ナイト・グローリー ~ キャバ嬢とデートした思い出~
もう10年以上たつだろうか、社会人3年目の夏の話だ。
真面目で控えめな性格、見た目の表情も硬く、声を出して笑うことが少ない。そんな僕が意外にもキャバクラ好き。そんな噂が職場の同僚の間に流れていた。
それは誤解だ。実際、キャバクラなんて騒がしい場所は好きではない。むしろ苦手だ。地方に住んでいるためか、出会いが少なく、彼女ができない寂しさがあったにしても、接客慣れしているキャバクラ嬢に本気でのめり込み、大金を貢なんて愚行は冒すタイプではない。
そんな僕でも、ある女の子を指名して1回だけ通ったことがある。キャバクラと言ったら、飲み会の2次会に複数人で入店するのが当時のパターンだったので、僕のように一人忍んでキャバクラに通うという行為が同僚には珍しかったらしい。それで不本意な噂が広まったのだろう。僕はある意味、いじられキャラでもあったのでネタにされていた。
そして、これは同僚にも話していないのだが、僕はそのとき指名していた女の子と一度だけプライベートで会っている。デートは一回きりで終わった。あまりいい思い出とはならなかった。ずっと心にしまっておいた話だが、来月には転勤でこの街を去ろうというこのタイミングで、気持ちを整理する意味でも、文章として残すことを思い立った次第だ。
*
今の会社に入社して3年目の初夏、梅雨が明けて間もなくの頃だった。僕は25歳の誕生日を迎えようとしていた。今となってはすっかり疎遠になったが、その頃は仲のいい会社の同期と集まって飲みに行くことが多かった。居酒屋で飲んだ後、物足りない時は、別の居酒屋で飲んだり、ガールズバーやキャバクラに行ったりといろいろだったが、その日は駅近にある「ナイト・グローリー」というキャバクラに入った。初めて入る店だった。先日、そのビルの前を通った時は、別の店に変わっていた。
そのときの僕の横に座ったキャバ嬢はルミと名乗った。背筋を伸ばし、足を組んで座る小柄な女性。ブルーのドレスに、巻き巻きのロングヘア―。闇夜に咲く異国の花を思わせた。
一方で、小さな口元に大きな目。路地裏に突然現れた猫のように、その目はほとんど瞬きをせず、僕の顔を見つめていた。抱擁感のある大人の魅力と清楚な一面を合わせ持つ、それが彼女に抱いた最初の印象だった。
彼女は会話をリードした。当たり障りのない世間話をした後、彼女は言った。
「ねぇ、クイズしよう。」
彼女はメモ用紙に絵を書き、何の絵かを僕が当てた。それが数回続いた。その絵をネタにしながら、会話が続いた。同僚たちは別のキャバ嬢を囲んで盛り上がっていたが、僕はその子とずっと話していた。
そして、帰り際、彼女は僕にメモを渡した。
「これ私の連絡先。また来てね。」
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僕はなぜか彼女が気になってしまった。それで2週間ぐらいたって、出張帰りに最寄駅から自宅に向かう途中に立ち寄ることを思い立った。とはいってもキャバクラに一人で入るのは初めてだったので、連絡するにも、勇気を振り絞らなければならなかった。携帯電話に彼女に教えてもらった電話番号を打ち込んだものの、ボタンを押す寸前で指を止めて、やっぱりもう少し時間をおこう、とか、今日は疲れているから、とか、言い訳を始める自分がいたが、そうやって1時間近くも悩んだのち、ボタンを押した。
電話がつながって彼女の声がした。
「もしもし。」
「あの、坂口です。」
「えっと、誰だっけ?ナイト・グローリーのお客さんかな。」
「クイズのときの。」
「あー、あの時のね。今日出勤しているから、大丈夫だよ。待っているね。」
僕は店に入り、彼女を指名した。この前会ったときに額を隠していた前髪をかき上げていたため、少しばかり大人の女性に見えた。今回は、僕もある程度、話のネタを用意していたので、特にクイズもせずに、会話を続けることができた。
