第19話 魔蝕教襲来
シオンを笑顔で見送ったあと、ソフィアたちは固い面持ちを浮かべていた。
それも当然だろう。
今からたった3人で、86人もの聖痕者を相手にしなくてはならないのだから。
ところが、その重い空気を変えたのは、意外にもアリアである。
「お2人とも、覚悟は良いですね?」
「アリア……?」
「メイドちゃん……?」
「お兄……シオン様をお迎えする為に、わたしたちは無事に切り抜けなくてはなりません。 誰も欠けてはいけないんです」
「……その通りね。 それに、こんなところで躓いてはいられないもの。 わたしは必ず、シオンさんと添い遂げるのだから」
「お姫様の寝言は置いておくとして、あたしも今回は本気でやるわ。 だから、足を引っ張るんじゃないわよ?」
「それはこちらのセリフです……などと、言い争っている場合ではないですね。 アリア、敵の位置はわかるかしら?」
「はい、ソフィア様。 約200メトル付近まで、接近しています。 陣形は横に広がり気味ですが、約3割近くが後方に固まっています。 何か狙いがあるのかもしれませんが……現時点では不明です」
「わからないことをあれこれ考えても、しょうがないでしょ。 それより、相手に『弓術士』か『攻魔士』がいるなら、そろそろ攻撃して来る可能性もあるわ。 注意しなさい」
「えぇ、わかっています。 アリア、前衛は任せるわ。 わたしはリルムさんを護衛するから」
迷うことなく言い切ったソフィアの言葉を聞いて、リルムは意外そうに目を瞬かせた。
次いでニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべると、挑発するように問い返す。
「へぇ? お姫様が、あたしを守ってくれるんだ?」
「不本意ですが、貴女の力は認めざるを得ません。 火事は困りますけど、森林破壊に関しては目を瞑るので、思い切りやって下さい」
やはり躊躇いのないソフィアを目にして、流石のリルムもふざけるのをやめた。
それだけ、この局面が大事だと言うことだろう。
スイッチを切り替えたリルムは、堂々と言い放った。
「良いわ、やってやろうじゃない。 あたしは攻撃に全力を注ぐから、しっかり守りなさいよね」
「もとよりそのつもりです。 何度も言わせないで下さい」
「お2人とも、そこまでです。 もう間もなく敵の最前線が、100メトル地点に到達します。 神力から察するに、既に攻撃態勢に入っていると思われます。 今から前に出ますが、最悪の場合はわたしもろとも敵を攻撃して下さい」
「何を言っているの。 貴女が言ったのよ、誰も欠けてはいけないって。 アリアを犠牲にするなんて、絶対に許さないわ」
「あたしを舐めないでよね、メイドちゃん。 ちゃんと巻き込まないようにするから、安心しなさい」
「……有難うございます。 では、参ります」
微かに笑みを浮かべたアリアは、即座に冷徹な表情で駆け出した。
それによって戦端が開かれ、前方から数多の矢が飛来する。
ルナの狙撃に比べれば大した威力ではないが、数の上では圧倒的に勝っていた。
アリアはバックラーで弾きつつ、最低限の動きで避けて更に前へ斬り込む。
そして――
「他愛もないですね」
大盾を掲げることで、自分とリルムを守るソフィア。
膨大な数の矢を受けたが、彼女は小動もしなかった。
すると、ソフィアの防御力を信じていたリルムは、神力を凄まじい量の魔力に変換し、その力を解放する。
「行くわよ! 【螺旋風】!」
10本の風の矢が回転しながら、森の奥へと射出された。
風属性の中級魔法、【螺旋風】。
速度と射程、貫通力に優れており、発動とほぼ同時に悲鳴が重なる。
1発撃つのにも苦労する『攻魔士』が多い中、彼女は10もの多重展開を、しかも簡易詠唱で行った。
リルムの強さを再認識したソフィアだが、魔蝕教が怯むことはない。
フーデッドローブを纏った『剣技士』が茂みから飛び出し、目を血走らせながら2人の元に走り寄る。
