弐拾壱ノ舞 予定外の宣戦布告
結衣と瑠璃の入浴シーン。
二人の恋バナ。というよりバトル?
本来こういうエピソードはexエピソードの方に逃がすのですが、本編の展開上必要な為、普通に本編の一話扱いです。
また、会社の期末で執筆時間が確保できないため、次話の更新は2週間後の3月25日にいたします。
よろしくお願いいたします。
その後、「善五郎の滝」に到着した一行だったが、そこで智一が一言、重要な事を溢した。
「なぁ。今思い出したけど、俺等風呂の時間計算に入れてなくね?」
「――――――っ!!」
「今15時10分過ぎだろ…………。戻るのに30~40分かかるとしたら…………今から戻って丁度イイぐらいじゃね?」
智一の言うことももっともで、空き時間を有効活用する事にばかり気を取られて入浴の時間を一切考えていない一行であった。
「いや、俺等はいいかもしんねぇけど、女の子2人は風呂入れないのはキツイんじゃね? 多分だけど、小倉先輩、BBQの後はすぐ星見に行こうとか言い出しそうじゃん、あの感じ」
とは智一の言で、結衣と瑠璃は風呂に入りたいに違いないという考えにすら至らない一哉は言われるまでわかっていなかった程だ。
そうして駐車場まで戻ること40分。そこから近くの温泉地に移動して日帰り入浴する事になった。
全参加者の中で唯一大学生でない瑠璃は、一哉の誘いならばと嬉々としてついてきたのではあるが、やはり慣れない人に囲まれてばかりいるとどうしても疲れてしまう。
アイドルとしてステージに立つようになってから多少そういった事への耐性は出来たものの、やはりまだまだ慣れないというのが、瑠璃の心からの本心であった。
「ふあぁぁ…………温泉なんて久しぶりだなあ」
暖かいお湯と白い濁り湯から沸き立つ硫黄の臭いにあてられてか、瑠璃は木の香り漂う浴槽で身体を伸ばしながら、そう呟いた。
百瀬家は決して裕福な家庭ではない。
優しい父母と、少し意地悪ではあるが瑠璃を大切にしてくれる4つ年上の姉。暖かい家族に囲まれている事は瑠璃にとって充分な幸せであったが、ひとつ不満があるとすれば、それは一度も家族旅行に行ったことが無いということであった。
両親が共働きで、特に父は長距離トラックの運転手なので、休みの周期が安定しない。だから、今まで旅行というものに行った事がほとんど無く、家族揃っての旅行など夢のまた夢であった。
瑠璃が一哉に好意を持つようになったのは、完全な一目惚れなのだが、佐奈から「本人は認めないが、一哉は実は旅行好き」と聞かされてから、一哉と付き合えれば一度も体験することの無かった「家族旅行」に連れて行ってもらえるのではないかという打算も僅かながらあった。
だからこそこの天体観測会に、一哉に誘われたという事は瑠璃にとって泣きたくなる程嬉しい事であったのだ。
そんな事を考えながらお湯を楽しんでいた瑠璃だが、ふと自分に向けられる視線を感じてそちらの方へと顔を向けると、そこには半分お湯に顔を沈めながら半眼のジト目でこちらを見る東雲結衣がいた。
「え……えっと……」
「ねぇ…………ちょっと聞いても良いかな?」
事前情報として結衣が一哉の昔からの知り合いで、そして訳あって同居しているという事を知っていたとしても、瑠璃にしてみれば所詮は全くの赤の他人である。知り合いですらない。
その視線の意味を問いかねていたところ、結衣の方から質問を投げかけてきた。
瑠璃はお湯の中で手を握り締めて気を張る。
「一哉君の事、どう思ってる?」
投げかけられたのはあくまでも予想の範囲内。
瑠璃は結衣を一目見た時からわかっていた。この女性は自分と同類だと。
一哉を見つめるその眼差しがとても優しかったから。そして一哉と会えることに舞い上がる自分を見た時の、ほんの少しだけ敵意を孕んだ視線。そして森の中でのあの態度。
ピースは他にもまだまだ沢山あったが、それでも判断するには充分だった。
東雲結衣は南条一哉に恋をしている、と。
一瞬、無難に「優しい人」だとか「ただの友達のお兄さん」などと無難な答えを返す事も考えたが、すぐに止めた。
