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姫シリーズ

金魚姫

作者: そらほし


 私の足は生まれつき少し曲がっていて、上手に歩くことが出来ません。

 カストバール公爵と呼ばれる私のお祖父様は、それをずいぶんと哀れに思っていたようで、何かにつけて気にかけてくださいました。

 本当に小さい時には、公爵邸に遊びに行けばいつも私を腕に抱いて、広い屋敷の中を連れ回し、たくさんの珍しいものを見せてくれたものです。

 北の国からいただいたという大きな動物の毛皮の敷物であったり、南の国の有名なカラフルなお花であったり、西の国の特産品で繊細なレース編みであったり、いつお邪魔しても素晴らしいもので溢れかえっていました。


 そういったいくつもの貴重なものの中に、東の国から持ってきたという小さなお魚で、『金魚』というものがありました。

 赤、黒、白、色とりどりの小さな魚たちが薄いガラスの中で美しく漂う様に私はとても心惹かれたものです。水の中、きらきら、ゆらゆらと泳ぐ姿はとても愛くるしい姿をしていました。

 その中でも一番の私のお気に入りは、すり鉢の形をした大きな焼き物の中で休むことなく泳ぐ金魚でした。

 それはそれは見事な赤く広がった尾びれを、ふわりふわりと揺らしながら泳いでいます。まるで何段にも重なったドレスの裾を上手に振りながら踊るダンスのようだと思ったのです。


 足の悪い私には踊れないダンス。

 社交の場に出られないだろう私。

 だからとても憧れたの。


「ねえ、お祖父様。この金魚、私にちょうだい」


 めずらしくおねだりをした私に、お祖父様は少し驚いた後、申し訳なさそうな顔で応えてくれました。


「悪いのう、ティナ。こいつは駄目なのだ」

「…………」


 いつでも優しくなんでも与えてくれるお祖父様が、めったにしない私のおねだりを断るとは思いませんでした。だからまるで、願っても願っても治らない私の足とおんなじだと思ってしまいました。本当に欲しいものは私の手には入らないのだと。

 だから思わず泣いてしまった。


「ああ、泣くな。ティナ。クリスティーナ、泣くでない」


 優しいお祖父様を困らせるつもりはなかったので、ぐっと力を込めて涙をとめようと頑張り無理にでも笑顔を作りました。そうしてお祖父様はほっとしたように言葉を続けてくれたのです。


「この金魚はな、育てるのがとても難しいのだよ。わざわざ東方から特別に飼育人を呼んで育てているのだ。だから金魚だけではお前にあげることはできない」

「そんなに大変なんですね」

「おお、そうじゃ。代わりといってはなんだが、もっと育てやすい金魚をティナに送ろう。お前の日々の癒しになるようにな」


 後日、お祖父様は約束通り、たくさんの金魚鉢と色とりどりの金魚を私の屋敷へと送ってくれました。





「お前、またそんなところにいるのか」


 いつものように不機嫌そうに私に声をかけてきたのは、美しいブロンドに深い緑の瞳が印象的な十二歳になるマイロン侯爵家のアルフレッド様でした。私より一つ上ですが背の高さが同じくらいなので、並んでしまうと私の歩き方のおかしさが際立つように感じてしまい、あまり近づきたくない人のうちのお一人です。

 このところランドルテ伯爵夫人であるお母様が頻繁に開いているお茶会に、マイロン侯爵夫人とともによくいらっしゃっています。そのたびに私が金魚を眺めているところを見つけては、何か最低でも一言は悪態をついていくのです。

 今日は表庭には面していないほうのサンルームでつかまりました。ここには赤い尾びれの綺麗な金魚がいるからつい顔を出してしまいます。お祖父様の大事な金魚ほどではないけれども、私の一番のお気に入りです。


「ええ、そうですわ」


 伯爵位とはいえ私のお父様は、後にお祖父様のカストバール公爵を継承する予定です。相手が侯爵家のご長男とはいえ、お前呼ばわりされているのに返事をして差し上げることもないのだけれども、しなければいつまでもまとわりつかれることがわかっているので適当に流すことにしています。