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それから1カ月もたって、僕は再び彼女に電話した。
「あのね、私、店、辞めちゃったんだ。土曜日に用事があってA市に行くから、会ってあげてもいいよ。」
僕が住んでいるA市から電車で1時間ほど離れたB市に彼女は住んでいた。B市の化粧品会社に勤務しているという。次の土曜日、A市の駅近くのホテルで17時から仕事関係のパーティがあるので、それまでだったら、一緒に過ごせるという。
そんなわけで彼女とデートすることになった。キャバ嬢とプライベートで会うのがこんなに簡単なのか、と僕は驚いた。
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次の土曜日、午前10時にコンビニで待ち合わせした。車がないと移動できない地方だったので、僕が当時所有していた軽自動車で迎えに行った。
「ハアーイ!」
横断歩道の向こう側で彼女が手を振っている。キャバクラの薄暗い光の中で見るのとは印象が違っていた。思いのほか色白で、華奢だった。肩幅が顔の幅と変わらないぐらい狭かった。店内で感じた清楚な印象と打って変わって、昼間の街の中で見る彼女は派手な女性に見えた。相対的にそう見えてしまうのだろう。
黒いドレスにネックレス、耳には大きなピアス、束ねた巻き髪に金色が混じっていた。彼女は店の中で話した時のように、よくしゃべった。
「お昼はファミレスでも全然いいよ・・・あそこのサイゼリヤにしようよ・・・え、知り合いに見られるかもしれないって・・・別にいいじゃん・・・」
僕たちはサイゼリヤでパスタを食べた。夏の終わりのためか、平日の仕事の疲れなのか、僕も彼女も食欲がそれほどないようだった。彼女は最後まで食べきれなかった。
瞬きをしない大きな目で上目づかいに僕を見つめ、僕の名前を呼んだ。次の言葉まで間があった。彼女の癖なのだろう。
「ねぇ、ショッピングモール行かない?」
彼女は運転に自信があるようだった。仕事でよく車を使うので、どんな車でも運転できると言っていた。それで、彼女が僕の車を運転してショッピングモールへ向かった。
ショッピングモールでは、おしゃれな雑貨屋さんを見て回った。
「ねぇ、プリクラとらない。」
彼女と並んでプリクラを取った。
その後、また店をぶらぶらしているうちに、彼女が参加する予定のパーティの時間が近づいてきたので、待ち合わせに使ったコンビニの駐車場まで彼女を送った。初めてのデートは無難に終わるはずだった。
*
車を駐車場の端に止めて、彼女を下ろそうとする時だった。彼女が険しい表情でバッグの中に手を入れていた。
「あれ、なんで、財布がない。」
バックの中を探る手つきが速くなった。例の大きな目に涙を溜めてこちらを見つめ、震える声で言った。
「やっぱりないよぉ。きっとプリクラとったときに置き忘れたんだよ。近くにギャルっぽい女子高生がいたでしょう。絶対、取られたよぉ。もう戻ってこないよ。あー、どうしよう、どうしよう、パーティに行けないよぉ。5万円払わないといけないのに・・・」
彼女は助手席のダッシュボードの上で頭をかかえた。
直接は言われていない。しかし、この流れだと、そのパーティ代を僕が払うことになるのでは。5万円もかかるって、どんなパーティなんだ。この時、僕の中に疑念が生じたことは確かだ。僕は言った。
「警察に届けたらどう。その前にショッピングモールに電話してみるよ。」
携帯電話を取り出した僕を彼女が制した。
「もうしたよぉ。それに女子高生にとられたから戻ってこないよぉ。」
いつ電話する暇があったというのだろう。僕は彼女が嘘をついていないという確証を得たかったので、提案した。