自分の同類から投げかけられた質問の意味を図り損ねる程瑠璃も愚かではない。
だから真っ向から勝負に出る。
「え、えと…………すきです。一目惚れ…………でした」
「やっぱり…………っ!」
ほんの一瞬だけ結衣が見せた焦った様な顔を見た時、瑠璃は内心、正しい選択をしたと思った。
ここまで、瑠璃としてはいつも以上に一哉にアピールできていると感じている。それが実際に一哉に有効かどうかは別としても、今までほとんど何も出来ていなかった事を考えると、それは非常に大きな進歩と言える。
それに対して結衣は今のところ、一哉とマトモに話す事すらできていない。一哉が何故か自分と話す事を優先している節があって、思わず勘違いしてしまいそうな程には上手くいっている。
だから瑠璃は少なくともこの天体観測会においては、一哉と同居している筈の結衣よりも自分をアピールできる、そしてあわよくば自分の事を意識してもらえるかもしれない、と本気で思っているのだ。
瑠璃自身は己の容姿に関してそこまでの自信を持ってはいないが、それでも結衣というライバルには勝てるという根拠の無い自信が付き始めている。そもそも一哉の事を一目惚れという形で好きになった上に、それが初恋だった瑠璃は完全な恋愛初心者だ。だから、些細な事で勘違いをしやすいのだが、そんな点すらも武器となりうるのが、この瑠璃という少女。
そもそも瑠璃はアイドルとしてデビューする前からその容姿には定評があった。そんな少女が傍から見ても丸わかりなほどに恋する乙女の雰囲気を醸し出していれば、その可憐さにはより磨きがかかる。並の女子は裸足で逃げ出す程だろう。
しかし、結衣もこの程度で折れる様な精神構造をしていなかった。瑠璃には預かり知らぬ事ではあるが、伊達に10年間も片想いを拗らせている訳では無いのだ。
「そっかぁ…………。正直、ここで何とも思ってないとか言われたら、ちょっとイタズラしてたかも」
今度は瑠璃の方が肝を冷やす番であった。
一哉の手前という事もあるし、一哉が仲良くしている人間である事から、直接暴力的な手段に出たりする事は無いだろうが、それでも何か手痛い一撃を貰いそうな気はする。
この日ここまで結衣を見ていて、見た目の割に腹黒そうだ、というのが瑠璃の率直な感想である。
なので、次に何が飛び出るか内心ビクビクしていた瑠璃は次の結衣の言葉に拍子抜けせざるを得なかった。
「まあでも仕方ないのかな。あなたも大変な人好きになっちゃったよね」
「えっ…………?」
先程まで敵意の籠った視線を向けていた筈の結衣の表情がいつの間にか和らいでいる。
結衣のセリフの意味が、態度の意味がわからなくて瑠璃はますます困惑するしかない。
「私が言うのも変な話だけど、一哉君の事が好きな女の子ってやっぱり相当変わってると思うんだよね」
「は、はぁ…………?」
思いがけず出てきた言葉に瑠璃は気の抜けた声しか出てこない。
「だって考えてもみてよ。一哉君って確かに優しい人だけど、基本的には無愛想でしょ? たまに何考えてるのかわからない時もあるし。普通の女の子って、やっぱり顔がかっこいい人を選んだり、自分を特別扱いしてくれる人を選んだりする事が多いと思うんだよね。その点、一哉君ってカッコいいとは思うけどイケメンって訳ではないと思うし、優しいかもしれないけど基本的に何でも佐奈ちゃん優先だし。多分、私と佐奈ちゃんが同時に困ってたら、迷うこと無く佐奈ちゃんを選ぶと思う」
そう話す結衣は、今度は物憂げな表情でお湯を掬っては落としてを繰り返している。百面相かというほどコロコロと表情の変わる結衣の事は見ていて面白いのだが、同時にこの女性が何を考えているのか、全くわからなくなる。
同居人として独占欲でも見せてくるのかと思いきや、今度は一哉の欠点を述べだす。そうして瑠璃を諦めさせようとしているのか、それとも言葉通り同情しているというのか。どちらにせよ、瑠璃には余計なお世話の話だった。
「それが何だって言うんですか…………。私、一目惚れって言いましたけど……別に一哉さんの事…………顔で好きになった訳じゃないです」
