日曜 20:10
空を見上げると、星空が絨毯のように広がっている。今にも降ってきそうだ。
「今日も綺麗だ。絶好のジョギング日和ってやつだな」
息を呑むような星空――とは言うが、あれはどういう意味なんだろう。どんだけ美しいんだ。毎日毎晩空を眺めているが、今日に至るまでそんなの出くわしたことがない。呼吸が止まってしまったら死ぬぞ。まあ、星が降ってきても困るんだけど。
なんてことを考えながら、僕は靴紐を締め直した。
ボヤきはこのくらいにして。
「……行くか」
日課のジョギング開始。
僕は高校一年の今まで、帰宅部を貫き通している。お仕事大好き両親は、ほとんど家に帰ってこない。二人は旅行会社のガイドで、年がら年中、国内外を飛び回っている。必然的に家事は自分で受け持つこととなり、部活なんかやってたら家庭崩壊する。
そう言えば、反抗期なんて無かったな。
ああ、むしろ反抗すべき相手がいないんだ。
両親のことは尊敬してるし、嫌ってもいない。強いて言うなら気を遣ってる。部活動に入ってしまったら、お金もかかるし拘束時間も増えるだろう。煩わしいと思われたくないし、かと言って期待されるようなスペックを持ち合わせていない息子だ。
そんな僕の唯一の趣味が、このジョギングだった。昔から走るのは好きだったし、部活じゃないから好きな時間に好きに走れる。休んだところで後ろめたさも無い。自分の限界なんて求めてないから、体と心の負担も少ない。
夜の住宅街を駆け、そのまま街中に入る。歩く家族を見て、両親の顔が頭に浮かんだ。今はどこで何をしてるんだろうか。小さい頃から一人の生活が当たり前になっているから、寂しさなんて感じたこともない。
「うーん」
ジョギングは無心になれるから好きでもある。考えているのはコースに飽きてきた証拠、そろそろ変えてみよう。
とりあえず距離を伸ばそうと路地に入ったところ、行き止まりだった。思わずブレーキをかける僕の前に、奇妙な出で立ちの人物が背を向けている。
そういや、最近は幽霊マンションだの、行方不明だの物騒だったな。
背丈は僕より少し低い。足音は耳に入ったと思うが、一向に振り返らない。それが、僕に恐怖を呼び起こさせた。顔の上を、運動か冷や汗か判らないものが流れる。
幽霊ならまだしも、行方不明事件に犯人がいるとしたら?
月明かりに立つ人物は、頭まですっぽりと覆う、紺色のライダースーツを身にまとっていた。腰には大きいベルトを巻き、全身は光を反射して輝いている。
困ったな。
幽霊の格好じゃないが、絡まれると面倒臭そう。
今のうちに引き返すか?
「見たか?」
相手が呟く。
低い声だ。
少しノイズが混じっているな。
もしかしたら、ボイスチェンジャーを使っているのかもしれない。
「見たのか?」
返答しない僕に、相手は壊れたレコーダーのように繰り返した。
見たかと言われても、なんのことだかさっぱりだ。
とりあえずお前の姿以外、今の僕に突っ込みどころはない。
「見てません」
「本当か?」
しつこいな、見てないって言ってるだろ。
それよりお前、なんでそんな格好してんの?
と、ゲス顔で言いたくなるのを握りこぶしで抑え込む。なるべく冷静を装わねば。真意は分からないが、心のぶれを察知されては分が悪くなる。
「見たとしても、誰かに言うな」
まあ、言われたくないだろうな。
夜の街で、こんな格好してるだなんて。
僕だったら恥ずかしくて死ねる。
拡散されたら社会的にも死ねる。
「海をも切り裂く」
相手は振り向きざま、その姿が蜃気楼のように揺らいだ。
「え……」
右足が光りだす。
「ちょっ……」
なんかまずいぞ。
足が持ち上がる。
「うわっ!」
僕の横で、ガンッという音が響いた。反射的に顔を向けると、壁がえぐれている。
「あぶっ! おい! なにす……」
姿が消えていた。
ただのコスプレかと思ったけど、本物の〇〇ライダー?
夢かな。
僕は頬をつねる。
「いちち」
夢じゃないよなあ。
幽霊の方が平和だったかも。