「じゃあ、会場まで行って、僕が払ってあげるよ。」
「ダメだよぉ。正装が必要なパーティなの。あなたの服装じゃ入れない。」
「入り口までなら、大丈夫だろう。行こうよ。」
「だから、ダメなんだって!そんな服装じゃさ!」
コンビニで現金を下ろして、彼女に渡すことはできる。しかし、僕は躊躇していた。お金を貸してほしい、と彼女は直接言ってこない。あくまで僕が自主的に動くのを待っているかのようだった。
*
僕が躊躇しているのを見かねたのか、友達に相談してみる、と言って彼女はメールを打ち始めた。メールでのやりとりが終わったのか、彼女は顔を上げて言った。
「ねぇ、あなた、私のこと疑ってるでしょう。今、友達に言われて気付いた。疑ってるよね?」
僕はうなずいた後、言った。
「状況からして、そうなるよね。」
僕は、正直の答えてしまった。
「なんでこうなるのよぉ!ねぇ、なんでぇ!」
彼女は顔を覆って、泣き始めた。
「もう無理――! せっかく、優しい人に出会えたと思ったのに! あーーもう、いやー!あ、吐きそう!うぇ!」
彼女は助手席のドアを開けて、苦しそうにむせ返っていた。本当に嘔吐すると思えるほどだった。
少し落ち着いたのか、彼女はドアを閉めて、シートに座り直し、フロントガラスを黙って睨みつけていた。そうこうしているうちにパーティの開始時刻の17時を過ぎてしまった。
「もう、あきらめるよ。でも、お金がないから、私、お家にも帰れないよ。」
彼女は険しい表情で宙を見つめたままだった。僕と目を合わせなかった。
「B市までの電車賃は出すよ。」
「あのねぇ、私の家、僻地にあるから、駅からタクシーで1時間ぐらいかかるの。」
結局、僕は財布の中から一万円を取り出し、彼女に渡した。彼女はお礼も言わずにそれを受け取った。
「私たち、もうおしまいね。」
去り際に彼女はそう言って、ショッピングモールで一緒に撮ったプリクラを破り捨てた。彼女が帰った後、僕は謝罪のメールを入れた。
*
翌日、彼女から返信があった。
「私たちさ、やっぱりもう一回会う必要があると思うの。」
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次の土曜日、A市の同じコンビニで彼女と会った。彼女も別の用事があったので、車の中で会話するだけにした。
「お母さんとおそろいの財布なくしちゃって、すごいショックだったの。新しい財布買いたいよぉ。」
彼女は続けた。
「あの後ね、あなたのことを弟に話したんだ。そしたらね、『その人、私のこと好きじゃないんじゃないか』ってさ。『俺だったら好きな人のこと疑ったりしない、信じてあげる』って。やっぱりそうなんでしょう?」
結局、財布代として、僕は1万円を彼女に渡した。
僕も疲れていたのだろう。彼女への気持ちも離れていた。それ以来、彼女に連絡することはなかったし、彼女からの連絡もなかった。
もしかしたら、あの日のデートで昼の光に照らされた彼女の姿を初めてみたときに、半分以上は幻滅していたのかもしれない。だから僕はデート中もそれほど乗り気になれなかった。
夜だからこそ輝いて見えた彼女。
ナイト・グローリー。
夜顔。
昼には咲けない花。
その意味を今になって突き付けられた。
僕は踏み込むべきではなかったのだ。
*
1か月後に軽自動車の後部座席の下に落ちていた彼女の財布を発見する。
なんてね。仮にそうなっていれば、彼女に財布を届け、疑ったことを謝罪し、抱きしめていただろう。そんな妄想をしながら、車の中を隈なく探してはみた。もちろん、財布は発見されなかったし、そんな劇的な展開に至ることもなかった。
だから、真相はわからないまま。この先も僕はこの何とも言えない彼女とのミステリアスな思い出を抱えたまま生きていくことになるのだろう。