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鬼闘神楽  作者: 武神
第4章 滅亡の氷姫
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漆ノ舞 ハザード・トリガー

胸糞展開注意

 一哉が対策院本部への呼び出しに応じて移動を開始したちょうどその頃、一哉の妹である佐奈は宛もなくさ迷っていた。

 血塗れの格好は流石に着替えており、昨晩の戦いの激しさは、佐奈からは見て取れない。

 だが、それだけだ。それだけだった。

 俯いて身体を引き摺る様に歩く佐奈の様子は、ただ異様の一言と言ったところ。その所作には、普段の佐奈から感じ取れるような活発さや溌溂さはまるで感じられない。足取りは重くフラフラと、意識も朦朧としているのか、焦点の合わない視線をただ足許へと投げ掛けるだけだ。

 たまにすれ違う通行人も皆が皆、薄気味悪い物を見たような視線を佐奈へと投げかけて、避けていく。



「だって仕方ないじゃん…………。アイツが……アイツが先に手を出してきたんだから……。だから私は悪くない、…………悪くない。悪くない悪くない悪くない悪くない…………わるく……ない…………。」



 そう呟く言葉すら、佐奈は自分で認識できていなかった。

 無意識に漏れ出る言葉に反応すること無く、自分が今どこを歩いているのかも理解することなく、ただ機械的に足を動かすだけ。だから、目の前から注がれる心配そうな視線にも気が付く事が無い。



「アイツが兄さんを……お兄ちゃんを……。天罰だったんだよ…………、うん、そうだよ……。」


「さ、佐奈――――?」


「ワタシハワルクナイ…………。私は悪くないから、死ねばいいんだ…………。」


「佐奈――――っ!! ねぇ、佐奈ってば!」



 どこかで聞いた事のあるソプラノボイスが佐奈の耳に入るが、佐奈の心にはその声が誰の物かを判別する程の余裕すらない。かけられる言葉が雑音に、目の前に感じる存在感が障害物に感じられた。

 だから――――――



「うるさい――――どいて…………。」


「ちょ――――っ……! さな……?!」



 自分のしている事に気が付かなかった。意識するつもりすらなかった。

 身体が勝手に動いた。目の前の埃を払うぐらいのつもりで。

 危うく親友の首を刎ねる直前になるまで、自分が何をしているのか気が付かなかった。



「瑠璃…………?」



 佐奈は完全に無意識に薙刀を突き付けていた。自らの親友である桃瀬瑠璃の首筋に向かって。

 長い茶髪をツーサイドアップにした小柄な少女―――親友であり、アイドルでもある瑠璃の可愛らしい顔が恐怖に引き攣るのを見て、佐奈は初めて自分の行動を自覚してしまう。



「――――っ!! ご、ごめん、瑠璃!」



 佐奈は慌てて薙刀を引っ込めた。

 一般人、それも親友である瑠璃に対して、無意識とはいえ薙刀――――それも競技用ではない、鬼闘師としての活動に用いる刃の付いた薙刀を突き付けたのだ。とんでもない事をしてしまったと、慌てて薙刀を隠す。

 だが、してしまった事の事実が消えるわけではない。もはや瑠璃に弁解する余裕も、説明する余力も残されていなかった佐奈はその場を去ろうと踵を返した。



「ま、待ってぇ、佐奈!」



 しかし、その歩みは一瞬で阻まれた。一瞬早く瑠璃が佐奈の手を掴んでいたのだ。

 普段であれば、ただの一般人に過ぎない瑠璃に手を掴まれる事などあり得ない。だが、佐奈が思っている以上に昨晩の戦いで佐奈が心身に負った傷は深かったのだ。表面上の傷は治っても、失った体力まで戻ったわけではない。訳も分からないままに敵に「呪い」を浴びせかけたという事実が心に与えた傷が癒えたわけではない。結果、佐奈の逃走は完全な失敗と終わってしまう。



「佐奈…………、何かあったの? なんだか凄くつらそうな顔してるよ……?」


「…………」



 心の底から佐奈を心配しているのだろう。

 瑠璃は幼さとあどけなさが同居したその可愛らしい顔を、わかり易く心配の形に歪めて佐奈へと問いかけた。だが今の佐奈に、瑠璃にかける言葉などあるわけが無い。



「別に何にもないよ……。ちょっと考え事してただけ……。」



 だから自然と瑠璃に返す言葉も冷たくなってしまう。何があったのか、本当の事など言えるわけが無い。加えて、先程の狼藉が尾を引いて、瑠璃の目は勿論、顔も見る事が出来ない。

