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穏便な解決方法とは

 ベリックが自室で寛いでいると、扉を叩く音がした。


「ベリック様、『処刑人』から手紙が届いております。いかがなさいますか?」


「『処刑人』の手紙だと……?」


 使用人の言葉にベリックは疑問を抱く。

 処刑人には、エリーという小娘の店で働いている男のところに向かわせている。


 今までの奴は、仕事を完遂したら直接やって来て報告していた。

 ベリックの記憶にある限り、任務を失敗したこともなければ、姿を見せなかったこともない。


 何か会えない事情でもあるのか……?


 気にはなったが、姿を見せないのであれば手紙を読んでみるよりほかに確認する手段はない。


 ベリックは使用人から手紙を受け取り、封を開ける。


「……なんだとっ!?」


 手紙の内容に目を通していたベリックが座っていた椅子から立ち上がり、大声を上げた。

 自然と使用人の表情も引き締まる。


「手紙にはなんと書かれていたのですか?」


「今回の件から手を引く、そう書いてあった」


「信じられません……」


 ベリックと話をしている使用人は仕えている者の中でも一番の古株だ。

 処刑人を使って、裏で貴族にあるまじき行為をしてきたことを知っている数少ない使用人であり、ベリックからの信頼も厚い。


 そんな彼だからこそ、ベリックから告げられた言葉に困惑していた。


「本当だ。それだけではない。私との契約を破棄して足を洗うと書かれている」


「……あの『処刑人』が足を洗う?」


 声を上げこそしなかったが、使用人の声には「信じられない」という感情が込められていた。


 ベリックは「うむ」とでも言うように小さく頷き、(まぶた)を閉じて小さく息を吐いた。


「私とて信じたくはない。お前に手紙を渡したのは『処刑人』で間違いないのか?」


「はい。奴を見間違うはずがありません」


 処刑人の格好は特徴的だ。

 マントに覆面。

 間違えるはずがない。


「そうか」


 ベリックは考える。


 こんな手紙をよこすくらいだ。

 信じられないことだが、処刑人は失敗したのだろう。


 それはいい。

 ベリックが飼っている暗殺者は処刑人だけではないのだ。


 それよりも、足を洗って姿をくらましたというのが問題だ。

 

 奴には今まで数えきれないほどの任務を任せてきた。

 どれも表沙汰にできないものばかりである。


 普段なら握りつぶすことが出来るのだが、アルベルトの件もあって、最近は貴族に対する国王の目も厳しくなってきている。

 

「捕らえて教育するか」


 ベリックの言う教育とは、「洗脳」のことである。


「では、追手を放ちます」


「うむ。逃げたとはいえ奴の実力は本物だ。返り討ちに遭わぬよう、3人1組で当たるのだ」


「かしこまりました。して、『処刑人』が受け持っていた任務はいかがいたしましょう?」


「『処刑人』が手を引いたのだ。認識を改めねばなるまい」


「店番をしているだけの男をですか?」


「当然だ」


 使用人は半信半疑のようだが、ベリックは違う。


 処刑人の腕は確かだった。

 腕を見込んで高い金を払って雇ったのだ。


 その男が手を引いた相手なのだ。

 

 それにこの件はガーランドから頼まれている。

 あまり時間をかけるわけにはいかない。


「『処刑人』を追う者とは別に、店を襲撃する者を用意するのだ。店の方はそうだな……10人ほど向かわせろ」


「仰せの通りに致します」


 使用人はベリックに対して、従順な態度で一礼した。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「誰も帰ってこないだとっ! いったいどういうことだ!!」


 ベリックは、不快感を(あら)わにした顔で飲み干したティーカップを壁に投げつけた。

 床にカップの欠片が落ちた。


「こ、言葉通りでございます。店に向かわせた10人すべて、屋敷に戻ってきておりません」


 腰をこれでもかと折り曲げて頭を下げる使用人の言葉に、ベリックは苛立ちを隠さない。


 店に向かわせた10人は、処刑人には劣るとはいえ、1人ひとりが近衛騎士を相手取ることができる手練ればかりだ。


 普通に考えて失敗するはずがない。


「……全員やられたというのか?」


 ベリックが自嘲気味に唇を歪める。


「いえ、ベリック様。それが『処刑人』の時と同じなのです」


「同じだと? まさか……」


「そのまさかでございます」


 そう言って使用人が取り出したのは10通の手紙。

 内容はどれも処刑人の時と同じだった。


 手紙を持つベリックの手が震える。


「……10人では少なかったというのか。相手はたったひとりなのだぞ!」


 ベリックは得体の知れない恐怖に駆られていた。


 素性のしれぬ少女と白髪の男。


 怖い目に遭わせて大人しく従えばそれでよし、従わないのであれば従いたくなるまで追い込む。

 その過程で不運にも命を落としてしまったとしても、侯爵家の力でもみ消すことなど容易い。


 そうすることで、ベリックや他の2人の侯爵は己の地位を盤石なものにしてきた。


 それが当たり前のことだったのに、まるで通用しない相手が現れたのだ。


「……ベリック様、手紙とは別に伝言を預かっております」

 

