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糸電話

作者: 紅茶

この作品は、作者が当時高校生だった頃に書いた作品である『糸電話』のキャラクターや世界観を用いて書き直した作品になります。当時の表現もあれば、新しく書き足した部分も多数ございます。

荒削りな部分もございますが、よろしくお願いします。

 うだるような暑さ。自然と視線が下へ下へと落ちていくのは、煌々と照る太陽から目を逸らしたくなるから……だと思われる。結局コンクリートの照り返しが強くて虚空を見つめる羽目になった。


「し、しにそう」


 五月、それも高校二年生にもなると一年で経験したことがまたやってくるため、鬱陶しいことこの上ない。今日のように真夏日が予想される日に限って、学校は夏服を許可してくれない。そのせいで登校中は口から愚痴しか出ない。あぁ、冷房の風が恋しい。


「いっそのこと、いまここで氷河期が来ても俺は喜べる気がする。異常気象、万歳だ」


 暑さで脳がやられてきたのか、自分の口から出る単語に一貫性が無くなってきた。


「あと、少し」


 長くも短い通学路に終わりが見えてきた。見慣れた校舎に少しさびた校門。次第に人の数も増えて挨拶がそこかしこで生まれている。爽やかな声が多いため暑さに弱いのが自分だけだと思っていたが、みんな同じ表情をしていて少しほッとした。


「はぁー疲れたぁ」


 教室に着くと鞄を雑において椅子に座った。一瞬だけ下着が肌と触れる感覚があったが、休めるのであれば甘んじて受け入れる。大丈夫、タオルは持ってきている。制汗剤も準備済みだ。


「うわ、汗だく」


 おっと、朝から冷ややかな声が俺に刺さってきた。目をやると、声の主も暑そうな表情を浮かべている。肩まで伸びた長髪を鬱陶しそうに弄りながら冷たい視線を向けられた。


「汗かきでわるぅござんした。だが、逆に考えるんだ。こんな暑さで汗一つかいていない人間を見た時、どんな反応する?」


「え? えっと……それはそれで怖いかも」


「だよな! つまり汗をかいている俺はいたって正常! ノーマル人間! ドゥーユーアンダースタァーンドゥ?」


「うっざ」


 はい、冷たいお言葉ありがとうございます。今の気候にはちょうどいいです。


 朝からカノジョの発言は、アイスエイジのごとく凍てついている。これも愛嬌だと受け止めているため特に気にしていないが、時折氷柱のように刺さるのが玉に瑕。でも、それも可愛い。


 愛のある罵倒をかましてきたのは、八色やしきゆいと呼ばれる女子生徒である。性格が荒っぽいというか、厳しいというか、とにかく「出来る女性」を体現している。俺に対しての発言はノーカウントである。そこら辺は恋人補正ということで納得している。


 元々家が隣だったこともあり、顔を合わせる頻度も高く、会話をする機会も多い。幼いころはかけっこをしたりかくれんぼをしたり、ちょっと遠出して一緒に怒られたりしたものだ。


 そこから紆余曲折あって、俺の方から告白して、了承を得た。


 高校一年の秋、朱に染まる紅葉の街道で、意を決して「僕と付き合ってください」と言った。相手は慌てていたが、しばらくして「よろしくお願いします」と顔を赤くしながら答えてくれた。

