弐拾ノ舞 アイドルは止まらない
最近ずっと瑠璃のターンになってるな……などと思っている
軌道修正が難しいです
結衣の口撃に真っ白に燃え尽きた智一を引き摺って、一哉達は引き続き散策する事にした。いつの間にか瑠璃が持ってきていた観光案内のパンフレットによれば、ここ乗鞍高原にはキャンプ場を挟んで東西に原生林の遊歩道とそれぞれに滝、そしてマイカー規制のかかっている三本滝レストハウスから先のスカイラインと観光可能な場所はいくつかある。
つまり当初危惧していた程、暇を持て余してしまう可能性が低くなったという事である。
「それにしても一哉よぉ。この滝三昧な旅程は何とかならなかったのか? お前は良いかもしれんが、俺全く興味ねえんだけど」
「そんな事言っても仕方ねえだろ。そもそも行ける場所の選択肢が少なすぎるんだ。文句言うな」
「そうは言ってもなぁ、チョイスが――――――すみません、もう喋りません。喋りませんから、そのゴミを見る様な目をやめてください東雲さん」
いつの間にか智一のお守りと化していた結衣を後ろに引き連れ、一哉は瑠璃と二人並んで歩く。
晩御飯のBBQの為に17時にはキャンプ場に戻ってくるように言われているが、現在は14時31分。残り時間は2時間30分をきってしまっている。
移動手段のほとんどが徒歩である以上、残り時間も加味すると実は行けるスポットはそれ程多いわけではない。この日訪れようとしているスポットは全二か所。「番所大滝」と「善五郎の滝」及びそこまでの散策路だ。
「番所大滝」は長野県道84号線沿いに駐車場が有り、そして滝自体もほぼ駐車場の傍にあるため、所要時間はほとんど無いに等しい。一行の中には別に写真を趣味にしている者もいない為、総所要時間は20分、多く見積もっても30分という所だろう。
そうなると移動時間は別としても残りの少なくとも1時間30分はこの「善五郎の滝」で潰さなければならない。
そんなわけで、一行は必要以上にゆっくりと散策路を歩いているのだった。
「あの…………お兄さん…………」
そんな中、一哉の隣を歩く瑠璃がおずおずと声をかけてきた。瑠璃の表情は俯いているせいで今一わかりづらい。元から瑠璃は内気な性格なので、やはり今になって嫌気がさしてきたのだろう。
そう思っていたが。
「ん? どうかしたか?」
「いえ……その……今日は私なんかを誘ってくれて…………ありがとうございました。でも、どうして誘ってくれたんですか……?」
「大袈裟だな瑠璃ちゃんは。さっきも言ったけど、俺も君とは仲良くしたいと思ってたしね」
「でも…………お兄さん、私が昔告白した時……興味無いって…………っ!」
「いやまあ、それはあの時そういう付き合い方には興味無いって言ったわけで――――」
一哉は一度そこで言葉を切った。
確かに何年か前、瑠璃の告白を断っている。それは勿論、発作の事を差し置いても瑠璃には興味が無かったというのが本音だが、それを態々本人の前で言う訳にもいかない。また、その時の事を思い出させるのもどこか申し訳ない気持ちが有ったので、そのまま話題を差し替える事にした。
「それにまあ、佐奈の事を抜きにして個人的にもそう思ってたところだったんだけどな」
「それは…………やっぱり……私が、アイドル、やってるから……ですか?」
相変わらず瑠璃の表情は俯いていてうかがい知れないが、どこか気持ちが沈んだ様に感じる。一哉にはアイドルの事はよくわからないが、アイドルという肩書故に苦労する事も多いのだろう。
瑠璃は見た目もかなり良い方だ。小柄で愛らしい瑠璃は確かにアイドル向きだと言えるだろう。だけどそんな彼女が本当は内気な性格だといったいどれほどの人間が知っているのだろうか。
そして、そんな色眼鏡のかかったアイドルという偶像がこの桃瀬瑠璃という少女を苦しめ蝕んでいるのだとすれば、せめて本当の瑠璃を知っている一哉にはその色眼鏡を外してほしいと思っているであろう事は流石の一哉にも想像ができた。
だから一哉は薄く、本当に薄くではあるが笑顔を浮かべて。
「それは関係ない。俺は俺の知ってる瑠璃ちゃんと仲良くなりたかっただけだよ」
そう言って、俯きながら隣を歩く瑠璃の頭に手を乗せた。
驚いた瑠璃は飛び上がるように顔を上げる。その顔は驚き8割、気色1割、困惑1割といったところか。
「そもそも俺、あまり音楽とか興味無くてな。君がアイドルをやってるのは佐奈と一緒に見たテレビで知ってるけど、アイドルとしての君は正直あまり知らないんだ」