 しかし、この佐奈の手を掴む桃瀬瑠璃という少女はその程度で話してくれるような人物では無かった。



「そ、そんなのうそだよ……。佐奈のそんな顔、わたし見た事ないもん……。」



 佐奈の知る限り、瑠璃はとても気弱な少女である。

 普段の学園でのクラス内では勿論、親友であるはずの佐奈や友里に対してさえ、話す時にどもってしまう。今でこそアイドルグループで活動しているが、本来は人前に出る事をとても恥ずかしがる少女だ。加えて言えば、女子校に通っているからか軽い男性恐怖症の気すらある。

 だが、瑠璃はそれらの欠点を補っても余りあるほどに優しい少女だ。

 佐奈がヘマをして体調を崩したり、ケガをした時は血相を変えて心配してくれる。何か辛い事があった時、自分の事でもないのに辛そうに話を聞いてくれる。人の痛みをまるで自分の痛みの様に感じる様な娘なのだ。



「ね……? だから……わたしで良ければ、聞くことくらいは、できるから……。ね?」



 だが、今の佐奈にはその優しさが気まずかった。鬱陶しかった。自分が惨めに思えて仕方が無かった。

 今の佐奈には自分がしてしまった事を受け止める様な心の強さも、それを無視してしまえるようなずぶとさも無かった。


 これまで、今まで兄に近づく者を実力行使で排除しようとした事もある。

 鬼闘師として戦いの場に立ち、敵を斬った事もある。

 この前の――――【壬翔】との戦いでは初めて人斬ることになるかもしれなかった。

 自分勝手かもしれない、唯の傲慢でしかないが、少なくとも「自分の為だけに」その刃を振るった事は無かった。


 だが、今回は違う。佐奈自身があの時の自分の行動が理解できないとは言え、「自分の為に」明確な殺意を持ってあの『アイナ』と対峙した。あまつさえ自分でも理解できない行動をしていたというのに、『アイナ』が倒れ伏す様に愉悦すら感じていたのだ。

 そして、挙句の果てには親友の首元に刃を突き付けてしまった。

 そんな佐奈が、瑠璃に対して合わせる顔が無いのは当然の事だった。



「瑠璃…………。」


「わたしはいつだって佐奈の味方、だから……。だからお願い、何があったか……教えて?」



 桃瀬瑠璃は心底優しい少女である。その事は、親友である佐奈が良く知っている。

 だから瑠璃の態度は当然であり、必然で、心乱した今の佐奈にすら簡単に予測できたことだった。

 だが―――――予測できたところで、今の佐奈にはどうする事も出来なかった。



「………………っ!」


「――――――? …………さな?」


「……煩いんだよっ!! 何でもないって言ってるでしょ?! いいから放っておいて……っ!!」


「――――――っ! でも、佐奈……っ!」


「いいから…………っ! いいから離してってば!! ――――――瑠璃ッ!!」



 気が付けば佐奈は声を荒げていた。自分の親友に向かって。

 心の底から湧き上がる苛立ちの原因は、全て自分に原因がある。そしてそれは瑠璃には何ら関係が無い。だからこんな事は間違っている。

 瑠璃はただ佐奈の事を心配しているだけなのに。

 そんな事は百も承知な筈なのに。

 佐奈に湧き上がってくる苛立ち、どす黒い感情はとめどなく溢れてきて、心の中を染め上げて――――



「――――~~~ッ!! いい加減離せよ――――っ!」


「きゃっ……!!」



 佐奈は思わず瑠璃を平手打ちしていた。

 いくら少女とはいえ、鬼闘師である佐奈の平手打ちが瑠璃の身体を崩すのには十分な力があり、瑠璃は地面へと倒れてしまう。

 同時に佐奈の手は瑠璃から解放された。



「あ……っ! ご、ごめ……ッ!」



 佐奈は慌てて瑠璃に駆け寄る。

 既にグチャグチャだった佐奈の頭の中は最早何も考えられない程に混迷を極めていた。

 自分の親友を殺しかけた挙句、ただの八つ当たりで手を上げたのだ。当然と言えよう。



「……わ、わたしは……大丈夫……だからっ。」



 だから佐奈には、そんな目にあってもまだ佐奈の事を心配した目で見る瑠璃の事が、心底理解できなかった。



「さな、本当にどうしちゃったの……? お兄さんと―――――一哉さんと喧嘩でもしちゃったの……?」



 だから瑠璃の優しさは、心底佐奈を追い詰める事しかしなかった。



「……あ、…………あっ!」


「あ…………ま、待って、……佐奈!」



 もう佐奈には瑠璃の顔を見る事はおろか、瑠璃の前に居る事すら耐えがたかったのだ。

 だから走った。何もかもを――――瑠璃だけでなく、自分の得物である薙刀すらも置き去って。何も聞きたくない、何も考えたくない、何も見たくない。ただそれだけで走りだした。

 だから気が付かなかった。


 ――――――ドンッ!!!!