 瀬戸せと総一そういちという男に初めて恋人が出来た瞬間だった。


 そこから暫く経って、口を開けば雹を降らせるお方になっていました。


 初々しかったあの子は何処へ。Мではないが、口調が強いのは別に悪いわけではないと思う。俺に慣れてきてくれた証拠とも捉えられるから。


 それでも強い言葉にこちらが砕かれそうな時がある。シンプルに「臭い」は響いた。


「ん、なによ? 何か付いてる?」


「いや、君も変わっちまったなぁと思って」


「変わったって、別に、そんなことないわよ」


「人間は気付かないうちに変わるもんですよ」


「ふぅーん、じゃあ私はどんな風に変わったの? 教えて」


 今日は随分と積極的に聞いてくる。近い近い、目と鼻の先にカノジョの顔が迫っている。


「く、口調とか」


「はぁ?」


「例えば……口調とか」


 そう言った瞬間、腹部に激痛が走る。固く握られた拳が鳩尾へと突き刺さっていた。


「はぁ!? 信じられない!」


 大声を上げて教室を出て行ってしまった。


「ま、ちょ、まって、ゲホゲホ! ちょ、ゆい。ゴフッ!」


 不意を衝いて繰り出された一撃に膝から崩れる。想像以上に重い拳だったため、呼吸が上手くできない。


 カノジョが怒った理由は、脳内にいくつか浮かんだ。謝らないといけない……な。



 朝のことを後悔しながら昼休みに入った。言葉の選択を誤ったことをやり直したいと思ったが、ゆいは口を聞いてくれない。視線を合わせようとすれば逸らされて、声を掛けようとすれば逃げられる。完全に怒らせてしまったのはわかった。


「いや~朝は大変でしたねぇ」


 背後から声をかけられた。ボブカットの髪が特徴的な女子生徒、村上むらかみ美紗みさだ。勝手な想像だが、ふわふわのぬいぐるみをベッドの周りに飾って、モコモコのパジャマを纏って、可愛い抱き枕で眠っていそう。


「あれから君の愚痴ばっかりだったよぉ。全然他の話をしてくれないし、悪口は体に良くないよって言うと、『全部、総一そういちのせいだから』って言うだけで直してくれなくて」


「そ、そうか。なんというか、ごめん」


 どうやら結の親友に迷惑をかけていたらしい。


「うちの結がご迷惑を」


「いえいえ、これはこれで新しい反応を見れて個人的には満足してます」


 俺のカノジョ、オモチャにされていた。村上美紗、意外と底が見えない。


「ところで……一つ質問いいですか?」


「はい、なんでしょう」


「もしかして、倦怠期ってやつです?」


「けん、たい……フライドチキンは好きです」


「いや、倦怠期ですよ。長く一緒になりすぎた恋人の熱が冷めちゃうかもっていうやつです」


「…………なのかな?」


「本人もわかってないの!?」


「昨日も普通に話したし、帰り道も一緒に帰ったぞ」


「会話はしましたか?」


「まぁ、一通りは」


「総一君から話してた? それともお互いに?」


「それは……ほとんど俺からだったかもしれない。いや、一割は結から……」


「ふぅ~ん?」


 口元は笑っているが目は笑っていない。これは、「私の親友を泣かせたら、コンクリートで埋めるぞ」という展開なのでは……土下座をした方がいいかな?


 頭を床に付ける準備をした時、俺の方へ一直線に向かってくる足音が聞こえた。


「美紗? こんなところで何してるの?」


「お、結~ちょうどいま君の彼氏さんといろいろ話してたところだよ」


「――ッ! あの話してないでしょうね?」


「あの話? 何の話かな? 『変わったな』と言われた後に『可愛くなった』とかの言葉を期待して――」


「ああああああああああああ! こっち来いみさぁ!」


 顔を真っ赤にしながらもの凄い勢いで村上美紗を引きずり出した。教室の外まで結の絶叫が聞こえてくる。絶叫は次第に説教をする声に変わり、数分後にへにゃへにゃになった村上美紗と結が教室に帰ってきた。


「……」


「……」


 結がすました顔でじっとこちらを見つめてくる。俺の顔に何か付いてるのか?