対するソフィアは迎撃態勢を取りながら、その必要がないと理解していた。
「はぁッ……!」
「ぎゃッ!?」
進路上に躍り出たアリアが大剣を振り上げ、『剣技士』の右腕を斬り飛ばす。
武器と腕を同時に失った『剣技士』は、戦闘不能に陥った――かに思われたが――
「がぁッ!!!」
「……!」
残った盾を振り被り、アリアに叩き付けた。
異常なまでの執念を感じたアリアは、ほんの僅かに目を見開いたが、それで動きが鈍ることはない。
「【シールド・バッシュ】……!」
「ごッ……!?」
バックラーに神力を送り込み、強大な破壊力を持たせるスキル。
迎え撃つことで、相手の盾を粉砕するに留まらず、本人の体をも四散させた。
返り血を浴びたアリアは凄惨な姿になったが、本人は気にした素振りもなく、次なる敵に向かう。
普段は大人しい性格の彼女も戦場においては、どこまでも冷酷無比になれるのだ。
そのことを知っているソフィアは動揺しなかったが、リルムは背筋に寒いものを感じている。
だが、彼女も並の使い手ではない。
間断なく降り注ぐ矢の雨をソフィアに任せたリルムは、限界まで魔力を溜めて、火の精霊に呼び掛けた。
「【爆裂炎】ッ!」
驚異的な魔力が収束し、次の瞬間には大爆発。
【爆裂炎】の射程はさほど長くないが、攻撃範囲は溜めた魔力に依存する。
森の一帯を消滅させるほどの威力で、そこにいた魔蝕教たちを蒸発させた。
どれだけ執念深かろうと、肉片すら残らなければ、どうすることも出来ない。
前衛でアリアが敵を斬殺し、遠距離攻撃をソフィアがシャットアウトし、リルムが超火力で殲滅する。
連携と言うほど高度なものではないが、それぞれが持ち味を活かした戦いを繰り広げていた。
着実に敵の数を減らし、このまま行けば被害を出さずに済む。
3人がそう考えた矢先に、それは起こった。
「……ッ!」
「これは……!」
「やばッ!?」
彼女たちの足元に魔法陣が描かれ、神力の鎖が体を縛り上げる。
『付与士』による捕縛魔法、【呪縛鎖】。
捕らえた敵を行動不能にする効果を持つが、格上相手には通用し辛い。
それゆえ本来なら、ソフィアたちを捕らえることは出来なかったが、今回の【呪縛鎖】には30人近くの力が注がれていた。
ここに来て3人は、後方に固まっていた魔蝕教たちが、『付与士』の集団だったのだと悟る。
鎖に縛られて服が捲れ上がり、あられもない姿を晒しながら、内心で悔しい思いを抱いた。
なんとか脱出しようと藻掻いているが、強固な鎖はびくともしない。
そこに、草木を踏み締めて姿を現したのは、右腕を失ったままのミゲル。
狂笑を浮かべており、明らかに正常ではないが、彼なりの使命は忘れていないようだ。
「くくく……良い格好だな、ソフィア。 ようやく、このときが来たぞ!」
「ミゲル……愚かなことはやめて、わたしたちを解放しなさい。 そうすれば、命までは取りません」
「ははははは! 強がりも、そこまで行くと滑稽だな! 貴様らに、その【呪縛鎖】を破ることは出来ん!」
「ふん。 女の子を相手にこんな手段しか取れないくせに、偉そうにしないでよ。 悔しかったら、真っ向から挑んで来なさい」
「安い挑発だな、リルム=ベネット。 我らはソフィアを殺せれば、手段などどうでも良い。 魔法に長けている貴様なら、時間を掛ければ解除出来るかもしれんが、すぐには無理だろう」
興奮しながらも思考は冷静なミゲルを前に、リルムは忌々しそうに歯噛みした。
その間もアリアは脱出の手段を模索していたが、どうしても振り解けそうにない。
そんな彼女たちを嘲笑ったミゲルは、改めてソフィアに向き直る。
恐怖に竦んでいるだろうと予想していたが――
「それで、貴方たちは今いる人たちで全員なのですか? それとも、まだ他にもいるのでしょうか?」
鎖にがんじがらめにされ、下着を曝け出し、絶体絶命の状況にもかかわらず、平然としたソフィア。
彼女の迫力にミゲルは一瞬気圧されたが、すぐに強気な態度を取り戻す。
