第6話 奴隷
熱砂の大陸に到着した僕たちは、衝撃を受けた。
同じ港町でありながら、カスールやセレナとはまるで違う。
サーシャ姉さんの言っていたように貧富の差が激しいらしく、見た目に大きな違いがあった。
カスールやセレナの船乗りたちは活気に満ちていたが、ここサレリアの労働者は全員が疲れ果てている。
着ている服もボロボロで、その姿はまさに奴隷。
鎖に繋がれて身なりの良い者に監視されている辺り、ほぼ間違いない。
その中には子どもの姿もあり、容赦なく怒声を浴びせられながら働いていた。
事前に聞いていたよりも、格段に悪い扱いに思える。
これがこの大陸の現実、常識。
力のある者は力のない者を従え、酷使することが出来る。
だが、だとしても――
「駄目よ、シオンくん」
いつの間にか足を踏み出していた僕を、サーシャ姉さんが強い口調で止める。
思わぬ迫力に驚きながら視線で真意を問うと、辛そうに声を返して来た。
「シオンくんの気持ちは、わかるつもりよ。 わたしだって、こんな光景は見てられない。 でも……ここで誰か1人を助けたら、全員を助けないといけなくなる。 そんなの無理だし、今は良くてもずっと守ることは出来ないわ。 だから、中途半端な優しさはむしろ良くないの」
その言葉は、あたかも自分に言い聞かせているようだった。
視線を移すと、姫様とアリアも揃って我慢しているように見える。
リルムは関心がないのかと思いきや、どことなく不愉快そうにはしていた。
唯一、ルナだけは感情の抜け落ちた表情をしており、何を考えているのか不明。
まったくもって納得は出来ないが、自分のわがままを通す訳には行かないと思った僕は、深呼吸して落ち着きを取り戻し――
「この愚図ッ! サッサと働け!」
「ご、ごめんなさい……」
「ちッ! ちょっと痛い目を見ないと、わからんようだな」
「ひ……!」
煌びやかな装飾品を身に纏った恰幅の良い男が、奴隷らしき少年に鞭を振り下ろす。
それを見た瞬間、自分の中で何かが切れる音がした。
2人の間に割って入り、鞭を直剣で斬り飛ばす。
男は愕然としていたが、知ったことじゃない。
即座に反対の直剣を突き出し――顔の横を通過。
頬を浅く斬り裂き、今更になってそれを悟った男は――
「ぎゃぁぁぁぁぁッ!?」
大袈裟に絶叫を上げた。
そんなに痛い訳ないだろう。
少なくとも、お前がこの少年に与えた苦痛には、遠く及ばないはず。
腰を抜かして尚も叫んでいる男を睥睨していると、通りから大勢の足音が聞こえた。
「貴様、どう言うつもりだ!?」
「いったい何を考えている!?」
「こんなことをして、ただで済むと思っているのか!?」
同時に聞くな。
姿を現したのは、無駄に豪華な鎧を身に纏った兵士の集団。
たぶん、フランムの王国軍。
1人1人の強さはそれなりだが、このような状況を看過している時点で、グレイセスやアリエスの王国軍に劣る。
殺気を込めた眼差しで彼らを見つめると、あからさまに怯えていた。
流石に殺す気はないが、無力化するべく踏み込もうとして――兵士たちが次々に倒れ伏す。
それを成し遂げたのは――
「……」
口を閉ざしたまま、銃を乱射したルナ。
相変わらず胸の内が窺い知れない反面、激情を堪えているのを感じる。
てっきり殺したのかと思ったが、非殺傷用の弾丸を使ったらしい。
全員意識を失っているものの、呼吸はしていた。
ルナが参戦するとは思っていなかった僕は意外に思いながら、ひとまずは棚上げして少年に近寄る。
少年は心底怯えていたので、片膝を突いて視線を合わせ、出来るだけ柔らかな声を心掛けた。
「大丈夫か?」
「う、うん……。 でも……」
「あとのことは心配するな、なんとかしてみせる」
「本当……?」
「あぁ、約束する」
「あ、有難う……!」
少年の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
それを見た僕は苦笑を浮かべつつ頭を撫で、暫くしてから姫様たちの元に帰った。
彼女たちの表情は様々だったが、厳しい面持ちの姫様に向かって、僕は恥も外聞もなく頭を下げる。
「お願いします、姫様。 力を貸して下さい」
「……シオンさん、自分が何をしたかわかっていますか?」
「はい……。 下手をすればグレイセスとフランムの間に、亀裂が出来かねないことをしました」
「わかっていながら、手を出したのですね?」
「罰なら、あとでいくらでも受けます。 ですから、どうか彼らを助けて下さい」
顔を上げて姫様を正面から見据え、懸命に気持ちを伝えた。
追加の兵士たちが駆け付けつつあり、騒ぎを聞いた町中の人々も集まっている。
それでも姫様から視線を逸らさずにいると、深く息を吐き出した彼女が行動に出た。
『輝光』の装備を生成し、長槍を天に掲げる。
大声を上げそうだった兵士たちは固まり、周囲の人々は騒然としていた。
彼らを見渡した姫様は、数瞬瞑目してから声高々に宣言する。
「わたしは聖王国グレイセスの姫であり『輝光』でもある、ソフィア=グレイセスです。 この町の奴隷たちは、わたしが全て買い取ります。 文句がある者は名乗り出て下さい」
「ル、『輝光』!?」
「ソフィア=グレイセスって……『グレイセスの至宝』か!?」
「ど、奴隷を全て買い取るって、そんな馬鹿な話が……」
