第1話 少女たちとのちょっと(?)エッチな日常
アリエスに滞在して、今日で2週間。
ここまで長期間になったのは、街の修復作業を王国軍とギルドが協力して行っている間、敵の襲撃を警戒していたからだ。
それと同時に休息も取っており、良いリフレッシュになっていた。
当初は宿を使っていた僕らだが、あの戦いにおける功績を認められて、宮殿の豪華な部屋を使わせてもらっている。
正直なところ大して興味はなかったものの、結果としていろいろと助かっていた。
その理由の1つが、今まさに行われている。
「はぁ……はぁ……」
少し呼吸を乱しながらも、安定して神力を溜めているサーシャ姉さん。
ここは彼女の部屋で、誰にも邪魔されずに訓練出来る点で、非常に有難い。
今はもう付きっ切りじゃないが、こうして訓練をともにすることもある。
レリウスの毒を浄化したときは規模の大きさもあって、スキルの発動にかなり苦労していたが、この2週間でだいぶ進歩した。
通常戦闘を想定した使用レベルなら、ひとまず形になったと言えるだろう。
もっとも、実戦で試してみないことには何とも言い難いが。
そうして無言の時間が過ぎ去り、大きく息を吐き出したサーシャ姉さんが、苦笑を浮かべて声を発する。
「ふぅ……まだまだね。 やっぱりシオンくんもソフィア姫たちも、凄いわ」
「僕たちと比べるのは間違っている。 サーシャ姉さんが訓練を始めたのは、つい最近だ。 そのことを思えば、驚異的な上達速度だと思う」
「ふふ、有難う。 でも、大事なのは今なのよね。 いくら成長が早くても、将来性があっても、今このときに戦えないと意味はないと思うの」
「言っていることはわかる。 だが、だからと言って無理をしたところで逆効果だ。 焦らず今のペースで訓練して行けば、いずれ強力な使い手になる。 それまでは、仲間に頼れば良い。 その為のパーティだと、僕は思う」
「……そうかもしれないわね。 わかったわ、シオンくん。 今は皆に頼ることも多いと思うけど、いつか絶対わたしが皆を助けるから」
「あぁ、期待している。 頼むぞ、『救国の修道女』」
「も、もう! その呼び方はやめてよ!」
「良いじゃないか。 アリエスを救ったのは事実だろう?」
「そ、それはシオンくんがいたからで……。 と、とにかく、今後は禁止!」
「わかったから、落ち着いてくれ」
顔を真っ赤にしているサーシャ姉さんに、僕は苦笑を浮かべた。
『救国の修道女』は、女王様からサーシャ姉さんに贈られた、称号のようなもの。
前述のように本人は恥ずかしがっているが、国民たちには浸透しており、アリエスでサーシャ姉さんを知らない者はいないほどだ。
ただし、具体的にどうやって毒を浄化したかは、明かされていない。
彼女が特殊階位、『救導』だと知られないようにする配慮。
ちなみに知っているのは、僕たちと女王様、カティナさん、ユーティさんのみ。
その一方でセイヴァーと言う言葉を使っている辺り、女王様も意外と悪戯好きなのかもしれない。
サーシャ姉さんを宥めた僕は席を立ち、一旦の別れを告げる。
「じゃあ、今日はここまでだな。 個人訓練を続けるのは構わないが、絶対に無理だけはしないように」
「えぇ、わかってるわ。 シオンくん、今日も有難うね」
「気にするな。 サーシャ姉さんと一緒にいるのは、僕にとっても嬉しいことだ」
「え……」
「どうした?」
「な、何でもないわ。 ま、またね」
どことなく挙動不審になったサーシャ姉さんは訝しく思いながら、僕は部屋をあとにした。
まだお昼には早いので、時間は充分にある。
このあとどこに行くかは決めているのだが、なんとなくその前に寄り道してみた。
僕が立ち寄ったのは、借りている部屋の1つ。
一見すると何らおかしなところはないものの、漂って来る空気は近寄り難い。
盛大に嘆息した僕はドアをノックして、中に声を投げた。
「リルム、僕だ。 入って良いか?」
「……ん? シオン? 今ちょっと手が放せないから、勝手に入って」
「わかった」
しばしタイムラグはあったが、返事があったことに安堵する。
