声
「…すみません」
「あん⁉聞こえねぇよ!」
目の前のオラついた男はそう威圧してきた。
「すみません!!」
小さな、風情を感じる古本屋の中で、私は深々と頭を下げた。
「…ったく、言われたとおりにできねぇし、声もちいせぇし…。客に負担かけるくらいならやめちまえ」
男は、もう買う気失せたわ、と吐き捨てるように言うと店を出ていった。
―――負担って言っても、ちょっと声が聞こえないくらいじゃない。
自分が悪いことをわかっていても、そう思わずにはいられなかった。
「ちょっと早見ちゃーん、またお客さんに怒られちゃったの?」
店の二階から降りてきた店長の石坂矢希が言った。
「…すみません」
「別に謝らなくていいよ。でも早見ちゃん、もう少しだけでいいから声大きくしてくれない?」
「…はぁ」
「早見ちゃんかわいいんだし、もうちょっと愛想がよくなればモテると思うよ」
店長の言葉に、私はあいまいな笑みを浮かべた。
「…やっぱり、無理?」
「…すみません」
「それならまぁ、仕方ないか」
店長は優しい人だ。だからこそ、何もできない自分に嫌気がさす。だけどもうこれ以上声を張るのは無理だと自分で分かっている。
―――人とうまく話せないの治そうなんて、無理だったのかな……
私は一人、そんなことを思った。
「じゃあもうちょっとだけ、レジよろしくねー」
そう言って、店長は従業員室に入っていった。
すると少しして、チリンチリン、と、店のドアが開いた音が鳴った。
私は小さい声でいらっしゃいませ、とうつむきながら言った。
全く、人がいないときに限ってなんで客が来るんだろう。
そう心の中で文句を言っていると、レジの前に客がたっていた。
私は驚いたが、目の前の女性は何も言わずに立っている。多分歳は、私と同じくらい。
「…お客様、どういたしましたか?」
そう言ったが、毎度のごとく私の声は届いていないようで、目の前の女性は依然何も言わない。
またこのパターンか。そう思いながら、少しだけ声を張ろうとすると、何やら目の前の女性は指を動かし始めた。
―――なんだ、なんか指で……
その時私は、ようやくそれが手話だと気づいた。
―――耳が聞こえないんだ。だから……
私は急いで、近くにあった紙にマッキーペンで『どういたしましたか?』と書いて、目の前の女性に見せた。
すると女性はぱぁっと表情を明るくして何やらまた指を動かし始めた。けれど私は手話なんてわからない。
私は勘で、『何か本をお探しですか?』と書いた紙を見せた。
すると女性は激しく頷いた。
古本屋なんだから当たり前といえば当たり前だが、私は正解したことがうれしくて、すぐに次の紙を用意して、『どんなジャンルですか?』と書いて見せた。
女性は今度は手話ではなく指文字で何か宙に書き始めた。
み、す、て、り、い、
三回ほど書いてもらって、ようやくわかった。私はうなずいて、紙に『案内します』と書いて見せた。
女性はうれしそうにうなずいた。
ミステリー小説の棚まで案内すると、女性はまた私の顔を見つめてきた。一瞬よくわからなかったが、すぐにおすすめを教えてほしいのだと気づいた。
私は自分のお気に入りの小説を手に取って、女性に手渡した。
女性は満足げな表情をすると、その小説を持ってレジへ向かった。私もレジ打ちをして、ピッタリ代金をもらった。
女性は私に頭を下げて感謝してくれた。
私も急いで紙に、
『また来てくださいね』
と大きく書いて見せた。
女性は笑顔でうなずくと、店を出ていった。
「大丈夫だったー?」
しばらくしてから従業員室から出てくると店長は聞いてきた。
そして店長は私の顔を見ると意外そうな、でも安心したような表情で言った。
「私、早見ちゃんがうれしそうにしてるの、初めて見たかも」
私は言われて自分でも驚いたが、すぐに笑っていった。
「…ちょっとだけ、いいことがあったんです」
私のその声は、心なしかいつもより大きく、満足気に聞こえた。
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