第16話 夜の会話と挨拶
用語解説
・メトル=m
疲れた。
いや、本当に。
就寝準備を終えてベッドに横になりながら、つくづくそう思った。
ちなみに、この魔家は2階に上がると、廊下を挟んで左右に3部屋ずつ並んでいる。
都合6部屋あるので、最低でもあと2人なら寝泊まり可能だ。
家具はベッドしか置いていないが、逆に言えば自分好みの部屋に出来る。
まぁ、僕はこのままで構わないが。
1度設置すれば、次回以降その部屋に反映されるそうなので、一々置き直す手間もない。
至れり尽くせりとは、このことだろう。
それはともかく、僕は疲れている。
入浴後、洗濯をしている間に姫様たちも出て来たのだが、尋常ではなく殺伐とした雰囲気だった。
そのせいで、美味しいアリアの料理を食べても、気持ちが軽くなることはなかった。
作った本人も終始怯えており、気の毒で仕方なかったな……。
無言の食事時間を終えてからは、各々が荷物の整理を始めたので、問題は起こっていない。
それでも醸し出される空気が重過ぎて、どうしても気疲れしてしまう。
本当に、このまま旅を続けて大丈夫なんだろうか。
たった1日しか経っていないにもかかわらず、早くも後悔し始めている。
もっとも、当然ではあるが、今更やめるつもりはない。
今の状況が良くないのは間違いないが、出来る限り改善してみせよう。
天井を見つめながら人知れず決意していると、あることに気付いた。
どうしようか迷ったが、結局ベッドを下りて1階に向かうべく部屋を出る。
既に夜も更けているので、最低限の魔明だけを残して他は消していた。
明かりを点けようかとも考えたが、ここは敢えてそのままにしておこう。
足音を殺して1階に来た僕は、そのまま入口のドアをゆっくりと開いた。
夜の森は少し肌寒いくらいだが、念の為にコートを羽織って来たので問題ない。
そして、視線の先には1人の少女が立っていた。
背中を向けているので、どのような表情をしているのかわからないが、どことなく寂し気な様子で空を見上げている。
思わず声を掛けるのを躊躇してしまいながら、ここで引き返す選択肢はない。
「何をしているんだ、リルム?」
「ひゃ!?」
「大丈夫か?」
「び、びっくりしたぁ……。 もう、驚かせないでよ」
「すまない、そんなつもりはなかったんだが。 それで、何をしていたんだ?」
「んー、ちょっと星を見にね」
「星?」
リルムの言葉を聞いた僕は、反射的に上を向いた。
森の中にある開けた空間。
遮る物がない為、視界いっぱいに星の海が広がっている。
綺麗だ。
僕の心を占めるのは、その一言のみ。
いつもは気にならないのに、少し意識するだけで、こうも変わるものなのか。
ちょっとした感動を覚えつつ、そのまましばしのときが経過した頃、隣に立つリルムがポツリと声をこぼした。
「ねぇ、シオンってどんな子どもだったの?」
「いきなりどうした?」
「いや、ほら、どうやってそんなに強くなったのか、気になるじゃない?」
そう言うことか。
リルムらしい疑問だが、全てを打ち明けることは出来ない。
だからと言って、黙秘するのも違和感がある。
そこで僕は、少しの真実を混ぜた嘘をつくことにした。
「それほど変わったところはないと思う。 強いて言うなら、イレギュラーを含めて戦闘の資質はあったようだから、訓練は怠らなかったな」
「それって、親の教育方針だったの?」
「いや、僕の意志だ。 どちらかと言うと、エレンは消極的だった」
「エレン……?」
「育ての親の名前だ。 記憶喪失の子どもだった僕に、様々なものを与えてくれた。 若い女性だったから、姉に近いかもしれない。 もう死んだが」
「……ッ! ごめん……」
「気にしなくて良い、もう気持ちの整理は出来ている」
「……本当の親に会いたいとか、記憶を取り戻したいとか思わないの?」