「なぜ茶会に出てこない」

「アンジェリカお姉さまとキャサリンがいますから、私一人がいなくてもよいでしょう」

「それは、お前が出てこない理由にはならない。クリスティーナ」


 ただでさえ不機嫌な声がさらに怒気を含んだ声になります。ああ、またです。なんでこの方は私を放っていてくれないのでしょう。

 最近開かれる会は主にお姉さまやキャスの婚約者を選ぶためのものです。今年十一歳になった私には薄々わかっていました。幼い今はまだともかく、足の悪い私にはこれから先社交場に出ることは無理だろうということ。そしてお父様、ランドルテ伯爵の娘として何一つ役に立つことは出来ないのだと――


 でもそんなこと口に出せません。いったところできっとこの何不自由のない方にはわからないでしょう。

 だから言葉を選んで、嘘ではないけれど本当でもない話をします。


「足が痛いの。お茶会をする四阿までは歩きたくないわ」

「だったら次はここで開催してもらおう」


 花の代わりにお前のおすすめの金魚を愛でる会だ。それなら文句もないだろうよ。と言いたいことだけを言って離れていきました。

 




 嫌い。嫌い。大嫌い。


「アルフレッド様は意地悪で嫌だわ」


 お母様が私の髪を撫でながら、困ったような顔をしてなだめるように声をかけます。


「あら、素敵な息子さんよ。マイロン侯爵にとても似ていらっしゃるわ」

「……侯爵様もあんなに意地悪なの?」


 まあ、それではあなたこそ意地悪なことね。と笑われてしまいました。私は少しきまりが悪い心地がして横を向いてしまいます。


「でも、そうね。ティナ、あなたも次のお茶会へ参加しなさい」

「えっ、でも…………」

「ねえティナ。そんなことではこれから困るのはあなたなのよ」


 諭すようにお母様は話します。小さい時から治療を重ねてきたから、ゆっくり歩くだけならもうひどく不都合はないのよ、と。私が思っているほど酷くはないのだと、優しく教えてくれました。


 ええ、知っています。本当は知っているの、お母様。


 でもね、それではダメなのよ。


 私はあの美しい金魚のようになりたかったのです。


 なんとか普通を取り繕っても、本当の私がとても不器用なダンスしかできないことが知られるのが嫌なのでした。長くは歩けないこの足のことを、快活に走り回るあの人に呆れられるのが嫌だったのです。

 だったら最初から傷つかないようにと、近寄らないことしかできない自分が嫌いなのです。


 嫌い。嫌い。大嫌い。こんな私が大嫌い。


 ―――きっと、アルフレッド様だって大嫌いでしょう。


 


 

 アルフレッド様が言った通り、次のお茶会は屋敷の西側の庭に面したサンルームで開かれることになりました。そしてお母様もあの日の言葉を取り下げず、私は参加を強いられたのです。

 アンジェお姉さまもキャスも、一緒にと喜んでくれるのは嬉しいのですが、やっぱり人前に出ることがとても怖いです。特に、アルフレッド様の眼に、変に映らないようにと願ってしまいます。


 可愛らしいピンクのドレスを着せられて、ほんのりと化粧もしてもらいました。お客様のいらっしゃる音がいつ聞こえるかと思うと、緊張で胸が痛くなってしまいます。


 ああ、もうどうしましょう。そうだ、ガチガチなこの気持ちをほぐしてもらおうと、会場のサンルームにいる赤い金魚に会いに行こうと思いました。まだ始まるには早いだろうから少しなら大丈夫だろうと思ったのです。


 こそりとサンルームの扉を開ければ、窓際のレースがひらりと舞い上がりました。普段開け放つことのない部屋のそれが妙に不思議に思えます。どうしたのだろうかと、人を呼ぼうとしたその時、金魚の鉢が割れて水浸しになっていることに気が付きました。


