はんかくさい男爵と出戻りメイドさん
退屈しのぎに昼日中から漁港の端で独り釣糸を垂れていると、背後から、挨拶のように「釣れますか?」と質問された。
この漁村に住む皆さんに貢献できることは極々少ない平民出だけど、男爵だって爵位は爵位。爵位持ちたるもの領地の宣伝もお仕事のひとつ。素敵な旅の想い出は外貨の獲得につながるし、もし気に入って定住してくれたら税収も見込める。
そんな思いで始めたサクラの釣り客。
魚は釣れない日が多い、それで良い。
ここに、退屈そうな人が座っている。
それで、観光案内所になるんだから。
さぁて、仕事するか!
「すぐそこの岬に、古いお城が建ってるでしょ? 少し前に居酒屋の息子が領主になったら、ちょっとお洒落に改装して、大衆酒場にしちゃって。酒や肴を振る舞ってるんだよ」
「へぇ」
「なんでも、人魚姫に命を救われた縁で、領主になったらしいけど。毎日のように港を出入りする漁師さんだって見たこと無いって言うんだから。さすがにこれは、眉唾だろうね」
小首を傾げた。
「人魚……姫?」
「人魚のお姫様」
「偉い人魚の娘」
「続柄じゃなく、イメージね」
反応が鈍い。
「本人は平民出で、お相手だって何十年も目撃情報の無かった絶滅危惧種だから、お姫様もなにもないよ。一緒に住んでたらしいけど、証拠も無いし。逃がした魚は大きいって言うだろ」
それにしても、あの日逃がした魚は、大きかった。
150cmくらいあったと思う。
しばしの沈黙。
ピクピクとアタリがあった。
竿を引いたが、抵抗は無い。
背後から「逃げられた」と呟く冷めた声。
「ははっ、違う違う。キャッチ&リリース」
「わざと逃がした?」
「漁業資源だからね」
スーッと竿を立てると、エサは綺麗に消えていた。
釣針は貴重品、糸からプツリと切って油紙に包む。
腰の革袋に入れて縛り、本日は、竿仕舞。
その様子を見て取って、釣果が気になったらしい。
魚籠の中を覗き込んで、「からっぽ」と苦笑した。
「でも、お目当ては釣れたから、今日は爆釣だな」
「お目当て?」
「エリスさん」
「なんそれ……はんかくせ」
あの後。
低体温で意識を失うと、氷の橋はジワリと溶けて消失。
異変を感じた漁師の方が浜辺に引き上げてみたものの――
俺は、とっくに手遅れだったらしい。
葬儀の只中に現れたエリスさんは、両足こそあったもののズブ濡れで、ほとんど人魚の姿をしていて、絶句している皆を押し退け、無言で遺体を持ち去った……とだけ聞いている。
そんなわけで、今度も死に損なった。
しかし、この姿はどうだ。
無愛想な顔つきは相変わらずとしても、随分やつれた。
すっかり瘦せ衰えた手足は、ごつごつと骨張っている。
それでも。
「やっぱり似合うよ、そのメイド服」
迷惑顔で眉ひとつ動かさなかった。
少し、間があって。
頭の後ろをポリポリ掻きはじめた。
「あの上っ張り、飛んでったからさ」
「外套も必要かな?」
「まぁ、ちょっぴし」
「仕事着で外出してても困らないよ」
「なして」
「平民出の男爵に、そんなことで保てる体裁は無いだろ」
ばつが悪いのか、目が泳ぎだした。
「したって。雨降ったら、濡れるべさ」
「そっか」
「しばれてきたべ、買い出しとかもさ」
「外套1つで仕事の幅が広がるわけか」
「んだ」
「それなら仕事着だから、必要経費か」
「んだよ」
「こっちで料理するよ、まかない付き」
「んだな」
まずは栄養、食事が必要なのだろう。
「蘇生魔法なんて言ってて、自分こそ死にかけてたからな……」
目が覚めた時。
どっちが死体かわからない、そんな有様だった。
ポンポン使える救急医療には到底見えなかった。
おそらく、成功率は著しく低いだろう。
ともすれば、術者が、命を落とすほど。
目を離した隙に、姿を消した――
「回復せば、またトンズラすっかもよ?」
「そしたら、また釣りに来ればいいだろ」
ひょいと魚籠を掴んで、逆さに振った。
「ボウズだべや」
「今日は調子が」
「したけどさ、なんてって報告すんのさ」
「報告?」
言おうか言うまいか、思い迷うそぶり。
それから、魚籠の底を見詰めて呟いた。
「人魚。釣れましたーって、報告すんだべか」
俺は二度死に、二度とも生き還った。
そこに人魚が居合わせた。
その状況が、蘇生魔法の存在を肯定している。
漁師の方々は口が固い。あの大海蛇騒ぎについては皆一様に口を噤んでいるが、帰路につく観光客まで口止めすることはできなかった。
噂話で片付けられない事態になったのだろう。
本国から、定期的に調査が入るようになった。
だが。
「それについては、考えがある。これだ」
「なん……それ」
「ハンドメイド」
「なして、わざわざ、こったらもん」
「ヘッドドレスやホワイトブリムは好きじゃない、いっそ変装はどうかと思って、カチューシャに猫の耳をつけた。猫耳獣人と勘違いされることはあるかもしれないけど、まさか人魚とは夢にも思わないだろ?」
冷めきった瞳で見詰めていたエリスさん。無言で自作の猫耳カチューシャを手に取ったので、ポイと捨てられると思った。なんの気無しに頭に着けて、角度を調節し、乱れた髪を整えたことに驚いた。
「さぁて、帰るべかな」
「帰るって、どこに?」
鼻から空気を肺いっぱいに取り込み、寂しく沖を見る。
それを溜息まじりで「はぁ~」と、細長く吐き出した。
それから、まばゆげな瞳を坂の上の古城へ向けた。
「職場に決まってるべさ。旦那様は、はんかくさいにゃ――あ?」
「すんげぇ棒読み……だけど猫耳メイドはやってくれるのかっ!!」