最終話 終わりではない
騒動から数日が経った。
水が浄化され、体調不良者が快復したことで、アリエスには活気が漲っている。
印象がガラッと変わり、非常に明るい雰囲気を感じた。
街中に戦闘の跡は残っているが、奇跡的に人的被害はほとんど出ていない。
姫様やリルム、アリアの活躍が大きかったのは言うまでもないが、国民を直接的に最も守ったのはルナ。
彼女にそれを誇るつもりはなかったようだが、悪戯好きなユーティによって広められ、大勢の人々から感謝されることになった。
ルナは素っ気ない態度を取っていたものの、顔を赤くしてそっぽを向いており、照れ隠しなのは明らか。
そのことに僕や姫様たちが苦笑していた一方で、リルムにからかわれて口論が起こっていた。
未だに仲が良いとは言えないが、彼女たちの関係にも確かな変化が生まれつつある。
特に今回の戦いで、どこか吹っ切れた様子のルナの今後が楽しみだ。
身体的なダメージが最も大きかったのはアリアで、あちらこちら痛そうに見えたが、強がって弱音を吐かない。
そんな彼女に僕は敢えて何も言わず、労わるように頭を撫でるだけにした。
それによって頬を朱に染めていたが、対処することはない。
しかし、気になるのは姫様。
いつも通りを振る舞っているつもりらしいが、明らかに気落ちしている。
恐らく、ナミルとの間で何かあったのだろう。
だが、詳しくは教えてくれなかった。
無視する訳には行かないとは言え、無理に聞き出すことも出来ない。
いずれ彼女の方から打ち明けてくれると信じて、この件に関しては保留にしている。
そして、サーシャ姉さんは――
「ナミルちゃん……」
今日もナミルの墓参りに来ていた。
僕たちが今いるのはアリエス内にある共同墓地で、国全体を見渡すことの出来る小高い丘。
ナミルの墓の前に跪いたサーシャ姉さんは、沈痛な面持ちで祈りを捧げている。
今回の騒動で唯一の死者扱いになったのが、ナミルだ。
そのことを聞いたとき、サーシャ姉さんは崩れ落ちるほどショックを受けていたものの、今ではなんとか立ち直ろうとしている。
幸いにもと言うには複雑だが、リベルタ村のことで耐性が付いたのかもしれない。
ちなみに、ナミルが魔蝕教だったと知っているのは、僕と姫様、リルムにアリア、ルナ。
更に女王様とカティナさん、ユーティさん。
その他の人々にはモンスターに襲われたと言うことにしており、サーシャ姉さんもその1人。
彼女だけ仲間外れにするのは気が引けたが、姫様の強い要望でそうすることにした。
そうして、暫く祈りを捧げていたサーシャ姉さんが、ようやくして立ち上がる。
その顔には悲しそうな表情を浮かべつつ、心が折れている訳ではない。
どちらかと言うと、ナミルのような犠牲者をもう出さないように、戦う覚悟を固めているように見えた。
彼女の気持ちを察した僕は、聞けず仕舞いだったことを尋ねてみる。
「レリウスを直接倒したのは僕だが、奴の計画を潰したのはサーシャ姉さんだ。 リベルタ村の人たちの仇を討てた、今の心境はどうだ?」
「……不思議よね。 あれだけ許せないと思ってたのに、終わってみれば何も残ってないわ。 ただただ、虚しいだけ……」
「そうか。 復讐と言うのは、そう言うものなのかもしれないな」
これはリルムにも、通じるものがあると思う。
「そうね……。 でも、1つの区切りになったとは思うの。 これでわたしは、本当の意味で前に進めるわ」
「それは良かった。 ナミルもきっと、それを望んでいる」
「……うん。 わたし、頑張る。 今のままじゃなくて、もっと強くなりたい。 だからシオンくん、これからもよろしくお願いね」
「そのつもりだ。 サーシャ姉さんには、まだまだ可能性がある。 付きっ切りで特訓するのは終わりだが、これからもよろしく頼む」
「えぇ、有難う……!」
感激した様子で抱き付いて来たサーシャ姉さん。
目尻には涙を浮かべており、体は少し震えている。
どれだけ自分を奮い立たせていても、大きな傷を負っていることに変わりはない。
落ち着かせるように背中を撫でながら僕は、これからも彼女を支えようと決めた。
すると――
「やはり、ここにいましたか」
「て言うか修道女、なんで抱き付いてんのよ!?」
「羨ましい……で、ではなく、離れて下さい」
