死んだら"おめでとう"を言ってくれ
目覚ましが鳴るたび「あぁ、生きていたくないな」と思う。
今日死ぬべきか明日死ぬべきか。
今日を選ぶ権利もないまま惰性で明日を選び続け、早十年が経った。
仕事が終わって友人と合流する。二人で適当に入った店だが、居酒屋の喧騒は聴くに耐えない重たい話を紛れ散らすのにピッタリだ。互いに一滴もアルコールを入れないまま、彼女は僕の話を総括する。
「つまり、お前が死にたいのって家庭環境のせいだったんだろ? んで根本は父親のせい。両親はとっくに離婚してて、しかも父親とはもう十年会ってない。母親と姉との関係は少なくとも表面上は良好」
「うん」
「だってのに、なんでまだ辛いまんまなんだ?」
心底理解できないという顔で友人は大根の煮付をつつく。その何気ない質問は僕にとっては新たな知見だった。
そうか。苦痛の原因から遠ざかれば、普通は忘れて和らぎゆくのか。やっぱりいつまでもうじうじ自分を責めてる僕はおかしいんだな。
僕も大皿の煮物を自分の小皿によそって、不機嫌顔の友を窺い見た。
この子も家庭環境がちょいアレで、僕の数少ない友人の中だと唯一、軽い愚痴なんかを言い合える仲だった。もちろん今まで深い部分までこぼすほどではなかったけれど。
我が友も同じことを考えていたらしい。ウーロン茶を半分ほど飲み干し胡乱な目つきで僕を睨む。
「つか何で急にそんな話をし出したんだ? 今までんなクソ重い身の上話なんてしなかったくせに。わたし達、大学で会ってから六、七年の付き合いだぞ。どうして今更」
「今更ではあるんですけど、まぁ、先週生まれて初めて心のお医者さんに行ってみたら、『もっと周りを頼りなさい』って言われまして。残念なことに頼れそうなのが君しか浮かばなかった」
「それは……まぁいいけど。ていうか鬱症状が出てから十年経ってようやく受診って、ほんと今更じゃん」
「その『今更』をこの先十年二十年と引き延ばしていくのも馬鹿らしいでしょうに」
「そっか。確かに」
薄く笑い合う。小皿を平らげて、そういえばまだ先の質問に答えていなかったことに気が付いた。
「それにこの十年を振り返ったら、途方もなく長かったように感じてしまって。これをもう一巡、二巡と繰り返すのは堪難く『無理だな』って。そんなわけで、精神状態を少しは改善してやらねばと思い立った次第です。手始めに自分を見つめ直してみました。どうして自分がこう成り果てたか、その原因と経過を辿ってたどり着いた答えが、辛いのはたぶん、生きてく価値が見いだせてないからだってことかと」
「その割には毎日楽しそうにしてるし、オタ活に精を出してるみたいだけど?」
「楽しいのは事実ですけど、あれはどっちかっていうとクリエイターへのお布施ですし。結局は死ぬまでの暇つぶしに過ぎません。君は片手間に命を費やせると?」
「いま楽しいじゃ駄目なわけ」
「私にとって生きてることはそれだけで苦痛ですから。苦痛で仕方ないクセに私はまるで人生何も苦労してないみたいに楽しげに振る舞えちゃうんです。気味が悪いでしょう? そんな気持ち悪い生き物が一番身近で愚かさを更新していく様を見せつけられながら生きてるわけだ。幸福なわけがない。こんな気持ち悪い人間はさっさ死んでくれって居もしない神様に三百六十五日朝昼晩と欠かさず願ってるくらいです」
わざとらしく肩をすくめてみせると、友人は半袖から出た僕の腕をじろじろ無遠慮に眺めてため息をつく。
「願うばかりで、未遂すらしたことないくせに」
「だって、もし死に損なったらって考えたらそれこそ死にたくなりません? リスカとかいかにも自分可哀そうアピールだと思われそうで嫌だし。そもそも私M属性じゃないんですよ。痛いのとか大嫌い。かといって飛び降りとかに万全で挑んだってもしも生き残っちゃうと周りから心配されるでしょう。その辺の運は私わりと良いんですもん」
母と姉は家族としてはクソだけど、悪人ではない。余計な心配をかけるのは本意ではないのだ。ていうかもし自殺に失敗して半身不随とかになっちゃったら恐ろしい。僕は周囲の優しさに生かされている自覚はあるが、生きていくのは独りがいいのだ。