「え……あ、どうして……?」


 割れたガラスの周りを見回してもあの赤い金魚はどこにもいませんでした。人を呼ぶのも忘れて探しました。すると、小さな水の雫が点々と庭に向かってるのを見つけたのです。

 どうしてこんなことになっているのかはわかりませんが、急いでその跡を追います。普段こんなに慌てて歩くことはないので、はたから見ればひどく不格好な様子でしょう。

 けれどもそんなことにこだわっている場合ではありません。


 私の金魚。美しい金魚。本当は私がそうなりたかったの。どうかもう一度その美しいダンスを見せて……


 すでに水跡は見えないものの、どうにかして諦めきれない私の足は庭へと進みます。けれど庭の芝は私の足に容赦なく襲い掛かり、つんのめり、転がりました。お茶会のためのドレスもすっかり汚れてしまいました。

 けれど、どうか、どうか。その思いで前を向いたとき、見覚えのあるブロンドの髪が見えたのです。


「アルフレッド様……」


 何かを隠すかのように両手を合わせてたたずむアルフレッド様。私に声をかけられてビクリと体を震わせた、その手からは赤いひれが零れていたのです。


「クリスティーナ、これはっ……」


 慌てて私の名を呼ぶアルフレッド様でしたが、私の耳にはもう何も入ってきませんでした。


 私の金魚。無残な金魚。あの、動かなくなった金魚は、私そのものだ。


 ―――いやぁああああっ!


 どこにこんな声を出せる力があったのかわかりませんでしたが、とにかく、とにかく悲しかったのです。そして、憤ったのです。


「どうして金魚を殺してしまったの?アルフレッド様の眼の端につくのもお嫌でしたか?ねえ、どうして、どうして……そんなに私が嫌いなのなら……」


 私を殺せばよかったのにっ……


 そう叫んで崩れ落ちる瞬間、アルフレッド様の歪んだ顔と今にも泣きだしそうな緑瞳が映りこんだのでした。





 その後のことは覚えていません。

 少し後になって、お茶会は私の体調不良で中止になったこと、そしてあの時の本当のことを教えてもらいました。


 侍女のケイトがサンルームの空気の入れ替えの時にその場を離れてしまったこと。戻った時には、外から飛び込んできた猫に金魚がいたずらされそうになっていたので、慌てて撃退しようとして鉢を割ってしまったこと。そしてその猫が金魚を咥えて走り去ってしまったこと。それらをケイトが泣きながら侍女頭に話したそうです。

 なんとか金魚を取り返そうと猫を追いかけた先で、アルフレッド様がその泥棒猫を追い払い、可哀そうな金魚を拾いあげてくれたのだとも話してくれました。


 でも私はその話を聞いても、どうしようなどとも全く思えませんでした。


 私の金魚は死んでしまいました。


 私の恋は殺してしまいました。


 全部。全部。全部。全部。全部私が悪いのです。


 もうただそこにいるだけのものでいいの。


 違う、本当はアルフレッド様に謝りたいのにこれ以上嫌われるのが嫌で動けないの。


 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。





 日がな一日ぼうっと過ごす私の元に、久しぶりだとお祖父様が遊びにきてくださいました。なんとか笑顔を作り出そうとするのだけれど上手くできない私を抱きしめ、大きくなったなと笑いかけてくださいます。

 

「最近は膝が痛くて杖が離せん」

「まあ、お義父様大丈夫ですか?」


 心配そうにお母様が声をかけます。お祖父様はそんな声に楽しそうに応えるのです。


「ああ、折角だから好みの杖を作らせた。握りの部分に特別な彫りをいれたんだ」


 どうだ、うちの金魚だ。可愛いだろう?そう言って、私によく見えるようにと杖を手渡してくださいます。そこには、とても可愛い金魚が泳いでいました。でも、あまり似てはいないようです。首をかしげる私に、はっはっは、と笑いながらおっしゃります。


