拾参ノ舞 見栄と本音と建前と
ほぼ瑠璃の話。
「えっと…………。北神咲良先輩、ですよね…………? 美星の3年生の…………。」
「だったら何よ?」
南条家応接間では、お茶を運んできた相変わらず機嫌の悪い咲良が、警戒心マックスの目で瑠璃を睨んでいた。
元々つり目気味の咲良の顔立ちのせいで、元から少しキツめの印象を受ける咲良。
その異様なまでの敵対心が籠った視線と目付きに、元々気弱な瑠璃は完全にビビってしまっている。
一哉の方も、瑠璃が佐奈の友人である事、美星女学園の一年生で咲良の後輩にあたる事を説明して、「シスコンロリコン男」なる不名誉な呼び名を撤回させる事は出来たが、咲良の態度は一哉に対してもどこか刺々しかった。
そしてついでに言えば、「シスコン男」呼ばわりは撤回されなかった。こちらは事実なので仕方がない。
ともかく、咲良の態度は、本来来客に取るそれではないのだが、明らかに不機嫌な咲良にそれを指摘するのは、自ら地雷を踏みに行く様なものだ。
結果、一哉は何も言い出すことができない。
そして瑠璃の方も瑠璃の方で。
「い、いえっ…………! あ、あのぉ……! 北神先輩って、かず……お兄さんとはどういう関係…………なんですか?!」
意外な事に、咲良に二人の関係性を訪ねだしたのだ。
一哉としては、瑠璃が咲良の事を知っているだけでも意外だったのだが、一哉の知る限り、瑠璃はかなり人見知りで、知らない人に自分からは話しかけていけない、自分の様なタイプだと思っていたのだ。
そしてこの瑠璃の発言がまたしても事態をややこしくする事になる。
「どういう関係って…………。一哉兄ぃも佐奈も昔からの幼馴染みだけど。それが何か? そもそもアンタに関係ある?」
「あ、いえ…………。北神先輩と佐奈が幼馴染みだっていうのは…………佐奈から聞いてて知ってるんですけど……。」
「なによ?」
瑠璃に言葉を返す咲良の声色はどこまでも冷たい。
感覚としては、まるで咲良と一哉の関係が最悪だった3年前に戻った様な雰囲気だ。
率直な話、今の咲良は非常に取っ付き辛い。
こういった態度を取られると、普段の瑠璃であれば萎縮して黙りこんでしまうに違いない。
一度だけ佐奈から聞かされた事があるが、学園での咲良は一哉達に見せる態度とはまた違った「学園モード」があるらしい。
その「学園モード」時の口調と態度から孤高の女扱いされており、友達がいないわけではないとはいえ、あまり周囲とは馴染めていないのだと。
今は美星女学院の後輩である瑠璃を前にして「学園モード」が発動しており、しかも機嫌が悪い事も手伝っている。
だから、咲良はいつもに増してこんなにも刺々しいのだろう。
だが、この日の瑠璃はどこかが一味違った。
その幼げな顔立ちを真っ赤に湯立たせながらも、その視線はまっすぐに咲良を見据えて。
「わ、私が聞きたいのは……っ! お、お兄さんと個人的な……お、お付き合いをされてるのか、って事で…………! 今だって、エプロンしてて、この家に慣れてる感じじゃないですかっ! な、なんか…………『奥さん』、みたいな感じじゃないですかぁ! ど、どうなんですか、北神先輩!」
そう、再び大きな声で咲良に問うた。
この瑠璃の発言に咲良も赤面。
ただの幼馴染みとはいえ、南条家と北神家の両家の関係性から、婚姻関係が生まれることはそれほど不思議な事では無いだろう。
過去、実際に両家の血縁関係が生まれた事はあったようだし、流石にそれを連想させるワードを突きつけられれば、恥ずかしくもなる。
とはいえ、一哉と咲良の間には幼い頃からの絆こそあれど、男女の付き合いは無い。
そもそも一哉にトラウマがあってそういった関係になれないというのがあるし、咲良だって精々遠縁の親戚の兄ぐらいにしか思っていないだろう。
そう考えていた。
もっとも一哉が気づいていないだけで、咲良は目ざとく「奥さん」という単語に反応してニヤけていたのだが。
だから、咲良は特に特別でもない二人の関係を、何もないと答えると、一哉だけが思っていたのだ。
ゆえに咲良の返答は一哉にとって意外なもので。
「い…………。」
「い?」
「い…………い、いいいいい、許嫁よっ!」
などと、咲良は先程よりも更に顔を真っ赤に染めて、そうのたまった。
何を言い出すんだとギョッとする一哉。
「え、え、えぇ…………。ふえぇ…………。い、許嫁ぇ…………。」
と、瑠璃はグルグルと目を回しはじめた。
ここに爆弾発言を投下する人物現る。
あまりの予想外の発言に一哉は咲良に抗議の視線を向けるが。
(貴方は黙ってなさいよ!!)