「だから死ぬときはしっかり身辺整理をして、できるだけ他人様に迷惑をかけない形で確実に絶ちますよ」
「それを聞かされて、わたしはこの後お前をどういう顔で見送ればいいんだよ」
「大丈夫。母親の老後資金くらいは稼いでやらないとですから。死ぬとしても四十代の中盤になってからですよ」
「あと二十年程度しかないじゃん」
「うん。だから今のうちにお願いしとこうかな。──僕が死んだら、『おめでとう』って言って欲しいんです」
いま思いついたみたいに言ってみる。友人は何を感じ取ったか神妙な目つきになった。
「…………今日わたしを久々に呼び出した要件って、それ?」
「うん。あぁでも、忘れていいですよ。ほんと些細なお願いだから。誰かにそうお願いしたって私が覚えてればいいので」
軽くほほえみかけると、友人は箸を置いて頭痛を耐えるように頭を抱えた。
「わたしは友人の遺影に抹香を投げつけるタイプの人間だと思われてるのか?」
「そんな大うつけの武将みたいな見方はしたことないけど。ただ、君なら己が死に臨むこの気持ちを理解してくれるんじゃないかって」
「理解ねぇ。確かに希死念慮さんは常に一緒にいてくれるからもう親友と呼んで差し支えない間柄だけどさ。そろそろ恋人の友人を連れてきて美味しいパスタ作ってくれる頃合いな気もしてきてはいるけど」
「でしょう? 物心ついた時から一緒にいるから、居ないと逆に不安になるんだよね希死念慮。本当は今すぐにでもさっぱり死にたいし、生きてくことに喜びもないけど、これ以上、姉に負担をかけれないから、母親が死ぬまでは僕も死ねないんです。姉はもう結婚して子供もいるわけですし。だからせめてもう二十年は踏ん張らないとなぁって」
姉には僕のせいで余計な負担をかけたから。守るべき大切な家族がすでにいる姉に代わって、母親の老後資金は生涯独り身が確定している僕が稼がねばならない。僕が就職した時点で母の貯金ゼロだったの見てるんだなこれが。
「まぁ、そんくらいの頼みを聞いてやるくらいの義理はあるけどさ。なんでわたし? お前ってわたしのことあんま好きじゃないでしょ」
「そう見えたなら、そりゃ君の察しが良すぎるから私みたいなゴミクズが悪影響にならないよう気を使ってたからですよ。嫌ってなんかいない。なんなら身内が死んだら爆笑する自信があるけど、君が死んだらちょっと悲しいだろうなとすら思う」
「ちょっとか……。いやでも爆笑と比べればだいぶ惜しんでもらえてる感はあるな」
「君も私が死んでたって特に泣いたりしないでしょう」
「……二、三日は落ち込むよ」
「うん。それでいい。やっぱり君に頼んで正解だった」
自分の顔に薄く笑みが浮かぶ。友人が不満げに口を開こうとしたところで店員がラストオーダーを告げた。見るとテーブルの上の料理もほとんど無くなっている。
僕は食後にと処方されたロフなんとかいう薬と漢方薬を水で流しんだ。粉状の薬に慣れてなくてちょっと咽る。こんなものが何の役に立つのか。分からないまま精神の劇的な変化を期待し使用容量を守って医者の言う通りに呑み続けている。
割り勘で代金を支払って別れる寸前に、友人が僕を引き留めた。
「最後に一ついい?」
「なんです?」
「お前がゴールにしてる四十代になってもさ、そのとき母親がピンピンしててまだまだ生きそうだったら、どうすんの? 女の平均寿命ってもう八十代後半でしょ? もっと長生きする可能性だってあるわけだろ」
言われて僕は目を見開いた。やはりこの友人はいろいろと鋭い。いつも僕には思いもよらない気づきを与えてくれる。
「どうしましょうかね?」
「ははっ、教えるもんか」
素直に答えると、微かに憐憫の混じった蔑みが飛んでくる。彼女は僕を哀れんでくれている。
僕にはそれで十分だった。
幼少期。物心ついた頃から、うっすらと疎外感を覚えていた。もちろん当時の自分にそんな言語化ができてたわけじゃない。ただ当時の不安や空虚さにいま名前を付けるのなら『疎外感』がぴったりだと思うのだ。
