拾漆ノ舞 封印を破る狂気
佐奈の暴走は止まらない……
ちゅるっ…………ちゅぷっ……ちゅっちゅっ……ちゃぷ――――
一哉が気が付いた時、視界は佐奈で埋め尽くされていた。
そして唇に感じる、どこか懐かしい柔らかな感触。そして口の中でぬらぬらと蠢く、生暖かい何かの感触――――
「ぷはぁっ! えへへへへ。凄いね、キスって。なんだか頭がフワってして、ボーってして、とっても幸せな感じ!! こんな気持ちになれるんだったら、もっと早くしておけばよかった!」
自分が何をされたのか。
それを自覚した時には、既に佐奈は一哉から身を離した後だった。
相変わらず肩を押さえられて馬乗りにされた状態で。
「佐奈…………っ! お前!!」
「あはっ! お兄ちゃんちょっと反応遅すぎ。そんなに良かった? 私とのキス」
「何言ってんだ!! お前、こんな…………っ!」
「なぁに?」
佐奈は全く悪気無く、首をコテンと傾げて一哉を見つめる。
一方で、組伏せられた一哉は相変わらず頭が白紙のまま。間断無く襲い来る想定外の出来事に、思考はおろか、まともな抵抗もできない。
「それは…………。こういうのは、恋人……とかとやるもんだろ……?」
だから、そんな的外れな発言をしてしまうのだが。
その台詞は今の一哉には完全に悪手であった。
佐奈は一哉の発言を聞くなり、ニヤリと笑った。
「ねぇ、お兄ちゃん気づいてる?」
「な、何が…………」
「ふーん。本当に気付いてないんだ……!」
「だから何が!」
佐奈はもう一度、そして今度は軽く唇を落とす。
またしても反応できない一哉は、言葉すら出なくて。
「ふふっ。抵抗…………しないね?」
そんな佐奈の言葉を引き出してしまう。
抵抗しないのではなく、抵抗できない。
そうは思うが、この状況をどこか受け入れている自分もいるのが非常に気持ち悪い。
「お兄ちゃん、さっき、私がキスしたら怒ったけど…………『恋人とするもの』って言ったよね?」
「それが何だよ…………」
「『妹だから』、じゃないんだね?」
「――――――っ!」
そこまで言われて初めて気が付いた。
確かに、血の繋がった妹に告白されて、そのままキスをされる。そんな状況をどこか漫然と受け入れており、とりあえず体裁を保つためには放った言葉は「恋人じゃないから」。
これが異常と言わず、何と言うのか。
「私嬉しいよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんが私を受け入れてくれて。今はまだ、私に恋愛感情は無いんだろうけど、その内私に夢中にさせてあげる。安心して? 私ならお兄ちゃんの事、幸せにしてあげられるから。何なら今ここで、私の処女あげよっか?」
そう言って佐奈はTシャツを一枚脱ぎ捨てた。
露になる佐奈の白い身体と、ピンクの下着。
耳許で囁かれる佐奈の言葉に魅入られた様に、一哉の身体は弛緩して一切の抵抗をできる気がしない。そして微かに感じる、謎の既視感。
頭では異常だとわかっているのに、身体の方は何故かそれを当然の様なものとして受け入れようとしている。
だから、一哉がかろうじて発する言葉には少しの説得力も無い。
「や、やめろ……佐奈っ! それ以上は…………」
「あ、もしかして世間体とか気にしてる? それなら心配しないで。戸籍上の妻は瑠璃にするから。だから心配しないで。3人で幸せに暮らそうよ。」
そんな異常な提案をしてくる佐奈に、一哉は戦慄すら覚える。だが、相変わらず身体の方は抵抗の意思を示さない。
まるでそうなるのが当たり前と言わんばかりの反応に、気が狂いそうになる。
なぜ自分がこんな状況をどこか受け入れてしまっているのか。
そして、なぜこんな状況を懐かしく思うのか。どうして既視感を感じるのか。
その答えは唐突にもたらされる事になった。
「だ……だめだ、佐奈! そんな事……っ! 俺達は兄妹――――」
「お姉ちゃんは抱いたのに?」
ゾッとするぐらい冷たい声で囁く佐奈の言葉。
それを聞いた途端。
「ぐああああああああぁぁぁぁぁぁ――――――っ!!」
一哉を、今まで体感したことの無い程の激しい頭痛が襲った。まるで鈍器で何度も何度も何度もガンガンと殴られる様な感覚に、一哉は頭を押さえてのたうち回る意外の行動が取れない。
すぐ傍で放たれる佐奈の言葉がどこか遠くで聞こえるようだ。
「やっぱり、アレは勘違いじゃなかったんだ。ねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんがどうしてそんな風になったのか、少しだけ教えてあげよっか」
「な…………に…………?」
激しい頭痛にのたうち回る一哉に唯一認識できたのは、心底憎しみのこもった二つの瞳。それが一哉に向けられたものなのか、それともここには居ない誰かに向けられたものなのかはわからなかったが、一つだけ明確なのは、そんな佐奈は今まで見たことが無いという事だけ。
しかしそこまでわかっても、頭が割れそうな痛みにそれ以上何も考えられない。
「お兄ちゃんは自分に向けられる恋心だとか、愛だとか、そういったものがトラウマの引き金になってるって思ってるみたいだけど、それって正確じゃないんだよね。」
「な、何を言って…………ぐあああぁぁっ!」
