第5話 サーシャの変化
清豊の大陸を離れて数日が経ち、とうとう僕たちは肉眼で熱砂の大陸を捉えた。
最初の感想としては、暑い。
まだ海にいるにもかかわらず、大陸から漂って来る凄まじい熱気。
近付くのが嫌になりそうだが、そんなわがままは許されないだろう。
甲板に佇んで、そう決意していたが――
「暑い~。 メイドちゃん、助けて~」
「わ、わかりました!」
「破廉恥メイド、こちらも頼むわよ」
「は、はい!」
大きな板をブンブン振って、リルムとルナに風を送り続けるアリア。
お陰で彼女自身は汗だくになっており、途轍もなく可哀想。
しかし、それを見過ごせない者がいた。
「リルムさん、ルナさん、アリアを小間使いのように扱わないで下さい」
「ソ、ソフィア様……!」
「アリアは元々、わたし専属のメイドなのです。 わたしにだけ彼女を使う権利があります。 と言うことで、お願いね」
「は、はい……」
それで良いんですか、姫様。
相手がリルムとルナから姫様に変わっただけで、アリアが苦労するのは同じ。
不憫に思った僕は嘆息して歩み寄り、別の板でアリアを涼ませてやった。
目を丸くして振り向いたアリアに構わず手を動かしていると、彼女は顔を紅潮させながら扇ぐのを再開する。
何とも言い難い雰囲気が辺りに充満し、姫様たちが何事かを言おうとした直前、サーシャ姉さんが苦笑交じりに割って入った。
「はいはい、こっちに注目して。 良い物あげるから」
「良い物って何かしら、淫乱シスター?」
いきなりとんでもないワードが飛び出たように思うかもしれないが、これは今に始まったことじゃない。
と言うのも、僕の部屋でサーシャ姉さんが寝たことを、知られているからだ。
姫様たちから猛烈な勢いで尋問されたものの、取り敢えず何もなかったと言うことで納得してもらっている。
ただし、サーシャ姉さんに対する警戒は強まっており、ルナに至ってはご覧の通りだ。
付け加えるなら――
「それよりサーシャさん……またスリットが深くなっていませんか?」
「良く見てますね、ソフィア姫。 2セルチほど深くしました」
「もう、腰が見えるくらいじゃない。 ちょっとやり過ぎじゃない?」
「この方が動き易いのよ、リルムちゃん。 ほら、今後はわたしも戦闘に参加するんだし」
「そ、それにしても限度はあると思いますが……」
「それを言うなら、アリアちゃんのスカートだってそうよね?」
と言うことで、サーシャ姉さんの修道服に深いスリットが入った。
彼女は動き易いからと言う理由を主張しており、それ自体は間違っていないと思うが、姫様たちは別の狙いを疑っている。
具体的には――自分ではあまり言いたくないが――僕を誘惑する為。
実際、あれからサーシャ姉さんのボディタッチは増え、誰にも気付かれないタイミングで修道服を捲って見せ付けられたりと、アプローチが激しい。
ちなみにその経験則から、彼女はTバックしか履かないと判明している。
色は様々だが。
悔しいが、こうして意識させられている時点で、彼女の術中にはまっている気がした。
チラリとサーシャ姉さんを窺うと怪し気な笑みを浮かべており、修道女どころか淫魔にすら思える。
このままでは良くないと考えた僕は、強引に話題を戻した。
「それで、良い物と言うのは何だ?」
「ふふ、慌てないで? 光浄の大陸では必要ないんでしょうけど、熱砂の大陸との交易も盛んな清豊の大陸には、こんな魔道具もあるのよ」
「魔道具?」
そう言ってサーシャ姉さんが取り出したのは、人数分の青いワッペンのような物。
魔道具と言う言葉にリルムが真っ先に跳び付き、興味深そうにしげしげと見つめている。
そんな彼女に苦笑を浮かべたサーシャ姉さんは、少し得意そうに説明を始めた。
「これは冷章って魔道具で、身に付けることで熱気を遠ざけることが出来るのよ。 高級品なんだけど、女王様から頂いたの」