「じゃあどうして?」
「私の親友を…………佐奈を大切にしてくれる人だから…………。自分の妹を…………家族をあんなに大切にする人なら…………私の事も……大切にしてくれるんじゃ…………ないかって…………」
結衣の眼をしっかりと見ながら、そう答えを返した。
なんとなくだが、瑠璃は結衣とは仲良くなれない気がしていた。それは別に同じ人を好きになったライバルだから、という話ではない。
同じ人を好きでありながら、見ている方向が全く違うと感じたからだ。相変わらず何を考えているのかわからないが、何となく気は合わない、と。
「そっか」
「そういう…………東雲さんは、どう、なんですか…………?」
「え、私? 私は一哉君の優しいところかな。私に対して特別優しいって訳じゃないけど、皆のために頑張れるってところかな」
この結衣の答えに瑠璃は違和感を感じた。
確かに一哉が優しいのは瑠璃も認めるところだが、瑠璃の中に、まるで聖人君子の様に他人を助け、施しを与えるようなイメージは無い。
瑠璃の知らない一哉の姿、という事なのであればそれもまた納得であるが、こういった一面は余程隠していない限りわかるはずだ。
だから瑠璃は珍しく、臆面なく結衣に聞くことにした。
「あの…………東雲さん? 一哉さんが皆に優しいって…………どうしてそう思うんですか?」
「えっ…………?! うーん、そうだなぁ…………」
結衣は一度考え込む仕草をするが、すぐに瑠璃の方に顔を向け直した。
「10年前に一哉君に助けてもらったことがあるんだよね。道端で泣いてた私に声をかけてくれて、励ましてくれて、家まで送ってくれた」
「もしかしてそれって…………?」
「うん、そうだね。初恋のきっかけ、だったかな。結果的には」
「結果的に…………ですか……?」
「うん。10年前に一度会ったっきり、3年半前まで一度も会えなかったからね。大学の入学式で再会した……っていうか、私が一方的に見つけただけなんだけど。その時に初めて自覚したの。私、この人の事ずっと好きだったんだなって。」
「――――」
「チョロい女、だって思ってる? もしかしたらそうかもしれないね。でも、お母さんとお姉ちゃんを同時に亡くした日に、本当に初対面だった私の事をあんなに頑張って慰めてくれて――――好きになっちゃうよね、アハハ」
懐かしそうに、楽しそうに、幸せそうに。
思い出深く話す結衣の顔は瑠璃から見てもとても輝いている。それに結衣の言いたい事も理解はできた。確かに自分が同じ状況に置かれれば、一発で好きになってしまう自信がある。
だが――――
「で、でも、それって…………幼い頃の記憶を美化してる…………だけなんじゃ、ないですか? 」
「え?」
瑠璃は自分でも驚くほどに言葉がスラスラ出てくる。そして自分でも嫌になるくらい、敵意と対抗心を目の前の女性に対して抱いていた。
今度は結衣が、意味がわからない、といった顔をする。
ずっと傍に居るのに、彼の事を何もわかっていない。
ずっと傍に居るのに、彼の事を何も見ていない。
それなのに、ただ思い出にしがみついているだけで彼女は彼の隣に勝手に陣取っている――――
「東雲さんは、自分が苦しくて辛いときに…………顔も知らない赤の他人だった一哉さんに……助けられたから……みんなに優しいって、言ってる、んですよ……ね?」
「う、うん。だいたい、そんな感じ…………かな」
「私も一哉さんの事……なんでも知ってる訳じゃ、ないです…………。むしろ、知らない事の方が…………多いです。でも、これだけは、言えます。…………東雲さんは、何もわかってない」
「……どういう事?」
「だから……思い出を美化してるって、言ってるんです。少なくとも私には…………一哉さんは、そんな……ヒーローみたいな人とは思えないです。じゃなきゃ、一哉さんが…………あんなに佐奈を大事にするわけないです」
「それは一哉君が…………っ」
少し焦った様な、怒った様な顔を見せる結衣。