「お、お兄さん…………それもそれで、喜んでいいのか……わからないですけど……っ!」
一哉の発言には瑠璃もさすがに苦笑した。
だが、もう瑠璃の顔には沈んだ空気は残っていない。妹の親友であり、なおかつ自分に好意を寄せてくれている人物という事で、妹も同然だと思っている一哉としては、やはり瑠璃には悲しい顔をしてほしくはないと思っているのだ。
「でも私うれしいですっ! 一哉さんがそう言ってくれて!」
瑠璃は花開く様な満開の笑みを浮かべた。元々アイドルになれる程容姿の優れた女性ではあるが、森の中を歩いているからか少し上気した頬と併せると途轍もない破壊力を伴った可愛さである。朴念仁として名高い一哉ですらその笑顔は反則だと思う程。
恐らく、今後ろで結衣の威嚇に蛇に睨まれた蛙の様になって縮こまっている智一が普段通りであれば、小躍りを始めるレベルだ。小躍りでは済まないかもしれない。
瑠璃もよほど嬉しかったのだろう。
軽やかなステップで少しだけ一哉達の前に出ると、両手を後ろで組んだ。そして一哉の方へとクルりと振り返るとニコッと笑いかける。あざとい程に笑顔を振りまく瑠璃に流石の一哉も瑠璃の顔を直視できなくなってしまった。
その時。
「って……! わわわ…………っ!」
突如瑠璃が後ろによろめく。
後ろを向いて歩いていたせいで、散策路に突き出た木の根に躓いたのだ。
「危ないっ!」
そんな瑠璃を救ったのは勿論一哉だった。
元々身体能力に優れる一哉は常人離れした瞬発力で一気に瑠璃に駆け寄ると、その背中に手を回して瑠璃を受け止めた。一哉が鍛えている事もあるが、そのまま諸共に倒れて瑠璃を押し倒したかの様な体勢になる――――などといったテンプレート中のテンプレートの展開は起こり得ない。
ただし、瑠璃の視点から見ればその限りではないのだが。
「ふぇ……? おおおおおお、お、おお兄さん…………?!」
「後ろ向いて歩くからだろ。大丈夫か?」
「わわわっ、わわっ! だだだだ大丈夫です大丈夫です大丈夫ですから! だいじょばないけど大丈夫ですからっ?!」
一哉の腕の中で瑠璃がワタワタと暴れ出す。
瑠璃は顔を見せられないといった具合に顔を両手で覆っているが、後ろに倒れかけた拍子に長い茶髪が流れて露わになった耳が真っ赤に染まっているのを見れば、相当恥ずかしがっているのは一目瞭然だ。
よくよく考えれば、一哉が瑠璃を片手で抱きしめている構図になるわけである。一応森の中とはいえ、こんな往来の中で異性に抱きしめられれば恥ずかしくなるのも当然である。
一哉も申し訳なくなって、瑠璃をしっかりと立たせてから解放した。
「わ、悪い、瑠璃ちゃん。ちょっと軽率だった」
「い、いえ…………助けていただいたんですから……私からは……何も…………ぷしゅぅ…………」
「瑠璃ちゃん?!」
だが時既に遅し。
度重なる一哉の無自覚な行動によって精神力に限界を迎えた瑠璃はヘナヘナとその場に崩れ落ちた。
一哉は慌てて瑠璃に駆け寄るが、瑠璃は心ここに在らずといった具合にボーっとしてしまって、自分で歩けそうにない。
こうなると、もう瑠璃を背負って先に進むか、駐車場まで戻らないといけない訳だが、瑠璃を背中に乗せようと手をかけたとき、今度は少し小さめの手が一哉の肩を掴んだ。
「結衣――――な、なんだ……?」
「随分と……楽しそうだね、一哉君?」
振り返ったその先に居たのは、なぜか笑顔なのに恐ろしい迫力を持った結衣であった。
一緒に居た筈の智一は顔面を蒼白にしてこちらの様子を伺っていたが、一哉と目線を合わせるなり、盛大に視線を逸らした。先程の一件以来、智一は完全に結衣に対してビビっていた。
「いや、楽しそうってだな…………俺は別に――――」
「私達4人で遊びに来てるんだよね?」
「あ、あぁ……そうだな」
「なのにどうして一哉君は瑠璃ちゃんと2人だけの世界を作ってるのかなー?」
にこやかな笑顔で一哉に話しかけてくる結衣であるが、その目が明らかに笑っていない。こんな結衣は一哉は初めて見るが、どう見ても結衣は怒っている。それも、なぜか理由はわからないが、かなり怒っている。
「お、おい、結衣? 何を怒ってるんだ……?」
「やだなぁ、別に怒ってないよ? オコッテナイ。ただちょっと、瑠璃ちゃんと距離感近すぎないかなって思っただけ。咲良ちゃん相手ならまだわかるんだけど…………やっぱりアイドル相手だと違うのかな? それはちょっと節制が無さすぎじゃないかなぁ」