だからこそ、気が抜けていたのかもしれない。
部屋に入った僕は、目を見開くことになった。
「おはよー。 適当にくつろいでてくれる?」
「お早う、リルム。 ……それはともかく、一応借りている身分なんだから、もう少し綺麗に使った方が良いんじゃないか?」
「え? 別に良くない? 散らかってるだけで、汚してはないし」
「それはそうかもしれないが……」
部屋の惨状を見た僕は、思わず苦言を呈した。
様々な書物や魔道具が散乱しており、足の踏み場もない。
それだけ熱心に研究していたのだろうが、限度と言うものがある。
しかし、本当に僕が問題にしているのは、そのことじゃなかった。
「ところで、その格好はどうした?」
「あー。 服を洗濯するのが面倒で、いつの間にか着るのがなくなっちゃったの。 あ、お風呂には入ってるから汚くないわよ?」
「だからって、下着姿で過ごすはどうなんだ?」
そう、リルムは服を着ていなかった。
可愛らしいリボンが付いた、薄いオレンジの下着しか身に付けておらず、ベッドの上で魔箱を調べている。
終始こちらを見ることもなく、完全に没頭していた。
無防備にもほどがあるが、本人は至って平然としている。
「外を出歩く訳じゃないし、気にしない気にしない」
「僕に見られるのは良いのか?」
「良いわよ。 何なら、この下も見る?」
そこで初めて顔を上げたリルムが、ニヤリと笑った。
明らかにからかっており、本気じゃない。
あわよくば、僕が慌てるところを見たいのかもしれないが――
「あぁ、見せてくれ」
「……え?」
「どうした? 早く見せてくれ。 それとも、僕が脱がそうか?」
「え、ちょ、待って、心の準備が……」
散らかった部屋を横切って、ベッドの上のリルムに迫る。
思わぬ展開に混乱した彼女は後退ったが、壁に遮られて逃げ場はない。
そんな彼女に僕は、覆い被さるように顔を寄せた。
頬を紅潮させたリルムが、何かを覚悟したかのようにギュッと目を瞑り――
「痛ッ!?」
デコピンしてやった。
額を押さえて涙目のリルムにジト目を向けた僕は、魔箱から適当な服を取り出して押し付ける。
彼女はポカンとしていたが、無視して言いたいことを言い放った。
「もっと自分を大事にしろ。 仮にキミとそう言うことをするとしても、こんな形で良いのか?」
「……ごめん」
「わかれば良いんだ。 取り敢えず洗濯して来い。 その服を貸すから、終わるまでは着ておけ」
「うん……」
「それから、ちゃんとご飯を食べろ。 研究に熱中し過ぎて、ろくに食べてないだろう?」
「わかった……」
「良い子だ」
僕の服に顔を埋めたリルムの頭を、ゆっくりと撫でる。
すっかりしおらしくなっていたが、落ち込んでいる訳ではなさそうだ。
そのことにホッとした僕は、ベッドから下りて出口に向かう。
「じゃあ、またな」
「あ……」
「何だ?」
「えっと……あたしの下着姿を見て、ちょっとは興奮してくれた……?」
「当たり前だ。 どれだけ僕が自制しているか、知らないだろう?」
「そうなんだ……」
羞恥に悶えながら、何やら嬉しそうなリルム。
対する僕は溜息をつきながら、釘を刺しておいた。
「こう言う悪戯は、これっきりにしてくれ。 戦闘より疲れるからな」
「悪戯じゃなかったら良いのね?」
「懲りないな……。 とにかく、もう少し手加減して欲しい」
「はいはい、考えておくわ」
「疑わしいな……。 失礼する」
「ん、またね」
満面の笑みに見送られた僕は、非常に複雑な気分だった。
リルムを疎ましく思う訳じゃないが、困るものは困る。
ドアの前でもう1度溜息をついた僕は、意識を切り替えて足を踏み出した。
宮殿の廊下はゴミ1つなく、清潔に保たれている。
より一層リルムの部屋を申し訳なくなったが、取り敢えず棚上げして目的地を目指した。
向かった先は、宮殿裏にある王国軍の訓練施設。
選別審査大会の会場よりは狭いとは言え、それでも充分な面積を誇る。
入口には2人の兵士が立っていたが、僕の顔を見て敬礼して来た。
