水曜 18:40
地図にある楔先輩の家は、街外れの住宅街にあった。言っては悪いが、白い壁に包まれた普通の一軒家。こんな家に住んでいる人が、あんなアーマーを作り出すとは思えない。
玄関のチャイムを鳴らすと、優しそうな女性が顔を出した。
「あら」
長い髪を首の後ろで束ね、家と同じく白を基調とした服を着ている。年は二十代後半、先輩のお姉さんだろうか。冷子先輩に劣らず、かなりの美人だ。なぜ神様は、僕に美人をめぐり会わせてくれないのか。楔先輩がうらやましい。
「夜分にすいません。武井 陸と言います。楔先輩はいらっしゃいますか?」
「梗助さんのお友達ね。話は聞いてます、お上がりなさい」
これまた柔らかな物腰に優しい笑顔が似合う。
ちくしょう、目から血の汗が出そうだ。
「あの、失礼ですが……」
「ああ、私は棗と言います。梗助さんの義母ですわ」
梗助さん、こんな美人のお義母さんがいらっしゃるんですね。
もはや人生勝ち組ですよ。
「梗助さんは地下の工房にいます」
玄関から続く廊下を歩く。横にはリビング・キッチンと、二階へと上がる階段もあった。
「ここです」
「ここと言われても……」
廊下の突き当りには、白い壁と電灯のスイッチがあるだけだ。
「少し待っててね」
キッチンから包丁を持って来る。笑顔で持って来られると、かなりの迫力だ。
「ちょっ……殺さないで……」
僕が引いていると、彼女は微笑んだまま言う。
「まあ見てなさいな」
電灯のスイッチをパチンと押すと、それ自体がトランプのように反転。細長い穴の開いた、金属製のプレートが姿を現す。
「えい!」
彼女は気合いの声を上げながら、抜き身の包丁を穴に突き刺した。包丁が飲み込まれると、ゴンッという音が鳴り響く。壁の一部が沈み込み、横にスライド。開いた壁からは、地下へ続くと思われる階段が現れた。
「行きましょう、暗いから気を付けて」
階下には一つのドアがあった。棗さんが微笑みながら扉を開く。
「約束の時間に十分前、悪くないな」
振り向いて楔先輩が言う。二十畳ほどの部屋には、中央の大きなテーブルを囲み工作機械が並んでいる。随所にモニターが取り付けられ、その明かりだけで内部を照らしていた。
「冷子先輩は?」
「まだだ、じき来るだろう」
「……あの、棗さんまでいますけど」
「安心しろ。彼女はホワイト、仲間だ」
「は?」
「よろしくね」
棗さんは立ったまま、先輩も無言でモニター群を見ている。残された僕にやることは無い。意味も無く『ああぁ!』とか叫んでみたいところだが、反応されて一撃を加えられては洒落にならないので止めておく。
その時、上からガンガンと音が聞こえてきた。
「オイ包丁!」
「あら」
見ると、棗さんの手には入り口で必要な包丁が握られている。
「持ってきちゃった」
「……早く行ってあげて下さい」
彼女は口元に手を当てながら出て行く。
「他が来たようだ」
楔先輩が指差すモニターでは、廊下の突き当たりで騒ぐ三人が映し出されていた。
地下の部屋に、棗さんが冷子先輩と、見たこともない男の人を連れて戻ってきた。服の上からでも分かるほど、引き締まった肉体に整った顔立ちをしている。
「まだ紹介していないのは彼だけだな。三年の長谷川先輩だ」
「イエローの長谷川 旭だ、よろしく頼む」
微笑んで手を差し出されたので、僕も笑顔で握手を返す。
なんだか、心の優しい力持ち、ってのを絵に書いたような人だなあ。
「でも長谷川って……まさか水素化学の御曹司! こんなことしてていいんですか!」
「水素の区画で行方不明事件など起こされて、黙って見過ごすわけにはいかないからな」
「――ヒマだろうしな」
冷子先輩がニヤケながら小声で囁く。
「ちょっ……聞こえますよ」
「どうせ私はヒマだから」
「聞こえてる!」
自己紹介を終えたところで、楔先輩が再び口を開いた。
