第一話「正義の味方」
次の日の朝、登校した浅井が鞄から教科書やノートを取り出し机の中に入れていると視界の片隅に斎木が入った。
空になった鞄を肩に提げ立ち上がり、椅子に座っている一人ぼっちの斎木を見る。未だにクラスに溶け込めず仲の良い友達を作れない斎木に憐れみのような感情を抱き後ろのロッカーに向かった。
他人の目が一切気にならなければクラスで孤立している斎木にも声をかけられるのだろう。だが、浅井は他人の目がとても怖かった。変だと思われなくなかった。だから、斎木に声をかけることが出来なかった。
一人ぼっちの寂しさ、クラスメイトから影口を言われる辛さ、笑いのネタにされた時の悲しさを小学校の時に浅井は全部、経験した。いじめと言う名の地獄を通して。
「お~すっ。今月の学校新聞、見たぜぇ。俺の記事がバッチリだな!」
鞄をロッカーに入れる為に屈んでいた浅井は頭をばっこんばっこん叩かれ、その頭上に陽気な声が降って来た。
首を回し後ろを見上げると無駄に図体のでかく、一見して体育会系と言える男子生徒が鞄を片手に立っていた。
まったく手加減と言う言葉を知らないのか。集中的に叩かれた箇所の痛みに内心、抗議しながら浅井は立ち上がる。
「個人戦で唯一、県大会に出場した柔道部のエース様だからね、扱いも格別さ」
柔道部のエースこと佐川は三段あるロッカーの一番上に鞄を力任せに詰め込み、上機嫌で答える。
「前々から、中体連の記事は俺だって決めてたんだろ? いや~、俺も記事に見合うようにって思ったわけよ」
新聞部の歴史は一年と日は浅いが、学校の各行事で目立った生徒のインタビュー記事や部活動、紹介。生徒会の言葉や先生方の裏話と言った多彩なコーナーと本物さながらの記事で既に一部の生徒には人気があり、多大な支持を受けていた。
人気が出れば出る程、真面目に記事を書かなければと思ってしまい、浅井は日頃からネタ探しには余念がない。最近は一回の発行で取り上げるネタが多くなって来たのでいっそのこと新入部員でも入って来て欲しいと思える。
「正確には野球部やサッカー部など、メジャーな部活動がこけてしまったが為に白羽の矢が立ったに過ぎない事実を佐川翔太は知らないのであった。まる」
「声に出してんじゃねぇか! 悪かったねぇマイナーな部でさ!!」
「マイナーな部とは言ってないさ」
マイナーとは言っていない。少なくとも柔道は日本でも屈指の知名度を誇っている。日本全国、ほとんどの中学校と高等学校には柔道部が存在していることからも知名度の高さは頷けるだろう。
尤も学校社会において花形と言える部活動は陸上部やサッカー部、野球部にバスケ部などで柔道部は知名度はあるものの人気はあまりない。浅井達が通っている中学の柔道にはイケメンがいないことも人気停滞の一つの理由かもしれない。
その事実を出来るだけ簡潔に教えると、佐川は肩を落とす。
「いいよなぁ、バスケ部の丸山とか野球部の菊池なんか彼女いるしモテモテだもんなぁ。それに比べて俺達は……」
「まぁ、そう肩を落とすなよ。柔道部には紅一点の小橋さんがいるじゃないか」
紅一点と言えば聞こえはいいが、その身長は浅井よりも遙かに高く、その体重は中学女子はおろか男子の平均を大きく上回り、挙句の果てには男子生徒をパンチ一撃でKOした過去を持つ女子生徒である。はっきり言って恐ろしい。
「あんなん女じゃねぇよ、ありゃ男だ……あれ、そういやなんでお前、俺と同じく県大会に出場した小橋のインタビュー取ってねぇんだ?」
「いや、一応取材はしたんだけどさ、『捏造報道反対! マスメディアのあるべき姿を~』って言われて追い返されたんだよね」
「どういうこった?」
「やや! なんとぉ~斎木君がぁ~!」
さぁ? と浅井が首を捻るが早いか遅いか、教室の前の方で誰かが大声を出した。