かしこまった態度は好きじゃない反面、簡単に入れてもらえるのは助かる。
軽く目礼した僕が中に入ると、急激に熱気が高まった。
大勢の聖痕者が訓練に励んでおり、活気に満ちている。
一角ではギルドメンバーとの合同演習も行われ、連携の高さを物語っていた。
そんなことを思いつつ歩いていると、僕に気付いた者たちから様々な視線が飛んで来たが、気付いていないふりをしておく。
すると、進行方向で大きな歓声が沸いた。
何事か――と思うこともなく、目当ての人物を視界に捉える。
「やぁッ……!」
「せいッ!」
相変わらず巨大過ぎる剣を振り回しているアリアと、短めの剣を鋭く繰り出すカティナさん。
タイプは全く違いながら、両者ともに強力な『剣技士』なことは共通している。
優勢なのはアリアだが、大きな隔たりはない。
ただし明確な差があるのも事実で、カティナさんは防戦一方。
スピードではカティナさんが僅かに上回りつつ、破壊力で圧倒的に劣っていることが、この結果に繋がっていた。
今日もミニスカートなアリアは、ほとんど常に下着を晒している。
白とピンクのボーダー。
しかし本人だけじゃなく、カティナさんも観戦者たちも訓練に夢中。
下着に目が行った僕がいかがわしいのか、あんな格好で戦っているアリアが悪いのか、はたまたそのどちらもか。
極めてどうでも良い議論を自身の中で行っていると、決着のときが訪れた。
「はぁッ……!」
「くッ!」
アリアが振り下ろした大剣を受け止め切れず、カティナさんの剣が宙を舞って背後に突き刺さる。
武器を失ったカティナさんは無念そうに溜息をついたが、清々しい笑顔で礼を述べた。
「有難うございました、『剣の妖精』。 とても良い訓練になりました」
「い、いえ、こちらこそ有難うございます。 ただ……その呼び方、やっぱりやめてもらえませんか……?」
「わかりました、『剣の妖精』」
「あの、ですから……」
「どうしたんですか、『剣の妖精』?」
「うぅ……」
訓練中とは別人のように、小さくなって俯いたアリア。
対するカティナさんは不思議そうにしており、本当に何が悪いのかわかっていなさそうだ。
僕の周りにもたまにいるが、どうして言葉が通じないんだろう……。
何にせよこのままでは収拾が付かないと思い、声を掛けることにした。
「アリア、カティナさん、お疲れ様です」
「シ、シオン様、お疲れ様です」
「良く来た、シオン殿。 今日も『剣の妖精』に負けてしまった。 いや、本当に強い」
「アリアとあれだけ戦えるカティナさんも、充分強いですよ」
「シオン殿にそう言ってもらえるなら、わたしも捨てたものではないな。 『剣の妖精』、またお願い出来ますか?」
「それは良いんですけど、呼び方を……」
「有難うございます、『剣の妖精』!」
「あぅ……」
カティナさんの勢いに押されて、アリアは言葉を飲み込んでしまった。
ひとたび戦闘になれば冷酷無比な彼女も、こう言う場面では気弱な少女。
助けに入ろうかと思ったが、なんとなく面白いので放置。
許せ、アリア。
そのときになって、周囲の兵士たちがざわついていることに気付いた――が――
「軍団長も美人だけどよ、やっぱりアリアちゃんとシオンちゃんも良いよなぁ」
「だよね。 同じ女として、嫉妬しちゃうもん」
「あんなに強いのに綺麗だったり可愛かったり……女神ヘリアは不公平ね……」
「ちなみに、お前ら誰がタイプなんだよ?」
「テメェ、究極の選択を突き付けて来るんじゃねぇ! でも、まぁ、敢えて選ぶなら軍団長かな……。 見た目も勿論だけど、厳しいのに実は部下想いなんだよな」
「お前の気持ちは、良くわかる。 でも、俺はアリアちゃんだな。 あの守ってやりたくなる可愛さ、反則だろ」
「バーカ。 アリアちゃんは、お前の100倍強いっての。 ちなみに、俺はシオンちゃんな。 可愛くてクールな顔と声……たまんないぜ」
何と言うか、聞くんじゃなかった。
この際、訓練中に浮かれた話をしていることには目を瞑ろう。
だが、僕を完全に少女扱いしていることには、断固として異議を申し立てたい。