「あまりそっくりにすると繊細過ぎてすぐに壊れてしまうからな。適当に大雑把なぐらいで丁度いいんだよ」


 なあ、ティナ。そう私に向かって言葉を続けます。


「この歳にもなると皆、膝やらなんやら動かなくなってくるもんだ。たかだか五十年、そんなもんで皆同じようになる。気にするな、あと四十もすりゃあ皆足の動かんじじいとばばあばかりだ」


 でもな、生き生きしたじじばばの方が、死んだ目をしたじじばばよりもずっと楽しいぞ。そうお道化て話すお祖父様に、お母様がまあなんてことを言うのです。と叱りつけました。

 首をひょいっとすくめて舌を出す姿はとても公爵様にはみえません。

 ふふ。それがあんまりおかしくて思わず笑っていました。お母様はそんな私を見て驚き、少し泣いてしまいました。


「ティナ、それでいい。どんなにつらいことがあっても、心を止めてしまってはダメだ。怒ってもいい、泣いてもいい。そしてぶつかるんだ。それでも疲れてしまったら、」


 わしの金魚を思い出せ。お祖父様はそうおっしゃりました。


 お祖父様の金魚。特別な金魚。尾びれの綺麗な綺麗な赤い金魚。


「あれはな、すり鉢の中、休むところがない中、ずっと泳ぎ続けるんだ。だからこそ、あの素晴らしく大きな尾びれを振り回して泳ぐことが出来るようになるんだよ」


 ずっと。ずっと、泳ぎ続けているのですね。


「お前の足は、人よりちょっと不自由かもしれない。だが、笑って、泣いて、怒って、そして人を愛すること。それは足なんて動かなくてもできる――――」


 心は、自由だ。大きく、美しく、泳ぎなさい。





 お祖父様が遊びにきてくださったあの後から、私は少しずつ、少しずつですが自分から動くようになりました。アンジェお姉さまとキャスからの散歩のお誘いを受けたり、お母様と馬車で屋敷外へ買い物など、今まで足を理由に全部断っていたことをやってみようと思ったのです。

 思うように簡単には動けません。けれども、自分のペースでゆっくりとでも動いていけばそれなりにはなんとかなるものです。

 屋敷の外ではやはり心無い視線を受けたり、当て擦りも聞こえてきましたが、自分から進んで動いていると、不思議と段々気にならなくなってくるのでした。





 そうした日々を過ごすうち、気が付けば私は十五の誕生日を迎える歳になりました。


「ティナ、少しダンスの練習を増やそうか」

「お父様、……ダンスですか?」

「ああ、シーズン始めにはお前の社交デビューを控えているからな」


 社交デビュー、それは私が小さい時から憧れて、でも諦めていた夢のような舞台。あの頃は、本当に何も出来ない自分に悲観し、頑なに殻に閉じこもっていました。

 けれどあの事があってからというものは、やれること、やりたいことを少しずつ始めることにしたのです。皮肉なことですが、ダンスの練習もその一つでした。


 私のこの足で踊るダンスは、まだまだ全く人前で見せられるような出来ではありません。習いたての子供のようなダンス。きっと笑われるわ。それでも、心に問いかけるのです。どうしたいの、クリスティーナ?と。

 

「そうですわね、お父様。お願いします」


 ニコリと笑い、返事をしました。お父様も笑顔を返してくださいます。


「じゃあ先生に頼んでおこう。楽しみだな、ティナ」

「ええ。お父様、デビューは一緒に踊ってくださるんでしょう?」

「勿論だ。アンジェも私がお相手した。ティナもキャスも私と踊るんだよ。娘たちのデビューダンスは父親の特権だ」


 そう言って、お父様は胸を張りました。お母様はそんなお父様を見ておかしそうに微笑んでいます。アンジェお姉さまと妹のキャスが私のドレスについてああでもないこうでもないと賑やかに話します。


 そんなとてもおだやかな午後のひと時の中、ふと、ブロンドの髪に泣きそうな深緑の瞳が、思い浮かびます。あれ以降、お茶会にも一切参加されなくなったあの人はどうしているでしょうか。