「伝言、だと……?」


 まだ何かあるのか。

 ベリックの顔は、苦虫を噛み潰した表情になっていた。


「準備が整い次第伺います、だそうです」


 誰が、とは聞くまでもなかった。

 考えられる相手は1人しか思い浮かばない。


「……『処刑人』を捜索している者たちも呼び戻せ、今すぐに!」


「はっ!」


 使用人は大慌てで部屋から出ていった。


 減ったとはいえ、ベリックの屋敷にはまだ50人近い私兵がいる。

 

 それにここは侯爵家の屋敷だ。


 おいそれと立ち入ることが出来る場所ではない。


 そうだ、ここにいれば安全なはずだ。


 声を張り上げたせいか喉が渇いてしまったな。


 落ち着きを取り戻したベリックは、テーブルを見る。

 ティーカップの中身は空になっていた。


 近くに置かれた呼び鈴を手に取り鳴らす。


 誰も来ない。


 聞こえなかったのかと思い、もう一度呼び鈴を鳴らす。


 やはり誰も来ない。


 いつもであれば使用人かメイドが飛んでくるはずなのに。


「ええい、役立たずどもが」


 ベリックは苛立ちながら部屋を出る。


「誰か、誰かおらんのか!」


 ベリックの声が廊下に響き渡るだけで、誰からの返事もない。


 おかしい。


 廊下を歩きながら、ベリックはようやく異変に気付く。


 静かすぎる。

 

 屋敷には私兵を含め、70人以上の人間がいるのだ。

 にもかかわらず、辺りは不気味なまでに静まり返っている。


 いったいどういうことだ……?


 カツ、カツ、カツ、と。


 足音を鳴らして誰かが廊下を歩いてくる。


「だ、誰だっ」


 足音はどんどん大きく、近づいている。

 

 そして、足音の主が姿を現した。


「その御姿。ベリック侯爵閣下とお見受けしますが、よろしかったでしょうか」


 正面から、控えめに声が掛けられる。


 ベリックの視線の先には、白髪をオールバックに纏め、口ひげを蓄えた、黒い執事服に白手袋の男が立っていた。


「いかにも、私がベリックだ」


「それはよかった」


 男は心底ホッとした表情を浮かべた。


「お初にお目にかかります。私、エリー様の店で働いておりますセバスと申します」


「なんだとっ!?」


 ベリックが目を見開く。


 こんなところまで入られるとは、屋敷の者たちはいったい何をしていたのだ。


「急にお邪魔して申し訳ございません。ですが、事前にご連絡は差し上げていたかと存じますが」


「連絡……あっ!」


 「準備が整い次第伺います」――ベリックは使用人から聞いた言葉を思い出した。

 

 そしてすぐに叫んだ。


「侵入者だ! 誰か奴を捕らえるのだっ」


 だが、ベリックの叫びは虚しく響くばかりで、呼びかけに応える者は誰一人としていない。


「大変申し上げにくいのですが、いまこの屋敷で起きているのは私とベリック様だけでございます」


「……は?」


 何を言っておるのだ、コイツは。


「どけっ!」


 ベリックはセバスの横をすり抜け、走り出す。


 奴が嘘をついているだけで、きっと誰か起きているはずだ。

 そうに決まっている。


 セバスの言葉を否定しようと、重たい体を揺らしながら必死で走った。


 と、不意につまづいて転んでしまった。


「ええい、誰だ! 廊下に物など置いた……の、は……」


 そこで彼は見た。


 廊下には無数の私兵が折り重なるようにして倒れていた。


「ひ、ひいいいいいいぃぃ!?」


 腰を抜かしたベリックは、座ったまま後ずさる。


「ご安心ください。皆さん寝ていらっしゃるだけですので」


 ベリックが振り返ると、そこにはセバスが立っていた。


「き、貴様、分かっているのか? 私に手を出せば他の侯爵家も敵に回すことになるのだぞっ」


 ベリックの脅しに対して、セバスは全く動じなかった。


「それは、キエル侯爵閣下とガーランド侯爵閣下のことを言っておられるのですか?」


「そ、そうだ」


「それでしたら問題ございません。お二方からは既に色よいお返事をいただいております」


「……今、何と言った」


「ですから、貴方の悪巧みのお仲間2人から、私やお嬢様に逆らいませんと約束していただきました。これがその証拠です」


 セバスは懐から誓約書を取り出してベリックに見せた。

 キエルとガーランド両名のサインと家紋が押印されている。


「馬鹿な……いや、そうか! 準備とはこのことだったのかっ」


「ご理解いただけたようで何よりです。それで、ベリック侯爵閣下はどうされますか?」


 セバスは勝ち誇るでもなく、ベリックにただ淡々と話しかけた。


「……私もサインしよう」


 ベリックは自らの敗北を認めた。

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