「何言ってんだよ、普通に仲良くしてただけだろ。 後、瑠璃ちゃんとは、この子がアイドルになる前からの顔見知りなんだから、アイドル云々は全く関係無い!」
「だーかーらーっ! 距離感が近すぎるってば! 後ろから見てたら、恋人でも全然違和感無い感じだったよ?!」
そう言って結衣は頬を膨らませて不満げな表情をする。
その表情を見て、一哉は少しだけ困ってしまった。結衣が瑠璃にヤキモチを妬いてこの様な事を言ったのだとしたら、それは一哉にとっても嬉しい事だった。何せ、結衣は自分の初恋相手なのであるから、そんな相手がヤキモチを妬いてくれる事が嫌な筈がない。
だが、そこで結衣の気持ちを確信して告白し、恋人関係になりたいかと言われると、それはまた話が違ってくる。
何しろ、一哉が結衣の事を好きだったのは10年も前の話。では今はどうかと聞かれても、わからない、というのが一哉の正直な気持ちだ。
もちろん、大切な友人であるという認識は一哉の中にある。だが、恋人になりたいかと言われても今の一哉にはそんな気持ちは無かった。
だから、結衣にどう返すべきか、どう返すのが良いのか悩んでしまう。
「瑠璃ちゃんは妹みたいなもんだ。特別どうこうしたいわけじゃない」
「でも…………っ!」
「とにかく、結衣をほったらかしにして二人で盛り上がってたのは謝るよ。なるべく気を付けるようにする」
その言葉で結衣はどこか納得がいかない、といった顔をしながらも、矛を納めた。
実は、結衣には佐奈の豹変の事は話していない。
というのと、佐奈は結衣を大変嫌っている。一時期は小倉莉沙を紹介するという条件付きで、佐奈が態度を軟化させたのだが、それも結局一時的なものに過ぎなかった。
そんな訳で、結衣が何かしらのアクションを取ろうものなら、即座に佐奈が警戒してしまう事は容易に想像できるため、敢えて話していないのだ。
前回の嶋寛二の事件が、一哉が情報を隠しすぎたがゆえに最終的に結衣が勝手に首を突っ込んできたという反省点を忘れたわけではないが、前回は本末転倒ながらそのお陰で事件は解決の糸口を見せた。
しかし、今回は違う。嶋寛二は結衣に執着していたが故に、結衣を囮にその正体を炙り出す事ができたが、佐奈はその逆だ。
今回ばかりは結衣に首を突っ込ませると失敗するであろうと一哉は確信している。
なので今回の旅行に限っては、調査を手伝ってくれている瑠璃の方が、瑠璃と親睦を深める方が優先順位が高い。この南条一哉という男はそんな風に本気で考えていたのである。
それを知る由もない結衣は面白くないのだろう。
端から見ると、急に出てきたアイドルに一哉が熱を上げているようにしか見えない。
「東雲さん…………」
「鈴木君、ごめん。少し離れててくれるかな。今、八つ当たりで言っちゃいけない事まで言っちゃいそうだから」
「わかった。だけど東雲さん、このままじゃ――――」
「わかってる…………わかってるよ…………。ちょっと佐奈ちゃんと咲良ちゃん以外の娘が出てくるなんて思ってなかっただけだから」
「東雲さん……」
「アハハ、ちょっと油断したかな。一哉君みたいな変わった人を好きになるのなんて、私みたいな物好きしか居ないと思ってたから、ちょっと驚いただけっ!」
一哉の後方で智一と結衣がそんな会話をしている間に、一哉は魂が抜けたかの様に呆然としている瑠璃を自分の背中に背負っていた。瑠璃程の小柄な女性であれば、一哉が背負って歩くのに何ら障害にはならない。一哉の周りの女性で言えば、佐奈も咲良も結衣も背負って歩けるだろう。
そんな風に特に深く考えずに瑠璃を背負った一哉であるが、機嫌を損ねた結衣を気にしすぎて、途中から瑠璃が普通の状態に戻っていた事など気づきもしなかった。
そして一方、茫然自失の状態から回復した瑠璃は、一哉に背負われているという現実に再び赤面していたが、一哉は瑠璃がしっかり起きているとは思っていないし、結衣は少し拗ねた様に森の中を先に先行していくし、智一はそんな結衣の機嫌を治そうと必死で誰も気がつかなかった。
瑠璃は改めて想い人に背負われているという現実に恥ずかしくも嬉しくなり、一哉の首筋へと顔を埋める。そして、一哉に抱きつく腕の力をほんの少しだけ強めたのだった。
今回も最後まで読んでいただきましてありがとうございます。
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