すると、そんな僕の気持ちを察した訳じゃないだろうが、カティナさんが怒声を張り上げた。
「馬鹿者ども! 観戦は終わりだ! 無駄話をせず、訓練に集中しないか! それと、シオン殿は男だ! あの魔族を単独で撃破したんだぞ!? むしろ、男の中の男と言って良いくらいだ! わかったら散れッ!」
『は、はい!』
カティナさんに一喝された兵士たちは、大慌てで訓練に戻って行った。
僕を男だと認めてくれている彼女に感謝したが、そこまで言っても――
「どう見ても、男の中の男って感じじゃないよな……」
『うんうん』
などと話しているのを聞いて、心が折れそうになる。
しかし、外見に関しては今更だと考え直した僕は、無理やりに立ち直って2人に告げた。
「じゃあ、僕はそろそろ行きますね」
「え? シオン様、もう行っちゃうんですか……?」
「すまない、アリア。 今日は少し様子を見に来ただけなんだ」
「折角だから、出来れば手合わせ願いたかったが……いや、今のわたしでは力不足だな」
「そんなことはありませんよ、カティナさん。 機会があれば、是非お願いします」
「そう言ってもらえると助かる。 では、またな」
「えぇ、失礼します。 アリアも、またあとでな」
「はい、お兄ちゃん!」
「お兄ちゃん?」
「は……! な、何でもありません、カティナさん! さ、さぁ、もう一戦しましょう!」
「は、はい、わかりました……?」
口を滑らせたアリアが、誤魔化すように促す。
カティナさんはしきりに首を捻っていたが、アリアと訓練出来ること自体は嬉しそうだ。
そんな2人に苦笑を漏らした僕は踵を返し、宮殿を出て今度は街に足を向ける。
特に買いたい物がある訳じゃないが、用事のついでに店を見て回ることにした。
初めて訪れたときとは全く違い、グレイセスに負けないほど活気がある。
広場の近くを通り掛かると、子どもたちが楽しそうに駆け回っており、思わず微笑ましい気分になった。
これが僕たちの成し遂げた結果だと思うと、頑張って良かったと思う。
事前情報で聞いていた澄んだ空気も取り戻し、見た目だけじゃなく真の意味で綺麗な国だと感じた。
そうして僕が散歩を楽しんでいると、前方に2人の見知った顔を視界に捉える。
だが、1人が上機嫌なのに対して、もう1人の背後に見えるのは悲壮なオーラ。
その理由を知っている僕は溜息をついて、仕方なく歩み寄った。
「お早う、ルナ。 ユーティさんも、お早うございます」
「あら、シオン。 お早う」
「シオンくん……。 お早う……」
ニコニコと笑っているルナに対して、ユーティさんはがっくりと肩を落としている。
あまりにも気の毒に思った僕は、取り敢えず尋ねてみた。
「ルナ、今日は何を買ったんだ?」
「ちょっとした服とアクセサリー、あとはワインくらいよ。 あぁでも、このあと宝石を見に行こうと思っているの」
「……聞くまでもないと思うが、代金は……」
「ギルド長が快く払ってくれたわ」
「……そうか」
チラリとユーティさんを見ると滂沱の涙を流しており、どう見ても快くはない。
もっとも、ルナからすれば当然の権利。
見返りをもらうと言う約束で、アリエスを守ったらしいからな。
だからと言って、この2週間ほぼ毎日買い物しているのはどうなんだろう。
内心で嘆息した僕は、ある意味ちょうど良いと思い、提案することにした。
「このあと買いに行く宝石は、僕が支払う」
「本当ッ!?」
「はい、ユーティさん。 構わないな、ルナ?」
「良いけれど……どうして?」
「契約の報酬はなくなったが、別の形で礼はしたかったからな。 プレゼントさせて欲しい」
「……うふふ。 そう言うことなら、断る理由はないわね。 ギルド長、今日はもう帰って良いわよ。 と言うか、邪魔だから帰りなさい」
「相変わらず酷い扱いね、ルナちゃん……」
「何か言ったかしら?」
「い、いいえ!? じ、じゃあ、あとは2人で楽しんで! シオンくん、有難う! またね!」
脱兎の如く逃げ出すユーティさん。
本当に容赦なく搾取されているんだな……。
憐れに思いつつ、彼女のことは一旦忘れてルナに声を掛けた。
