第9話 訓練と無自覚な魅力
青い空、燦々と照り付ける太陽、そして……どこまでも広がる海。
あれから数日後、カスールを発った初日の昼頃。
足元に波の揺らぎを感じつつ、船端からの景色を眺めていた僕は、何とも言い難い感慨を覚えていた。
海を見るのは初めてじゃないが、船に乗るのは始めてなので、様々なことが新鮮。
カスールにいたときから潮の匂いはしていたものの、今はそれがより一層強い。
何より波に揺られる感覚は、非常に貴重な体験。
最初は結構戸惑ったが、慣れると案外心地良いな。
ちなみに、光浄の大陸を出たことで、姫様と国王様たちとの定期連絡は途絶えている。
どれだけ高性能な遠話石でも、流石に大陸を離れると機能しないらしい。
それゆえに、ひとときの別れを告げることになった姫様たちは、少しばかり湿っぽい雰囲気だったが――
「心配すんな、アルバート! ソフィアちゃんのことは、俺に任せとけ! 絶対無事に、清豊の大陸に送り届けるからよ! はっはっは!」
などと、ゲイツさんが豪快に笑い飛ばしていた。
姫様たちは苦笑しつつ、ある意味救われているようにも見えたな。
それはともかく、国王様たちとの連携が取れないと言うことは、不測の事態を把握し辛いと言うこと。
その事実には、注意が必要だ。
頭の中で考えを纏めていた僕の一方、姫様たちは別のことに熱中している。
「あ~! また負けた~!」
「ふふ、これでわたしの5連勝ですね」
「ソフィア様、強いです……」
日焼けしないように陰に集まった姫様とリルム、アリアが楽しんでいるのは、カスールで流行っているカードゲーム。
休憩中の船乗りが遊んでいるのを見て興味を持ったリルムが教えてもらい、一式を買い取ったらしい。
詳しい勝率は知らないが、どうやら姫様が頭1つ抜きん出て、かなり離されてリルム、最下位がアリアのようだ。
しかし、僕は知っている。
アリアがたまに、勝ちをリルムに譲っていることを。
意外と勝ち負けに拘る姫様は手加減していないようだが、全体的な楽しみを重視するアリアは、リルムが最下位になるのを避けているのだろう。
優しいを通り越してお人好しだと思わなくもないが、それが彼女の美点。
微笑ましい気分になっていた僕は、内心で安堵もしていた。
あの話し合いによってかなり立ち直ったとは言え、まだ彼女たちの精神状態が万全かは疑わしい。
だが、カードゲームが良い息抜きになって、すっかり調子を取り戻している。
ちなみに、カスールで数日休んだお陰で、リルムとアリアは完全回復した。
心身ともに問題がなくなったことに、僕は改めてホッとしていたが――
「そんなお遊びにムキになるなんて、やっぱりお子様ね」
冷水を浴びせるルナ。
椅子に座って優雅に果汁ドリンクを飲んでいた彼女は、姫様たちを馬鹿にするように……いや、完全に馬鹿にして見ている。
それを受けた姫様とリルムはムッとしていたが、アリアは居心地悪そうに小さくなっていた。
まったく、思っても言わなければ良いだろうに……。
敢えて喧嘩を売るような態度のルナに困っていると、やはりと言うべきか、リルムが強く言い返す。
「うっさいわね。 やってもないのに勝手なこと言わないでよ。 意外と奥深いんだからね?」
「ふふ、笑わせてくれるわね。 所詮はゲームでしょう? お遊びなことに変わりはないわ」
「確かにそうかもしれませんが、リルムさんの言う通り、プレイもしていない人が偉そうに語る資格はありません」
「それで挑発しているつもりかしら、痴女姫様? 言っておくけれど、わたしはやらないわよ。 時間の無駄だもの」
鼻で笑ったルナは立ち上がり、サッサと船の中へと入って行く。
その後ろ姿を姫様とリルムは不満そうに見つめていたが、場を取り繕うようにアリアが声を発した。
「ま、まぁ、考え方は人それぞれですから。 わたしたちはわたしたちで、楽しみませんか?」
「……それもそうね。 リルムさん、続けましょう」
「腹立つけど、気にしたってしょうがないしね。 次は勝つんだから!」
なんとか喧嘩には発展しなかったものの、関係が良くないのは間違いない。
最近は姫様とリルムの仲が改善しつつあったが、新たな問題が出て来たな……。
もっとも、これについてはルナを引き入れると決めたときから、ある程度わかっていたこと。
悠長に構える訳には行かないとは言え、焦る必要もない。
それよりも今は、気になることがある。
そう考えた僕は足を踏み出そうとしたが、その前に声を掛けられた。
「よう、シオン。 今って暇か? 暇だよな?」
聞いておきながら断定して来たのは、船の責任者であるゲイツさん。
尚、彼の中でどんな心境の変化があったかは知らないが、カスールでの戦い以降、僕のことを名前で呼んでいる。
それはともかく、何かに誘われそうな気配を察したので遠慮しようとしたが、ゲイツさんは構わず言葉を続けた。
「うちの若い連中がよ、テメェと戦ってみたいってうるせぇんだ。 悪いが相手してやってくれねぇか?」
