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鬼闘神楽  作者: 武神
第4章 滅亡の氷姫
91/133

拾陸ノ舞 偏愛と狂気の狭間で

それは失われし記憶の綻び――――

 ここで時間は僅かに巻き戻り、一哉が瑠璃を家まで送り届けた後、屋敷まで戻って来た時間まで遡る。

 様子のおかしくなった妹・佐奈の監視と情報共有の為に、可能な限りで情報収集をする事に決めた一哉は、瑠璃と連絡先を交換する事にした。

 一哉は車から降りながら一人ごちる。



「今のところ俺に打てる手はこれ位か…………。後協力してもらうとすれば咲良と――――結衣は難しいだろうな。佐奈は結衣の事をだいぶ嫌っている様だし」



 実際問題として鬼闘師としての権限を一時的にとはいえ失っている一哉には、佐奈の行動把握はとてもじゃないが難しい。そもそも話をすれば、鬼闘師として活動ができたとしてその一挙手一投足を監視する事は現実的に不可能だが、それでも幾分かマシであっただろう。もちろん対策院外では一哉が基本的には佐奈の様子を伺おうと思っているが、それでもカバーしきれない部分は他人の目を使う。

 だからこそ一哉には、対策院サイドと日常生活サイドの両方に"目"となる人間が必要であった。それも一哉とは異なる性別――――女性からの視点が。


 妹の佐奈は自他ともに認める超絶のブラコン。

 一哉であれば着替えの最中であろうが、ベッドの中であろうが、下手をすれば風呂の最中ですら喜んで見せる可能性すらある。

 しかしそれは結局"表"の顔でしかないのかもしれない、というのが今のところの一哉の推論である。


 今のところ、一哉は佐奈がおかしくなったところを見ていない。しかし、一哉の知らない、兄にひた隠しにしてきた一種の本性が有るとするならば、瑠璃の話にも得心がいく。

 もし佐奈がそういった一面をずっと一哉には隠していたのだとすれば、一哉の前で「猫を被る」事に長けている筈だ。そうとなれば一哉がいくら注意を傾けていたとしても意味がない。



「まあ、いくらなんでもあの佐奈がそんな一面を隠し続けていた、なんて考えられないんだけどな」



 そんな一哉には、「妹が秘めたる残虐性を隠していた」という可能性を否定したいという願望が多分に含まれている。とはいえ、それは荒唐無稽な話という訳でもない。今日になって瑠璃にのみ突然その様な姿を見せたという、ある意味突発的な現象であるという事実が、一哉の希望的観測に僅かながらの説得力を持たせているというのもまた否定できないからだ。


 ともかくそんな状況なので、一哉は瑠璃や咲良に頼るしかない。佐奈が今後も何かをしでかすかどうかはまだわからない。だが、事前に止めるにはそうやって情報を集めなければ叶わないのもまた事実。