両親と、年の離れた姉と、そして僕。家族仲はお世辞にも良くはなく、かろうじて父親を共通の敵とすることで母と姉とは良好な関係を保っていたと言える。
幼い僕はあの家の中で、ずっと気を使っていた。テレビや漫画で見る家族同士のじゃれ合いや戯れなんてものは間違っても許されない。
例えばヒーローごっこで倒れた怪獣役の姉の背を軽く踏んづけるフリをしただけで『どうしてお前なんかにそんな扱いを受けなくちゃいけないんだ』とブチ切れられたり、家族で食後にファミコンで遊んでいて鬱陶しく指示を出して来る父親に冗談の口調で『も〜うるさいなぁ』と呟いたら次の瞬間後頭部を掴まれ目の前のテーブルに顔面を叩きつけられたりする。
ちなみにその時のゲームは咄嗟にポーズボタンを押したのでマリオが死ぬことはなかった。鼻血も手で受け止めたらからこたつ布団に汚れも付かなかった。グッジョブ俺。
家庭内ヒエラルキーで僕は底辺以下の場所に位置していたのだろう。そんな僕からのある種の歩み寄りは彼らにとっては耐え難い侮辱であり屈辱だったのである。
そういった家庭だったゆえに身内にすら他人行儀で、幼いながらも他人の地雷を踏まないことばかりを念頭に置いていた気がする。
その感覚が間違いではなかったと確信したのは六歳の時。僕の父親と大喧嘩した姉が、僕に言い放った言葉からだった。
『こんな奴、生まれてこなければよかったのに』と。
どんな話の流れだったか、その後に続く言葉がなんだったか。覚えていない。けれど泣きながら、憎々しげに僕へ不満をぶつけるあの表情は本物だった。
その呪詛をぶつけられた僕はと言えば、『だろうな』と心中で納得を得ていた。姉は僕と遊んでくれたり話し相手になってくれたりはするが、やはり距離があったから。子供ならではの察しの良さで嫌われているだろうなと薄々感づいていた。
この家の中で自分は必要とされていない。そういった認識が積み上がり、広大な汚泥沼と化すのも無理はないだろう。
なんたって母親は友人知人に対してことあるごとに『下の娘が高校を卒業したら離婚するの』と愚痴っていたのだから。その『下の娘』が目の前にいるにも拘わらずだ。成長したいま思い返すとだいぶグロテスクである。俺は一回くらいはキレていい。
しかし当時の僕はそういった扱いを受け入れてしまっていた。
繰り返すが、姉と母は悪人ではない。父親ですら、機嫌さえ取れていれば、仕事が長続きせず無駄にプライドが高いだけの男だった。
だからだろう。憎しみのやり場が無かったのだ。彼らがもっとクズなら心の底から憎めた。可哀そうにと自分を慰めることもできただろう。けれどできなかった。『生まれてこなければ』──自分さえいなければという自責ばかりが強かったので。
あれは世間で言う『家族』ではない。たったそれだけの小さな不幸に酔えるほど、僕は子供でいられなかったのだ。
だからなんとなく、なんとなく父親を殺してやろうと心に決めたのは、何も限界まで追い詰められたせいじゃなかった。人生に希望なんてなかったから。せめて苦しみの最大の原因を取り除きたかっただけだった。
小学校一年生から抱き続け、計画を練り、準備を整え、そうして実行に移すだけとなった中学一年生の冬。ある意味で生きる糧であった父親殺害はあっけなく未遂に終わる。
両親が離婚したのである。
まさか苦しみの源泉がこんなにもあっさりと赤の他人になろうとは。
驚いたが、喜びのほうが大きかった。苗字の変わった名札を満面の笑みで学校に着けて行って、同級生にどん引かれたくらいだ。その時はつい、離婚がほとんどの家庭の場合不幸に分類されることが頭からすっぽ抜けていたのだ。
だが有頂天は長くは続かなかった。
母親に貯金がなかったせいで数年父親の実家に居候を強いられ、三年後にようやく女家族三人で市営団地へ引っ越した頃。
高校一年生になっていた僕は、テーブルに置きっぱなしだった自分の戸籍をたまたま見つけた。どんなもんかと目を通す。その中、【送付を受けた日】という欄に「5月12日」とあった。詳しくはないが、出生届に関係する日付だろう。ちなみに僕の出生日は「4月19日」で間違いない。
