男爵閣下、魔物と出陣する
人さらいと思った三人組は、落城を目前にして再起のために夜陰に紛れて逃亡を図った、敵の国王と、配下の手練れ。なんにせよ居酒屋の息子が敵う相手じゃなかった。
翌朝、発見された変死体が4つ。
もぬけの殻になった麻袋が1つ。
実況見分中、屍だった俺は、ムックリと起き上がった。
他国へ攻め入ってまで奪い取ろうとした復活アイテム。
人魚は意思を持っていて、蘇生する相手を自由に選ぶ。
補充兵が聖寵を掠め取ったと一目瞭然、騒然となった。
王を討ち取った、これは官僚の考えた方便だ。
勲章をブラ下げていたら、否応無しに目立つ。
監視の必要が無くなる。
そして記憶の混濁は、時間稼ぎのための方便。
何故、俺だけを蘇生させたのか。
何故、その場を立ち去ったのか。
「さぁて! 掃除すんべ~かねぇ」
何故、屋敷で住み込みメイドをしているのか?
「その前に、いくつか質問させてほしい」
「したってさ」
「まぁ座って」
椅子を勧めると、ひどく億劫そうに腰かけた。
「査問では要領を得ない説明を繰り返して、記憶障害もしくは一時的な記憶の混濁だと勘違いさせた。奇蹟を起こすと期待したのに、人魚が使い物になるかは未知数との結論に達してからは、途端に御偉方の興味が薄れたらしい」
どんな心境なのか退屈そうな表情で耳たぶを揉みつつ聞いていたエリスさんが、仔細らしく首をひねって窓の外を見詰め、「やっぱし、その話かい」と気怠そうに机に肘を突いた。
溜息混じりに「人魚て」まで言った時。
切れ長の眼差しをさらに細長く絞った。
「旦那様、ありゃ~なんの騒ぎだべな?」
釣られて窓外を見下ろす。
黒山の人だかり。
寄港してくる一隻の漁船。
そこに巻き付く、大海蛇?
「シーサーペントって船を襲うの?」
「んなわけねぇべさ、はんかくせぇ」
「網に絡まったみたいだな」
「あーわやだ、わやくちゃ」
無駄に広い書斎にバァン! と扉を開け放つ乾いた音が響いた。
驚いて振り返ると、初老の男性が強引に息を整える姿があった。
見覚えがある、確か……
「あ、漁協の副会長さん」
「だ、男爵サン、なんとかなんねぇべか!」
「できますけど」
「ありがてぇ!」
チラリと、横目で確認する。
「うん、蒲焼きが良さそうかな」
「でなくてサ、退治!!」
「たいじ……郷土料理ですか?」
「海蛇退治! ありゃ遊覧でサ、お客サン、泳げないんだわ!」
船体は既に相当傾いている。
脱出も救助も進んでいない。
「可能な範囲で、やってみますか」
「せば、けっぱれ」
「エリスさんこそ」
「あだし?! ……旦那様が退治すんだべ?」
それは無理な注文だ。
居酒屋メニューに、シーサーペントの料理は、無い。
自慢の刺身包丁でどうこうできる相手にも見えない。
でも。
「王様をブッ殺した攻撃なら、どうだろう」
「はァ――――ぁあ?!」
「アレならできそうだ」
「馬っ鹿こぐでねぇ!!」
「馬鹿は馬鹿で、単語として存在してるの? じゃ、ほんずねぇと、はんかくせぇは、馬鹿以外のなにか別の意味ということになる……奥が深いな」
スタスタと足早に玄関へ向かう。エリスさんが歩調を合わせて隣へ食い下がり、副会長さんと距離の開いた頃合いを見計らって、厳しい視線を向けてくる。
小さく頷くと、そっと密かに耳打ちされた。
「なして?」
「名ばかりの爵位でも、領地を守る義務があるの」
「いっちょまえに、いいふりこきが」
「で。 できそうか?」
「や、見てたんだべ? あれは近距離攻撃っしょ」
「元は接客業だし、距離を縮めるのは得意だけど」
「とりあえず生って注文するってか? 海蛇が?」
メイド服のまま使用人を外出させられない。
かと言って、着替えに割く時間も無かった。
玄関のハンガーから外套をひとつ取って手渡す。
「つまり、接近したらできる、自信があるわけだ」
「それができりゃ、訳無いべや」
「漁船を調達して観光客を拾う」
詳しく説明しなくても、疑問が氷解したらしい。
エリスさんは大きく首肯して、外套を羽織った。
武器は反抗的家政婦さん、人殺しの前科がある。
怪物と闘うには、少々心許ない装備だが――――
「副会長さん。海蛇退治、うけたまわります」
「まったく……はんかくさいにも程あるべさ」