姫様とリルム、アリアが姿を現した。
その後ろからは、ルナも付いて来ている。
彼女たちを見た僕は咄嗟に離れようとしたが、サーシャ姉さんは逆に強く抱き締めて、胸に顔を埋めるような形になった。
非常に大きい上に柔らかく、気持ちが安らぐような良い匂いもする。
思わず体から力を抜きそうになっていると、サーシャ姉さんは強気に言い返した。
「良いじゃない、別に。 姉弟のスキンシップよ」
「それにしては激し過ぎるでしょーがッ!」
「そんなことないわよ、リルムちゃん。 孤児院では日常茶飯事だったし」
「そ、それは相手が子どもだったからじゃ……」
「わたしから見れば、シオンくんもまだ子どもよ。 アリアちゃんにとっては、お兄ちゃんかもしれないけどね」
「ふぇ……!?」
偶然だろうが、自身の想いをダイレクトに突かれて、アリアが珍妙な声を上げる。
失礼ながら、笑いそうになった。
そんな彼女をサーシャ姉さんが不思議そうに眺めていると、姫様がゆっくりと歩み寄る。
サーシャ姉さんは何か言われると思ったようで、緊張していたが――
「サーシャさん、もう大丈夫なのですか?」
「え? あ、そうですね……大丈夫とは言えませんけど、いつまでも落ち込んでられませんから」
「……そうですか」
「心配しないで下さい、ソフィア姫。 皆がいれば、わたしは頑張れます」
「……はい。 ですが、無理はしないで下さい」
「えぇ、有難うございます」
柔らかく微笑んだサーシャ姉さんに比して、姫様は泣き笑いのような顔だ。
ナミルに手を下したのは彼女。
それゆえに辛そうにしており、事情を察したリルムとアリアも文句を飲み込んでいる。
サーシャ姉さんの頭上には疑問符が浮かんで見えたが、そこに最後の1人が声を割り込ませた。
「乳女」
「ち……どうしたの、ルナちゃん?」
「うやむやになっていたから、今後に関してはっきりさせましょう」
「……! わかったわ」
僕から離れてルナと対峙したサーシャ姉さんは、固唾を飲んで結果を待つ。
一方のルナは厳しい目をしていたかと思えば、唐突に溜息を漏らして呟いた。
「取り敢えず、合格にしてあげる。 付いて来たいなら、勝手にしなさい」
「あ、有難う!」
「ただし、有用なのはスキルであって、貴女自身はオマケみたいなものよ。 それが嫌なら、今まで以上に訓練することね」
「……わかってるわ。 わたしだって、今のままで良いなんて思ってないもの」
「そう、精々頑張ることね」
そう言い残したルナは、背を向けて歩み去った。
冷たいようで何だかんだ受け入れた彼女に、姫様たちは苦笑を浮かべている。
そのとき――
「あ……」
姫様が声を落とし、全員が注目した。
何事かと思ったが、あることが脳裏を過ぎる。
そして、それは正解だったらしい。
『おめでとうございます、ソフィア。 2人目を仲間に出来たのですね』
姫様が取り出した神器から、姿を現した女神へリア。
優し気な微笑を浮かべ、姫様を慈しんでいるのを感じた。
僕たちは2度目なので衝撃も小さいが、サーシャ姉さんは口を大きく開けて固まっている。
この展開は予想出来たので、事前に話しておくべきだったな。
とは言え、今更言ったところで詮無いこと。
一旦彼女を意識外に放り出した僕は、姫様と女神へリアの会話に耳を傾けた。
「あ、有難うございます、ヘリア様。 仰る通り簡単ではありませんでしたが、また1歩前進出来ました」
『何を言うのですか。 むしろ、順調そのものだと言えます。 ですが、これからが大変なのも間違いないでしょう。 次はどうするか決めているのですか?』
「はい。 もう少しアリエスに滞在するとは思いますが、そのあと熱砂の大陸に向かうつもりです」
これは以前から話し合っていたことで、どこに特殊階位がいるかわからない以上、しらみつぶしに行くしかないと言う判断だ。
つまり光浄の大陸から始まって、清豊の大陸、熱砂の大陸、天遊の大陸、石窟の大陸と旅をする。
無論、特殊階位が見付かったからと言って必ず仲間になるとは限らないが、とにもかくにも出会わなければ話にならない。
付け加えるならば、3人目を仲間にしたあとに何が待っているのかも不明。
そう言う意味では、僕たちの旅はかなり不透明だと言えるが、目の前のことを1つずつ片付けるしかないな。