と言わんばかりの視線を一哉へと送ってくる。
明らかに理不尽である。
そして咲良が何を考えているのか、まるでわからない。
だが、そんな一哉の気持ちを知ってか知らずか、咲良は更に続ける。
「そ……そうよ……っ! 私と一哉兄ぃは、私のお父様と一哉兄ぃのお義母様の澪さんが認めた、とーーーーーっても深い仲なんだから!」
「はう……っ!」
「おい咲良?!」
「ま、まぁ? 家同士が……付き合い長いし? 一哉兄ぃとは10年の付き合いの訳だし? 年齢的には問題無いわけだし? わ、わたしも…………あぅ…………。と、とにかく! そういう事よ?!」
と、ここまで一気にまくし立てた咲良は、茹で蛸のように顔を真っ赤にしてしる。そして言った本人自体がグルグルと目を回す始末。
結果、なんとも居たたまれない空気が流れだし――――
直後、自分の発言を思い出したからかどうかは定かではないが、ともかく、咲良はお茶を運んできたお盆で顔を隠しながら、脱兎の如く駆けて去っていった。
物凄い暴風雨が、南条家の応接間をあっという間に荒らし、一哉は唖然と、瑠璃は決壊寸前の涙目に。
「うぅぅぅ…………っ。かずやさん、北神先輩と、許嫁、だったん…………ですか…………?」
瑠璃は恐ろしく悔しそうな、そして悲しそうな顔をしながら、涙を瞼にいっぱいに溜めて、上目遣いに一哉に問うた。
明らかに自分に好意を持った女の子からの質問。それは、一哉にすらわかるレベルの話だった。
実は一哉は昔、瑠璃に告白されている。
瑠璃が全くの恋愛対象でなかったがゆえ――――そのお陰でトラウマの発作も無かった――――フったのだが、一哉はそれ以来ずっと瑠璃に嫌われていると思っていたのだ。
何しろ瑠璃は、一哉が話しかけようとしても、逃げるわ、隠れるわ、気絶するわと大変だったからである。
しかしこうして瑠璃を見ていると、やはり瑠璃に好意を持たれているという事なのだろう。
切っ掛けが全くわからないと思いながらも、その一方では瑠璃の事とは別に、昔の事を一つ思い出していた。
それは咲良の先程の発言。
実は一哉と咲良が許嫁であるというのは、かなり大きな捉え方をすれば嘘ではない。
それは10年前。一哉と咲良が出会った直後の話だ。
当時、色々と理由があって咲良は佐奈に負けず劣らず一哉にベッタリだったのだが、その様子を見て――――母の性格上、間違いなく面白がっての事だろうが――――咲良の父・斗真と結託して二人を許嫁にしようとしていた事があるのだ。
両家の間には鬼闘師と祈祷師としての仕事の繋がりがあったし、今まで一度も無かった本家同士の婚姻関係が成り立てば、対策院内での影響力も強まるという政治的な理由もあったわけだ。
実際、咲良がかなり乗り気だった事も手伝って、この関係は成立の一歩手前まで進行していた。
だがそれも結局、最終的には立消えてしまう事になる。
理由は単純明快である。
それは、一哉の母・澪の他界だ。
発起人の片割れが逝去した事に加え、その後の西薗家の事件の事後処理に父・聖も咲良の父・斗真も共に忙しく、慌ただしかった為、結果的に二人の縁談は無かった事にされたのである。
(しかし、あの話を咲良が覚えてるとはな…………。アイツ、当時まだ7歳だぞ。)
第一のトラウマである、澪が亡くなった件のせいで記憶は不鮮明であるが、当時の咲良は許嫁の話が白紙になると、かなりゴネていたそうだ。
最後は佐奈が説得したのと、事件からしばらく一哉が茫然自失状態だった事から、泣く泣く咲良が了承した、というのが事の顛末らしい。
らしいというのは、その辺りは一哉は全く覚えていないからであるが。
(しかも、瑠璃ちゃん相手にその話を出すなんて何を考えてるんだよ…………。)
なぜ今さら咲良がそんな話を出してきたのか。
そして、その話を出してきてどうするつもりなのか。
一哉の疑問は尽きない。
たが、それよりも今は目の前の瑠璃の事を対処すべきだ。
ともかく、一度受けてしまったがゆえに、彼女の相談とやらに乗らなければ進まないだろう、と切り替える事にした。
「まあ、昔そういう話が出てたのは事実なんだが……。正式な話じゃない。結局話が纏まる前に有耶無耶になったしな。だいぶ昔の話だから、親父も咲良の親父さんもそんな事覚えてないだろ。だから、俺にも咲良にももう関係ない話さ。」
「うぅ……。で、でも。北神先輩は深い仲だって…………。」
「ああー、まあ、アイツと家族ぐるみの付き合いがあるのは確かなんだ。ちょっとうちの仕事の関係で南条家と北神家は繋がりが強くてな。多分、その事を言ってるんだろう。」
「そ、そんな風には……見えませんでした、けど…………?」
「まあアイツはいつもあんな感じだからなぁ。あんな風に見えて、咲良も人付き合いは苦手な方だから。初対面の瑠璃ちゃんにちょっと見栄張っただけだろ。」
「えぇ……それは流石に…………。いくらなんでも…………曲解じゃ、ないです……か……?」
「アイツにも建前ってものがあるんだろ。そういうわけだ。」
そう言って一哉はこの話を打ち切ろうとする。
結衣のおかげで多少なりとこういった色恋沙汰に対する耐性が付き始めてきたものの、まだまだ結衣に対して以外は難しい事に変わりは無い。
実際問題、一哉がこんな話題を話していてもトラウマの発作が起こらないというのは、過去にあった事実を客観的に眺めて解説しているだけだからだ。
そもそもこんな話をするために瑠璃をこの応接間に呼んだ訳では無い。
だから――――――
「で、でも……もし本当に許嫁だったとしても……結婚してるわけでも、付き合ってるわけでも、無いんだから……まだ私にもチャンス、あるよね?」
などと瑠璃が呟いているのはスルーする事にした。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました
宜しければ、感想・評価などお願いいたします。