「店の場所は知らないから、案内してくれるか?」
「えぇ、わかったわ」
「良し、行こう」
そう言って僕は、右手を差し出す。
はぐれないように手を繋ごうと思ったのだが、ルナは何事かを考えていたかと思えば、いきなり腕を絡ませて来た。
意外と大きな胸が押し付けられてドキリとしていると、蠱惑的な笑みを浮かべたルナが言い放つ。
「折角のデートなのだから、この方が良いわ」
「デート? 買い物じゃないのか?」
「もう、買い物じゃ味気ないでしょう? こう言うときは、デートって言うことにしておくのよ」
「良くわからないが、ルナがその方が良いならそうしよう」
「ちょっと不満だけど……許してあげる。 さぁ、行きましょう」
楽し気な笑みを浮かべたルナに腕を引かれて、大通りを歩く。
あちらこちらから視線が降り注いだが、気にせず足を動かし続けた。
この時点では僕も、特に問題なかったのだが――
「あ、見て! アリエスを守ってくれた子よ!」
「ほんとだ! やっぱり可愛い!」
「何だっけ、格好良い呼び方あったよね?」
「うんうん! 確か、『月夜の守護者』……」
その刹那、銃を生成したルナが発砲した。
こちらを見てはしゃいでいた女性陣の間の壁に着弾し、小さな穴を空ける。
一瞬にして通りが静まり返り、邪悪な笑みを浮かべたルナが、底冷えする声で告げた。
「もう1度、その呼称を使ってみなさい。 頭の風通しを良くしてあげる」
『ゴメンナサイ』
今の声、いったいどこから出したんだ。
そう思うほどカチコチになった女性陣に同情しつつ、取り敢えず殺気立っているルナを宥めに掛かる。
「銃を仕舞え、ルナ。 彼女たちに悪気はない」
「知ったことではないわ。 悪気があろうとなかろうと、わたしの気分を害したのは間違いないのだから」
「わかったから、落ち着け。 大体、何がそんなに嫌なんだ? 良い呼び名だと思うが」
『月夜の守護者』。
ルナの異名で、これも女王様から与えられた。
アリエスの人々を守り抜いた功績を称えたものだが、本人は有難迷惑に感じているらしい。
僕としてはルナが多くの人を守った証なので、是非とも受け入れて欲しいところだ。
しかし彼女は、こちらを鋭く睨んで冷たい声を発する。
「シオンまで、そんなことを言うの? 殺し屋のわたしが守護者だなんて、嫌味にしか思えないわ。 相手が女王じゃなかったら、殺しているところよ」
「殺し屋じゃない。 元、殺し屋だ。 あのときのキミはアリエスの国民にとって、まさに守護者に見えただろう」
「……報酬をもらう約束をしたからよ。 無償で守った訳ではないわ」
「それは後付けの理由だろう? 守る為に理由が必要だっただけで、キミは本気で報酬が欲しかった訳じゃない。 違うか?」
「仮にそうだとしても、わたしは数え切れない命を奪って来たのよ? ちょっと守ったくらいで、許されるはずがないじゃない……」
寂しそうな顔で俯くルナ。
なるほど、あの異名を嫌がるのには、そう言う理由もあったのか。
理解出来ないとは言わないが、少しばかり考え過ぎだな。
組まれている腕とは反対の手でルナの頭を撫でた僕は、ゆっくりと言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「ルナ、キミの罪は消えない。 今後どうしたところで、一生な」
「……えぇ」
「だが、それと同時に、功績もなかったことにはならない。 キミが過去にどんな過ちを犯していようと、守られた人にとっては英雄だ」
「シオン……」
「過去のことと、これからのことを一緒にするな。 罪を背負った上で、未来のことを考えろ」
「……生意気ね。 一応、わたしの方が年上なのだけれど?」
「敬語を使って欲しいですか、ルナさん?」
「やめて、気味が悪いわ」
「そこまで言うか。 とにかく、あの異名を名乗れとは言わないが、有難く受け取っておけ」
「本当は捨てたいけれど……仕方ないから、もらってあげる」
「それが良い。 じゃあ、そろそろ……」
行こう、と言い掛けたところで、僕はある視線に気付いた。