「あの……」


「な、なによ」


「いや、ものすごい絶叫だったなって。遊園地のフリーフォールに乗ったときと同じぐらいだった」


「そんなに騒いでた?」


 再び顔が赤くなる。可愛い。


「けっこうな大声でしたよ~」


「誰のせいだと思ってるの!」


 首根っこ掴まれた村上美紗がふにゃふにゃになりながら何か言っている。いたずらして叱られている子猫みたいだ。


「さっき美紗が言ったこと、忘れて」


「お、おう」


 そのままの剣幕で俺に言ってきたが、さっきの話が脳内から消えることは無いだろう。


「美紗、まだ説教が残ってるからついてきなさい」


「ううぇ~引っ張らないでぇ~」


 どうやらまだ言い足りないことがあったようで、村上美紗の首元を持ってズルズルと教室の外へと持っていこうとした。


「ゆい!」


「なに?」


「今も昔も可愛いと思うぞ」


「――――ッぅ! わ、忘れろっていったじゃん!」


 三度みたび顔が紅潮するのを見て、こちらも嬉しくなってしまった。


「彼氏さんに褒められて赤くなってらっしゃいますねぇ」


「うっさい!」


「ぐぇえ! ひ、引っ張らないでぇ!」


 何かを言い合いながら二人は廊下へと消えていった。これで朝の件はチャラ、というわけにもいかないか。教室の注目を集めてしまうようなやり取りはもうやめよう。


 昼食の確保も兼ねて、俺も教室を出ることにした。




 日が傾き始めると、日射による暑さも次第に和らいでくる。頬を撫でる風は、今日も一日頑張ったんだと実感させてくれる。


「意外と涼しいな」


「そうね。私は一日中暑かったんですけどね」


 膨れっ面でそっぽを向く彼女。本当に疲れているときは昼頃の剣幕や凍てつくような言葉も出てこない。


「その件に関しては、ごめん」


「いいよ。私も寛容な人間ですから。えぇ、寛容な人間ですとも」


 しかし恨み節は健在であった。


 昔は彼女に対してもっと柔らかいイメージを持っていた、少なくとも村上美紗と同じぐらいには。


 校庭の隅に咲くシロツメクサを摘んで、花の冠を作って遊んでいた結を今も覚えている。


 思えば、出会いはその日からだった。


  ※  ※  ※  ※  ※


 俺も結も、元々家が隣で親同士の面識もあった。だが男子と女子。住む世界と見える景色が違っていたため、話すようなことはなかった。


 初めて話をしたのは、小学校に入学してからだ。校庭でボール遊びをしていたときに、偶然クローバーが群生している場所に蹴とばしてしまった。ボールを探しに歩いていくと、そこには草の上で寝転ぶ結の姿がいた。心地よさそうに昼寝をしていたが、俺が近づいたせいで起こしてしまった。


「ごめん、起こしちゃった?」


「ん? 大丈夫。ちょうど起きるところだったから」


 寝ぼけまなこを擦りながら起き上がった結は、すぐに膝をついてクローバーを凝視し始めた。


「なにかあったの?」


「さっきクローバーを見た気がするんだけど、見つからなくて」


「ふーん……一緒に探そうか?」


「いや、いいよ。瀬戸君ボール遊びの続きだったでしょ?」


 優しい声で俺に言ってくれた。俺が離れても一人で黙々と草を見つめる姿は、俺の中に花が好きそうな女の子という印象を植え付けた。


 それから昼休みや長い休みがあるたびに、校庭の草むらで必死に草を見ている姿を何度も見かけた。


 通学班が一緒だったこともあり、俺と結は同じ通学路を同じ時間に同じペースで行って帰ってを繰り返していた。最初は話をしなかったが、校庭のこともあって次第に会話をするようになった。


 月日は流れ、小学四年生の夏。二人で下校する頻度が増え始めた頃、帰る途中で携帯電話の話になった。


「まだ携帯持っちゃダメって言われた。でも、いろんな人とお話したい」


「僕も。そういえば中学生になったら携帯電話買ってもいいって言われたかな」


「中学生になったらか、私もそれぐらいに持てるといいな」


 互いに携帯を持てる未来を待ち遠しく思っていた。でも、どこか寂しそうな結の顔が引っ掛かった俺は幼いながらに頭で考えて、とある提案をした。


「糸電話しない?」


「糸電話? 糸電話ってあの紙コップの?」


「そう。ちょうど家が隣だし、みんなとまではいかないが、僕とは話せる、から」


 口にするほど恥ずかしさがこみ上げる。馬鹿の一つ覚えのような提案だった。「なにそれ」と言われて終わりだろうと思った。でも結は、


「面白そう。じゃあ、家に帰ったらやってみよ?」


 俺を笑うことなく、提案に乗ってくれた。


「家に着いたらまずお互いの部屋の窓を開ける。その後に瀬戸君が作った電話を私の方に投げる。それでいいかな?」


「え、僕が作るの?」


「私じゃ投げても届かないから。瀬戸君、ボール投げも得意だったし、ドッヂボールもすごい強かったから投げれる方が作るのがいいと思って」


「おお、任せろ!」


 我ながら青いと思った。褒められると調子に乗ってしまう性格だったため、結の方針に全部乗ることになった。


 ただいまを言ってすぐに俺は部屋に籠った。母親に見つからぬようにそっと紙コップと糸を拝借して、もくもくと作業を行った。手先が不器用だったせいで作るのに苦労したのも覚えている。


