撥ノ舞 転落への序章
新年早々、新世紀のサイコヒロイン爆誕。
佐奈ちゃん、マジ異常、マジサイコパス。
佐奈の心には、筆舌に尽くしがたい高揚感と愉悦の感情が満ち溢れていた。
グチャグチャだった頭の中は一瞬で整理され、今やクリア、殴られた頬の痛みはまるで無かったかのように、消え失せた。
そして左手薬指に具現化した血色宝石の指輪。
この指輪を見ているだけで、佐奈は絶頂にも近い感覚を得られる。何しろ、愛する、愛して愛して止まなく、殺したい程に好きで、食べて喰らって呑んで呑み干して舐めて取り込み、その身体に直接手を突っ込んで内臓を取り出し、全身を包まれてそれも喰らって、舐り、吸い、呑み込み、身も心も魂までもドロドロに溶かし崩して一つになりたい兄・一哉と繋がっている様な錯覚に浸れるのだから。
「あぁ…………兄さん…………。」
「…………佐奈?」
今の佐奈には瑠璃の声など微塵も届かない。
ただの自己完結と盲執の塊と化したその心は、他人の入り込む隙すら無い程に固く閉ざされているのだ。
もう何も目に入らないし、その声も聞くつもりはない。
不安そうな目で見つめる瑠璃を完全に無視した佐奈は、恍惚の表情で眼前に倒れる金髪の男の頭を踏みつけた。
「ぐあぁ!!」
「ふふふ…………無様だね。女子高生相手に地面に這いつくばって、恥ずかしくないの? あなたにはプライドってものは無いの? ねえ、答えてみてよ?」
「ぐうぅ……! な、何なんだテメエは…………ッ!!」
「何私に質問してるの? 今は私が聞いてる番だよね? ねぇ、私の質問に答えてよ。ねえねえねえってば。それとも、答える頭すら無いのかな? あぁ、そう言えば頭の中、なんにも入ってそうだもんね。そっかそっか、バカだから答えられないんだ、ごめんね? でもさ、そんなにバカなのに何で生きてるの? バカでクズって生きてる意味無いじゃん。生きてる意味無いのに、のうのうと生きてて、しかも私の兄さんのための身体に傷まで付けてくれちゃってさ。つまりゴミってことでしょ? ゴミはゴミ箱に行けよ。何、道を歩いて食べ物食べて、ゴミみたいな空気撒き散らして、汚物を世間様にさらしてるんだよ、このゴミが。わかる? あなたに価値なんか無いの。あなたの肉体にも、精神にも、魂にも、なぁんにも価値は無い。あなたが生きてきた過去も、あなたが生きる今も、あなたがこれから生きようとする未来にだって価値は無いし、あなたが関わってきた人も、親も兄弟も友達も先生もぜーんぶ無価値! あなたの存在そのものが無価値なんだよ。みんなみんな等しく無価値。ただこの世で価値があるのは、意味があるのは私と兄さんだけ。この二つにしか価値も意味も、称賛されるべき過去も、祝福すべき未来も無いの。ぜんぶぜんぶ、価値も意味も私達の為だけにあるの。兄さんが私のものになるためにあるんだよ。」
そこまで言い終えると、佐奈は金髪の男の頭に乗せた足に更なる力を加えた。踏み砕く様に、踏みにじる様に。
佐奈の表情は今も気味の悪い笑みだが、男を見下す目はひたすらに冷たい。元々、兄である一哉と幼馴染の咲良以外を軽視する傾向にある佐奈だが、今は軽視などという表現では生ぬるい。
その男の全てを見下し全てを否定するその視線に、苦しみに喘いでいた男、マサに反抗の意志が芽生える。その眼が紛れも無い憤怒と憎悪の色に染まり始めて――――――
「ぐっクソ……ッ、クソが……! ぶっ殺す…………!!」
「はぁ?」
「クソガキが…………ッ! この俺に盾突くとどうなるか思い知らせて――――ぐああっ!!」
だが、そんな男のささやかな抵抗も今の佐奈には劇薬でしかない。わざとらしく舌打ちをすると、男の頭を踏みつけていた足で、強烈に男を蹴り上げた。