「思わない。 記憶があろうがなかろうが僕は僕だし、親はエレンだけだ」
「……そっか」
沈痛な面持ちで俯くリルム。
僕の古傷に触れたことを悔やんでいるようだが、それだけではないように感じる。
どちらにせよ、彼女の悲しそうな顔は見たくない。
そう考えた僕は、少しわざとらしく話題を変えた。
「リルムこそ、どんな子どもだったんだ?」
「え……?」
「そんなに魔道具が好きなのは、何か切っ掛けがあったのかと思ったんだが」
「うーん……まぁ、あったと言えばあったわよ」
「煮え切らないな。 話したくないなら、話さなくて良いぞ」
「ちょっとなら大丈夫よ。 あんたも何か隠してるみたいだから、全部は教えないけど」
そう言って、リルムは悪戯っぽく笑った。
誤魔化したつもりだったが、どうやらバレているらしい。
彼女の優れた洞察力は、頼もしいと同時に厄介でもある。
苦笑した僕が黙っていると、リルムが再び星空を眺めながら語り始めた。
「あたしの魔導書、覚えてる?」
「勿論だ」
「あの魔導書、お母さんの形見なのよ。 と言っても、小さい頃に死んじゃったから、ほとんど覚えてないけど」
「……そうなのか。 すま……」
「あ、謝るの禁止。 シオンも言ってたでしょ?」
「……わかった」
「よろしい。 それで、あたしはお婆ちゃんに育ててもらったんだけど、遊び道具がなかったから、ずっと魔導書を読んでたの。 最初は何が書いてあるのかわからなかったから、必死に勉強したわね。 そしたら、どんどん魔法とか魔道具に興味が湧いちゃって、今では自分で作るようになったって感じかしら」
「なるほどな。 キミの探求心の源は、あの魔導書だったか。 未だに、どんな性能か知らないが」
「それに関しては、そのうちわかるんじゃない? なるべく使いたくないけど」
「そうなのか?」
「うん。 理由はあるけど……教えなーい」
「意地悪だな」
「シオンだって、まだまだ秘密にしてることあるでしょ? お互い様よ」
茶目っ気たっぷりにウインクしたリルムに、またしても僕は苦笑する。
パーティを組む以上、本来ならそれぞれの能力を把握しておくべきだが、どこで誰が見ているかわからないことを考えると、手札を隠しているのは悪いとは言い切れない。
半分くらいは言い訳だと自覚しつつ、内心で自分に言い聞かせていると、リルムが落ち着きなく視線を彷徨わせていた。
急にどうしたんだ?
不思議に思った僕が小首を傾げる一方、深呼吸したリルムがたどたどしく言葉を紡ぐ。
「ごめんね」
「また突然だな。 それは、何に対する謝罪だ?」
「何って……いろいろ。 お風呂に押し掛けたこととか、ご飯中に態度が悪かったこととか……」
「入浴に関しては、気にするな。 今後も続けられると困るが、もう過ぎたことだ。 食事に関しては、僕じゃなくてアリアに謝ってくれ」
「……そうね。 メイドちゃんにも、悪いことしちゃった」
「わかれば良い。 リルムなら、同じ過ちは繰り返さないだろう」
自嘲気味に笑うリルムを見据えて、僕は率直な気持ちをぶつけた。
てっきり、強気な答えが返って来るかと思ったが――
「どうかしら、自信ないわね」
「自信がない? 何故だ?」
「だって本当なら今日も、放っておくつもりだったんだもん。 でも、気付いたらお風呂場にいたの」
「……まさか、記憶喪失か? 外を見て回っているときに、頭を打ったんじゃないだろうな? いや、魔道具の研究に没頭し過ぎた影響の可能性も……」
「あんたそれ、本気で言ってるの……? ま、あたし自身、はっきりとはわかってないんだけどね」
「と言うことは、心当たりくらいはあるんだな?」
「そりゃ、まぁ……うん。 ただ、自分が本当に欲しいのか、他人に取られるのが嫌なだけなのか、良くわかんないのよ」
「……謎掛けか?」
「あはは、そんなんじゃないって。 取り敢えず、先に謝っておくわ。 似たようなことがあったら、また困らせると思うけど……ごめんね?」