大通りの隅から、こちらを窺っている少女。
恐らく、ニーナより更に幼い。
こちらを……いや、ルナをジッと見つめながら、オドオドしている。
ルナは怪訝そうにしていたが、なんとなく事情を察した僕は腕を解いて、少女の元に歩み寄った。
驚いた顔をしている少女に構わず、しゃがみ込んで口を開く。
「こんにちは」
「こ、こんにちは……」
「おのお姉さんに、何か用があるのか?」
「そ、そうなんだけど……」
「どうした?」
「怒られないかなって……」
「大丈夫だ。 キミのような子どもを怒るほど、彼女は器の小さな人間じゃない。 そうだな、ルナ?」
「……えぇ、まぁね」
暗に怒るなと言った僕の意図を汲んで、ルナは憮然としながら頷いた。
それを見た少女はホッとした様子で進み出て、ルナと相対する。
2人の間に奇妙な沈黙が落ち、何とも言い難い空間が広がっていた。
正直なところ僕は面白がっていたが、表面上は平然としていると――
「こ、これ、あげる」
「……この石は何かしら?」
「か、川の近くで拾ったの。 凄く綺麗で、わたしの宝物」
「その宝物を、どうしてわたしに?」
「ア、アリエスを守ってくれたから。 そのお礼」
「……お礼ならギルド長からもらっているから、これ以上は結構よ」
「そ、そっか……」
しょんぼりと落ち込んだ少女。
悲し気な姿に流石のルナも居心地悪そうにしており、僕に無言で助けを求めて来たが、ここは敢えて手を貸さない。
恨めしそうな目を向けられたが黙っていると、盛大に嘆息したルナが少女の手から石を取り上げる。
ビックリした様子で顔を振り上げた少女に、ルナは淡々と告げた。
「くれると言うなら、もらっておくわ」
「あ、有難う!」
「宝物を他人に譲っておいてお礼を言うなんて、変な子ね」
「だ、だって、どうしてもお姉ちゃんにはお礼がしたかったから……」
「……有難う」
「え?」
「な、何でもないわ。 ほら、用が済んだなら行きなさい」
「うん! お姉ちゃん、本当に有難う! またね!」
喜色満面な少女を追い返したルナだが、その顔は赤く染まっていた。
手に持った石を無言で眺めており、何を考えているのかはわからない。
ただ、確かなことがある。
「良かったな、ルナ。 それはキミの勲章だ」
「……こんな石に価値なんてないわよ」
「本当にそう思うのか?」
「まぁ……悪い気はしなかったけれど」
「意地を張らなくても、素直に嬉しいと言えば良いだろう?」
「うるさいわね。 なんか気分ではなくなったから、今日は帰るわ」
「宝石は良いのか?」
「……えぇ。 その代わり、貸しにさせてもらうから」
「わかった、またな」
そう言ってルナは、石を片手に歩み去る。
普段通りを装っているつもりだろうが、気を良くしているのは明らか。
そんな彼女に苦笑をこぼした僕は、最後の目的を果たそうとしたが、その前にまたしても寄り道した。
少し遠回りになりつつ、辿り着いたのは――
「お早うございます、姫様」
「……! シオンさん……?」
時計台の頂上。
そこに佇んだ姫様は僕の接近に気付くこともなく、遠くを眺めていた。
思わぬ事態だったようで焦っていたが、すぐに笑みを浮かべて口を開く。
「お早うございます。 ところで、シオンさんはどうしてここに?」
「姫様の様子を、少し見に来ただけです」
「……そうでしたか。 わたしは変わりありませんよ」
「そのようですね」
それっきり、僕たちの間に静寂が流れた。
姫様は視線を外して再び遠くを見つめ、僕は後ろに控えたまま口を閉ざす。
それからしばしのときが経つと、こちらを向くこともなく姫様が声を発した。
「あの永流石も、魔道具らしいですよ。 と言っても太古から存在する物で、仕組みとかは全くわかっていないそうですが」
「そうなんですか。 リルムが聞いたら、跳び付きそうですね」
「ふふ、もう知っていますよ。 調べたいって駄々をこねていたようですが、却下されたみたいです」
「まぁ、万が一にも何かあったら、アリエスどころか清豊の大陸が揺らぎかねませんから」
