拾壱ノ舞 闇に誘われる者
いつまでもダラダラ書いているから、作中の日付が2年前に……
「な……っ?! 佐奈が特級鬼闘師だって――――――?!」
「なんと! 須藤審議官、気でも触れたのか?!」
須藤の衝撃の発言――――佐奈を特級鬼闘師にするという言葉に、一哉も仁十郎も完全に取り乱している。
何しろ佐奈は任官されて高々3ヶ月のド新人。
そんな人間をいきなり特級鬼闘師に引上げるというのだ。
そんな発言をした男の正気を疑わざるを得ない。
「どういう事ですか、須藤審議官っ! 佐奈が……佐奈を特級鬼闘師にしてどうするつもりですか……ッ! アイツは先日の【壬翔】との戦いでも手も足も出なかったし、その前の【砕火】との戦いだって負けている…………。三級鬼闘師としては高い実力を持っているかもしれないが、特級鬼闘師は無理だ! 今のアイツには、多く見積もったところで精々一級鬼闘師位の力しかないんだ!!」
必死に訴える一哉だったが、須藤の顔はどこ吹く風、といった感じだ。
明らかにおかしいのは須藤なのに、まるでこちら側がおかしいと言われている気分になる。
「落ち着きたまえよ、南条君。犬でももう少し静かに吠えるものだ。耳元で吠えられたら、私も頭が痛くなるのだがね。」
「だが…………ッ!!」
これは新手の嫌がらせなのだろうか。
どう考えても佐奈を特級鬼闘師に昇格させるのには無理がある。前代未聞の最下級から最上級への昇進。史上最速での昇進。一哉すら越える史上最年少の昇進。分不相応な待遇。
実力だって特級鬼闘師には遠く及ばない。
そうなれば、佐奈は悪意の嵐にさらされるだろう。汚い手を使ったと罵られるだけだろう。
対策院の人間も人格者ばかりではない。いや、むしろ人格破綻者の方が多いと言っても過言ではない。
そんな状況に妹を追い込むわけにはいかない。
必死に食い下がる一哉だが、須藤が相手にする気配は微塵も無かった。
「まあ、とにかくこれを見たまえ、南条君。」
須藤は自分のデスクの引き出しを開けると、中からタブレット端末を取り出し、おもむろに操作を始めた。
そして、何度かスワイプとタップの動作を繰り返し、タブレット端末を一哉に投げて寄越した。
「君の妹の、昨夜の戦闘記録だ。」
端末の画面には、動画ファイルが一つだけあった。
これを再生して内容を確認しろということはらしい。
一哉は動画ファイルをタップして再生を開始する。
「…………っ!! な、なんだよこれ…………っ!」
驚愕に目を見開く一哉。
そんな一哉を見て、須藤は嫌らしくニヤニヤと嗤い始めた。
中には確かに佐奈の戦闘の様子が映っていた。
動画の視点は3人称。一人称視点で記録される通常の鬼闘師の戦闘記録とは別に、何者がが密かに佐奈を監視していたという事なのだろう。
それだけでも須藤を問い詰めたいところであるが、それ以上に動画の内容が衝撃だった。
あり得ない物を見せられている気分だった。
「嘘だろ…………いつの間にこんな…………。」
動画の中の佐奈は、一哉の知る佐奈とは別人だった。
地を抉る様な岩の弾丸、天を衝かんばかりの巨大な刃。圧倒的な物量と圧倒的な霊術出力で敵を屠る佐奈の姿がそこにはあった。
「なんだ……なんなんだ、これは……? どういう事だ? 佐奈がこんな――――」
驚愕に一人ごちる一哉だったが、次に映し出された映像を見て絶句してしまった。
絶対にあり得ないものを見た、そんな表情になっている。
「その様子だと、君は妹の実力も正しく見極められていないのではないかね。彼女は君の妹である以前に、部下でもあるんだろう? それだというのに、君は自分の部下の教育すらマトモに出来ていないとはね。まったく、君の様な人間が実務処理班の頂点の一角などと…………。随分質が落ちたのではないか? なあ、神坂総議長?」
「――――――っ!」
動画には「アイナ」と戦う佐奈の様子が映し出されていた。
画面の殆どが砂埃で覆われており、殆ど映っていないが、最初は一方的にやられている様子だった佐奈が突如巻き返すのが確認できた。
そして――――――
「嘘だろ…………。『アイナ』を…………倒した…………?!」
「これは一体どういう事だ…………。」
砂埃が晴れた後には、うつ伏せに倒れた「アイナ」とそれを見下す佐奈の場面が待っていた。
内容はわからないが、何か話しているらしい。
そして動画は進み、突如画面が真っ白になったかと思うと、画面上には佐奈だけが残っており、そこで動画は終了していた。
「………………。」
もはや一言も口にできない一哉と仁十郎。
そんな二人に、須藤はトドメの一撃を放った。