「あ゛ぁ?」



 全てを投げ捨てたつもりだった佐奈に伝わってきた衝撃。

 それは目を閉じ、耳を塞ぎ、心を閉ざした佐奈が認識せざるを得ないもので――――――



「おい、テメエ、どこ見てやがんだよ。あぁ?」



 佐奈がぶつかった相手。金髪の背の高いガラの悪そうな男だった。

 どこかの高校の制服を原型を留めない程に着崩し、音を立てながらガムを噛み、煙草のにおいをプンプンとさせた男。

 その男の容貌に、佐奈が思わず不快感を示した事が癇に障ったのだろう。ステレオタイプな不良風の男は佐奈を見下しながら、その胸倉を掴んだ。



「……っ。放してよ。」


「あ? テメエ、人にぶつかっておいて詫びもねえのか。まずは詫び入れろやコラ。」 


「そうだぜぇ~。さっさと謝っといた方がキミの身のためだゼ、お嬢ちゃん?」



 煙草臭い吐息を吹きかけながら脅しをかけてくる男に、その男の横に居たチャラチャラした風貌の茶髪の男。

 どちらも佐奈が嫌いなタイプの男だ。見た目だけ威嚇し、群れて脅す事しかできない人種。だから、ただでさえも苛立っていた佐奈は謝るどころか、喧嘩を売る事を選択してしまう。



「……うるさい。…………離せ……離せって……言ってるんだよっ!!」


「――――コイツ。」


「あ~らあら、生意気な女だなぁ~。コイツ、ヤっちゃう、マサ?」



 男たちは益々いきり立ち、佐奈へと迫ってきた。

 煙草臭い吐息が佐奈の不快感を益々深め、さらにその事がますます佐奈を苛立たせ、ますます言葉を攻撃的にさせる。昨晩から募り続ける苛立ちと怒りと不安が限界を超えて心を黒く染め上げ、満たしていく。もう佐奈は目の前の男を斬る事しか考えられない。



「クソ……ッ! 離せ……離してよ……ッ!!」


「よく見れば顔だけは中々イケるじゃねえか、この女。」


「ヒヒヒッ。じゃあ、いつものとこに連れ込んじゃうかぁ、マサ~?」


「あぁ。他の連中も呼んでやれ、トシ。」



 下品な笑みを浮かべる眼前の男達。

 そのうち一人は何やらスマホで電話をかけだし、佐奈の胸倉を掴む男の力は益々強くなってくる。

 佐奈はこれから起こる事を予感したのか、さらなる抵抗を試みた。

 だが――――



「ふざけんな!! 穢れるんだよ、このクソ男ども――――!! くそぉ……いい加減離してよ!」


「うるせえんだよ! 黙れ、このクソガキがっ!!」



 ――――バキッ!



 佐奈の頬に溶岩を流したのかと錯覚するような痛みが走る。

 胸倉を掴む金髪の男に拳で顔を殴られたのだ。


 佐奈には誤算が二つあった。

 威勢よく喧嘩を売ったは良いが、意外と男の力が強いのか、佐奈は全く男の腕を振りほどけない。

 むしろそれは当たり前の事でもあった。佐奈はいくら天才鬼闘師・南条一哉の妹として若くして鬼闘師として活動する人間だといえど、力そのものは高校生女子の平均を僅かに上回っている程度なのだ。術の発動媒体たる得物を持たず、霊術による身体強化も行っていない佐奈など、一般人と大差が無い。

