対価の要求
そのとき、彼は一人だった。
外に出れば、いついかなる時も傍にいるはずの仲間の姿はそこにはなく、不在。
本来あり得ないことであり、驚愕の事態とさえ言っていい。
だが、当の本人に至っては何も気にしておらず、ふんぞり返っていた。
周囲に味方は誰もおらず、己のみ。
有り体に異常であった。
何故ならこの状況は彼の意志によるものではないのだから。
にもかかわらず、男の表情には一切怯えや不満が見えない。
まして、彼の目の前にいる存在は明らかに上位の存在であり、その気になればいとも容易く勇者という存在を消し去ることのできる力を持っている。
だというのに、それでもなお不遜な態度を崩さない。
まるで憑かれたように。
彼は知っているのだ。
相対している者が、己の力を必要としていることを。
自身に利用価値があるうちは、軽々しく手放すような真似はしないということを。
それを理解しているからこそ彼は恐れていない。
少なくとも対等の関係である。
そう信じている――水無瀬鋼太郎であった。
「一ノ瀬善人が『英雄の剣』を抜いた。目の前で見たから間違いない」
鋼太郎は豪奢なソファに深々と座り、女神イシュベルの顔を見上げた。
「アシュタルテの勇者かいな……」
対面に座るイシュベルは言った。
「アレはあの子に抜けるほどヤワな代物とはちゃうんやけどな」
「だが、確かに奴は抜いた」
「さよか……」
イシュベルは少し目を伏せて思案する。
「『英雄の剣』を抜いた時やけど、なんか起きひんかった?」
「何かって?」
「例えば誰か現れた、とかや」
「いいや、俺やあいつのパーティ以外には誰もいなかったし、現れなかったぜ」
おかしい。
『英雄の剣』が抜けたということは、封印が解かれたということだ。
つまり、女神アマルディアナとこの世界を二分していたという、あの魔神が復活したはず。
ならば、その場に魔神の姿が見えないはずはないのだが……。
女神アマルディアナと同等の力を持つ魔神が復活したのであれば、イシュベルもさすがに気づく。
だが、そのような強大な力の気配は今のところ感じられない。
もしや、長期間の封印で魔神に異変が生じた?
それとも封印の解放に耐え切れず消滅した?
そんな楽観的な考えが頭を過ぎる。
――んなアホな。相手はウチらより上位の神やぞ。
感知できないからといって安心はできない。
なぜなら『英雄の剣』は抜かれてしまったのだ。
このベルガストのどこかにいるはずと考えて動いた方がいい。
だが。
これは想定外の事態だ。
自分たちが召喚した人間の中から封印を解く者が現れるなどとは思っていなかった。
少なくとも、イシュベルとフローヴァが望んでいた展開からは大きくかけ離れている。
魔神が復活したのであれば、行く手を遮る障害となることは明白だった。
何とか修正しなくてはならない。
「コウタロウ、頼みがあるんやけど」
「待てよ。その前に報酬をよこせ」
「報酬?」
「『英雄の剣』を確かめに行ったら、俺の恩恵を強化するって約束しただろうが」
「ああ、そういえば。すっかり忘れとったわ」
「おい!」
「まあまあ。恩恵の強化やったな」
「そうだ。早く強化してくれ」
「もうしてるで」
そのとき、室内に烈風が巻き起こった。
轟風の中心は鋼太郎である。
台風に匹敵する暴威が彼の体から発せられていた。
にもかかわらず、周囲の調度品は微塵も動かず。
すぐ傍で座っているイシュベルも涼しい顔をしている。
そして、その奇怪な乱舞は、何事もなかったかのように突然消失した。
「どや? 新しい恩恵は」
再び嘘のように静寂を取り戻した室内で、先ほどと変わらぬ口調でイシュベルが呟く。
「これが俺の……新たな力」
鋼太郎の体に目に見えて変化はない。
ただ、新たな恩恵がその身に宿ったことを、鋼太郎自身が誰よりも感じ取っていた。
今までと比べものにならない力が、体の奥底からみなぎっているのが分かる。
これなら。
この力なら奴に――善人にだって、きっと。
「悪くねえ……いや、最高の気分だ」
鋼太郎はギュッと己の手を握りしめた。
「そら良かった。効果は後で試せばいいとして……多用するのはおすすめせんよ。せいぜい1日2回までや。それ以上は今のコウタロウじゃ体がもたん」
「2回か……十分だ」
「……もう一つ忠告や。切り札っちゅうんは最後の最後まで見せんことや。基本は軽く見られるようにしといた方がええ。その方が周囲も侮ってくれるし動きやすくなる。相手が油断しとる時に最大の一撃を見せるんが一番効果的やからな」
イシュベルのアドバイスはもっともなものだった。
なるほど確かにイシュベルの助言通りに行動すれば、相手はこちらを警戒しないだろう。
だが――。
「それは無理だぜ」
「なんでや?」
「見栄ってやつだよ。張らずにわざわざ弱く見せるなんざ性に合わねえ。俺は目立ちたがりな上に、負けず嫌いなんでな」
自分が有能であることを隠してどうする。
見せつけてこその力だろう。
「難儀なやっちゃなぁ……まあ、ええけど」
自分に自信のない人間よりは、ある人間の方が使い物になる。
今までのイシュベルの経験によるものだ。
「ほな、今度はうちのお願いを聞いてもらうで」
「いいぜ。今度は何をすればいいんだ」
「ある場所に行ってもらいたいんや」
「またかよ……」
「聞いてくれたらまた恩恵を強化したるんやけどなぁ」
「どこに行けばいい?」
ホンマちょろい奴やで。
イシュベルは顔には出さず、ニヤリと笑みを浮かべる。
「亜人の国や」