「事前に謝られてもな……。 出来れば、そうならないことを祈る」
「それは、あたしだってそうよ。 ほら、そろそろ戻りなさい。 明日も早いんだから」
「キミは、まだ寝ないのか?」
「あたしは、もうちょっとここにいるわ。 心配しなくても、それほど長居はしないから」
そう言ってリルムは、僕の体をそっと押した。
良くわからないが、先に帰って欲しいことは伝わって来る。
彼女を置いて去るのは気が引けるとは言え、残ったところで出来ることなどない。
そう判断した僕は、大人しく魔家に入ろうとしたが、その前にやるべきことがあった。
「……!」
「明日返してくれたら良い」
「……ありがと」
「気にするな。 お休み」
「ん……お休み」
部屋着で外に出ていたせいで、体が冷えた様子のリルムの肩に、コートを掛けた。
何でもない風を装っていたが、我慢しているのはバレバレだ。
素直に受け取ってくれたことに満足した僕は、今度こそ踵を返す。
背後から、「そう言うことするから、困るんだって……」などと聞こえて来たが、真意を問い質すのはやめておいた。
魔家に入った僕は、足音に気を付けながら自室に戻る。
リルムの悩みを解決することは出来なかったかもしれないが、内心を吐露したからか、少しすっきりしているようには見えた。
まだまだ予断は許されないものの、全くの無駄足でもなかったらしい。
ひとまずはそれで充分だと思った僕は、ベッドに寝転がって眠りに入る。
身体的にはともかく、精神的にかなり疲れていた僕は、間もなくして意識を手放しそうになったが、次の瞬間には身を起こした。
視線の先にあるのは、入口のドア。
一見すると何の変哲もないが、僕にはその先が見えているようなものだ。
リルムのときと同じく、どうするべきか悩んだのは一瞬で、最終的には無視出来なかった。
小さく溜息をついた僕は、再びベッドから下りて入口に向かう。
そしてドアノブを握ると、前置きなく開いた。
「きゃ……!?」
「何か用事ですか、姫様?」
部屋の前でウロウロしていた姫様が、急にドアが開いたことで驚いている。
それでも大声を出さなかったのは、彼女なりの気遣いかもしれない。
白いネグリジェで身を包み、可愛らしさとセクシーさが同居している。
何にせよ、用を知らなければ対応のしようもないので、姫様の返事を待っていると、恥ずかしそうに下を向きながら口を開いた。
「あの……入っても良いですか?」
「理由を聞いても良いですか?」
「えぇと、少しお話したくて……。 駄目ですか……?」
叱られることを怖がる子どものように、上目遣いで懇願して来る姫様。
はっきり言って非常に愛らしく、断る気が中々湧いて来ない。
しかし、入浴時のことを思えば、却下するべきだろう。
頭ではそう考えながら、僕の感情は彼女を突き放すことが出来なかった。
「少しなら構いません」
「え……ほ、本当に良いのですか?」
「はい。 どうぞ、入って下さい」
「お、お邪魔します……」
僕の返事を意外そうにしながら、おずおずと姫様が部屋に入って来た。
風呂場のときとは、まるで別人だな。
そんなことを思いつつ、身振りで姫様にベッドを勧める。
椅子やソファーがあれば良かったんだが、生憎とこの部屋に他の家具はない。
頬を朱に染めた姫様がベッドに腰掛けたのを確認して、僕も離れた位置に座った。
窓から差し込む月明かりに照らされた彼女が、幻想的な美しさを演出している。
思わず息を飲むほど綺麗だが、今の姫様は明らかに落ち込んでいた。
なんとなく既視感を抱いた僕は、先回りして尋ねてみる。
「もしかして、入浴と食事中のことに関してですか?」
「え……!? ど、どうしてわかったのですか?」
「確信はありませんでしたが、そんな気がしまして」
「そうですか……。 流石はシオンさんですね」
力なく微笑む姫様。