 あの頃からすでに溌溂とした美しさを持っていたアルフレッド様には、もう隣に立つ方がいるのかもしれません。もし、そんな姿を社交場で見かけてしまったら、そう思うと胸の奥がチリチリと痛みます。


 自分で殺してしまった恋心。なのにいつまでたっても弔うことができません。


 ですがもし、彼とすれ違うことができるのだとしたら、どうか心やすらかにいられますように、そう願うばかりです。





 デビュー当日、きちんと髪を結いあげて、しっかりとお化粧もした私を、とても可愛いわとお母様たちが褒めてくれました。フリルのたくさんついた真っ赤なドレスは少し恥ずかしかったのだけれども、私の銀髪によく似あうからと、アンジェお姉さまに選んでいただいたものです。


 お父様にエスコートされフロアに足を踏み入れた時、あまりの人の多さと豪華さに驚いてしまいました。キラキラとしたシャンデリア。色とりどりの美しいドレスが王宮のフロアに花を咲かせています。本当にここでダンスをするのでしょうか。

 足が竦んできました。ただでさえ足の悪い私です。あれだけ練習してきたのだけども、とても自信が持てません。

 どうしましょう、お父様の顔を見上げました。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、お父様はのんきに声をかけてきます。

 

「ねえ、ティナ」

「はい……お父様」

「申し訳ないんだけども、どうも今日は昔の古傷が痛んでね。……どうにも踊れそうにないんだ」

「え!?」


 大げさに太ももをさすりながら、お父様はそう言いましたが、古傷など初耳です。今まで全く聞いたことのないことをしれっと言い出す姿に唖然としました。

 では、一体私はどうすればいいのでしょうか?先ほどまでの緊張など一気に吹き飛び、立ちすくんだその時に、私のすぐ後ろから凛とした声がかかります。


「失礼します、ランドルテ伯爵。よろしければその光栄、僕にお任せいただけないでしょうか?」


 振り向けばそこには、美しい森のような緑の瞳に品格のあるブロンドの男性が背筋を伸ばし立っていました。


「おお、君はマイロン侯爵のところの息子さんだね」

「アルフレッド・マイロンです。ランドルテ伯爵」


「ア……アルフレッド……様?」


 すらりと伸びた背に、豊かになびくブロンド、涼し気な目元。昔の面影はあるものの、あまりに成長した姿に呆然としました。


「ぜひ、クリスティーナ嬢とのダンスをお許しください」

「ああ、そうだね。では君にお願いするよ、アルフレッド君」


 頼んだよ。その言葉で正気に戻ります。慌ててお父様に声をかけようとした時、ゆるやかに音楽が鳴り始め、あっという間に私の手はアルフレッド様の手の中に包み込まれてしまいました。


「待って、アルフレッド様!」

「待たない」


 もう、待たない。そうはっきりと宣言され、ダンスフロアへと連れ出されました。


 ああ、もう気にしても仕方がないわと切り替えることにします。腰に手を回し、ホールドの形をとり、ダンスが始まりました。

 デビューダンスは明るめのワルツ。少しテンポが速いので、いつもなら遅れないようにと必死で足を動かしますが、今日はどういったことかとてもと足が楽に動きます。


 あんなに緊張していたからきっとダメだろうと思っていたのに、とても楽しい。思ってた以上に踏めているステップをみて気が付きました。

 ああ、これはアルフレッド様のおかげなのだと。要所要所、私が踏み切れないステップを上手に捌いて流してくれています。


「アルフレッド様っ……」

「なに?クリスティーナ」


 随分と高くなった背に声をかけて見上げれば、そこにアルフレッド様の蕩けるように私を見つめる瞳がありました。思わず目を逸らしてしまいます。


「あのっ、すごく……ダンスが、お上手なのですね」

「練習したんだ。とても」

「そんなに?」

「ああ、君がどんなステップを踏んでも、どんなふうに舞っても、君が一番綺麗に見えるように……君のためだけに、だ。クリスティーナ」


 まるで沸騰したかのように、顔が真っ赤になったのがわかります。心臓が跳ね上がって胸が痛いの。どうして、そんな、そんな……


 軽快な音楽がダンスの終わりを告げ、私たちデビュタントたちへの拍手へと変わりました。足の悪い私は一曲だけのつもりだったので、ダンスフロアから抜けようとしたところ、ブラウンの髪色の青年に声をかけられました。