悶絶しながら吹き飛ぶ男。
鼻の骨が折れたらしく、醜く歪んだ鼻から大量の血を流しながら転がっていく。
「何ギャーギャー勝手に喚いてるの。耳障りなんだから、喋らないでくれる?」
冷たい瞳のまま睨む佐奈が言い放った。
その凄惨な状況とあまりの佐奈の豹変ぶりに、瑠璃は勿論、彼女をいまだ捕まえたままの茶髪の男――――マサまでもが呼吸する事を忘れたかのように事の成り行きを静観している。
誰一人としてこの4人に近づく者は無く、誰一人として声をかける者も居ない。
もはや誰も佐奈の暴走を止められる者は居ない。
「ぐあああああああああぁぁッ!!!! テメエ……テメエっ…………!!」
金髪の男の右手の甲に石槍が突き刺さった。
辺りに再び男の悲鳴と血が広がる。
佐奈はただ男に向けて掌を向けているだけ。
陰霊剣『血染花嫁』により媒介された霊力が佐奈のかざした掌から槍の形に形成され、射出されたのだ。
勿論、佐奈を除けばこの場に鬼闘師の事を知る者は居ない。
だから周囲にとって今の佐奈は、身に纏う異常な雰囲気と合わさり、魔法の様な得体の知れない力を遣う悪魔の様にしか見えなかった。
「そうだ、ゲームでもしよっか。」
「な……?!」
その悪魔に唐突に投げかけられた言葉に、金髪の男は痛みにのたうち回りながらも、再び顔を上げた。
あまりにもこの場に相応しくない発言に、その顔には苦悶を越えて、唖然の表情が浮かび上がっている。
「今あなた、苦しいよね、痛いよね、何もかも放り出して逃げたいよね、私に出会った事無かった事にしてこの場から逃げ出したいよね? だから私が、今から逃げるチャンスをあげる。」
「何を……何を、言ってやがんだテメエ……。」
「これから1分間、あなたに向かって槍を放つ。こんな風に――――――」
――――ズシャ……ッ!
「ガアアアァァ…………ッ?!」
今度は金髪の男の左手の甲に石槍が突き刺さる。
再び吹き上がる血と悲鳴。
石槍は男の手を地面に縫い付けると同時に光の粒子となって霧散――――痕跡は消え去り、男の血と苦悶の声だけが残った。
「ほら。早く逃げないと本当に殺しちゃうよ? いいの? 私の機嫌がいいうちに逃げといた方が良いと思うけどなあ。それとも死にたい? まあ生きてる価値無いゴミみたいな命だもんね。亡くしたって、散らしたって問題無い――――――というか、その方が良いと私も思うよ。そもそもの話として、私と兄さん以外の命に何の価値があるのっていう話なんだけど。なんで皆、クズみたいな、ゴミみたいな存在のクセに、平気な顔して、厚顔無恥に生き続けられるんだろうね。私だったらそんな恥をさらしてグダグダと生き永らえるなんてとても耐えられないよ。ホンットくだらないよ、どいつもこいつも。結衣さんは、何? 兄さんと突然10年来の幼馴染とか言い始めるだけじゃなくて、うちに寄生して私と兄さんの静かで平穏で甘美な生活の邪魔をしてくるアバズレビッチだし、咲良ちゃんはせっかく兄さんを譲ってあげようとしてるのに私の気持ちも施しも無下にする恩知らず。なんか最近は自分の力で兄さんに好かれようと思ってるみたいだけど、無理無理、とても無理。ツンデレで肝心なところでヘタレの咲良ちゃんが、鈍感で唐変木で朴念人な兄さんを押しきれる訳無いんだから。というか、もう兄さんはあげないんだけど。それってつまり、兄さんを斬って切って切り刻んで、内蔵を一つ一つ丁寧に取り出した後で綺麗に洗って、グチャグチャに擂り潰して肉団子にして食べちゃったら、兄さんの血で兄さんと乾杯して飲み干して、最高にイっちゃうって事!!」
「ハァ…………ハァ…………ッ! こ、コイツ、マジで何言ってんだ…………。本当に狂ってやがる……。」