提出があまりに遅くないか? 不思議に思った僕は同じ部屋でくつろいでいた姉に訊いてみた。
「ねえ、なんか出生届? 私が産まれてからだいぶ経ってからやっと出されてるんだけど。もしかして生まれたことすら忘れられてたの?」
すると姉は八歳当時のことを思い出してなんでもないかのように告げる。
「あぁ、入籍して苗字変わったりとかでばたばたしてて遅れたのよ」
淡々と、携帯から顔も上げず告げられた事実は、僕の価値観を破壊し尽くすのに十分だった。
理解してしまった。
両親は僕が産まれてから結婚したのだ。
両親は僕が産まれたから結婚したのだ。
僕が生まれてしまったから。すぐ死ななかったから。育てなくちゃいけなくなったから。
両親はガキが無事に産まれてしまったせいで世間一般の常識にのっとり仕方なく結婚したのだ。
一縷の希望にすがって両親の入籍日を見てみると「5月1日」となっていた。翌月やんけ。救いが無い。
例えば僕が流産だったら両親は結婚なんかしなかったろうし、戸籍上の繋がりがなければ母と姉はさっさと父親から逃げていただろう。
だって言っていた。『下の娘が高校を卒業したら離婚するの』と。何度も何度も繰り返し。ならば最初から僕が居なければとっくに逃げおおせて、今よりちょっとはマシな生活を送っていたんだろう?
少なくとも姉のバイト代が全額生活費や僕の給食費に充てられることはなかったに違いない。
幼い頃に姉からぶつけられた『こんな奴、生まれてこなければよかったのに』という言葉の本当の意味を、十六歳になって僕はようやく理解したのだった。
まさか現実で人生の伏線を回収することになるとはね。
ゲームならファンファーレでも鳴りそうな記念すべき瞬間だというのに、現実世界は無情らしく、無音で平坦な視界がモノクロに沈むばかりだった。
あれ以来、重度の人間不信と過眠症と鬱傾向を発症した僕だったが、人前だとそんな素振りは一切見せなかった。元から家族の機嫌を取って本心を隠し道化さながらに振る舞えていたのだ。ちょっと生きる気力が崩れ去ったからって演技が急に出来なくなるわけじゃない。
なんなら大学生の時に一度だけ「精神科に行きたい」と母に洩らしたら、「そんな必要あるの?」と本気で分かってない顔で返されたくらいだ。僕の演技ってば身内も完全に欺けてるみたい。
いやむしろ演じた自分しか見せたことがないのだから、家族にとっての僕とは「僕という役」のことを言うのかもしれない。だからあの人たちは、僕がこれほど苦しんで惨めな思いをして泣きたいのを我慢しているなんてこれっぽっちも思っておらず、いつも能天気にふざけた調子の人間だと本気で信じているのかもしれなかった。
それは良いことなのだろうか。僕はこのままでいいのだろうか。こんな、自分自身ですらもう演じていない本当の自分とやらを思い出せないような、気持ち悪い不出来な人間のままでいいのだろうか。
とはいえ急に泣き叫んで暴れ出すというのも、俺のプライドが許さないけど。
思えば僕って見栄と意地とやせ我慢だけで生きてきたんだな。愛と勇気だけを友達にして戦う菓子パンと仲良くなれそうな気がしなくもない。
「んじゃ見栄と意地とやせ我慢を辞めたらどうなんの?」
今日も居酒屋に付き合ってくれている友がジンジャーエールの肴に聞いてくる。僕はメロンソーダを置いてくしゃりと顔を歪めてみせた。
「たぶん所かまわず号泣ですかね」
「そんなん想像つかないけど」
「んー。そうですねぇ。……例えば家にゴキブリが出るでしょう? 私は無表情でスリッパを手に取って振り下ろし、潰れたそれを数枚重ねたティッシュペーパーで包んでゴミ箱に捨てるわけです」
「お、おう?」
「でも本当はゴキブリなんかマジ生理的に受け付けないし近づきたくないし叩き潰すとか内臓がぶちゅって出てきそうでキモイからガチでやりたくない。本音を言えば見なかったフリをして誰かに代わりにやってくれって助けを求めたい。でもそんなこと言ってられないから心にガードを張って平気なフリして殺す。自分がそういうのやれる人間だって自分を騙すわけです」