「これで充分にわかっただろう? 彼女の力を。ところで南条君。私も話は聞かされたんだがね。1か月前の対策院本部襲撃事件。あの時の首謀者も、この『アイナ』なる人物らしいではないか。」
「ええ……間違いないかと。奴と交戦したは俺ですし、あの時奴が遣っていた技とこの映像データで見て取れる技も同一のものと思われますが。」
「問題はそこでは無いのだよ。聞いたところによると、君、あの賊とはギリギリで引き分けてようやく撤退に追い込んだそうじゃないか。仮にも対策院が誇る特級鬼闘師が高々一人の侵入者を捕らえる事も始末することも出来ず、挙句の果てには最下級の三級鬼闘師に尻拭いをさせる。恥ずべき失態だとは思わんかね。え? 南条君?」
須藤の指摘は現場の意見を何も考えない、かなり無茶苦茶なものであったが、だからと言って反論する事も出来ないような痛い所を突いてきた。
そして一哉からの反論が無いと見るや、急に嬉々とした表情でデスクに乗り出してくる。
「その点、君の妹の南条佐奈には見込みがある。何しろ、天下の特級鬼闘師殿でも倒せなかった女をああも簡単に圧倒できるだけの力がある。見ただろう? あの圧倒的な戦いを。彼女には我々の『対外室』も入るだけの力がある。いや、あれだけの力であればぜひ欲しい。諸外国へのデモンストレーションにはうってつけだろう。特級鬼闘師としての試用期間の後、すぐにでもこちらへと異動してもらう事になるだろう。」
「…………。佐奈は嶋を倒した俺への当てつけって事ですか。」
「人聞きが悪いな、南条君。『対外室』の貴重な要員である嶋寛二は君達によって倒され、我々は多大な損害を受けた。その補填を探していたところに丁度良い人材を見つけた。特級鬼闘師を2人程活動不能にしても問題ない程度のな。――――――つまり、君など必要無いという事だ。実際の所、君達が嶋を殺したか殺していないかなど、どうでもいいのだよ。どうせ君達は超法規的措置の下で好き勝手に動く無法者。最初からマトモに裁ける訳が無いしな。だが、我々の貴重な人材が君たちの軽率な行動によって失われた。その一点のみは何としてもツケを払ってもらわんといかんのだよ。」
「…………。」
「もっとも? 君達の理論で言うのであれば、尊い一人の命を奪ったその報いが、たった2週間の権限剥奪なのだ。随分と安い懲罰だとは思わんかね? だとすれば、私のこの措置は感謝されこそすれ、恨まれる筋合いなど微塵も無いだろう。」
須藤の言葉に一哉もとうとう反論の言葉を失う。
元からわかっていた事とは言え、目の前のこの男に何を言ったところで逆効果だ。
今こそ謹慎処分程度で抑えられているが、下手をすれば口封じをされた上で永久追放もありうる。
この男であればそれをやりかねない。そんな確信があった。
「私の話はこれで終わりだ。その猿以下の頭で理解できたのであれば、さっさと下がり給え。」
一哉は項垂れた様に顔を伏せて須藤の部屋を後にする。
仕事柄話の通じない者を相手にする事も決して少なくはないが、この須藤という男は別格だった。
暴論かもしれないが、決して論理が破綻しているわけでは無く、屁理屈をこねるのが上手いが、決して荒唐無稽な話という訳でもない。
そして嶋寛二――――【壬翔】を殺していないという一哉達の主張は一切通る事が無い。
何しろ、腕を切断した事は間違いが無いのだ。その時の出血が原因で死亡した等と言われてしまえば、一哉達には反論の余地が無い。何しろ証拠が無いのだ。
一哉には、今の段階で須藤と渡り合うには材料が少なすぎた。
その帰り際、最後の顛末を黙して見届けていた仁十郎が口を開く。
「失礼いたしました、須藤審議官。ですが、貴方も貴方で我々の優秀な同士の事を好き勝手罵るだけで、少々趣味が悪いと思いますがな。」
「趣味が悪い? 私は本当の事を言っただけだが? なぜ教育の行き届いていない君の部下を私が慮る必要があるのだ?」
「…………失礼する。」
こうして南条一哉が対策院の"表の本部"――――――内閣情報調査室へと呼び出された件は一先ず、一哉の惨敗という形で終結した。
一哉は2週間の謹慎処分により、鬼闘師としての活動を封じられ、それと入れ替わりに、妹の佐奈がまるで生贄と言わんばかりの特級鬼闘師への異常昇進。
2018年8月。
南条一哉と南条佐奈の運命は大きく動き出す。
本人が望む望まざるにかかわらずに、残酷にも。
そのきっかけがこの一件であったという事を一哉が知るのは、まだまだ先の話だ。
そして運命に翻弄される事になるもう一人の少女、南条佐奈は桃瀬瑠璃から逃げ出すように自宅へと帰っていた。