「可愛げのない小娘が。 良いだろう、あの世への手向けに教えてやる。 我らは世界中に潜伏しているが、光浄の大陸にいる同胞はここにいる者たちだけだ」
「そうですか、それを聞いて安心しました」
「安心だと?」
「はい。 ここにいる者たちを始末すれば、少なくとも他の大陸に渡るまでは、魔蝕教の脅威はなくなるのですから」
「ははは! 馬鹿が! ここで死ぬ貴様が、他の大陸に渡ることなどない! 何度も言うが、この【呪縛鎖】を破ることは……」
バキッ――と。
鈍い音を立てて、鎖が引き千切られた。
それを成し遂げたソフィアは澄まし顔だったが、アリアとリルムは驚いており、ミゲルに至っては声を失っている。
森の中から漂って来た魔蝕教たちの困惑も無視して、ソフィアは何でもないかのように言い放った。
「『輝光』を侮り過ぎですね。 この程度の拘束で、わたしを封じることなど出来ません」
「あ、あり得ない……。 貴様の力をもってしても、破れない強度だったはずだ!」
「貴方のことを疑っていたわたしが、目の前で全力を見せるとでも思っていましたか? こう言った事態に備えて、加減をしていたに決まっているでしょう。 ……まぁ、捕らえられたこと自体が不覚な訳ですが」
憮然としつつ、ソフィアはリルムとアリアの鎖を長槍で断ち切る。
その様をミゲルは呆然と眺めるしかなく、助けられたリルムたちも複雑そうだった。
「あんたね……そう言うことは教えておきなさいって、何度言わせればわかんのよ?」
「すみません、リルムさん。 ですが敵を騙すには、まず味方からとも言いますし」
「だとしても、わたしくらいには言ってて欲しかったです……」
「アリア、拗ねないで。 それより、まだ戦いは終わっていないわよ」
そう言って武装を構えたソフィアに倣って、リルムとアリアも戦闘態勢に戻った。
対するミゲルは、まだ衝撃から立ち直れていなかったが、それでも諦めることはない。
「く、くそ! 同胞たち、やれッ!」
ヤケクソ気味に叫んだミゲルに従って、魔蝕教たちが一斉に攻撃を再開する。
大勢の『剣技士』や『格闘士』が雄叫びを上げて襲い掛かり、彼らを巻き込む勢いで矢が放たれた。
まさしく特攻で、決死の覚悟を感じたが、3人は淡々と対応する。
迫り来る『剣技士』や『格闘士』はアリアによって斬り捨てられ、後方の『弓術士』や『付与士』はリルムが仕留めた。
ソフィアは守りに徹していたが、敵の攻撃の勢いが弱まったと判断した瞬間、その場で高く跳躍する。
「これで終わりです」
神力を注がれた長槍が、眩い光を発した。
尋常ではない力を感じた魔蝕教たちは身を竦ませながら、最期まで足掻き続けていたが――
「【流れる星の光】!」
流星が降り注ぐ。
ソフィアが投げ放った長槍が無数に分裂し、広範囲を爆撃した。
凄まじい衝撃が森に走り、あとには荒れ地が広がっている。
【流れる星の光】。
特別な効果を持たない代わりに、どこまでも威力と攻撃範囲を突き詰めたスキル。
チャージする神力の量によって強さを調整出来るので、意外と汎用性も高い。
初めて見るソフィアのスキルの威力に、アリアとリルムは驚愕していたが、咄嗟に【神域】で残党を探す。
その結果、反応があったのはただ1人。
「ぐ……! ごふッ……!」
「生きていましたか。 呆れたしぶとさですね」
「お、おのれ……!」
「安心して下さい、すぐ楽にしてあげます」
ズタボロになりながらも、辛うじて生存しているミゲル。
一流の『付与士』である彼は、自身の防御力を最大まで高めたのだが、それでもこの有様だ。
右手に長槍を握り直したソフィアは、決着を付けるべく引き絞り――
「……使わざるを得ないか」
ポツリと呟いたミゲルが、懐から怪しげな光を放つ宝石を取り出して――飲み込んだ。
思わぬ行動にソフィアたちは瞠目したが、本当に驚くのはこれからである。
「ぐ……ぐぉぉぉぉぉッ!!!!!」
絶叫を上げたミゲルの体が膨張し、文字通り変身して行く。