リルムと似たような状態だったからわかったんだが、それを教える必要はないだろう。
無言で姫様を見つめていると、彼女は気まずそうに目を逸らし、小声で言葉を紡いだ。
「軽蔑しましたか……?」
「軽蔑?」
「はい……。 あのような、はしたないことをして……。 それだけではなく、ずっと不愛想を振り撒いていましたし……。 軽蔑されたのではないかと……」
瞳に涙を溜めながら、姫様が少しずつ想いを吐き出す。
正直なところ、どう答えるのが正解かわからなかったが、確かなことがあった。
姫様の隣に座り直した僕は、彼女の顔に右手を添えて、ゆっくりとこちらを向かせる。
触れた瞬間に姫様はビクリと震えたが、敢えて無視した。
至近距離で目を合わせ、こぼれそうになった彼女の涙を指先で拭う。
驚きからか、目を丸くした姫様の頬に手を当てたまま、僕は本音を伝えた。
「入浴に関して、戸惑ったことは否定しません。 これからは、やめて欲しいとも思っています」
「……! そう、ですか……」
僕の気持ちを知った姫様は、咄嗟に顔を背けようとしたが、逃がさない。
両手で彼女の顔を優しく覆い、こちらから視線を外せないようにする。
姫様はパニック寸前のようだったが、構わず僕は言葉を続けた。
「ですがそれは、軽蔑したからじゃありません。 ただ、危険だと思ったからです」
「危険……?」
「はい。 姫様たちが魅力的過ぎて、僕の自制心がもたないかもしれないと感じました」
「え……? わたしが魅力的……?」
厳密には姫様「たち」だが、それを指摘するのは野暮と言うものだろう。
胸中を悟らせないように大きく頷いた僕は、きっぱりと告げた。
「姫様は魅力的です。 僕がどれだけ苦労して自分を抑えていたか、知らないでしょう?」
「で、でも……そんな素振り全然……」
「少しでも緩めたら、それまでだと思っていたからです。 万が一にも、間違いがあってはいけないので」
「……わたしが、受け入れると言ったら……?」
「そう言う問題じゃないですね。 旅を続けるに当たって、そう言った行為は避けるべきです」
「では……旅が終わったあとなら?」
「そのときはまた話が変わって来ますけど、今は考える必要ないでしょう。 僕たちは、旅立ったばかりなのですから」
「……そうですね。 全ては、魔王を倒してからです」
何だろう、姫様から驚異的な闘志を感じる。
思っていた方向とは違うが、ひとまず立ち直ったようで良かった。
そう考えた僕は、もう1つの事柄に着手する。
「不愛想だったことは、僕よりもアリアに謝って下さい。 ずっと居心地が悪そうでしたから」
「はい……。 明日起きたら、すぐに謝罪します」
「それを約束してもらえるなら、僕からこれ以上言うことはありません」
安心した僕は、姫様を解放した。
しかし、今度は彼女が僕の頬に両手を添えて、身を寄せる。
ウットリとした面持ちで目を覗き込んで来て、呼吸も荒くなり始めた。
これは、不味いかもしれない……。
今までの経験からそう察した僕だが、彼女も一応は反省しているようだ。
際どいところではありつつも、それ以上近付くことはなく、じっとこちらを凝視している。
とは言え、いつどうなるかわからないので、そろそろ押し止めようとしたが、僕が行動するより先に姫様が言い募って来た。
「先ほどシオンさんは、自制していたと言いましたね?」
「えぇ、まぁ」
「お言葉を返すようですが、わたしがどれだけ我慢しているか知っていますか?」
「我慢……していましたか?」
客観的に見て暴走していたが。
「とてもしていました。 だってシオンさん、エレンさんの話をしたり、リルムさんやアリアと仲良くしたりするじゃないですか」
「あの、それが何か問題なんでしょうか?」
「大問題です。 本当は、わたしはシオンさんを独占したいのです。 他の女性とは、極力関わって欲しくありません」