 一時間かけて出来上がった作品はコップの底に小指ほどの穴が開き、糸が紙コップに付けきれていない駄作であった。


「おじゃましまーす」


 玄関から結の声がした。そのまま一直線に俺の部屋までトテトテと軽い足音が近づいて、ノックもせず扉を開いた。


「お邪魔します」


「うおぉ、何で来たんだよ」


「だって紙コップが全然来ないから」


 気がつけば時計の長い針が一周半動いていた。テーブルに置かれた粗末な糸電話を見て、結の口角が少し上がったのが見えた。


「笑った?」


「いや、何でもないよ。私も手伝うね」


「……お願いします」


 手詰まりなのは目に見えていたため、後は結に全部任せた。


「完成。どうどう? 綺麗にできたよ?」


「うん、上手。僕のやつよりずっと」


 ものの数分で見本のような糸電話が出来上がった。俺が費やした時間は何だったのか、虚しさで心がいっぱいになったとき、結は糸電話の片方を俺に差し出した。


「あとは瀬戸君の番だよ」


「僕の番?」


「頑張って、瀬戸君!」


 人生で初めて女の子に頼られた。それだけで心が舞い上がり、いつも以上に肩を回して張り切っていた。


「窓は開けてあるから、ここからなら届くかな?」


 自室の向いには結の家がある。ちょうど俺の部屋の前が結の自室だった。家と家の間は約五メートルあり、小学生が紙コップを飛ばすには少し力が必要だった。しかし当時の俺は、「女の子に頼られた」上に「初めての試み」というボーナスがあったため、結の部屋に飛ばすのは容易であった。


「すごい! やっぱり瀬戸君って力持ちなんだね!」


「いやぁ、あははは……」


「じゃあ、さっそく電話してみるね」


 結はすぐに部屋を飛び出して、自室に戻っていった。


 窓からこちらを覗いて目が合うと、結は両手で大きな丸を作った。


「よーし、聞こえますか~――――」


『――――聞こえますよ~』


『大成功~――――』


『――――今度からはこれで話そうね!』


『うん! よろしく、八色やしきさん――――』


『――――ゆいちゃんでいいよ! よろしくね、総一君!』


『ああ、よろしく、ゆいちゃん――――』


 そこから俺と結は糸電話による通話を何回も行った。休日の朝やお風呂上りの後、眠る前の時間に学校に行く前、様々な時間にテストのことや持ち物のこと、時には『カレーかシチューか論争』のようにくだらないことも糸電話で話し合った。小学校を卒業したその時まで、二人でいろんな時間を分かち合った。


 中学生になった俺たちに携帯電話が渡されると、自然と糸電話の出番は少なくなっていった。第二次性徴に入った男女。糸電話は小学生の頃に行っていた恥ずかしい思い出へと移り変わっていった。


 中学生は色恋沙汰に敏感になる時期だ。普段何気なく会話していても、それが男女だった場合傍目からは特別な間柄に見えてもおかしくはない。俺と結も例外なくそういった目で見られた。心の奥底で悪い気はしないと思いつつも、その話を友人から聞かれて戸惑っている結が目に入ると申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 だから、登下校はあまり関わらないようにしようと提案した。


 最初、結はそこまで気にしなくていいと言ってくれたが、噂はさらなる噂を呼び、尾ひれがついたものを次々に結へと質問する同級生が増えた。それに対して何度も結は否定してくれた。質問がエスカレートして軽く押し問答になったとき、結も了承してくれた。


「ねぇ、総一そういち君」


 登下校で話さなくなって数か月たった時、突然結から話しかけてきた。会話の内容は、あの幼かった記憶に今も住む「糸電話」のことだった。


「どうした?」


「そういえば、糸電話って……まだある?」


「ある、けど……どうした? また使うのか?」


 結は無言で首を縦に振った。


「……じゃあ、まど開けておいて。そっちに投げるから」


「うん、お願い」


 幸いなことに、俺と結の家が近いことを知っているやつは少ない。例え窓から窓に糸が繋がっていても遠目から見れば蜘蛛の巣が張ってあるぐらいに見えるだけだ。そう思って、再び俺たちは糸電話で会話を始めた。