「その通りです。 ですからリルムさんも、流石に引き下がったのでしょう」
「本当は調べたくて仕方ないでしょうが、彼女は意外と常識的な一面を持っています」
「意外とだなんて言ったら、怒られますよ?」
「そうですね。 すみません、このことは内緒にして下さい」
「ふふ……さぁ、どうしましょう」
楽しそうに笑う姫様。
しかし、尚も視線は外に向いており、どんな顔をしているかはわからない。
彼女の目を追って僕も永流石を見やると、今日も澄んだ水が溢れ出ていた。
レリウスの毒には抗えなかったようだが、そう言った障害がなければ大陸全土に上質の水を届けられる。
まさに、魔法の道具だな。
そうして僕が胸中で感心していると、姫様が体勢を変えないまま言葉を紡ぐ。
「永流石なら、知っているのでしょうか……」
「何をですか?」
「……過去の『輝光』と魔蝕教の間に、何があったかです」
「……やはり、ナミルのことを気にしていたんですね」
「本当は話すつもりはなかったのですが、シオンさんは誤魔化せないと思いまして」
振り向いた姫様は、泣き笑いのような表情を浮かべていた。
それを見た僕は居住まいを正し、真剣な表情で耳を傾ける。
すると姫様は小さく息を吐き、確認するかのようにゆっくりと語り始めた。
「わたしが変わりないと言うのは、変わらず落ち込んでいると言う意味ですね?」
「はい」
「なるべく心配を掛けたくありませんでしたが……そんなにわかり易かったですか?」
「少なくとも、僕には筒抜けでした」
「そうですか……」
そこで言葉を切った姫様は、アリエスの街に目を移す。
いや、正確には、ナミルが眠る共同墓地に。
彼女が何を思っているかわからないが、ここは辛抱強く待つしかない。
暫くは沈黙が続く覚悟をしていたが、それほど経たずに姫様は話を再開させた。
「ナミルさんが教えてくれたのです。 魔蝕教が憎んでいるのは『輝光』であって、わたしではないと。 それはつまり、過去の『輝光』と何かあったと言うことですよね?」
「断言は出来ませんが、そう考えるのが自然かと」
「そうですよね……。 シオンさんは、どう思いますか?」
「どう、と言うと?」
「ですから……わたしたちは、本当にこのまま旅を続けて良いのでしょうか? 魔蝕教と話し合って、問題があるなら解決した方が良いのでは……」
胸に手を当てて、辛そうに俯く姫様。
きっと、この2週間ずっと悩んでいたのだろう。
それでも答えを出せず僕に聞いたのだろうが、残念ながらはっきりとしたことは言えない。
現時点では情報が少な過ぎるからな。
それゆえに僕は、行動に出ることにした。
「姫様、手を出してくれますか?」
「手を……?」
「はい」
「こう、ですか……?」
少し戸惑った様子で差し出して来た姫様の左手を見て、僕は一瞬考えてから薬指に――
「へ……?」
指輪を付けた。
素っ頓狂な声を上げた姫様は完全にフリーズしていたが、構わず言いたいことを告げる。
「先ほど買って来ました。 大して高価な物じゃないですけど、その指輪にはアイオライトと言う宝石が付いていて……」
「ち、ちょっと待って下さいッ!?」
「何でしょう?」
「シ、シオンさん、これ、指輪、どうして……」
「落ち着いて下さい。 ちゃんと聞きますから」
「は……はい……」
辛うじて立ち直った姫様は何度も大きく深呼吸してから、たどたどしく口を開いた。
ちなみに、その顔は真っ赤になっており、視線は盛大に泳いでいる。
「あの……シオンさん、これはいったい……?」
「もう1度言いますけど、先ほど買って来ました」
「そ、それは聞きました。 ですから……ど、どうしてこれをわたしに……?」
「姫様が悩んでいることを知っていたからです」
「え……?」
「アイオライトには、道を示すと言う意味もあるそうです。 今の姫様にはちょうど良いかと思いまして」
「……つまり、わたしを元気付ける為のプレゼント……と言うことですか?」
「そう取って頂いて構いません」
僕の説明を聞いた姫様は、複雑そうな顔になった。
どうかしたんだろうか?