 内閣情報調査室の須藤も、かなり強引な手を使って自分の手駒にしようとしているし、より一層注意を払わなければならないだろう。



「とにかく今は疲れた…………少し休んでから佐奈と話を――――」




 昼に須藤に呼び出された時から、どうも嫌なことばかりが続いている一哉は、疲れた顔で玄関の引き戸を開け。



「あら、かわいいアイドル様とのデートは楽しかったかしら。シスコン男の南条一哉特級鬼闘師?」



 出迎えてくれた咲良の台詞に心底うんざりする羽目になった。

 何が気に入らないのか、今日の咲良は恐ろしく機嫌が悪い。

 理由のわからない衝突ほどストレスの溜まるものもない。

 須藤に良いように弄ばれ、瑠璃からは妹についてのショックな報告を聞き、そして帰ってくるなり幼馴染からの罵倒。もはやたまったものでは無かった。



「勘弁してくれ、咲良。」



 故に一哉は咲良に付き合いきれずに、ほとんど無視するような形で家に上がる。

 そして一哉自身、咲良に話をしなければならないという事が、この弾みで一気に頭から抜け落ちてしまっていた。


 一哉とて決して聖人君子などではない。人より多少「喜」と「楽」の感情が薄いだけで、嫌なことがあれば嫌な気持ちになる。あまりに思い通りにならなければ、苛立ちもする。

 そして、放っておいて欲しいときだってある。


 今はまさにその時であった。

 真っ先に佐奈と話すべきだと頭では思っていても、心の方は、今は一人で静かにする事を望んでいたのだ。

 咲良の相手をしていられるほど、精神的な余裕は無かった。瑠璃に対して取り繕うので精一杯で、今はもう力尽きてしまっていた。

 だから、それは必然的でもあった。



「ごめん…………一哉兄ぃ。…………ごはん…………食べましょ?」


「いらない。」


「え、でも…………」


「ちょっと疲れてるんだ。悪いが咲良、今日は帰れ。」



 屋敷の奥へと引っ込んでいく一哉は、咲良の事を一瞥すらしない。それ程に余裕が無かったし、正直今の咲良を鬱陶しいとも感じていた。後ろからついてくる咲良を無視して奥へと進んでいく。

 だから。



「な、なによ…………せっかく貴方の為にって、私――――」


「うるせえつってんだ…………っ!!」


「――――っ!」



 柄にもなく大声で怒鳴ってしまった。

 それは珍しく、戦闘以外で感情を剥き出しにした瞬間でもあり。そして、佐奈の事が根幹的に絡んでいなければ、ここまで劇的な反応をする事も無かっただろう。

 そして、そんな苛立ちを無自覚とはいえ、幼馴染みの少女にぶつけてしまう事も。



「だいたい、さっきからお前、俺に何の――――」



 そう言いながら一哉は振り返り。

 そして一瞬で後悔する事になった。



「………………バカ」



 咲良は静かに涙を流していた。

 瑠璃の様に泣き崩れることもなく、ただ静かに。

 それは4ヶ月前の【鵺改】との戦いの後で見せたものともまた違っていて。

 一哉でもわかるほどに深く悲しみの色に染まった瞳で、静かに涙を流していた。



「貴方にとって佐奈がどれだけ大切な存在なのか、なんてわかってるつもり。だけど、私達は……私は貴方にとって何なの?」


「それは勿論――――」


「貴方は口では『大切な幼馴染み』とは言うけど、貴方の眼には私なんか映ってない。東雲結衣にしてもそう。もちろん、あの桃瀬瑠璃って子も。貴方は誰かを見ている様で、誰も見てない…………いつも私達を通して、ここには居ない誰かを見つめてる。………………ねぇ、貴方の中には誰が居るの? 貴方はその瞳に誰を映しているのよ」



 咲良の言っていることが理解できない。何を言っているのかわからない。「眼に映っていない」とはどういう事なのか。今だって一哉は咲良を見ていて――――

 そう思っている筈なのに、何故かその言葉を否定できなかった。



(いや、『理解できない』というより、『理解することを拒否している』のか? わからない、わからない…………! 何なんだこの気持ち悪さは?! 咲良は何の話をして…………いや、でも本当はわかってて、だけど、思い出してはいけない! 『あんな事』があったんだから、女なんかマトモに付き合えるわけが――――って、だから『あんな事』って何なんだよ…………?!)