ベッドにうつ伏せに倒れる佐奈の眼には殆ど生気が宿っていない。
この24時間の間、信じられない事、信じたくない事が起こりすぎた。
目を瞑り、耳を塞いでも、それでも溢れ出してくる現実が、記憶から呼び起こされる罪悪感が、記憶と現在の感情の不整合が引き起こす違和感が佐奈を苛む。
「私、何であんなこと…………。私は別にあそこまでやるつもりなんて無かったのに…………。なんで? どうしてよ? それに…………瑠璃の前であんな…………。酷いこともしちゃったし…………。そもそも何で私、あんな力が遣えるの? 『陰霊剣』って何? ねぇ…………ねぇ? 誰か答えてよ…………。」
佐奈はうちひしがれていた。
正体不明の巨大な力に振り回され、悪意を振り撒き、友までもを傷付けた。
その現実の前に、少女の心は今にも砕け散りそうだった。
何か独り言を呟いていなければ発狂する。
まるで水に濡れた障子紙の様に破れ、繊細なガラス細工の様に容易く崩れてしまう。
そんな予感があった。
――――♪♪♪
「電話…………? お兄ちゃん…………かな? …………ごめん…………今は……出たくない…………。」
――――♪♪♪
「…………だから…………出たくない、んだってば…………っ!」
――――♪♪♪
「ったく……しつこいって…………!! って、え…………? 『対策院本部』って、なんでもう――――」
苛立ちもそのままにスマホを床に投げつけようとしていた佐奈は、その画面に映る文字を見た途端に動きを止めた。
その着信元から電話が来る理由には心当たりがある。というより、思い付く限りつい先程の一件しか無いのだが、それにしても事が露見早すぎる。
まだ夕刻という時間的に、怪魔の出現情報と出撃要請の電話などでは決してあるまい。
とは言え、こうして電話がかかってきているのは事実。
内容は何か。
本部への召喚命令か。
佐奈の処分を通達する電話なのか。
はたまた、瑠璃を始末しろと言う佐奈にとって非情な決定なのか。
本音は電話に出たくない。無視し続けたい。
だが、流石に対策院本部からの連絡は無視できなかった。
佐奈は起き上がると、意を決して電話に応答する。
「――――はい。南条です…………。」
電話に出た佐奈は通話相手からの声に相槌を打っていく。
そうして通話していくうち、佐奈の表情が変わっていく。
最初は驚きの表情へ。そして段々と悲しみと困惑の表情へと変わっていく。
「え……でも、そんな、私は…………だって、それはお兄ちゃんの――――――私そんなの、受けられません!」
佐奈は電話の向こうの相手へと懇願する。
だが相手は仮にも国家機関。
個人の、それも一番下っ端の三級鬼闘師の意見などそう易々と通るわけも無い。
「――――――わかり……ました……。はい、失礼します…………。」
佐奈は通話終了操作すらすることなく、呆然とした表情でその場にスマホを取り落とす。
呆然とした表情でしばらく俯いた後、突然小さく乾いた笑い声をあげ出す。
「ハハハ…………ハハハハハ…………。」
佐奈は自分の心が壊れないよう、自分を必死に抑えるのに精一杯だった。
だが、どんなに否定しても、自分の心を否定しても、自分の記憶を否定しても、自分がしでかした事実が消えるわけではない。そんな罪の意識という濁流が、心というダムを崩していく。
ただでさえも心壊すような出来事が続き、佐奈は限界だったというのに。
受け止めきれない現実は16歳の少女の心を、思考を、魂をも完全に濁らせていく。
「私が特級鬼闘師……? 何の冗談なの? 何の嫌がらせなの? 私が何したって言うの…………。こんなの嘘、絶対…………嘘……だよ……。」
そして彼女の中に残った南条一哉の妹であるという、僅かながらの、そして無意味で矮小で、そして呪いの様な誇りだけが最後の均衡を取る。
その呪いは何十年と溜まりに溜まったヘドロの様に心の奥底にへばりつき、決壊寸前の精神を無理矢理へばりつかせて形として残す。
「うん、そうだよ。これは全部夢。あるわけない。私が見てる、長い長い悪夢。だから…………もういいよね?」
だからそれは必然と言ってもよかった。
たかが16歳の少女に対処などできる訳がなかった。
そしてその結果、南条佐奈は現実から逃げ出した。
話の通じないお役人、須藤はしばらく登場しません。
ご安心を。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました
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