そこまで早口に言い切って、僕は終始困惑顔の友に向かって一言でまとめた。
「私は同じことを世間に対して常にやっている」
「わたしらはゴキブリと同カテゴリなんか」
「害虫呼ばわりしたいわけじゃありません。弱い所を覚られないように壁を作ってるってことです。むしろ逃げ回って隠れるしかない害虫は私のほう」
「その壁はわたしにも?」
「友人に対しては、職場の人に対してよりかはマシですかね。学校だと取り繕うこと少なかったですから。でもこういうのって誰しも少なからずやってることでしょう。他所からの電話を取るときだけ声が変わるとか」
「そんなレベルの話に聴こえないから困ってんだけど」
「同じですよ。根っこがどこまで深いかってだけ」
僕の場合は自我が形成される幼少期よりもっと前から自分を騙しすぎていて、どれが演技の自分か区別できなくなってしまっているだけだ。演技と本音の垣根が見つからなくて全部が嘘に思えてくる。私の言葉も思考も、何もかもが誰かからの借り物のようで薄っぺらい。
自分の好悪すら誤魔化せちゃうとか、あぁ、やっぱりキモイなこいつ。たぶん生きてちゃ駄目な部類のクズだな。明日あたりに居眠り運転の爆走車に轢かれて死なないかな。
母の老後資金貯金のために積極的に死ぬことはできないけど、避けられない死に方ならウェルカムなんだよな。むしろ圧倒的な理不尽を望んでしまっている。
これなら死んでも仕方ないなって、そんな言い訳を待っているのだ。
僕の対人運や職場運はわりと良いようなので、いまだにその言い訳が見つかってないわけだけど。だからこそ母親が死んでくれるのをじっと待ってるのだろう。
「その言い訳、見つけたらわたしにも教えろよ」
なんて、友人は不機嫌に命令してくる。そう言っとけば僕が断れないのを知っているからだ。
その日も最後まで、友人は僕の愚痴とも言えない自分語りをいくらか聞き流しながらも、最後まで付き合ってくれた。
本当に僕なんかにはもったいない友人だ。得難い交友だったのだろう。
とはいえ一番重たい愚痴については、やはりさらけ出すことができなかった。
僕は他人を愛せない。自分のことも愛せない。そもそも愛情がよく分からない。接触時間の長短によって生じる『情』はまぁ分かるが、愛だの恋だのは二十六年生きてなお欠片も理解できていない。
友人がここまで僕に付き合ってくれるのも、もしかしたら腐れ縁と同情を越えた、親愛と呼ぶべき感情があるからなのかも。
けれど僕はそれを受け取れない。たとえ受け入れたとしても、友人として彼女にしてやれる以上のことを、その立場に居てしてやれるとは思えない。
彼女を友人として大切にしようと思う気持ちは本物だ。けれどそれも演技の一部のような気がしてくる。大事なときに無関心が発動して他人のこと全部どうでもよくなってしまうんじゃないかって、自分を信じられないからそんな怯えが消えてくれない。
だから想像しないことにする。僕なんかが愛されるなんて幻想を、僕が誰かを愛せるなんて言う希望的観測を、頭から追いやって考えないことにする。
最初から諦めてしまっていれば、その感情と希望は僕の人生に存在しないのと一緒だから。
あぁ、せめて男みたいに性欲が強ければ肉欲を愛情と錯覚できたかもしれないのにな。
他人を頼りなさいと、医者の言葉に従ってみても。
説明書の通りに薬を服用してみても。
僕の腐った考え方は変わらない。変わってくれないまま月日は過ぎて、このままあっという間に二十年が経ちそうだ。
思えば昔からそうだった気がする。
幼い頃に大切だと感じたもの。喉から手が出るくらい欲しかったもの。そういうのを棚上げにして、くだらないと嘘をついて、望まぬフリをして進んできた。
いつか取り出そう。その時は大事にしてあげよう。そう思って、仕舞っておいたはずだった。けどこうして遠くまで来てしまって、ふと気づくとアレをどこに置いて来たのか、何を仕舞ったのかすら忘れていることに気づく。
大切なものを置いてきたという実感があり、手の中にそれがない喪失感がつきまとう。でも過去は遠すぎて忘却の彼方へと消え、探しに戻ることもできない。