「え! ちょっと貸して!」
「もう。 わかったから、落ち着いて?」
興奮を抑え切れないリルムに、サーシャ姉さんが冷章を渡す。
早速とばかりに胸元に付けたリルムは、驚きと幸せが半々の表情で声を漏らした。
「あ~、涼しい! 良いわねこれ! あたしでも作れるとは思うけど、光浄の大陸ではいらないから、作ろうと思ったことなかったわ! そう言う意味では凄い発見かも!」
「暑苦しいから黙りなさい、痴女レッド。 淫乱シスター、わたしたちにも配ってくれる?」
「はいはい、どうぞ」
淫乱シスターと呼ばれても、気にも留めないサーシャ姉さん。
そのことが逆にルナは不満そうだが、この辺りは年上の余裕かもしれない。
最近判明したことだが、サーシャ姉さんが22歳でルナが20歳の年長組。
姫様が18歳で僕とリルムは17歳。
最年少が15歳のアリア。
どちらにせよ若いパーティだが、やはり年上らしさはある。
それはそれとして、サーシャ姉さんから魔道具を受け取った僕だが、ほんの一瞬だけ胸を押し付けられた。
姫様たちが気付かなかったから良かったものの、油断も隙もないな……。
ジト目を向けた僕に対して、サーシャ姉さんは舌を出して茶目っ気たっぷりに笑っている。
可愛らしくはあるんだが……何だかな。
気を取り直して冷章を付けると、確かにとても涼しくなった。
これなら熱砂の大陸でも快適に過ごせそうだが、サーシャ姉さんの説明は終わっていない。
「魔力を毎日補充すれば、長期間使っていられるわ。 ただ、なるべく目立たないところに付けてね」
「え? どうしてですか?」
「さっきも言ったように高級品だからです、ソフィア姫。 熱砂の大陸は貧富の差が激しく、治安が良いとは言えないので……」
「そ、そうなんですか……。 怖いですね……」
「安心しなさい、メイドちゃん。 変な奴がいたら、あたしがぶっ飛ばしてやるから」
「痴女レッドが暴れたら、余計にややこしくなりそうだけれど」
「なんでよ! て言うか、当たり前のように痴女って言ってんじゃないわよ!」
「もう認めちゃいなさい、リルムちゃん。 その方が楽よ?」
「サーシャさん……それは、貴女が淫乱だと認めたとも取れますが?」
「そうは言いませんよ、ソフィア姫。 でもシオンくんとなら、そう言うことしたいですし。 別に、そう思われても気にしません」
「この淫乱シスター……今のうちに始末しておこうかしら」
サーシャ姉さんの宣言を聞いて、おどろおどろしいオーラを背負うルナ。
姫様たちも、剣呑な空気を撒き散らしている。
真面目な話のはずが、急激に雲行きが怪しくなった。
いろいろとどうでも良くなった僕は、現実逃避気味に熱砂の大陸を眺めながら情報を整理する。
大陸を統べるのは、炎王国フランム。
砂漠と火山地帯が大陸の大半を占め、暮らすには過酷な環境。
土地柄、農産業を発展させるのが難しい為、聖痕者以外にも傭兵などを用いて、他の大陸に戦力を派遣することで収益を得ているらしい。
その裏で暗殺などを生業にしている者もいるそうだが、フランムの国王は処罰の対象にしている。
こうした事情によって、戦う能力のない人間に対する風当たりが強い傾向だ。
力のある者が優遇されることから貧富の差が激しいが、最低限の生活が出来る程度には法が整備されている。
それでも金銭的問題で生きて行けなくなった者たちは、奴隷と言う身分に落とされると聞いた。
奴隷になると主人の元で労働を強制されるが、理不尽な行為は許されておらず、一定の義務を果たせば一般人に戻れるとのことだ。
ただし、非合法な奴隷商も存在しているのが実情。
改めて頭の中で情報を纏めたが、光浄の大陸や清豊の大陸に比べて、かなり厳しいと感じる。
だからこそ内心で心積もりをしていたが、見立てが甘かったと思い知らされることになった。




