐め、挑発するように言ってのける。
「下着も脱ぐ?」
「いや、そのままで頼む」
「もう、つまらないわね。 それより、シオンも早く脱いでよ」
「わかっている」
そう答えた僕だが、実のところ悩ましかった。
とは言え、ここで拒否する選択肢はない。
諦めた僕は上半身と下半身に肌着だけを身に付け、ルナと相対する。
彼女は僕が上も脱ぐと思っていたようだが、それは出来ない。
若干不思議そうにしつつ、ルナは楽し気に僕の手を引いてベッドに向かった。
サーシャ姉さんのときと同じように、向かい合って寝転んだのだが、距離はあのときより近い。
厳密に言うと密着している。
互いに抱き締め合い、存在を確認しているかのようだ。
ルナは僕の胸に顔を埋めて幸せそうにしており、僕も彼女の女性を存分に感じている。
そうして静寂が室内に満ち、そのまま眠りに落ちるかに思われたが――
「有難う、シオン」
顔を埋めたまま、ルナがそんなことを言い出した。
何に対する礼かわからなかった僕が返事出来ずにいると、彼女は構わず言葉を重ねる。
「わたし、本当は怖かったの。 シオンに過去を知られたら、拒絶されるんじゃないかって……」
「ルナ……」
「ルナって名前も、本名ではないの。 殺し屋としての、コードネームみたいなものね。 だから、本当は嫌いだったの」
「そうか、だったら……」
「うぅん、本名は本名で名乗りたくないわ。 だから、これからもルナって呼んで?」
「……わかった」
「有難う。 それに、今ではそんなに嫌いではなくなっているのよ」
「そうなのか?」
「えぇ。 だって、シオンにたくさん呼んでもらっているから」
「そうか……」
「シオンに受け入れてもらえて、本当に安心したわ。 わたしはもう、大丈夫よ」
「そう言ってもらえて、僕も安心した。 だが、もしまた辛くなったらいつでも言ってくれ」
「抱いてくれるの?」
「……別の方法を考える」
「うふふ、ガード固いわね。 でも……有難う」
それっきり口を閉ざしたルナは、より強く僕を抱き締めた。
正直に言うと自制するのに苦労したが、彼女が喜んでいるなら我慢出来る。
その後、眠りに就いた僕たちは同じ部屋で朝を迎えたのだが――当然の如く、激怒した姫様たちに出迎えられることになった。