『――――聞こえる?』


『あぁ、聞こえるぞ。少し埃被ってたが、まだまだ現役で使えそうだな――――』


『――――うん、けっこうはっきり聞こえる。学校だと話せないから、何か安心した』


『安心するのはいいが、もう俺たちには文明の利器があるだろ? こんなアナログじゃなくても会話ぐらいできる――――』


『――――それは、その、あれよ。糸電話はパケット使わないから通話料も出ない。充電する必要もないからエコにもつながる。糸電話は地球の環境を救うのよ』


『さいですか。しっかし、けっこう幼いことしてたんだな俺たち――――』


『――――それは若気の至りってやつよ。子供のころはああいった特別なことをしたがるから』


『どちらかと言えば、いまも特別だけどな――――』


『――――ほんとに? 特別?』


『そりゃ特別だろ。何せこんなことしているやつなんて、世界でも俺たち二人しかいない――――』


『――――そっか、特別か』


『……もしも~し、なにかありましたか?――――』


『――――ううん、何でもないで~す』


 結の声は普段よりも弾んでいて、明るくて、とても楽しそうに聞こえた。新しい環境で変わってしまうかと思っていた二人の関係は、想像しているほど変化しなかった。まぁ、昔より俺も楽しく感じるようになった、かな。


 小学生のときのように、いろんなことを話した。課題は勿論のこと、食べ物・趣味・最近の流行やサブカルチャーについて夜遅くまで話し合った。時折、「あの先生がウザい」や「同級生の○○が……」といった愚痴をこぼすことも多々あった。


 だが、このやり取りも永遠には続かなかった。


 事件があったのは、糸電話が復旧してから一年程経った中学二年生の夏。この日もいつものように糸電話に耳をつけて話していた。しかし結の回答は歯切れが悪く、若干上の空のような声をしていた。


『何かあったのか?――――』


 そう訊ねると、意を決したのか少し震えた声で結は答えた。


『――――実は、その、今日学校に行ったら、靴箱にラブレターが入ってたの』


『ラブレターね――――』


 原因は間違いなくそのラブレターであった。八色やしきゆいは、顔立ちが整っていてある程度のことは何でもこなせるため男子からの人気も多かった。男子の間だけでひそかに行われていた美少女ランキングでは、トップ10の中に彼女の名前が載っていたのを覚えている。


『結はモテるからそういうのがあってもおかしくはないな。それか他の女子からの嫌がらせだったりして、果たし状じゃないよな?――――』


『――――うん、普通に男の人の字で書かれているし、何より時間と場所が指定されてるから、たぶん』


『で、そのラブレターに応えるかどうか迷ってたわけね――――』


『――――私ってモテるの?』


『憶測だけどな。少なくとも好意的な印象をもつ男子は多いと思う――――』


『――――ふーん、なるほどなるほど』


『あんまり調子に乗って男引っ掻き回すなよ――――』


『――――そんなことしないよ! 私だって恋愛経験ゼロなんだから』


『どうかなぁ? 気づいたら魔性の女だとか何だとか言われて後に引けなくなってたりして――――』


『――――そんなんじゃないって! 私の風貌なんか、ほら、ちょっと暗くて変に見える部分もあるでしょ?』


『そこがいいって言う男子もいるかもしれないじゃないか。俺は別にそうじゃないけど――――』


『――――え?』


『まぁ、好みは人それぞれってことだ――――』


『――――…………ところで、総一、男の子ってどんな女の子が好きなの?』


『さっきも言った通り、男子の好みなんて千差万別だぞ。女子も似たようなものだろ――――』


『――――じゃあ……総一の好みは?』


『俺の好み? うーん――――』


 恋愛観というものが全くなかった俺にとって基準となるような女性はいなかった。だから適当に頭の中で即座に浮かんだ女性像を伝えることにした。


『強い女の子かな――――』


『――――強い?』


『まぁ、世知辛い世の中だからね。強いに越したことはないと思って――――』


『――――ふーん、それが総一の好みなんだ』


『というか、俺の好みなんて聞いてどうしたんだ? 何の参考文献にもなりやしないぞ――――』


『――――はぁ?』


『俺の好みはけっこう少数派だと思うし、大衆が思うような男性の好みといえばもっと清楚だとか美人とかそういうものに限られてくるかもな。第一恋愛なんてしたことない俺に聞くよりも、もっと経験が豊富そうな男子から聞いた方が――――』