ここに来て、遅まきながら僕は姫様と国王様、王妃様の思惑がわかった気がした。
我ながら察しが悪いとは思うが、僕からすれば理解出来ないと言うのが、偽らざる気持ち。
「……どうして、僕にそこまで固執するんですか?」
「可愛いからです」
「……はい?」
思わず間抜けな声が出たが、僕に非はない……と思う。
「ですから、可愛いからです。 わたしは、可愛い人が大好きなんです」
「それならリルムやアリアも、対象になりそうですが……」
「わかっていませんね。 男性なのに、こんなに可愛いのが良いのです。 わたしは、この出会いを運命だと確信しています」
「いえ、たぶん勘違いだと思います」
「いいえ、運命です」
「……」
どこから来るんだ、その自信は。
運命などと言うものが存在するかどうかは置いておくとして、意味不明の極み。
だが、これは千載一遇のチャンスかもしれない。
一筋の光明が見えた気がした僕は、決死の思いで言い放つ。
「もしそれが本当なら、何も心配はいりませんね」
「え?」
「ですから、僕たちが将来結ばれる運命にあるとすれば、一々他の女性とのことで嫉妬しなくて良いですよね?」
「それは、そうですけど……」
「なら、今後はもう少し余裕を持って下さい」
「……わかりました。 運命は絶対ですから、恐れるものなどありません」
神妙な顔付きで宣言する姫様。
本当に言いくるめられるとは思っていなかったが、今回だけは彼女の思い込みの激しさに感謝しよう。
何にせよ、取り敢えずの決着が付いたと判断した僕は、拘束から脱出しようとして――
「きゃ……!」
姫様を抱き締めながら、床にダイブする。
その直後、窓ガラスが割れたかと思えば、壁に小さな穴が開いた。
腕の中の姫様は驚愕していたが、即座に状況を悟ったらしい。
真剣な面持ちで武装した彼女は、大盾で身を守りながら壁に潜んだ。
それを確認した僕も双剣を生成し、油断なく外の様子を窺う。
今のところ追撃はないが、退いたかどうかは定かじゃない。
ここは危険を承知で、誘ってみるか。
意を決した僕は壁から離れて、割れた窓ガラスの前に立ち塞がる。
姫様が慌てて止めようとしていたが、それより速く2度目の攻撃が襲い掛かった。
目視出来ない速度で何かが飛来し、僕の胸に風穴を空けようとする。
恐らく一般的な聖痕者なら、何が起きたかわからぬまま絶命したはずだ。
しかし、初撃である程度のことを把握していた僕は、直剣を振り下ろして一刀両断。
真っ二つにされた何かが背後の壁に、2つの穴を空けた。
それを確認することもなく、反対の直剣を前に突き出した僕は、最速で神力を練り上げる。
「【閃雷】」
音もなく射出された白い雷が、夜の闇を裂いて森の中に消えた。
【閃雷】の最大射程は500メトル。
遠くなればなるほど精度は下がるが、今回は敵の攻撃と全く同じ軌道で撃ち返した。
仕留めるところまでは行っていないにしろ、牽制程度にはなっただろう。
事実、それから暫くしても襲撃はなく、完全に撤退したかもしれない。
警戒しながら壁際に戻った僕は、小声で姫様に呼び掛けた。
「姫様、無事ですか?」
「わたしは平気ですけれど、シオンさんこそ怪我はありませんか? あのような無茶をして……」
「僕も何ともありません。 もう大丈夫だとは思いますが、今夜はリビングにバリケードを作って寝ましょう。 すみませんが、リルムとアリアを呼んで来てくれますか?」
「シオンさんはどうするのですか?」
「僕は念の為に、周囲の索敵をして来ます。 あと、調べておきたいことがあるので」
「……わかりました。 くれぐれも、気を付けて下さい」
「はい、姫様も」
その言葉を最後に、僕たちは行動を始めた。
姫様はリルムたちの元に向かい、僕は調べものをしてから外に出て、注意深く森の中を探る。
だが、やはり今回は撤退したようで、何も感じない。