普段であればこの様な人を煽る様な言い方は決してしない瑠璃だが、この時だけは違った。この人は思い出に浸るあまり、彼の本質を見失っている。
そう思ったから。
「一哉さんは家族を……大切な人を…………大事にする人です。大切に……できる人です。だけど、家族を大切にする事と……誰彼構わず手を差し伸べられるかどうかは同義じゃない」
敢えて結衣に喧嘩を売る真似をした。
瑠璃としても、そんな事は決して本意ではない。だが、そんな有りもしない過去の偶像崇拝で一哉の隣を取られる事だけは耐えられなかった。
「そんな事無い! 一哉君はそんな事無いんだから! 瑠璃ちゃんは一哉君を背負ってるものを知らないから――――っ!!」
「確かに私は…………東雲さんや北神先輩みたいに、一哉さんの事を知っているわけじゃ、ありません。いえ…………むしろ皆さんに比べると……むしろ全然知らないと思います…………。だけど、私だって知らない事ばかりじゃないんです」
「じゃあ、何を知ってるって言うの?!」
浴槽の向こう側で、結衣が泣きそうな顔で声を張った。
その顔を見て、瑠璃は次の言葉を一瞬躊躇う。
別に瑠璃は他人を蹴落としてまで自分の恋を成就させようとは思っていない。だが、だからと言って泣き脅しで好きな人を譲る程お人よしでも無ければ、諦めてくださいと言われて諦めるほど軽い気持ちでもない。独占欲だってある。
だが、その独占欲によって誰かに涙を流させる事も決して本意ではない。
そんな瑠璃の優しさが次の言葉を言うのを躊躇わせた。
だが、同時にある少女の影が脳裏を過り――――
「一哉さんがどうして恋愛にトラウマを持っているか、です」
結局は致命的なその言葉を口にしてしまう。
目の前で眼を見開く東雲結衣がどうしても知りたいであろう事を。
瑠璃だけは知っているのだ。その理由を。
恐らく結衣も咲良も全く知らないその理由を。
そしてその理由を知っているが故に、瑠璃は自分の考えが正しいだろうという事を知っている。
なぜなら、あの夜に。傀儡となったあの夜にただ一つ、ソレだけを聞かされたのだから。
「そんなの…………そんなの、どうして……瑠璃ちゃんが知ってるの……? 一哉君が言ってたとでも言うの?」
「そんな事……一哉さんが言う訳、無い、じゃないですか。一哉さん本人もわかってない……みたいですし……」
そこまで言って、瑠璃は浴槽から立ち上がる。
そして。
「私、一哉さんに一度……フラれてますし……一哉さんが誰かと付き合う事になっても……仕方ないってずっと思ってたんです。だけど、東雲さん。東雲さんだけには負けたくないです。東雲さんだけには一哉さんを渡したくないです。許嫁の関係になるかもしれなかったっていう、北神先輩が相手なら…………まだ諦めはつきます……。だけど、東雲さんだけには…………負けません」
そう宣言すると、もはや結衣の顔も見る事無く風呂場から出て行く。
なぜならば。
「うぅ…………っ。ごめん、なさい…………ごめんなさい……っ!」
瑠璃の目尻からはポタポタと涙がこぼれていく。
自分で言った事、自分が感じた事、自分が考えた事だったが、それが明確に結衣を傷つけた事がわかっていたから。
本当であれば、最後の言葉は言うつもりも無かった。
だが、人形(瑠璃)の頭に操者(佐奈)の顔が、声が、言葉が過った時に、まるで強迫観念に駆られたかのように言葉は出てきた。
これで後には引き返せない。
結衣に対して喧嘩を売ってしまった時点で引き返せなくなってしまった。
ただ一哉を慕う佐奈の親友では居られなくなってしまった。
「ごめんなさい、東雲さん…………。でも、私……負けるわけにはいかないんです…………私の恋を……成就させるためにも…………佐奈の為にも………………」
心優しく、気弱な少女の姿はそこには無かった。
最初はもっとポップな話になるはずでした。
なぜこうなった?!
今回も最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
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