『――――うるさい』


『ん?――――』


『――――うるさいって言ってるの! 別にいいじゃん! 私が聞いたらいけないの!?』


『別にそんなことは言ってない。ただ、俺の好みっていうのは大したものじゃなくて――――』


『――――あぁもういいよ! なにも言わないで! どうせ私は強い女の子じゃないんだから!』


『おい、何でそんなに怒って――――』


 ――チョキン!


「え、おい、結!」


 カーテンを開くと、向こう側で窓の鍵を閉める結が見えた。涙目で紙コップを握りしめるその姿に、一瞬で選択肢を間違えたことに気が付いた。すぐに電話をかけてみたが、結が通話に出ることはなかった。


 後日、噂では結はラブレターを渡した男子の前に現れなかったそうだ。無視されたとか、お嬢様気取りとか勝手に話す同級生は多かったが、俺は何故かホッとしてしまった。自己嫌悪で吐きたくなるぐらい、安心してしまった。


 あぁ、気持ちわりぃ。別にカノジョでもなんでもないのに。


 勝手な答えを言って、怒らせて、勝手に未練だけ抱えていた思春期真っ盛りな俺の机には、今でも片方の受話器の無い糸電話が飾られている。



  ※  ※  ※  ※  ※



 気が付けば、告白していた。


 あの時の間違えた選択肢をやり直すように、俺は八色やしきゆいという女の子に告白した。


 そして、恋人になった。


 だが、もしかしたら、あの時の告白すらも間違った選択肢だったのかもしれない。そう思うと、また自己嫌悪で吐きそうだ。結局は自分の都合でしかない。あぁ、気持ちわりぃ。


「どうしたの? 顔色悪いよ」


「いや、大丈夫。昔のことを思い出してただけだ」


「昔………………総一、私って好みの女性?」


「どういうことだ?」


 神妙な面持ちで結がしゃべり始めた。


「あれからずっといろんなことに挑戦してきた。運動も勉強も、もちろん受験も、誰よりも負けない様に頑張って、言葉も柔らかいものじゃなくて、もっと鋭いものにしたり、仕草も変えたりした。いっぱいいろんなこと考えて、やってきた。そしたら、高校一年生の時に総一が告白してくれた。……あの時は、とっても嬉しかった。努力が報われたって、そう感じた」


 口を開き、俺の知らなかった過去を次々に挙げていった。告白の時の気持ちも全部言葉にしてくれた。初めは笑顔で話していた。しかし段々と表情に暗雲が立ち込める。


「変わったって言われて、期待しちゃった。綺麗になったとか可愛くなったとか、いろいろ言ってくれると思った。でも、そうじゃなかった。口調が強くなったって言われて、私、間違った方向に進んじゃったように思えて、でももう引き返せなくて」


 語る結のまなじりに涙が浮かぶ。


「人は変わるものって言われて、私だけじゃなくて総一も変わるんだって、人が変わったら好みも変わるから、だから! もう、私には興味無いのかなって」


 彼女の頬を雫が伝う。やってしまった。今日の朝も()()()()()()んだ。もっとこの子を、八色結という女の子を見なければいけなかった。


 思い返せばあの時俺の好みを聞いてきたことは、俺のことを……。


「ごめん!」


「ふぇ?」


「本当にごめん! 結がいっぱい考えてるのをわかってあげられなくて、本当に、ごめん!」


 周りのこととか、体裁とか、そんなものを考えるよりも先に俺は結を両手で抱きしめていた。


「言葉足らずで伝わってないことだったり、俺が勝手に勘違いしていたりしたことがいくつかあった。先に言っておく。俺は昔の八色結も今の八色結も大好きだ!」


「えぇぇ!!」


「あと、勘違いしていたことは、口調が強くなったのは距離が縮まっていろいろと慣れてきてくれたからだと思ってた。まさかあの時の言葉で変えてくれたなんて思ってなかったから、その、本当にごめん!」