確信を抱いた僕が魔家に戻ると、3人がリビングに家具でバリケードを作っていた。
リルムとアリアもガラスが割れる音を聞いて、既に戦える準備はしていたらしい。
間もなくしてバリケードを設置し終えた僕たちは、向かい合うようにして座る。
全員寝間着、あるいは部屋着姿なので、パッと見だとパジャマパーティのようだが、そんなお気楽な状況じゃない。
何から話すべきか考えたが、最初に言っておくべきことはこれだろう。
「ひとまず敵は退いたようです。 完全に油断する訳には行きませんが、恐らく大丈夫でしょう」
「良かったです……。 お2人とも、お怪我はありませんか……?」
「わたしたちは大丈夫よ、アリア。 それより、敵はやはり魔蝕教でしょうか」
「断言は出来ないけど、そうでしょうね。 けど問題は、どうやって攻撃して来たかよ。 この魔家には、住人以外の人やモンスターが近付いて来たら、警戒音が鳴る仕組みがあるのに……」
リルムの言う通り、魔家の半径100メトル以内に何者かが侵入した場合、僕たちはそれを知ることが出来る。
だからこそ、彼女たちは頭を悩ませているのだが、答えは単純明快。
「具体的な距離はわからないが、敵は遠方から狙撃して来た。 だから、魔家の警戒網に引っ掛からなかったのだろう」
「狙撃……? じゃあ敵は、『弓術士』ってこと?」
「いえ、リルムさん。 あの攻撃は、『弓術士』ではありませんでした。 そもそも、矢が残っていませんでしたから」
「で、ですが、それなら階位は何なんでしょうか? 『攻魔士』に、そこまで遠距離攻撃が出来るとは思えませんが……」
「そうとも限らないわよ、メイドちゃん。 あまり知られてないけど、遠距離魔法って少なからず存在するしね。 て言うか、シオンも使ってるじゃない」
「あ……そ、そうでした、すみません……」
「謝らなくて良い。 しかし、今回の敵は『攻魔士』でもなかった。 魔法の痕跡はなかったからな」
「じゃあ、何だって言うのよ? 遠距離攻撃が出来る階位は、『弓術士』と『攻魔士』くらいじゃない。 一応、『治癒士』と『付与士』の可能性もあるけど、魔法の痕跡がないなら、その2つでもないんでしょ?」
若干苛立たし気に、問い質して来るリルム。
確かに常識で考えれば、おかしな話だ。
しかし見方を少し変えると、ある仮説が浮かび上がる。
「姫様、聞きたいことがあります」
「何ですか?」
「『輝光』は世界で1人の特殊階位だと聞きましたが、それはどうしてわかったんですか?」
「わたしが『輝光』になったときに、ヘリア様が仰っていたからです。 過去の記録でも、『輝光』は1人しかいなかったとされています」
「では、『輝光』以外の特殊階位が存在するかどうかは、知っていますか?」
「それは……わかりません。 ……! まさか……」
この段階になって、姫様は僕が何を言いたいか察したらしい。
姫様だけではない、リルムとアリアもだ。
固い表情の3人に頷いて見せた僕は、淡々と結論を述べる。
「そう、敵は恐らく特殊階位です。 魔族の線も考えましたが、攻撃の跡から神力を感じたので、聖痕者であることは間違いありません」
「そ、そんな……。 どうして特殊階位の聖痕者が、ソフィア様を狙うんでしょう……」
「アリア、それは少し違うかもしれない」
「え……?」
「先ほどの襲撃、敵は姫様じゃなく僕を狙い撃った。 まずは邪魔な僕を始末しようとしたのかもしれないが、わざわざ狙撃するなら、最初の1発で姫様を仕留める方が理に適っている。 つまり、敵の標的は姫様とは限らないってことだ」
「ちょっと待って! お姫様は『輝光』だから狙われる理由があるけど、なんでシオンが標的にされるのよ!?」
「その辺りの正確なことは、現時点では何とも言えない。 大事なのは、敵の中に特殊階位がいることだ。 通常の階位と違って、対策が取り難いからな」