それまでそれぞれの喋り声や笑い声で騒がしかった教室中がシンと静まり返り大声を出したクラスメイトに視線を集中させる。
いつも授業中に騒ぐ五人グループが斎木の机を取り囲み、何かを取り上げていた。
「告白の手紙を作成しておりましたぁぁぁ~!!」
「おぉぉ――――」
リーダー格の生徒が購買部で購入できる便箋を持った手を頭の上まで上げてひらひら動かしていた。取り巻きの四人は盛り上げる為に大声を出したり、拍手をしたり手笛で囃し立てたりしていた。
「もうさぁ、これマジで気になるっしょ? どう? 気にならない?」
少しの間の後、
「なるなる、マジでなる!」
「早く公表しろよ!」
「言え、言っちまえ!!」
クラス全体で斎木を笑い者にしようと決まった瞬間だった。
水は低い方に流れる。そして、人は立場が強い方、高い方に流れる。
斎木を擁護しようと言う者は誰もいない。いや、誰もが内心では可哀想に思っているのかもしれない。だが、自分が爪弾き者にされないように、斎木の立場まで落ちないようにと斎木を笑い者にするしか選択肢がないのだ。
「さぁて、では~皆さんお待ちかね~、告白のお相手は~」
焦らす様に一言一言の語尾を伸ばし、周囲からは早く言えなどの野次が飛ぶ。
これはもう誰の目から見てもいじめだった。
二人に取り押さえられている斎木の姿がいじめられていた頃の自分と重なった。だが、いじめを止めようと足を前に踏み出す勇気がない。
ここでいじめを止めてどうする? 次には自分が対象になるだけだ。意味がないし、危険でもある。またあの地獄に戻りたいのか。
そんな自己保身な考えしか浮かばない。結局は浅井も大多数のクラスメイトと同じ穴のムジナということだ。
こんな事は止めさせたいと思う自分。いじめの対象が自分でなくてほっとしている自分。そして、何も行動できない弱虫の自分に浅井は嫌悪感を覚えた。
その時、斎木の表情が見えた。まるで今にも泣き出しそうで誰かに必死に助けを求めているかのような表情だった。
どうしてこんな事をするのか。どうして誰も助けてくれないのか。人を笑い者にして楽しいのか。いじめられていた頃、ずっとそう思っていた。そして、見て見ぬ振りをする他人を恨んだ。最低だとも罵った。
浅井は過去の自分が最低だと思っていた大多数の人と同じ事をしていると気付いてしまった。
決めた。いじめを止めようと浅井は決意した。しかし、
「やめとけ」
一歩前に踏み出した浅井の右手を佐川が大きな手で掴む。
「でも……!」
「お前が言っても素直に従う連中じゃねぇよ。それに、さっき窓から正義の味方が見えたからな。もうすぐここに来る。人任せって思うかも知れねぇけど、正義の味方に任せるのが一番良いんだよ」
「……正義の味方?」
一体、何の事か分からなかった。
そんな特撮ヒーローみたいな存在がこの学校にはいるのか。今まで一年間通って来て見た事も無ければ聞いた事も浅井にはなかった。
「斎木君が好きで好きでしこってる相手は~おか――――」
リーダー格の生徒が言葉を途中で切ったのは良心の呵責によるものではない。盛り上げる為の演出でもない。声を上げるという当たり前の行動が不可能になっただけだ。
ほんの一瞬でリーダー格の生徒は宙を舞っていた。
テレビなら決定的瞬間をスローモーションリプレイするのだろうが、テレビではない。あの一瞬は二度と見れないし、見逃した者は何が起こったのか理解できないだろう。
入り口から斎木の席までの短い距離で見事にスピードに乗り飛び蹴りをかました女子生徒は無様に倒れるリーダー格の男から便箋を取り上げ、取り巻き四人に一瞥をくれると一言、大声で怒鳴る。
「あんたらも男ならこんな陰険なことしてんじゃないわよ!」
正義の味方のご登場だった。