「いいいいいから、その、恥ずかしい! いったん離れて!」


「いやだ! 離したら絶対に逃げるだろ!」


「逃げないって! だから、いったん離れて! お願い、誰かに見られたら恥ずかしいから!」


「じゃあ、もう一回だけちゃんと言わせて!」


「なにを?」


「どれだけ変わっても、俺は結のことが、結自身が好きだから!」


「んんんんん!! わ、わきゃったかりゃ! お願い、本当に、離して、くだしゃい」


 悲しみの涙以上に辱めの涙がポロポロと流れて、顔が大火山の噴火の如く真っ赤に染まっているのを見てまたもややってしまったことに気が付いた。


「うひゃあ! マジでごめん!」


「もういいから、怒ってない」


「よ、よかった~」


「でも、恥ずかしかった。告白された時より何倍も恥ずかしかった」


 なんということだ。散々カノジョに恥ずかしいと言わせておきながら、上気した頬や涙目になっているのを見て、世界で一番可愛いと思ってしまった。


「大好き」


「ふぇ!?」


「かわいい」


「ちょっと!」


 口調が強いとか考えたが、可愛いと言われて狼狽える姿を見ているといいアクセントになって面白いからいいかなと思ってしまった。


「もう……思い返すと超恥ずかしくなってきた。なんか変に意識しすぎてたみたい」


眼福がんぷくです」


「私で遊んでない?」


「そんなことない、です」


「目が泳いでる。やっぱり遊んでたんだ」


「いやいや、そんなことないって、神に誓っても差し支えない」


「言葉のチョイスがおかしいよ!」


 俺たち二人は、またどうでもいい会話をしながら帰った。もうすぐで夕飯時だろうか、住宅街からカレーなどの美味しそうな匂いが漂ってきた。鼻腔をつくスパイスの香りが俺の空腹を刺激する。


「カレー食べたくなったな」


「はぁ? どう考えてもシチューの方がいいに決まってるでしょ! 冗談は顔だけにして」


「なにおぅ? 面白い、じゃあ今度俺が最高のカレーを振る舞ってやる。一口食べてこちら側に来たくなるようなさいっこうの逸品だぜ?」


「自炊したことない男が何か言ってる~」


「これでも包丁捌きは小学校の頃に褒められてたんだなぁ」


「じゃあ、今度の休みに総一の家に行くから。私も台所借りてシチュー作らせてもらうわね。いい?」


「望むところだ」


「······だから、また電話しよ」


「あっちの方でか?」


「うん、ほら通話料金かからないし、お得でしょ?」


「はいはい、それならまず俺の家に来て直してもらわないと」


「だね。直しに行くから部屋片付けておきなさいよ。特にベッドの下とかクローゼットの中とか」


「おい、何でその二つの場所を指摘した? ······まさか」


「おっと! 急いで帰らないと遅くなっちゃう! おばさんに行って入れてもらおうかな」


「ちょっと待って! 結! いや、結さん! 先に帰らないでぇぇぇ!」


全速力で走る結の背中を追いかけた。あの存在を知られてしまったら、今度こそ罵倒と視線だけで氷付けにされてしまう。それだけは阻止しなければ!



その夜、紙コップの受話器から聞こえてきたのは、絶対零度の憤怒だった。あの後、全力で駆け出したが、阻止することはできなかった。運命に抗う術を持ち合わせていなかったようだ、残念。でも、そんな日があってもいいと思ってしまった。


明日も明後日も、この電話を繋いでくれるのはたった一組。君にだけ届いてほしいこの思いと声。何度も離れかけた二人だったが、今はもう切れないように、間違えないようにしている。


今日も紙コップからは、カノジョの声だけが聞こえてくる。



前書きにも書いたように、この作品は当時高校生だった作者の作品『糸電話』をリメイクした小説になります。


傍目から見て、まだまだ頑張って磨ける部分が多々あると実感しました。しかし、技法も腕もなかったときにがむしゃらに書いた作品は、とてもキラキラして見えました。誰のためでもなく唯々楽しく小説を書いていた初心を忘れないようにしたいです。

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