「ケビン・ガーランドと申します。お嬢さんよろしかったらお相手お願いできますか?」


 まさか声をかけられるとは思いませんでしたから、どうお断りしようと逡巡したところ、不機嫌そうな声が隣から響きました。


「申し訳ない。ランドルテ伯爵令嬢は足が痛むようなので、これで失礼させていただきます」


 そう代わりにアルフレッド様が勝手に答え、私の腰に手を置き、ささっとテラスへと連れ出してしまった。


 



「すまない。クリスティーナが他の男に声をかけられるのが嫌で、つい」


 少しも申し訳ないなどと思ってない口調でアルフレッド様が謝罪しました。


 連れてこられたテラスから見るフロアは、ガラスの鉢の中で泳ぐ金魚たちのようです。色とりどりの美しい金魚。それをしばらく見つめ、少し落ち着いた私は先ほどの疑問を口にだしました。


「どうして私のために練習を?……あなたにあんなにひどいことを言ったのに……」


 フッ、そう苦笑してアルフレッド様は言いました。


「あの頃僕は、ただ君に好かれたくて付きまとっていただけの子供だった。君が可愛がる金魚にまで嫉妬もした。クリスティーナが本当はあの金魚の何に憧れていたかも知らずに」

「……そんなこと」

「あれからもずっと見てた、少しずつ動き出す君のことを。つたなくても、自分の足で歩こうとする君を……だから、だから僕は、君の横で一緒に歩いて行ける者になりたいと、ただそれだけを願って努力してきたんだ」


 今にも泣きそうな、でも力強い口調で言葉が続きます。


 でもそのうちにどんどんと落ち着かなくなってきた。君はとても綺麗になって、早くしなけりゃ他の男にとられるんじゃないかって。


 デビューダンスを踊ると聞いて、ランドルテ伯爵にみっともなく縋り付いた。どうかクリスティーナと踊らせて欲しいと……


 熱く、そしてとても甘く囁くアルフレッド様の声に、心が躍りだしてしまうの。


「クリスティーナ、どうか君を思うことを許してくれ」


 ふわり、ふわり、と赤いドレスのフリルが綺麗な波をうねり舞います。

 私の心も、ふわり、ふわり舞い上がります。ああ、本当ですか、アルフレッド様?


「私も……初めて出会った頃から、ずっとあなたのことを思っていました」


 口に出してしまった、この思い。殺してしまったはずの、この思い。


 泣いて、怒って。なくしたはずのこの思い。


 でも、笑って、愛してもいいですか?


 思わず零れだした涙の向こうで、アルフレッド様の満面の笑みが滲みます。

 あの時の泣き顔はもうありません。



「僕の金魚。美しい金魚姫。愛してる。もう僕以外とは泳がないで」



 そう言って、アルフレッド様は私の涙を掬い取ってくれました。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 舞踏会でふわりと揺れるドレスの裾と、水の中を優雅にたゆたう金魚の尾の描写がとても素敵です。 [一言] 最後にすごい口説き文句が来て、悶えました!
[良い点] 表現が美しく、ふわりふわりと漂う金魚が思い起こされて素敵でした。 登場人物も短編なのに豊富で、役割がしっかりしておりまた、優しさが溢れていて心地よかったです。 [一言] もう僕以外とは泳…
[良い点] 「読ませる力」がある作品ですね。金魚という象徴的存在の選択やその描写の仕方も絶妙で、とても説得力がありました。 [気になる点] キャサリンが妹であることは読み進めるうちにわかりますが、初出…
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