 佐奈は昨晩の「アイナ」との戦いで痛感した筈の事を早くも失念していたのである。

 ただ黒い感情に振り回されるままに叫んだだけ。

 これが誤算の一つ。


 そしてもう一つの誤算が――――――



「……や、やめてください……っ! 佐奈を離して……!」



 佐奈のすぐ後ろには、佐奈の薙刀を抱えて追いかけてきていた瑠璃の姿。

 気弱で男性恐怖症気味な瑠璃は、既に涙目になって男達に訴え出る。

 優しく、友達想いな瑠璃の事だ。例え怖くて仕方が無くても、不良に絡まれた佐奈を助けようとする事に何の不思議も無い。さっきも命を奪いかけ、冷たい態度を取った筈の佐奈に対して、まだ手を差し伸べてくれる瑠璃に、佐奈の目頭も思わず熱くなる。


 だが、瑠璃は佐奈以上に非力なのだ。この場に来たところで何の力にもならない。

 それに加え、瑠璃はアイドルになれる程の容姿を持っているのだ。しかも、所属するグループは最近売れ出したアイドルグループ「D-Princess」。顔だってそれなりに売れ始めている。そんな少女がこの場に踏み込んだ結果、起こる事は一つしかない。



「あぁ? なんだテメエ……。」


「これまた可愛いのが……ん?」


「どうした、トシ。」


「コイツ……桃瀬瑠璃じゃねえか、マサ?」



 茶髪の男――――トシが厭らしい笑みをさらに厭らしく、嗜虐的な笑みへと変えていく。

 その台詞、表情から、瑠璃の正体を察したという事は火を見るよりも明らかだった。

 佐奈の背筋に、冷たい汗が流れる。



「桃瀬瑠璃? 誰だよ、それ。」


「何だよトシ~、知らねえのかぁ? アイドルだよアイドル! 『D-Princess』ってグループのメンバーだよ!!」


「アイドル? このガキが?」


「そそそ。ついでのコイツも連れて行っちゃおうゼ~?」


「はっ。お前、相変わらずこういうガキっぽい奴が好きだな。まあ、アイドルとヤれる機会なんてねえしな。そいつも連れて行くか。」


「さっすがトシ~。話が分かる~。」



 最悪だった。

 佐奈にとって、最悪の一日だ。

 原因不明の霊術出力上昇に、安定しない精神。訳も分からず、敵に意味不明な力を遣い、心がボロボロになったところで、親友を殺しかけた。その親友にさらに手を上げ、挙句の果てには危険に晒そうとしている。

 追い詰められ黒く染まった心に、この現実は限界を超えさせる刺激には十分すぎる。



「おい、来いよお嬢ちゃん?」


「い、嫌……。やめて……くだ……さい!」


「マサ、とっとと連れて行くぞ。騒がれると面倒だ。」


「あいよ~。ホラホラ、こっちだよ~。」


「や、やめ……っ!」



 マサと呼ばれた男が、瑠璃の腕を掴み強引に引き寄せると、口をふさぐ。

 どうやって連れ去る気なのかわからないが、このままでは確実に自分も瑠璃も連れ去られ、凌辱の限りを尽くされるだろう。だからと言って今の佐奈にできる事は無い。

 ただ手元にあるのは極限まで黒く染まり切った心だけ。



「いい加減にしてよ、アンタ達……っ!! 瑠璃をはな……ぐうぅっ……!!」



 最早吠える事しかできない佐奈に、金髪の男の拳が再び振り下ろされた。

 佐奈は殴られた勢いそのままに、地面に叩きつけられる。



「黙ってろクソガキ。」


「ううううぅぅぅっ! さ、さなぁ、佐奈ぁ!! モゴ――――ッ!」


「ホラホラ、キミもうるさいよ~。」



 昨晩からのダメージが蓄積しているからか。

 思った以上にダメージが入ってしまったのか。

 高々普通の人間に殴られた程度で気を失ってしまうなどとても考えられないが、意識はどんどんと薄れていく。

 薄れゆく意識の中で考えられるのは、ただ目の前の男達を殺したいという事だけ。

 もはや瑠璃の事すら思考の一切から消え果て――――――



「ぐあああああぁぁぁぁぁぁっ!!!!」



 金髪の男右手の指が飛んだ。金髪の男の右指の第二関節から先が消え失せているのだ。茶髪の男も、瑠璃も唖然とした顔で佐奈の事を見つめている。

 倒れた佐奈の表情は、髪に隠れてわからない。

 だが、傍眼に見れば尋常でない様子である事は一目瞭然だ。ただ不気味な雰囲気を纏い、静かに動き出す。



「いい加減黙ってくれない? このクズが……」



 激痛にのたうち回る男を見下しながら、佐奈は静かに立ち上がった。

 左薬指に今再び、血色に染まった宝石が顕現する。

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