「アハッ…………! あはははははっ!! もう45秒位経っちゃったね! それでも逃げてないって、死にたいってことでいいんだよね?!」
もはやその言動から、欠片の正気も伺えない佐奈は、狂った様に笑いながら石槍を男の右肘、左肘、右膝、左膝、と連続して突き立てていく。しかも今度の石槍は消えずに、男の身体を地面へと縫い付けていく。それも、傷口を熱で軽く焼いて失血死しないようにするという悪辣さで。
金髪の男は激痛とショックで遂に気絶してしまった。
指を切断され、四肢を槍で穿たれたのだ。当然であろう。むしろショック死していない方が不思議である。
「あ~あ。もう壊れちゃった? ほんっとうに、脆くて、弱くて、くだらない男……。まあ、人間なんて所詮こんなもんだよね。力なんて無いくせに、弱いくせに、少しでもマウント取れると思ったらすぐにみっともなく威張り散らしてさ。勘違いも甚だしいんだよね。死ね、死ねんでよ、あなた。このまま誰に助けられる事もなく、永遠に磔になって、朽ちて腐って犬に喰い千切られて死ね。私はあなたを殺さない。私の手では決して殺さない。だって、私がこの手で殺すのは、世界で一番好きで世界で一番憎い姉さんと、世界で一番愛しくて世界で一番殺したい兄さんだけ。あなたごときが私の手で殺してもらえるなんて思わないで。だけどこのまま死ね。速やかに死んで。あなたみないな存在がこの世に居ること自体が私には赦せないの。」
金髪の男に冷ややかな視線を落とした佐奈は、もう一人の茶髪の男へと手をかざす。
「ひっ…………!!」
目の前の凄惨な光景を前にして、完全に怖気づいてしまった男は、腰を抜かしてしまったのか、その場にへたり込んでしまう。それでも、何とか後ずさって佐奈から逃げようとする点は金髪の男――――マサよりも賢明ではあるのだが。
それでも、最早逃げ時を失ってしまった男に、佐奈は決して情けや容赦を見せなかった。
「ぎゃあああああああああ……っ!!」
茶髪の男――――トシの両脛に石槍が突き刺さり、同じく地面に縫い付ける。
再び血の華が咲き、骨の砕ける音が響く。その様子に佐奈は益々嗜虐的な笑みを深め――――
「佐奈ぁ! だめぇ…………っ!」
佐奈の胸に軽い衝撃が走った。
今まで事態を傍観していることしか出来なかった瑠璃が、必死の形相で佐奈にしがみついているのだ。
「何、瑠璃?」
「何って、佐奈…………! こんなひどい事しちゃダメだよぅ…………!」
「なんで?」
「な、なんでって……。」
「ねぇ、なんでダメなの? 先に手を出してきたのはコイツらだよね。存在理由も存在価値も何もかも無い連中だよね。兄さんと一つになるこの身体傷つけたクソ野郎だよね。だから思い知らせてあげてるの。『ゴミはゴミらしくしてろ』って。だから死ぬギリギリ一歩手前まで刺して刺して串刺しにして、焼いて痛め付けるの。これは必要な事なの、当たり前の事なの。」
「…………さ、さな?」
「ねぇ、なのにどうして瑠璃は私の事邪魔するの? もしかして瑠璃も死にたいの? ねえねえねえ、ねえどうして?!」
「だ、だって…………、こんなの…………。」
「私の邪魔をするって言うのなら、容赦しないよ。例え瑠璃でも。本当に殺しちゃうから。私がこの手で殺すと決めてるのは兄さんと姉さんだけだけど、瑠璃は例外だから。瑠璃だけは私の手で殺す。きちんと、あっという間に殺してあげる。安心して、なるべく苦しめて、たっぷり時間かけて殺してあげるから。そうした方がお祈りする時間もたっぷり取れるし、私の事もずっと感じながら死ねるでしょ? 瑠璃、寂しがり屋だもんね。私が最後まで一緒にいてあげる。あ、そうだ! せっかくだから、兄さんと一緒にしてあげる。デートさせてあげるね。それってつまり、放課後の学院の屋上で兄さんと瑠璃の二人を意識あるまま解体して、そのお肉でハンバーグ作って、私が食べちゃうって事!! あ、二人の血で作ったカクテルで乾杯してもいいよねっ! どう、素敵でしょ? 憧れの兄さんとの放課後デートだよ? あはっ! あはははははははは!」
