平成30年12月08日(土)
2回目。坪川素晴、アラサー、独身、どこにでもいるサラリーマン。小説を書くことに憧れるも、何もしてこなかった己が人生を悔い、妄想備忘録を書くことを決意。それは人類にとっては小さな一歩だが、彼にとっては偉大な一歩であったに違いない。
よくわからないが、とりあえず一つ目は投稿できた。「なろうワールド」に行くのに、転生も、Godも必要なくて本当に助かった。ウダツの上がらないアラサー独身サラリーマンに余りリスキーなことを要求されても困るのだ。
ともかく何かを書こう。尤も「何かを書く」と言っても、その自分が書きたい「何か」がわからないからこれまで一歩も踏み出せずにいたのである。どうしたらよいのか。でも、考えてみれば不思議なことだ。そも小説とは心象の、文章という形式による具現化、表現のはずである。そして俺自身には「小説を書きたい」という欲求があるにもかかわらず、「叶えたい理想も願望も無い」とは一体どういうことなのか。
『ならば愉悦を望めばいいだけではないか?』
莫迦な!愉悦など・・・. そんな罪深い堕落に手を染めろと言うか?
しかし、かの英雄王がのたまうこともご尤も。確かに俺は「小説を書く」ということに関して、20年近くも延々と益体の無い妄想にふけってきた。無意味さの忘却、苦にならぬ徒労、これすなわち紛れも無い遊興、愉悦。そして英雄王曰く、愉悦とは魂の在り方であり、それがわからぬということは結局のところ、俺は俺自身の魂の形、在り方がわかっていないということ。それゆえ自身が本当に望むものが何なのかもわからぬのではないか。とすれば、どうするのか。
手っ取り早いのは「愉悦部」に入部することかもしれないが、これは異世界への転移もしくは転生等の面倒なステップが必要になる上に、仮に入部できたとしても部長や先輩部員との付き合いを考えると色々と大変そうだ。面倒なのはウチの上司と後輩だけで十二分に間に合っている(日暮しを舐めてもらっては困る)。土台、そうしたらこの小説は二次創作になってしまうだろうし、連載2回目にしてジャンルの設定を早速間違えたことになる。それはいくら何でもあまりに格好が悪いのでやめるべきだろう。だが、となるといよいよ(早速)手詰まりである。英雄王だけでなく、昔のエライ人も「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!」と言ったが、どうもそのルートは俺には向いていないらしい。何か他に手はないか?
そうだ!自分の好きなもの、愉悦がわからぬのならいっそ逆に、自分の嫌いなものについて考え、そのcomplementを取ってみるのはどうだろう?異世界転生モノが嫌い、無双チートモノが嫌い、ハーレムモノが嫌い、擬人化モノが嫌い、etc. それぞれのどんな部分が何故嫌いなのかを検証していけば自身が本当に望むモノが、それが本当に俺の内に存在するならば、浮かび上がってくるのではないか。成否はともかく、王道ではないこういう屈折したアプローチの方が俺に向いていそうだし、試してみる価値はあるように思う。
3回目に続くはず。