「……シオンさんの魔法で、倒した可能性はありませんか?」
「絶対ではありませんが、ないと思います。 どちらにせよ、生きている前提で動かなくてはなりません」
「その通りですね……」
僕の話を聞いて、3人は難しい表情で黙り込んだ。
楽観的になるよりは良いが、深刻になり過ぎてもいけない。
そう思った僕は小さく肩をすくめて、敢えて軽い口調で言ってのける。
「今はあれこれ考えても、仕方ありません。 とにかく今日は、ここで寝るとしましょう。 睡眠不足で力を発揮出来なくなれば、敵の思うつぼです」
「ま、それもそうね」
「リルムさん、切り替え早いですね……。 ですが、わたしも賛成です」
「で、では、わたしが見張りを担当しますので、皆様はゆっくり休んで下さい」
「いや、その役目は僕に務めさせてくれ、アリア」
「え? ですが……」
「狙撃手……と仮に命名するが、奴の攻撃に確実に対処出来るのは、現時点で僕だけだからな。 任せて欲しい」
「そうかもしれませんけど、それではシオン様が休めないのでは……?」
僕の申し出を受けたアリアは、不安そうに眉を落とした。
彼女の優しさに苦笑を漏らしつつ、頭を撫でて言い聞かせる。
「心配するな。 僕なら数日寝なくても、戦闘に影響は出さない。 だから、安心して眠って大丈夫だ」
「……わかりました、今日のところはシオン様にお任せします。 ですが、もし明日以降も続くようなら、わたしも見張りに加えて下さい。 必ず、狙撃手から皆様を守ってみせます」
「あぁ、頼りにしている」
「有難うございます!」
嬉しそうに破顔するアリアを見て、僕はもう1度頭を撫でる。
彼女は照れながらも気持ち良さそうにしていたが、ふと我に返ったかと思うと、顔面蒼白とさせて姫様に振り向いた。
どうやら、またしても彼女の逆鱗に触れたと恐れたらしい。
しかし、当の姫様は優し気に微笑んでおり、アリアは戸惑った様子で目を瞬かせている。
リルムに至っては、不気味そうにしていた。
ふむ、部屋での約束を守ってくれているようだな。
そのことに安堵した僕は、これを機にパーティを立て直すことにした。
「アリア、2人からキミに言いたいことがあるらしい」
「言いたいこと、ですか……?」
僕の言葉を聞いて、アリアはオドオドし始めた。
今から何を聞かされるのかと、怖がっているのだろう。
そんな彼女を見た姫様とリルムは、無言で視線を交換してから、申し訳なさそうに口を開いた。
「アリア、ごめんなさいね。 折角食事を用意してくれたのに、ずっと不機嫌そうにして……」
「あたしも謝るわ。 ごめん、メイドちゃん」
座ったままだが丁寧に頭を下げた姫様と、端的ながら心を込めて詫びたリルム。
彼女たちの謝罪を受けたアリアは、ポカンとしていたが、次いで大慌てで言い募る。
「そ、そんな! 謝らないで下さい! わたしは気にしてませんから!」
「じゃあ、許してくれるの?」
「許します! 許しますから頭を上げて下さい、ソフィア様!」
両手を胸の前でブンブン振りつつ、最早泣き出す1歩手前のアリア。
毎度のことながら、面白い子だな。
今回も失礼な感想を持った僕だが、しっかり纏めることも忘れない。
「これで仲直りですね。 アリア、良かったな」
「そ、そうですね……。 ドッと疲れましたけど……」
「さぁ、そろそろ寝て下さい。 予定時刻に起こしますから」
「良いけど……あんた、ずっとここにいるの?」
「そのつもりだが、何か問題があるのか?」
「問題って言うか、寝顔を見られるの恥ずかしいんだけど……」
「恥ずかしい? そんなに変な顔で寝ているのか?」
「違うわよ! あー、もう! あんたにこんなこと言った、あたしが馬鹿だったわ! お休み!」
赤面して叫んだリルムが、背を向けて床に寝転んだ。
訳がわからず首を捻っていると、顔を見合わせて苦笑を浮かべた姫様とアリアも、それぞれ就寝体勢に入る。