内心で小首を傾げていると、姫様は急にクスクスと笑い出した。
ますます疑問を強くして様子を窺っていた僕に、姫様は目尻に溜まった涙を拭いながら、華やかな笑みで言い放つ。
「有難うございます。 一生、大事にしますね」
「そこまで大袈裟な物じゃないと思いますけど」
「そのようなことはありません、わたしにとっては最高の宝物です」
「そう言ってもらえると、僕も嬉しいです。 取り敢えず、魔蝕教に関してはそこまで気にしなくて良いと思います。 過去の『輝光』と何があったとしても、姫様は姫様の成すべきことに集中しましょう。 その過程で襲って来るようなら、それは敵でしかありません。 下手に躊躇するのは危険です」
「そうですね……。 わかりました、気にならないと言えば嘘になりますけれど、わたしはわたしの道を突き進みます。 この指輪に誓って」
「そうして下さい。 僕も微力ながら、お手伝いさせてもらいます」
「微力なんてとんでもないです。 これからも、よろしくお願いしますね」
「はい、姫様」
まだ魔蝕教に思うことはありそうだが、今の姫様は安心して見ていられる。
密かにホッとした僕は、この場を辞そうとしたが――
「そう言えばシオンさん、左手の薬指に指輪を付ける意味を知っていますか?」
「意味、ですか? いえ、知らないです」
「ふふ……そうですよね。 実は左手の薬指には、愛を深めるなどの意味もあるそうです。 そのことから指輪を付けるのは、愛を誓うような行為なのですよ」
「……すみません」
「謝らなくて良いです。 たとえ勘違いだとしても、わたしは幸せでした。 それに、いつか本当にそうなりますから」
「僕としては、単純に1番邪魔にならないと思ったからなんですが……」
「シオンさんらしいですね。 でしたら……」
そう言って姫様は、魔箱から細く短い鎖を取り出す。
何をするのかと見守っていると、指輪を外して鎖を通し、ネックレスのようにして付け直した。
なるほど、確かにその方が邪魔にならないかもしれない。
合点が行った思いの僕だが、姫様には別の狙いもあったようだ。
「これで左手の薬指は空いたので、いつでも本番を待っていますね」
「……約束は出来ません」
「わかっていますよ。 ……あ」
唐突に明後日の方を指差した姫様。
反射的にそちらを向いてしまったが、彼女の狙いはわかっていた。
即座に顔を元に戻した僕は、頬にキスしようとしていた姫様を押し止める。
悪戯が失敗に終わった姫様は不満そうだったが――
「ん……!?」
こちらからキスをした。
さほど激しくはないものの、しっかりと唇を重ねる。
ゲイツさんが聞けば、拳骨の1発じゃ済まないかもしれない。
一瞬背中に寒いものを感じつつ、時計の秒針が1回転するほどの時間が経過してから顔を離した。
混乱と幸福が同居したような姫様に対して、僕は自身の思いを淡々と述べる。
「立ち直ったご褒美です。 逆に怒られるかもしれませんが」
「……有難うございます、嬉し過ぎて泣きそうです」
「泣かないで下さい。 さぁ、そろそろお昼の時間です。 宮殿に戻りましょう」
「はい、シオンさん……。 あ……」
今度の姫様は、本当に何かに気付いた様子だ。
それを察した僕が黙って先を促すと――
「指輪とキスのお礼です」
はにかんだ笑みを浮かべながら――スカートをたくし上げた。
薄いピンクの上品な下着。
身もふたもないことを言うと、彼女の下着など見飽きるほど見ている。
しかし、こうまで堂々と見せ付けられたのは初めてなので、思わず凝視してしまった。
だが、なんとか気を持ち直した僕は溜息をついて、優しく姫様の手を下ろさせる。
そして、噛んで含めるかのように言い聞かせた。
「良いですか、姫様。 もう2度と、こんなことはしないで下さい」
「お気に召しませんでしたか……?」
「いえ、そう言うことじゃなくて……とにかくやめて下さい。 心臓に悪過ぎます」
「と言うことは、少しは意識してくれたのですね?」
「それはそうでしょう」
「では、また別の方法を考えます」
「勘弁して下さい……」
「ふふ、シオンさんがどんな反応をしてくれるか、今から楽しみです」
言葉通り楽しそうに姫様は身を翻し、階段を下り始めた。
その際にまたしても下着が見えたが、ほぼ間違いなくわざとだろう。
今更だが、姫様にしろリルムにしろアリアにしろ、ガードが緩過ぎだ。
ルナが彼女たちを痴女だと呼ぶのを、最近は否定し難くなっている。
盛大に嘆息した僕は姫様に続いて時計台を下り、宮殿へと足を進めた。