佐奈の言葉には一点の正気も伺えない。普通であれば、こんな言葉を聞けば、それも親友からこんな事を言われれば、誰だって逃げ出すだろう。友情など崩壊し、取り返しなどつかないだろう。
だがこの少女、百瀬瑠璃はそうではなかった。
「…………ねえ、本当にどうしたの? しっかりしてよ佐奈っ!! 今日の佐奈本当におかしいよ?! 私の知ってる佐奈は、嗤いながら人を傷付ける様な酷い人じゃないっ!」
瑠璃の見た事がないような剣幕に僅かに気圧されたのか。
佐奈の目に僅かな正気の光が戻り始めた。
そして――――
「それに、私の事は傷付けてくれてもいいけど…………、こんな事して一哉さんが――――お兄さんが悲しまないわけないよっ!」
それが確かなトリガーだった。
「あ…………え? わたし…………何を? まさか、また?」
刹那、左手薬指に嵌められた、血の様に紅い宝石が付いた指輪が砕け散る。即座に飛び散った破片は紅い光の粒となって霧散した。
同時に男達を磔にしていた石槍も消滅。
後にはただ男と飛び立ちった血のみが残る。
「佐奈…………? 大丈夫?」
瑠璃が恐る恐るといった様子で佐奈に話しかけてくる。
未だに佐奈の胸にしがみつく瑠璃と目が合って、ようやく佐奈は瑠璃の存在をしっかりと認識した。一種の暴走状態にあった佐奈は、直前の出来事にまで意識が向いていなかったのだ。
そうして蘇る、陰霊剣発動時の所業。脳裏に駆け巡るのは真っ黒な感情の残滓。
それと共に堪えがたいほどの恐怖が佐奈の総身駆け巡った。
「嘘……嘘だ……っ!! こんな…………こんな事あるわけが……こんなの嘘だよ! 私…………わたし…………こんな筈じゃ……っ。」
未だに昨晩の事を受け入れられていないというのに、自らが眼前の凄惨な光景を作り出したなど、信じられる筈もなかった。自ら進んで人を、それも――――酷い目に遇わされそうになった元凶とはいえ――――対策院とは無関係な、ただの一般人をそんな事実、弱冠16歳の少女に耐えられる訳が無かった。
「違う違う違うちがうちがうちがう、間違ってる! こんなの嘘だって、こんなのただの悪い夢だって言ってよぉ、お兄ちゃん…………っ!」
「お、落ち着いて…………っ! 落ち着いてよ! だ、大丈夫だから! ね、ね? 佐奈! さなぁっ!」
激しく頭を掻き毟って暴れ始めた佐奈を、瑠璃は必死に止めようとする。だが、瑠璃自身が非力であるため、全く佐奈の動きを止められないでいる。
そしてそうこう揉み合っている内に、遂に瑠璃は力負けして突き飛ばされてしまう。
「きゃっ……?!」
佐奈は一瞬、突き飛ばした瑠璃を心配して駆け寄ろうとするが、すぐにやめてしまった。
もう散々やらかしてしまった。無意識に瑠璃を殺しかけてしまったし、血生臭い所を散々見せてしまった。
そして何より、瑠璃の前で霊術を遣ってしまった。
対策院の規定に則り、瑠璃に何らかの口止めを施さなければならない。
だが、その方法も何も思い浮かばない。
何も考えたくない。何も感じたくない。
佐奈の取った選択はただその場から去る事だけ。
佐奈の横を3台の黒塗りの車が通り過ぎていく。
背後で何かを叫ぶ瑠璃の声に反応する気には、とてもなれなかった佐奈はただこの場から走り去っていく事しかできなかった。
恐怖のサイコブラコンヒロインが爆誕したところで次回へ。
視点は再び一哉サイドへと戻ります。