悪いと言いつつ、面白がっているのを隠し切れていない。
しかも、話を聞き付けた姫様たちが、期待した眼差しを向けて来ている。
これは断り辛い……。
本当は用があるのだが、内心で嘆息した僕は受け入れることにした。
「わかりました」
「おっし! じゃあ、こっちに来てくれ!」
ウキウキした様子で先導するゲイツさんに付いて行くと、そこには甲板に作られた簡易的な訓練場があった。
船の上なので範囲は狭いが、軽く運動するくらいなら充分だろう。
訓練場に僕が足を踏み入れると、数多くの船乗りから熱い視線を注がれた。
ただし、その種類は多種多様。
強い闘志をぶつけて来る者もいれば、男だと知りながら見た目に感心している者や、先の戦いを経て憧憬を抱いている者もいた。
これに関してはカスールにいた頃からなので、もう慣れている。
それゆえに視線をスルーして軽く準備運動をしていると、船乗りたちと話していたゲイツさんが戻って来た。
「シオン、もう行けるか?」
「えぇ」
「良し! ルール説明しておくと神力の使用はなしで、体術だけで勝負してもらう」
「構いませんが、あとからルール説明するのはズルくないですか?」
「はっはっは! 『剣技士』だけどよ、テメェなら大丈夫と思ってたからな!」
「……評価してもらったと言うことで、納得しておきます」
大丈夫かどうかじゃなく、ルール説明の順序の問題なのだが。
とは言え、今更言ったところで詮無いこと。
いろいろと諦めた僕が開始線に立つと、対面にいるのは屈強な船乗り。
神力の使用は禁止とのことだが、そうでなくともかなり強いことがわかる。
まぁ、それでも負ける要素はない。
ギャラリーに加わった姫様たちも、全く心配した様子はなかった。
少しくらいは心配してくれても良いのにな。
そんな下らないことを考えていると、相手の船乗りが構えを取る。
両手を顎の近くに上げた、ファイティングポーズ。
恐らくではあるが、蹴り技よりもパンチ系を得意としていそうだ。
そう分析した僕も、戦闘態勢に入る。
半身に構えて左手をゆらりと前に出し、右拳は腰の辺りに置いた。
あまり見ないタイプなのか、船乗りたちが騒めき、ゲイツさんは楽し気に見ている。
しかし、何も言わずに右手を挙げ――
「始めッ!」
合図を出した。
それと同時に相手の船乗りは前に出て――
「ごふッ!?」
僕の右拳が鳩尾を撃ち抜いた。
並の使い手なら届く間合いではなかっただろうが、【白牙】が得意スキルである僕には可能。
あのスキルは神力を活用しているものの、根本にあるのは純粋な剣術。
踏み込み方などの動きが重要なので、それを素手に落とし込めば今のようなことも出来る。
あっと言う間の決着に船乗りたちは呆然としていたが、姫様は嬉しそうに微笑み、リルムは何度も首を縦に振り、アリアは小さく拍手していた。
彼女たちの反応に苦笑を浮かべていると、ゲイツさんが呆れたように言ってのける。
「容赦ねぇな」
「手を抜いた方が良かったですか?」
「……いいや、それで良い。 それくらいじゃねぇと、テメェに相手してもらう意味がねぇからな。 おい、テメェら! 男見せろよッ!」
『お、おうッ!』
ゲイツさんに一喝されて、船乗りたちが闘志を取り戻した。
僕に勝てるとは思っていないようだが、少しでも糧にしようとしている。
その意気や良し、だな。
最初は乗り気じゃなかったが、そう言うことならこちらもそれ相応の対処をしよう。
そう決めた僕も静かに戦意を高め――
「やっぱ、手加減してもらうべきだったか……?」
失神した船乗りの山を築き上げた。
流石のゲイツさんも後悔しかけているが、知ったことじゃない。
役目を終えた僕がその場を去ろうとしていると、その前に姫様たちが近寄って来た。
「お疲れ様でした、シオンさん。 これをどうぞ」
「まぁ、全然疲れてなさそうだけど。 取り敢えず飲んどきなさい」
「シ、シオン様、流石でした! こ、今度わたしにも手解きしてくれませんか……?」
満面の笑みで、タオルを用意してくれた姫様。
何故か誇らしそうに、良く冷えた果汁ドリンクを渡してくれたリルム。
キラキラと目を輝かせながら、上目遣いで懇願して来るアリア。
3人に労われた僕は、微笑を浮かべてそれぞれに声を返した。
「有難うございます、姫様。 リルムも有難う。 アリア、機会があれば徒手空拳の訓練も取り入れてみよう」
特別なことは何も言っていないが、何故か姫様たちは赤面している。
最近たまに見掛ける状況だが、いまいち理由はわからない。
とは言え問題がある訳ではなさそうなので、当初の用事に取り組むことにした。
「では、僕は少し部屋で休んで来ます」
「あ……わかりました」
「またあとでね」
「お、お疲れ様でした」
姫様たちに断りを入れて、船内に入る。
疲れた様子のない僕が休憩することに、彼女たちは多少の違和感を覚えたようだが、深くは聞いては来なかった。
そのことに感謝しつつ、目的地へと足を速める。