密かに僕が気持ちを新たにしていると、穏やかな笑みを浮かべた女神へリアが告げる。
『そうですか。 今はまだ、わたしには何も出来ません。 ですが、貴女たちの行く末に幸があることを願っています』
「今はまだ……?」
『はい、そのときが来ればお話します。 では、また会いましょう、ソフィア』
「あ……」
その言葉を最後に、女神へリアの姿が消える。
少し気になる言い回しだったが、今は考えても仕方なさそうだ。
その思いは姫様も同じらしく、小さく溜息をついてから神器に目を向けている。
わかってはいたことだが、2つ目の穴に新たな宝石が埋め込まれていた。
色は青で、サーシャ姉さんらしい。
そこで今回のことは終わりだと判断した僕は、サーシャ姉さんに声を掛けた。
「大丈夫か、サーシャ姉さん」
「……シオンくん、今のって?」
「女神へリアだ。 確かなことはわからないが、特殊階位を仲間にする度に現れるらしい」
「女神へリア……? 本物の……?」
「ですよね、姫様?」
「あ、はい。 間違いありません」
「あ、あはは……女神ヘリア……直接お会いするなんて……はぅ……」
「わぷ!? ちょっと修道女、しっかりしなさいよ!?」
「リ、リルムさん、取り敢えず寝かせましょう! アリア、レジャーシートを用意して!」
「は、はい!」
よろめいたサーシャ姉さんがリルムにもたれ掛かり、そのまま意識を失った。
慌てた姫様に指示されたアリアが、急いでレジャーシートを敷いて寝かせる。
そう言えば、彼女は修道女だったな。
もしかしたら、いつも祈っていた相手は女神ヘリアだったのかもしれない。
だとすればこの反応も無理はないが、深刻な状態じゃないので取り敢えず任せよう。
わたわたと焦っている姫様たちを尻目に、僕は遠くを見つめた。
様々なことはあったが、女神ヘリアの言う通り今のところは順調だと言える。
しかし僕は、どうしても何かが引っ掛かっていた。
それが何かは判然としないが、重大な見落としをしているような気がする。
考え過ぎならそれで良い。
だが、この漠然とした違和感は、捨てずに持っているべきだと思った。
ユーノは非常に実直な青年だ。
魔王の為に全てを捧げ、何よりも優先している。
そのことに不満など微塵もない。
むしろ、名誉なことだと考えていた。
それでも――
「ユーノ、大丈夫ですか……?」
居城のテラスから外を眺めていたユーノは、いつの間にか背後に気配が出現していたことに気付かなかった。
そのことを内心で恥じ入りつつ、正面を向いたまま努めて平然と声を返す。
「わざわざ何の用だ、デュエ?」
「いえ……少し様子を見に来ただけです」
『魔十字将』の1人、デュエ。
長身の美女で、長い銀髪をポニーテールに纏めている。
黒い華美なドレスで身を包み、優し気な真紅の瞳は悲しみに揺らいでいた。
彼女の思いにユーノは感謝しながら、口から出したのは厳しい言葉。
「余計なお世話だ。 我は何ともない」
「……その言葉が出て来る時点で、大丈夫ではないと思います」
「くどいぞ。 まさか、我らの使命を忘れた訳ではあるまいな? 魔王様の為なら、全てを犠牲にすると誓ったではないか」
「わかっています。 ですが……腹心を失った辛さまで、誤魔化す必要があるのでしょうか? 次に進む為にも、しっかりと受け止めるべきでは……」
「言われるまでもない。 確かにレリウスを失ったのは、残念だ。 しかし、これも想定内。 既に状況は次のステップに移っている」
「……そうですか。 でしたら、わたくしからこれ以上言うことはありません」
「用が済んだのなら帰れ。 それに、お前にはお前のやるべきことがあるだろう?」
「そうですね。 そろそろ、行動に出ようとしていたところです」
「なら、そのことに集中しろ。 重ねて言うが、我に心配は不要だ」
「……わかりました。 また何かありましたら、伝えますね」
最後まで振り返ることのなかったユーノを見つめ、デュエは踵を返した。
彼女が完全に去ったのを確認してから更に時間が経過して、ユーノは誰にも聞かれない声量で宣言する。
「レリウス……お前の死は、決して無駄にはしない」
声は小さかったが、そこに込められた決意は並々ならない。
ユーノの頬を一筋の雫が流れ落ちるのを見た者は、いなかった。