「何か問題がありますか? 貴方たちは、人身売買を行っているのでしょう? 対価を支払うので、譲って下さい」
姫様の言葉を聞いて、町中にどよめきが広がる。
しかし誰も異を唱えることは出来ず、結局彼女の言う通りになった。
順番にゴード――世界通貨の名前――が詰められた革袋を渡し、次々と奴隷を解放して行く。
中には不満いっぱいな奴隷商などもいたが、多めに代金を払うことで黙らせていた。
先ほどのいざこざに関しても、兵士たちに金品を渡すことでなかったことにしている。
暫く暮らせるだけのゴードも受け取った奴隷たちは、涙ながらに礼を言っており、姫様は笑顔で応えていた。
こうしてこの町には平和が訪れたのだが、それは一時のことに過ぎない。
そのことがわかっている姫様は、珍しく冷たい眼差しで僕を見て問を投げて来た。
「これで満足ですか?」
「……はい、有難うございます」
「その割には、元気がありませんね?」
「姫様に多大な負担を強いてしまいましたから……。 それに、これで全てが解決した訳じゃないです」
「そのようなことは、最初からわかっていたはずです。 その上で、シオンさんはわたしにお願いしたのですよね?」
「……すみません」
本当に、我ながら浅はかな行動だ……。
感情をコントロール出来なかったことを、深く反省する。
だが、後悔はしていない。
あそこで少年を見捨てた方が、後悔していただろう。
それゆえに、姫様からどのような罰が下されようと、全て受け入れるつもりだったが――
「良いんじゃない? あとのことは、なんとかなるわよ。 お金の問題なら、あたしが払ってあげても良いし」
「わ、わたしに何が出来るかわかりませんけど……い、一緒に考えましょう」
「ホントにもう、こうなったからには覚悟するしかないじゃない」
あっけらかんとしたリルム。
気合を入れているアリア。
苦笑気味のサーシャ姉さん。
3人とも態度は違うが、どことなく嬉しそうに感じた。
そして――
「王国軍に手を出したのは、わたしよ。 シオンが責められるなら、わたしも責められるべきだわ」
険しい顔付きのルナ。
どうにも様子がおかしいが、何か思うことがあるらしい。
僕たちの顔を順に見つめていた姫様は、もう1度大きく息を吐き出して声を発する。
「本当に、仕方のない人たちですね……。 少し予定を変更しましょう」
「予定を変更ですか?」
「そうですよ、シオンさん。 今回のことでサレリアの人たちは、ひとまず救われたかもしれません。 ですが本当に解放される為には、熱砂の大陸の制度そのものをなんとかするべきでしょう」
「もしかして、あんた……」
「たぶん考えている通りです、リルムさん。 フランムの国王と話をして、奴隷の扱いを改善してもらいましょう」
「そ、そんな簡単に行くでしょうか……?」
「アリア、どの選択をしようと簡単には行かないの。 それなら、根本を正すしかないわ」
「そうですね……。 わたしたちはともかく、ソフィア姫なら話くらいは聞いてもらえるかもしれませんし、試してみる価値はあるかと」
「会って頂けるかすら疑問ですけれどね。 場合によっては、サーシャさんの『救国の修道女』の名もお借りします」
「え!? あ、いえ、わかりました……」
「よろしくお願いします。 と言うことで良いですか、シオンさん?」
「姫様……有難うございます。 僕に出来ることがあれば、何でも言って下さい」
まさに感無量と言った気分だ。
実際、フランムの国王がどのような人物かわからないので、どうなるかは未知数。
だとしても、姫様が力を貸してくれることが心強い。
もっとも――
「では、取り敢えずキスして下さい」
見返りは求められるようだが。
反射的に苦言を呈そうとしたところを、ギリギリで耐える。
花のような笑みを咲かせる姫様と向かい合い、両手で頬を挟んで少し上を向かせた。
ウットリと瞳を閉じた姫様に反比例するかのように、視線の温度を下げる他の少女たち。
そして、興味津々と言った様子でこちらの様子を窺っている町の人々。
全ての視線を意識からシャットアウトした僕は、少し躊躇ってから姫様にキスした。
視線の矢が痛かったものの、努めて無視して唇を重ね続ける。
しばしして顔を離そうとしたが、その前に姫様が僕の背中に腕を回して抱き締めて来た。
延長することになった僕は、いよいよもって針のむしろ状態。
ただし、姫様とキスすることや彼女の体の感触、匂いを感じられること自体は、至福のひととき。
二律背反な思いを抱えつつ時間が経過し、どこで終わらせるか悩んでいると――
「あぁ、もう! 終わり終わり!」
「な、長過ぎます……!」
「痴女姫……覚えていなさいよ……?」
「シオンくんも、実は楽しんでたわよね?」
リルムたちに引き剥がされた。
僕としては助かったと言う思いと、名残惜しい思いが混在している。
姫様は姫様でふくれっ面を作っていたが、これ以上を要求することはなく、何事もなかったかのように言い放った。
「町でアイテムなどの補充をしたら、出発しましょう。 行きますよ」
上機嫌に歩き出した姫様を、リルムたちは恨めしそうに見やっていた。
僕も微妙な気分だったが、ひとまず言われた通りにする。
その後、多くの注目を浴びながら買い出しを終えた僕たちは、熱砂の大陸を進み始めた。