損傷していた体が木によって埋められ、新たに腕も生えた。
その姿は最早――
「モンスター……?」
呆気に取られたリルムの言葉は、3人を代表したもの。
それまでは余裕を保っていたソフィアも、今ではこれ以上ないほど真剣な面持ちを浮かべている。
アリアは今まで通りだったが、無言でソフィアの隣に並び立ち、警戒心を最大まで高めていた。
その間にもミゲルの変身は続き、ようやくして現れたのは、人とトレントが融合したような異形。
途轍もないプレッシャーを感じた3人が身構えていると、モンスター化したミゲルが愉快そうに声を発した。
『く、くくく……これがわたしか。 あまりにも醜いが、魔族どもには感謝しなければな』
「魔族ですって?」
『気になるか、リルム=ベネット? だが、お喋りはここまでだ。 今度こそ、貴様たちを殺してやる!』
「……ッ! ソフィア様!」
凄まじい速度でミゲルがソフィアに伸ばした腕を、間一髪でアリアが斬り落とす。
ところが、ミゲルがダメージを受けた様子はなく、瞬時に腕が元通りになった。
とんでもない再生能力。
そのことをソフィアたちは脅威に思いつつ、3対1なら負けるとは考えていなかった。
しかし――
『邪魔をするな、アリア=クラーク。 貴様らには、こいつらの相手をしてもらおう』
モンスター化した影響か、くぐもった声でミゲルが告げた直後、周囲の大木が次々にトレントとなる。
この短時間で幾度となく驚かされた少女たちだが、リルムは臆することなく【火球】を撃ち出した。
見事な精度で着弾し、あっと言う間に撃破して行く。
だが、トレントの数は加速度的に増え、更には倒した個体も復活しようとしていた。
それを見たソフィアたちは、ミゲルを倒さなければ終わらないことを悟りつつ、これだけの数を無視して戦える相手ではないと感じている。
どうするべきか悩んだリルムは、一時撤退すら視野に入れたが、ソフィアが下した結論は違った。
「アリア、リルムさん、トレントたちを頼みます」
「……あんたはどうするつもり?」
「決まっているでしょう。 わたしは、ミゲルを討ちます」
「危険です。 今のミゲルは、普通ではありません。 ここは、シオン様の合流を待った方が……」
「駄目よ、アリア。 このようなことで、一々シオンさんを頼る訳には行かないわ。 今後のことを考えるなら、わたしたちだけで乗り切らないと」
「死んだら今後も何もないでしょうが。 ……けど、あたしも同意見かな。 こっちのことは気にするなって、言っちゃったしね」
「……わかりました。 トレントは、何があっても通しません。 ソフィア様、ご存分に」
「有難う、アリア。 リルムさんも、よろしくお願いします」
「まったく、わがままなお姫様ね。 しょうがないから、付き合ってやるわよ」
笑顔を交換した少女たちは、覚悟を決めたように神力を高めた。
その様子を眺めていたミゲルは、馬鹿にするように言い放つ。
『作戦会議は終わったか?』
「待っていてくれるとは、随分と優しくなりましたね?」
『くく、今のわたしにとっては、貴様ですら恐れるに足りんからな。 ソフィア、これまでのことを詫びるなら、楽に殺してやるぞ?』
「その言葉、そっくりそのままお返ししましょう」
『ふん、相変わらず生意気な小娘だ。 その態度、あの世で後悔するが良いッ!』
叫喚を上げたミゲルに呼応するかのように、周囲のトレントたちも行動を開始する。
それを見たアリアとリルムは目配せし、ソフィアを守るべく駆け出した。
2人を見送ったソフィアは、眦を決して宣言する。
「ミゲル、今度こそ貴方を滅ぼします」
『ほざけッ! 我らの悲願は、ここで成就されるッ!』
腕を伸ばして殴り掛かって来たミゲルの拳を、大盾で受け止めるソフィア。
凄まじい破壊力を秘めており、ソフィアの両足が地面にめり込んだ。
思わず固い表情を浮かべたが、彼女は怯むことなく前に出る。
こうして迷いの森での戦いは、佳境を迎えようとしていた。




