囚われのお姫様は恋に落ちやすい
私は発見した地下への階段を下りながら、先ほどの戦いを思い出していた。
退屈しのぎにはちょうどいい相手だったわね。
実力は……まあレボルよりも数段劣るけれど。
でも、最後に見せたアレはなかなか興味深い現象だった。
ステータスを見た時のレベルは60だったのに、80まで上がっていたのよね。
動きが急に良くなったからほんのちょっぴり驚いたけど、それでも所詮はレベル80。
あの程度の動きでは私に一撃すら入れることはできないし、レボルにも敵わないでしょうね。
ああ、別に魔王を倒すのが目的ではないんだっけ、さっきの人は。
確かロザリアを亜人の国に渡して、解放と引き換えに砦の明け渡しを要求、その混乱に乗じて攻め入る――だったかしら。
人間でありながら亜人に協力するくらいだから何かしらの理由があったのでしょうけど、今はどうでもいいことだわ。
それよりもレベルを引き上げた薬のほうがよほど気になる。
セバスに頼めば入手ルートを調べてくれるでしょう。
階段を下りた私は薄暗い地下通路を歩くと、ほどなくしてセバスとアンの姿が見えた。
セバスとアンは鉄の扉の前に立っており、2人の足下には男たちが倒れている。
セバスの手には鍵が握られていた。
「この中にロザリア様が?」
「そのようです」
このまま鍵を開けてロザリアを助け出すのは簡単だ。
だけど、それでは私の存在が広く知られることになってしまうので却下だ。
何より私が助けたのでは面白くない。
囚われたお姫様を助けるのは勇者と決まっている。
そして、もちろん私は勇者ではない。
「彼らがそろそろ来る頃かしら?」
セバスに訊ねると、セバスは懐から懐中時計を取り出した。
「そうですね……あと10分といったところでしょうか」
彼らとはすなわち善人のいるパーティのことだ。
ロザリアがアルベルト伯爵の屋敷に囚われていることを善人たちに知らせるよう、セバスに命じていた。
優しい善人のことだから、きっとくるに違いない。
ただ、ロザリアは私たちに会っていないからいいけれど、倒した相手はそうはいかない。
私たちに倒されたという記憶が残っているからだ。
それでは困る。
私は倒れている私兵に近づく。
「起きて」
呼びかけに反応した私兵たちが目を覚ます。
頭に手をやっていたが、私たちに気づくと驚いたような顔をして立ち上がった。
「私の目を見て、ね?」
「――ぁ」
私兵たちの目が虚ろになる。
私はにっこりと微笑んで、彼らの脳に沁み込ませるように言葉を投げかけた。
「貴方たちは今日、私たちに会わなかった。そうよね?」
「――ぇ」
「私たちのことは忘れなさい。いい?」
そう告げると、私兵たちはゆっくりと頷いたかと思うと足首から崩れ、臀部をぺたんと床に落とした。
私が持つスキルの一つ、『魅了』である。
久しぶりだったけれど、うまくいったようだ。
同じ相手に何度も使用すると、人格に影響を及ぼしてしまうから使いどころには注意が必要なスキルだけど、ロザリアを攫うような人たちだし、まあいいでしょう。
さて、急がないと。
私はアルベルトを含めた屋敷にいるすべての者に対して、彼らと同じように記憶から私たちのことを忘れてもらった。
これでよし、と。
私たちに会った記憶は消えてもダメージ自体は残っているから、もしアルベルトたちが抵抗したとしても、今の善人たちなら問題ない。
それに、アルベルトのレベルも60に戻っていたし。
どうやら薬の効果は一時的なものみたい。
さっさと転移魔法で魔王城に戻ってしまいましょう。
私たちが戻ってすぐ、善人たちはアルベルトの屋敷に現れた。
抵抗するかなと思っていたけれど、予想とは違ってアルベルトたちは善人たちを前にしても抵抗しなかった。
というより、何もできなかったといった方が正しいかもしれない。
「ちょっと効きすぎちゃったみたいね」
久しぶりだったから、少し強めに『魅了』をかけたのがいけなかったのか。
誰もがみな、腰を下ろした格好で固まった状態で瞳の焦点が定まっていない。
まあ、しばらくすれば動けるようになるでしょう。
その時には近衛騎士がやって来ているはずだから、逃げられないと思うけど。
善人たちは戸惑いながらもそのまま地下通路へ向かい、無事にロザリアを助け出した。
牢の鍵を開けて、「もう安心ですよ、王女様」と言いながら笑顔で手を差し出す善人の姿が勇者みたいな様になっている。
ああ、勇者みたいじゃなく勇者だった。
小さくて柔らかい指が善人の手を握る。
その瞬間、ロザリアの顔が一気に赤くなった。
これは……。
大鏡越しでも分かる。
恋に落ちた乙女の顔だ。
囚われのお姫様が助けに来た勇者に恋をする、というのは割とよくある話ではあるけれど、実際に遭遇するとは思わなかった。
まあ、善人は見た目も中身も爽やかな好青年だしね、分かるよ、うん。
危ないところを助けてもらったことも加味すれば、恋に落ちても不思議じゃない。
むしろ当然の結果といえる。
「よろしいのですか、お嬢様?」
「? 何が?」
セバスの言葉に私はこてり、と首を傾げる。
「いえ、お嬢様は善人様のことをお慕いしているものと思っておりましたので」
セバスに同意するように、アンもうんうんと頷いている。
「私が? 善人のことを? ふふ、似ているけどちょっと違うわね」
好きか嫌いかでいえば好きには違いないし、善人は気になる少年だ。
ただ、それは恋というよりも慈愛の感情に近い。
弟の成長を見守る女性といったところだろうか。
「私が誰かに守られなければならないほどか弱い存在なら、好きになっていたかもしれないけれど」
今の私は誰かに守ってもらう必要などないのだから。
「さようでございますか。ですが、お嬢様」
「なあに?」
「お嬢様が誰よりもお強いからといって、遠慮なさる必要はないと愚考いたします。それに」
セバスはそこで一度、はにかみながら肩をすくめた。
「男というのは基本、馬鹿な生き物でございます。誰かを――特に女性を守ることでヒーローになれると本気で思っているのです。だからこそ、見えないところで努力もするし、時には格好もつける。誰かが困っていたら絶対に駆けつけるし、見返りも求めない。そういうものなのです」
「……セバスも?」
「もちろんでございます。そして、それは善人様も同じかと」
「そう……気に留めておくわ」
別に何かに遠慮しているわけではないし、恋をしたくないというわけでもない。
ただ、今まではそういう相手に巡り会えなかっただけだ。
――あれ? そういえば最後に恋をしたのはいつだっけ?