「桔梗の検索に引っ掛かっただけでも、すでに三ヶ月で同様の消失が十一件」
「すごい数ですね」
「捜索願が出ないんだ」
旭先輩が取り繕うように言う。彼は街を仕切る水素の息子だから、なおさら歯痒いんだろう。
「ニュースで流れている三件は別件だ。『委員会』のしわざだとすれば、家族は捜索願すら出さない」
「なぜです?」
「電磁記憶操作を使っているからだ」
その言葉、前にも聞いた気がする。
「やつらは、電磁波を使って人の記憶を操作する技術を持っている」
「じゃあ家族は……」
「家出か旅行と考えているか、あるいは気付かれてもいない」
「?」
「もし家の中に、家族の誰も覚えがないドアがあったらどうする?」
「そりゃ『なんだろう?』って覗きますよ」
「そのドアを認識する行動すら、記憶からすっぽり消えていたら?」
「……」
「それが気付かれてもいないということだ」
怖い。とてつもなく怖い。
「プログラムによって、失う記憶にはある程度の指向性を持たせることができる」
「特定の記憶に絞れると?」
「だが、一つ条件がある」
「条件?」
「電磁波だからな。拡散もするし、空気中にも霧散する。当て続けなければ記憶が戻る」
「それ、効率悪いんじゃ……」
「だから事件を起こす時、やつらは一つ所を『実験場』にする」
「それが、今回はこの街だったと?」
「そうだ」
「でも、そんなリスクの高いことやってたら、世間にバレるんじゃないですか?」
「一度バレただろう?」
「え?」
「バレたから、記憶を持つ者、一族郎党、知り合いに至るまで皆殺しにしただろう?」
「え? え?」
「告白事件だ」
「でもあれ、愛を口にした者が……」
「やつらは戦時中、ある兵器の実験をしていた。だがそれは国内どころか、敵国にバレた。実験していた二か所に、最新の爆弾が落とされようとしていた。焦ったやつらは、あろうことか記憶操作の対象に、『愛』を組み込んだんだ」
「愛って……」
「愛というより、『情』の限定排除だな。そんな種の保存に繋がる思考、抑えられるはずが無い。人々は思い出したように口にする。そして脳が焼き切れて死ぬ。人の脳は、死ぬ時に強い電磁波を拡散する。つまり、死ぬ時にそばにいた者、告白を受けた者や、偶然でも立ち合わせれば感染してしまう。電磁記憶操作に関わらず、爆発的に広まってしまった」
「大事件じゃないですか」
「そうだ。大事件だ。だから戦争どころじゃなくなっただろう?」
「もしかして、国は……」
「五大企業と手を組んで、やつらを上回る電磁記憶操作を拡散した。脳に負担が掛からないよう、真実を少しだけ公開したんだ」
「それが、告白事件の正体……」
「時の天皇陛下は、一人で秘密を抱えるのに疲れてしまった。だからそのまま、五大企業に国を託して退いた。今は一部の者が知るのみだ」
「先輩は、どうして知っているんですか?」
「言う必要は無い」
ここまで喋っといて……この人は。
「さて、記憶操作から外れる他所からの調査で十一件、きっちり一晩に一人だ」
「しかし十一件とは多いな。多くの記憶を操作できる巨大な装置が、どこかに設置されているはずだ」
「長谷川先輩、場所についてはこちらで調べる。自由に動けるよう、水素側に便宜を頼みます」
「分かった」
「ホワイト」
楔先輩は、それまで部屋の隅で微笑んでいた棗さんに声をかけた。
「はい」
「夜のうちに街の中心部をさらってくれ。こちらは消えた人間の位置関係で調べる」
「了解しました」
なんだか、この二人は家族というより主従関係に見えるな。
「オレは?」
冷子先輩が目を輝かせながら割り込む。
「レッドは自宅待機」
「なんで!?」
「冷子君は、うるさいからな」
「冷子ちゃん、目障り」
「先輩って、なんかイラッとしますよね」
「ヒドイ! レッドはリーダーなのに……」
「グリーン、君も冷子と一緒だ。自宅待機」
「はい」
あっ、自然に返事しちゃった。