「さっき、私がキスしても何も起きなかったのがその証拠。ちょっと前の私だったら、『私に興味無いんだ』って落ち込んだかもしれないけど、今はそうじゃない。」
「はぁ……はぁ……だが、それは…………瑠璃ちゃんだって…………っ!」
「まあ、だから勘違いしてるのかもしれないけど。ここからは私の推測も多分に入ってるけど、お兄ちゃんがそういった事に拒否反応を示すのは、8年前にあの人を亡くしたせい。きっと、誰かの『好き』って気持ちを感じると、お兄ちゃんの中で溢れちゃうんだよ。『裏切られた悔しさ』と『また家族を失った後悔』が。」
佐奈の言っていることが全く理解できない。
それは頭痛のせいだけではなく、一哉の知らない事を淡々と述べられているせいでもあって。
「でも、私や瑠璃では起きない。それは、私達二人の事を『妹』だと認識してるから。『家族』だと思ってるから。まあ、瑠璃がこの枠に入ってるのは私も不思議だけど。まあ、そこは置いておくとして、これら全ての元凶は、あの人と――――『お姉ちゃん』とお兄ちゃんが『そういう』関係だったから。」
そして「お姉ちゃん」という単語を聞いた途端、一哉の頭痛は更に、そして劇的に激しさを増した。
頭の中から何かが滲み出てくる様な。閉じ込めておいた物が無理矢理飛び出ようとする様な。そんな感覚と共に、頭が割れるような頭痛は刻一刻と強くなって――――――
「ぐあああ…………っ! か、栞奈…………姉……さん?!」
何故かその言葉は一哉から飛び出た。
そして脳裏に過る理解不能な景色の数々。
見た事もない女性と二人で過ごした夜。
乱れた髪と服。悩ましげで艶っぽく、そして淫靡な表情。ある筈の無い、今の結衣の隣の部屋。
そして――――――血塗れの手。
「やっぱりあの女のせい…………。赦せない…………絶対に…………っ! 死んでもまだ兄さんを苦しめるなんて、赦せるわけがない!! 私はずっと見てた! 兄さんと姉さんが、私や父さんの目を盗んで二人で逢っていた事を! それを私がどんな気持ちで見てたか、兄さんにわかる?! 理解できる?!」
「ち、ちが……っ。あ、あれは…………姉……さ…………」
一哉は朦朧とする意識の中で、封を施した匣から漏れ出てくる過去を必死に並べ立てようとする。
だが、意識を保とうとするのに精一杯で、最早マトモに言葉も紡げない。そして佐奈の怒りはまだまだ増大していく。
「そんな事わかってる! 兄さんはただ姉さんに絆されただけだって。どうしようもないあの意気地無しに、ただ兄さんは善意で手を差し伸べただけだって!! でもっ! だからこそ赦せない! 兄さんの優しさにつけこんで、死んでもなお、兄さんを縛るあの女が! 私とほとんど同じ立場だったくせに、私には手に入れられない物を――――兄さんを横から掠め取っただけじゃなくて、死んでも放さないあの女の行動が!!」
「――――」
「それに飽き足らず、あまつさえ兄さんを殺そうとして…………。そのせいで兄さんの心は、ずっと姉さんに捕らわれてる。自分から記憶を封じる位、心に傷を負わせた人間だというのに…………っ! いつまで兄さんの心に棲み付くつもり?! いつまで兄さんの瞳の中に居座るつもり?! 貴女の…………姉さんのせいで、私は兄さんを何時までも諦められない――――っ!!」
もう最後の方は、言葉を聞き取る事位しかできなかった。
聞き取った言葉を頭の中で並べ、意味のある文章として自らに取り込んでいく事すら出来ていなかった。
激しい頭痛と混濁する意識の中、一哉は最後の抵抗として佐奈に手を伸ばす。それは特に意図した事では無く、ただ目の前の憎悪と寂寥に溺れる眼に、なんとなく手を伸ばしただけだった。
「あっ…………!」
伸ばした手が、佐奈の頬に触れた。
その瞬間、目の前の双眸から一筋の光が流れ――――
「ごめんね…………お兄ちゃん。いくらなんでも、やり過ぎちゃったよね。例えこれが夢だとしても…………。でも…………私の気持ちは本物。私はお兄ちゃんが欲しい、お兄ちゃんと一緒にいたい。できれば、お兄ちゃんの子供も…………欲しい…………。私がいつか、お兄ちゃんに巣食うお姉ちゃんを追い出して、私がその位置に就く。お姉ちゃんのせいで近親者としか男女の関係になれない、今のこの状況…………利用させてもらうから。お兄ちゃんが記憶を取り戻してしまうその前に…………っ!」
そこで視界は途切れ。
「そしてお兄ちゃんはもう、咲良ちゃんには渡さない。咲良ちゃんじゃ、お兄ちゃんは幸せにはできない。お兄ちゃんの心に巣食う悪魔の正体がわからない内は。…………まあ、その悪魔の存在に気が付いたのは流石だったけど。」
佐奈へと伸ばした手も落ちる。
そして遂に意識が途切れる直前、佐奈の声を聞いた。
「お休み、お兄ちゃん。この事はまた全部忘れて、また明日、元気で明るい妹に会いに来て。」
そして翌朝一哉が目覚めたとき。
この晩の出来事を、一哉は何一つ覚えていなかった。
自分で書いてて思う。
コイツらやべぇな、と。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました
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