 頭の中に正体不明のセリフが流れてそれを否定する連続。

 一哉は自分で自分の考えが全くわからない。咲良の言葉を聞いてから激しい混乱の渦中へと叩き落された。

 自分の記憶の欠落とトラウマの全てを、本当は全て自分は知っているという謎の確信と、そんな事は空あり得ないと否定する自分自身がせめぎ合い、まともな思考すらできない。

 しかしその終わりも唐突に、そしてやはり咲良によってもたらされた。



「ごめんなさい。変な事を言っちゃったわね」



 咲良は流していた涙を右手で乱暴に拭うと、食卓の方へと戻った。

 そして鞄だけを回収して再び一哉の下へと戻ると。



「帰るわ。今日はもう、貴方の顔は見ていられない…………」


「咲良…………」


「勘違いしないで。別に貴方のせいでは無いのよ。ただ私が――――――そう、ただ私が少し逸っただけの話。貴方が気に病む事では無いわ」


「それはどういう――――っ!」



 咲良は一哉の返答も聞かずに玄関へと歩いて行く。

 そして、綺麗に揃えて玄関に置いてあったヒールのサンダルをそのまま玄関の扉を引いた。



「ごめんなさい。私、今日からしばらく名古屋の方に出向くから。多分連絡も取れないと思う…………。じゃあね」



 そうして一哉の方を振り向く事も無く去っていった。

 一哉はその光景をただ黙って見送る事しかできない。もはや何と声をかけていいのかもわからない。

 結局咲良は振り向くことも無く、屋敷を後にしたのだった。





「咲良…………。一体どういう意味なんだ、さっきのは」



 咲良が去った後、一哉は咲良を追う事も、佐奈を探す事も、食事を取る事も気が進まず、ただ自室のベッドに寝転がって咲良の言葉を考えていた。

 しかし結局、少しも考えは纏まらず、何も思い出せずにただ無為に時間を消費していくだけだ。


 記憶があやふやになっている、8年前と10年前の夏の出来事。そのうち、10年前の出来事は最近徐々に記憶が蘇りつつある。あの悪夢が呼び水担っているのか、少しずつ、まだまだ朧気ではあるが、母を亡くした日の記憶を取り戻しつつあるのだ。

 たが、それも結衣に関する事ばかりである。結局のところ、母の最期のその後の事は思い出せないし、あのノイズがかかったように顔も名前も思い出せない誰かは、依然として正体不明だ。

 それに加え、8年前の事は何一つ思い出せない。

 状況から見て、その時に一哉の人生を左右する何かがあったのは間違いがないだろう。だが、何の手がかりも無い今は、思い出す切欠すら掴めない。唯一わかっているのは、何者かに刺され、死にかけたということ。



「8年前…………一体何があったんだよ…………。しかも、恋愛だとかそんなのに拒絶反応が起きるようなトラウマって………………。わけがわかんねぇ…………。だが、それさえ思い出せれば、きっと咲良の言葉の意味も――――――」



 そう、一人呟いていた時、突如一哉の部屋の襖が開く。

 そしてそれと共に入ってきたのは。



「お兄ちゃん、ちょっといい?」


「佐奈…………っ?!」



 それは夕方からずっと話をしなければならないと思っていた。だが、咲良に言われたことが気になって後回しになっていた妹・佐奈だった。

 まさか佐奈の方から来るとは思っていなかった一哉は、何を話すべきなのか見失ってしまった。「アイナ」との戦いのこと、特級鬼闘師への昇進のこと。そして、瑠璃に聞かされた事。

 話すべきことは幾らでもあるのに、一哉の口からはただ何の音も為さない空気が漏れ出るだけだ。



「どしたの、お兄ちゃん? なんか、鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔してるけど」


「い、いや…………、何でも……ない…………っ!」


「なになに~? 怪しいなぁ。お兄ちゃん、何か隠し事してる?」



 部屋に入ってきながら、いたずらっぽく笑う佐奈。そのまま一哉の横たわるベッドの端へと腰をかけた。

 一哉はその顔を見て、いつもの笑顔だと安堵する。佐奈は喜怒哀楽が非常にハッキリしているタイプなので、心配していた精神面はさほど問題では無いようだ。

 そしていつも通り一哉に接してくれている。一哉自身が勝手にギクシャクしていただけなのに、前と変わらず――――


 だがそこまで考えたとき、突如一哉は気がついた。



(いや…………いやいやいや…………っ! ちょっと待て、おかしいだろ!! 何でこうも()()()()()なんだ?!)



 今日起こったこと。

 そして瑠璃から聞かされた話。

 それらを取って考えれば、佐奈の態度は明らかに異常だ。まるで、開き直ったかのように、何事もなく一哉に話しかけている。

 少なくとも瑠璃の話では、尋常な様子ではなかったとすら聞いている。にもかかわらず、眼前の佐奈は平常運転。

 繋がらない状況に、一哉は目眩を覚えた。



「お兄ちゃん、どうしたの? 大丈夫?」


「問題ない…………っ! それより、お前の方はどうなんだ。」



 訳のわからない現実を前に思考回路は混迷を極め、一哉はそんな直接的な質問しかできない。



「ん? 別に何もないよ?」


「何もないって、お前…………! じゃあ、対策院から何も聞かされてないのか?!」



 あくまでも通常運転を続ける佐奈を前に、一哉は完全に混乱していた。どうにかして、普段とは何か違う佐奈を見つけたい。今の違和感の塊でしかない佐奈を見ていられない。その想いに駆られて、思い付いた言葉を並べるので精一杯だ。

