表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
はんかくさい男爵閣下と訳アリのメイドさん  作者: 塩谷 文庫歌


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/8

泡沫夢幻

 あの時に似ている。


 遠く、波涛の砕ける音が聞こえる。

 ほかには、耳元の水面を雫が叩く、リズミカルな拍子。

 手狭な空間に反響して、それよりも大きく響いていた。



 ピシャン  ピシャン  ピシャン  ピシャン……



 視界は、もやがかかったように白んでいて、不明瞭だ。

 しかし、覚えがあった。


 ギシギシ悲鳴を上げる手足を無理矢理に曲げて、どうにか体を起こしてみると、ぼんやり見えてきたのは、確かに、記憶にある景色と同じもの。


 使われなくなって久しい、昆布取小屋らしき建物の中。

 そして、なんらかの儀式を行った痕跡だろう。

 床に描かれた奇妙な図形と、供物らしき海幸。


 この状況は、2度目。



 つまるところ。



「また……死に損なったのか」

「なした? ごもくそ言って」



 独り言に返事があったので、仰天した。

 声のしたほうへ目を凝らす。

 部屋の隅に、人影というには微妙な姿が、ひとつ。



「エッ……エリスさん?!」

「んだから、なしたのさ」

「どうしたも、こうしたも……その恰好」

「へんな服さ、びしょ濡れだったもんな」

「その、胸のホタテじゃなくて、それは」



 血管の浮いた白い肌、干物のような鰭があちこち貼り付いていた。

 ぐったり横たえていた体をゴソリと動かしたが、ごろんと転がる。

 どこか悔しそうな顔で、力無く笑った。


 当然だ、足が無い。


 魚のように鱗を纏い、その先に、大きな尾鰭が広がっている――



       ピシャン



 近くで聞こえていた、雨垂れに似た音。

 不吉な違和感に釣られて、視線で探す。



       ピシャン



 右の手首にできた、真新しい、深い傷。

 こびりついた血と、床の、奇妙な紋様。

 色が、一致している。


 この、床一面の図形。

 これを、この短期間で、2度も描いた?





 自 分 の 『 血 』 で 描 い た ――――





「なんて……馬鹿なことを!」



 近寄ろうとして、ヌルリと足を滑らせ、たたらを踏んだ。

 バランスを失って、尻餅をつきながら、細い手首を握る。

 逃げようと弱々しくひねる身体を、後ろから抱き上げた。



「やめれっ! やめれって!」

「暴れると出血がひどいから」



 なんとか動かせる尾鰭をビタビタ動かして身をよじる、なんだか大きすぎる魚を釣り上げて、なんとか取り込んだ釣り人のような恰好だな、と……にぶった頭を、滑稽な連想が通り過ぎていく。


 こちらも本調子とは程遠い状態。

 力任せに抑えることはできない。

 抱えたまま、移動して、壁にもたれるのがやっとだった。



「よしかかってると、いずいべや」

「初めての単語すぎると、意味が」

「ちょすな!」

「ちょ……?」

「あっちぇーって言ってるっしょ」

「あっつ……熱い?」

「んだよ、あっちい」

「体が冷えて、そう感じるだけだ」



 そんな抵抗も、数秒で力尽きて、動かなくなった。

 静かな時間が、しばらく流れた。



「死人を生き返らせる、黄泉還りの魔法。 ……これが?」



 かさかさの唇が割れて、「んだ」と、がさがさ乾いた声。



「蘇生魔法、か……逆に、死にかけてるだろ」

「こったら恰好、見られたぐねがったしょや」

「だなぁ。目のやり場に困ってる、というか」

「ホタテの話、してねぇべ」



 エリスさんは、ゆっくりと、諦めたように紺碧の瞳を閉じた。

 呼吸は浅く、今にも消え入りそうだ。

 薄いくちびるが、僅かに震えている。

 気のせいか声吐のような動きに「なにか言った?」と尋ねた。



 少し、間があって――



 小さな声で、囁くように、「ったく、はんかくせ」と呟いた。



「えっ? なに?」

「2回もさ、こっぱずかしいっしょ」

「聞き漏らしちゃった……なんて?」



 溜め息混じりに「どんくさいなぁ」と言った声音は、やや落胆していて、くたりと細い身体から力が抜けていくのを肌を通して感じた。



 多量の出血のせいだろう。

 玉の汗が吹き出している。


 酸素を求めて胸が大きく上下するたびに、流れ落ちていった。

 その姿が不安をあおった。


 消えてしまいそうな泡沫人(うたかたびと)の背中を、ぎゅっと抱きかかえる。

 すっかり冷えきっている身体が、心地良く体温を奪っていく。





 蘇生魔法の残渣だろうか?

 この空間には、現実か、夢なのか、彼岸か此岸かすらも曖昧に漂っている。


 そのうち。


 微睡みの中「ぬっくいなぁ」と、甘ったるい響きが、遠く聞こえた――――


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