モヤモヤしたまま、また明日を生きる。置いてきたものが気になって、新しい大切なものを手に取ることすらできなくなっている。
最近は、そもそも自分に大切と思える何かが本当にあったのかすら、疑い始めている。
きっと僕は、置いてきた綺麗なモノの代わりに、呪いばかりを溜め込んできてしまったんだろう。
吐き出せない不満が自分の中に堆積していって、溶けてこびりついて、いつの間にか自分の一部になっていくのだ。
醜く異臭のする汚物。それが自分に取り込まれて二度と切り離せなくなってしまった。どんな洗剤を使っても、どんなに擦っても手遅れで。落ちない。取れない。切り離せない。自分の一部になっている。
そうするともう、僕自身が汚物に思えてくる。
そんな自分を好きになれるはずがない。
どうしてだろう。ただ誰も傷つけたくなくて我慢していただけで、どこにも弱音を吐かずにいただけで、僕はこんな生き物に成り下がりたかったわけじゃないのに。
僕の人生は不幸ではなかった。不満はそれなりに我慢してきたが不便はしなかった。
家族のことは反吐が出るほど嫌いだが、胃に穴が開くやら、円形脱毛症になるやら、警察沙汰に発展するやら、病院のお世話やらは皆無であった。
だから、こんな僕を不幸とは呼べないはずなんだ。
僕はどこにでもいる人間で。
僕より不幸な目にあってる人はたくさんいて。
僕の苦しみは所詮耐えられる程度でしかなくて。
同じ苦しみを背負っていても、いっとう上等な人物はいる。
「けど……けどさ。僕より苦しんでるっていう奴らはさ、いま僕が抱えてる苦しみを代わりに背負ってはくれないんだよ」
なんて、誰も居ない道端にだけ吐き捨てるくらいはしてしまう弱い人間。いくら前向きに考えようとしても、結局はこんな呪詛しか湧いてこない。
だから僕がこんなにも不出来な僕なのは、たぶん僕自身のせいなのだ。
外的要因が問題じゃないから永遠に解決しない。だって生まれただけで恨まれたことすら、解決策はなかったんだから。きっと僕の問題は生きてる限り何一つ解決しないに違いない。
よって、僕は僕の死を誰よりも願っている自信がある。もうどうしようもないから、手遅れだから、こんな自分自身から解放される日を待ちに待っている。それがみんなの──世間のためなんだって子供みたいに信じてる。
本当は分かっている。自殺なんて褒められた所業じゃない。小説もドラマも映画もマンガもアニメも、どんなコンテンツだってそれを悲劇として描く。間違いだと糾弾する。きっとそれが正しくて、この上ない正解で、この世の普遍的な真理に違いない。
けど僕にとって、自分の死にかたをあれやこれやと考えている間は、いつにも増して前向きでいられる時間に違いなかった。誰に後ろ指を指されてもこれだけは変えられない事実。
だからせめて。
せめて、いつか願ったとおりに死を迎える僕のくそったれな人生を、どうか『おめでとう』と祝福で締めくくってください。そうやって慰めてやってください。
僕の中にこんなに渦巻いてる汚い想い出を。醜悪な感情を。積みあがる呪いを。何一つ誰にも背負わせないまま終える些細な偉業を誰か一人でもいいから肯定して欲しい。そうでないと、自分を呪った全てがやるせない後悔で終わってしまいそうだから。
「そのためには……遺影だ」
とびきりの笑顔のやつを一枚。用意しておこう。
飾られてるのがいつもの辛気臭い顔じゃ、約束を忘れたあの友人が思わず『おめでとう』を零してくれるとは思えない。
まだ気が早いと言われるかもしれないけど思い立ったが吉日だ。じゃないとすぐ行動する気力が掻き消えるからな俺。
大きめのブルーシートも、切れ味の鋭いペティナイフも、眠くなる作用のお薬だって、そうやって一個ずつ丁寧に揃えてきたのだから。
こうやって僕は今日を生きていく。
死にたいまま明日も生きてく。
望まれずに生まれたから、死ぬまで生きて、死ぬまでは生きて、そうやって誰の心にも残らず最初から居なかったみたいに、
どうか最期は一笑に付して忘れてやってください。
了