火曜 12:25
その日の昼休み、僕は猫柳さんを尾行していた。これはなんでかと言えば、心が狭い友の、ささやかな復讐に付き合っているのである。
「ほらほら、二年の校舎に入る。」
わざわざ二年の校舎に来るなんて、めったにないことだ。学年同士のトラブルを避ける意向もあるのか、それぞれの校舎は渡り廊下も無く、完全に独立している。他学年と付き合っている生徒は、中庭か食堂で会うのが当たり前だ。
明らかに目立っている。なにせ周りは青いラインの引かれた内靴なのに、僕らは来客用のスリッパなのだから。彼女は内靴を持ち運び、二年校舎の入口で再び靴を履いている。せめて彼女の行動を見習えばよかった。「他学年が何してんだ?」という先輩達の圧が、僕の精神力をゴリゴリ削ってくる。
「彼氏でもいんのかな」
それは無い。彼女は枕まで持ち歩いている。そんな状態で恋人に会うものか。
「……あれ? 屋上ってことは告白か?」
「屋上って鍵が掛かっていなかったっけ?」
「二年は掛かってねぇのかな?」
見た感じ、校舎の構造は一年も二年も一緒だ。彼女は屋上に繋がる階段を上っていく。
「オイ~ッス、ネネ! また寝に来たか! よかろう、許してつかわす」
途端に高くて大きな声が上がった。
「誰かいるな」
「先輩か?」
階下で呟く。階段は踊り場を挟んだ折り返しがあるので、上は見えないのだ。
「ホレ! まあ茶でも飲め!」
「いりません」
「人の物を取るな」
「オメーのモノはオレのモノ!」
騒がしい階上に聞き耳を立てていると、コロコロと水筒のフタが転がってきた。
「やべぇ!」
横の友人は、専売特許である逃げ足の早さを存分に見せつけてくれた。もう見えない。
お前なにしてんだコラ。
「おい、そこの君」
逃げるタイミングを逸した僕に、上から声が掛けられた。長い前髪で、顔の半分を隠した男子がこちらを見ている。
「僕ですか?」
「チミ以外にダレがいるかね?」
今度は女子が顔を出した。長く真っ直ぐな黒髪を垂らし、美しい顔を覗かせている。
「ソレ持ってきな!」
顔に反して、いきなり命令口調ですか。
「いい、取りに行く」
先の男子が、肩も揺らさず正しい姿勢で階段を降りてくる。
「ど、どうぞ」
「ン? ブゥ!」
いきなり人形のような女子が吹き出した。
「ちょっ……チミ……スリッパって……ありえないっしょ!」
僕を見て大爆笑している。初対面にありえないのは、むしろアナタの行動です。
「君は一年か?」
男子が言う。近くで見ると、彼は眼鏡で顔が一層隠れていた。
「はい」
「……それで? 一年が来るなんて珍しい、二年に用か?」
「あの……珍しく一年が入って行くのが見えたもので、つい」
「猫柳さんか、上ってくるといい」
ど、どうする?
頭をフル回転させようとするが、男子と一緒にあっさりと踊り場までたどり着く。
あー、えーと。
つたない言い訳でボキャブラリーを無くした僕は、釈明の余地も無いまま振りかえざるをえなかった。
「ほらネネ、客だぞ。寝てンなよ」
髪の長い女子から足蹴にされる猫柳さんは、屋上前の小さな平地で丸まっていた。
大きな天窓からは暖かい日差しが降り注ぎ、日陰からの冷気と混じり快適な室温になっている。その中で、猫柳さんは枕を置いて猫のように丸まっているのだ。
「コイツ起きやしねえ」
「好きにさせとけ」
「まァいいや。一年、座れ」
靴を見るに、猫柳さん以外の二人は二年生のようだ。前髪と眼鏡で顔を隠した男子に、人形のように美しい女子。
この人達、一体どういう関連性なんだ?
「早く! す・わ・れ!」
強制され階段に座ると、ドカドカと腰を下ろされ挟まれてしまった。
な、なに?
逃げれないんですけど。
「ンで、ネネがどうかしたか?」
「ネネ?」
「ああ、よく眠る猫柳――『眠り猫』の略称でネネって、こいつは呼んでる」
「不愉快、ええ不愉快極まりないです」
後ろを見ると、丸まっていた猫柳さんが薄目を開けている。その姿は猫そのものだ。
「いいから寝てろ」
男子の声に、彼女は再び目を閉じた。
「しかしアイサツがねえな、一年坊」
アナタ達がヒマを与えてくれなかったんですが。
「1Gの武井 陸と言います」
「リクな! って、ネネと同じクラスじゃねえか」
「楔 梗助だ」
「オレは冷子、ヨロシクゥ」
親指を立てて体当たりしてくる。名前に反して言動がうるさい。
「それで、マンションまで見に行った彼女になんの用件だ?」
「えっ?」
「さっきの言い訳は苦しい」
楔先輩とか言ったか、この人は鋭いな。
「ちょっと興味本位で」
「まァ、ネネんとこは幽霊マンションで有名になってきてるからなァ」
「でも、それだけじゃ付いて来たりしないだろう?」
まるで取調べを受けているみたいだ。僕は冤罪だと訴えてやりたい。
「……言いだしっぺは友達です」
真一をかばう言葉が思い付かなかったので、名前は出さず事実を述べる。
「ダチがネネを好き?」
「いえいえ、あいつはそういう考えじゃないと思います」
「ほう、君は彼をどう思っているんだ?」
「彼?」
「あいつだろう? 初めて会う他人を前にして、異性の友人を呼ぶ言い回しじゃない」
なんだか楔先輩の言葉は、鋭さのあまり『逃げ場』が無くなる。
「あいつは、小さい頃からの友達で……」
「最近、家族と会ったことは?」
「学園に入ってから放任になったみたいで、会っていません」
「では、学園に入る前の思い出は?」
何が言いたいんだ?
「……悪かった。冷子との話を続けてくれ」
「ソイツのハナシは、もうどうでもいいや」
今の会話で熱を無くしてしまったのか、冷子先輩は首を振った。
「それよりオメー、いい体してんじゃん。運動部?」
体をジロジロと見られる。
先輩、セクハラです。
「帰宅部です。夜に走ってはいますけど。小さい頃から続けていて……今は、日に二十キロくらいかと」
「そんなかよ!」
「なるほど。むだな筋肉まで付いていないのは、そのためか」
昼休みも終わりに近くなり、起き上がった猫柳さんと戻ろうとしたところ、階上から楔先輩が声を掛けてきた。
「君、最後に一つ質問がある」
「なんですか?」
「もしこの世界にヒーローがいなかったら、君はどうする?」
「ヒーロー?」
「そうだ」
「いませんよ」
「それならどうする? 誰が世界を守る?」
そんなこと言われても。
「……呼び止めて悪かった」
「いえ」
一体、なんだったんだ?