 通常運転である事が最大の違和感。

 普段の一哉であれば、比較的冷静にいられたかもしれないが、タイミングが悪すぎた。


 そして、佐奈の異変は一哉にとって最も悪い形で、すぐに現れた。



「対策院って、私の特級鬼闘師昇格の事? ビックリだよね!」



 そう事も無げに言ってのける佐奈。

 普通ではありえない、最下級から最上級への飛び級昇進を、まるで定期試験で全教科満点取ったような気軽さで話す目の前の妹に、一哉はより一層混乱するしかない。



「お兄ちゃんの最年少記録、塗り替えちゃった……っ! えへへ!」


「お、お前! 何言ってるのかわかってるのか?! 特級鬼闘師になるって事は、【砕火】みたいな怪物や、『アイナ』みたいな存在と筆頭になって戦うって事なんだぞ!」


「やだなぁ、お兄ちゃん。そんな事位わかってるって。殺せば全部済む話でしょ?」


「そんな簡単な話じゃない! お前だって戦ったなら知ってるだろう? 奴等の異常な力を」


「あはっ。昨日の私の戦い見たんだ!」



 どれだけ言っても異常な平常運転を続ける佐奈に対し、一哉は完全に思考を放棄して感情一本になっていた。

 常識が通じない相手に対し、論理立てた説明が通じないのと同様に、今の佐奈には、一哉がいくら頭で言葉を並べ立てたところで届きはしない。

 それを理解していた、というわけではないが、考えても無駄と感じた一哉は、考えながら話すのを止めたのだ。



「確かにお前は強くなったかもしれない! だが、当のお前がそんな調子じゃ――――――」


「『本当に強い相手には通用しない』? お兄ちゃん、それはもう聞き飽きたんだよね」



 突然、佐奈は横たわる一哉の肩を押さえると、馬乗りになる。

 しかも乗られている場所が悪いのか、肩の押さえ方が上手いのか、はたまたその力が意外に強いのか、一哉は上体を起こす事すら封じられた。



「私には私のやり方がある。お兄ちゃんは口を出さないでね。せっかくの夢なんだから、私の好きにさせてよ」



 そう、一哉に馬乗りになったまま告げた。そしてその時の佐奈の瞳は、一瞬だが正気を失ったかの様に濁りきっていた。

 同時に佐奈が放った「夢」という言葉が気になった一哉は無理矢理にでも上体を――――――





 起こせなかった。



「ねぇ、おにいちゃん。夢ついでに、ちょっと大胆になってみるね?」



 そう言って、どこか妖艶な雰囲気を纏いだした佐奈に戸惑ってしまったから。

 実の妹相手だというのに、ペロリと唇の端を舐める仕草に魅入られて呼吸すらも忘れて。



「お兄ちゃん、大好き。愛してる」


「え…………、な…………?」


「勿論兄としてじゃなく、男の人としてだよ?」



 その言葉に、一哉の頭の中は真っ白になる。

 頭が真っ白になるというのは、思考を放棄する事とは根本的に性質が異なる。思考の放棄とは、頭の中をキャンバスに例えるのであれば、新たに絵を描く事をやめてしまうという事だ。だが、頭の中が真っ白になるということは、これまで描いてきた物を全て破棄し、新たなキャンバスに張り替える事に等しい。

 キャンバスに何も描かれていなければ、次に何らかの体裁を保つためには絵を描かなければならない。そしてそれには多少なりとも時間を要する。キャンバスに新たな絵を描くための時間が。


 佐奈がその点を意識して、意図的に発言したのかどうかは定かではないが、重要なのは結果としてそういった隙を突かれたということだ。

 だから、一哉が佐奈の次の行動に何も抵抗できなかった事は当然であり、必然であった。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました

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