「お休みなさい、シオンさん。 何かあれば、すぐに起こして下さいね」
「わたしもです。 シオン様、お休みなさい」
「はい、姫様。 アリアも、お休み」
それから暫くして、3人から小さな寝息が聞こえ始めた。
全員疲れていたようで、ぐっすり眠っている。
リルムが恥ずかしいと言っていたので、ジロジロ見るのはやめておいたが、少女たちの穏やかな寝顔を目の当たりにして、僕は自身に喝を入れた。
魔蝕教だろうが特殊階位だろうが、決して負けはしない。
旅を始めて最初の試練が訪れる予感を抱きながら、僕は静かに戦意を高めた。
真の暗闇が訪れた、迷いの森。
風に揺られた木々の音に紛れて、少女の怪しげな声が聞こえる。
「ふ、ふふふ……ふふふふふ……!」
魔蝕教に雇われた最凶の殺し屋、ルナだ。
太い幹に体を預けた彼女は、右腕から血を滴らせ、額に汗しながら笑声をこぼし続ける。
シオンの【閃雷】は腕を掠めただけだったにもかかわらず、今も尚、焼けるような痛みがルナを襲っていた。
それでも回復薬を飲めば、すぐに治せる程度の傷。
しかし、彼女はそうしようとしなかった。
何故なら――
「あぁ……痛い……痛いわ……。 これがシオン=ホワイトの魔法……。 たっぷり感じないとね……。 うふふ……」
と言うことだ。
ルナはマゾヒストではないが、シオンと言う存在を自身に刻み込むように、敢えてそのままにしている。
左手で傷口に触れた彼女は、指先に付いた血を舐めて、恍惚とした表情を浮かべた。
内股でモジモジし、時折身を震わせている。
そのまましばしすると、ビクビクと体を痙攣させ、大きく息を乱した。
それに反してスッキリした様子で、ようやく回復薬を飲み干す。
見る見るうちに傷が癒えて、それを見たルナは少し残念そうにしていたが、意識を切り替えて舌なめずりした。
「わたしの攻撃を防ぐだけじゃなく、反撃して来るなんて……どこまで素敵なの。 あぁ、早く戦いたいわ。 ……あら?」
夢見る乙女のような顔で呟いていたルナが、おもむろに遠話石を取り出す。
微振動しており、何者かから通信が届いていることを知らせていた。
もっとも、この遠話石には1人の魔力しか登録していない。
最初は面倒臭そうにしていたルナだが、すぐにニヤリとした笑みを浮かべて応答する。
「ごきげんよう、ミゲルさん。 襲撃準備が整ったのかしら?」
『その前に、貴様は何をしている? 勝手に動きおって、余計な手間を掛けさせるな』
「ごめんなさい、どうしても我慢出来なくて。 ちょっと挨拶して来たの」
『挨拶だと? まさか、もう仕掛けたのか?』
「まぁね、見事に失敗してしまったわ」
『ふざけるな! それでは、ただ警戒心を強めただけではないか!』
「だから、謝っているじゃない。 お詫びに今後は指示に従うから、許してね。 シオン=ホワイトだけは譲らないけれど」
『まったく、厄介な相手に依頼してしまったものだ……。 とにかく合流するぞ。 どちらにせよ、動くのは明日だ』
「わかったわ。 場所はさっきのところで良いの?」
『そうだ。 貴様とも話は詰めておく必要はあるからな、急げ』
「はいはい」
ミゲルからの連絡を切ったルナは、小さく溜息をついた。
協力が必須とは言え、気乗りはしない。
ソフィアを殺害することに抵抗があるのではなく、単純に他者と足並みを揃えるのが、性に合っていないのだ。
それでも、シオンと戦える機会が目前に迫っていることに、彼女の興奮は最高潮に達している。
脳内で様々な妄想を膨らませたルナは、笑みを深めて言葉を紡いだ。
「ふふ……最高の時間にしましょう、シオン=ホワイト。 どちらが生き残るかしらね……うふふ……」
最後までルナは、笑みを絶やさなかった。
溶けるように姿を消した彼女は、魔蝕教たちの拠点を目指す。
あとには、深淵を思わせる闇が広がっていた。




