陸ノ舞 東雲結衣の番人
長い事失踪しており申し訳ございません。
期の中間地点という恐ろしく忙しい時期に先輩が会社を辞めたせいで、業務量が倍になり、8月には昇進試験もあって、全然書けませんでした。
ボチボチ不定期連載で再開します。
林海音という人間は、南条一哉にとって取るに足らない、何でもない人間の一人に過ぎない。
どこにでもいる女子大生。身長が高く、少々男勝りであるという点意外に特に特筆すべきものも無い、自らの人生には何の影響も与えない、どこにでもいる人間の一人でしかなかった。
強いて言えば、親友である鈴木智一に頻繁に難癖をつけるところが目に付く位だった。
――――――少なくとも、つい最近までは。
「ったく、アンタら珍しく熱く語り合ってるかと思えば、くだらねー話題でびっくりしたわ。うちの結衣をアンタらの痴話喧嘩に巻き込まないでよね。」
ヒートアップしていた一哉と智一に声をかけてきたのは、林海音をはじめとする、結衣の仲良し女子三人衆であった。思わず顔を顰める一哉と智一。
今現在の一哉にとってのこの三人衆の認識は、以前までとは少し変わっている。少なくとも、顔と名前が一致する程度にはしっかりと認識している。もっともその認識も「結衣の友達の、ちょっとニガテな奴ら」程度なのだが。
とはいえ、鈴木智一以外の人間にまるで関わりを持とうとしない南条一哉にとっては、大きな進歩以外の何物でもない。
一方で、一哉よりも明らかに嫌そうな表情を浮かべるのは、先程まで一哉に対して青筋を浮かべていた男、鈴木智一だ。そしてその理由はすぐに明らかとなる。
「…………っ! 余計なお世話だ、林。」
「余計なお世話とはなんだよ、鈴木。そんなんだから、アンタ、彼女出来ないんじゃない?」
「うるせっ! その話は関係無ぇだろ!」
煽る海音に、憤る智一。
基本的には誰とでもそれなりのコミュニケーションを築ける鈴木智一という男が唯一苦手としているのが、この林海音という女性であった。
智一曰く、「林海音は、一々人の挙げ足を取るのが好きな女」。何か話せばすぐに喧嘩に発展し、過剰に皆の注目を集める。そして結局、その注目に耐えきれずに喧嘩も半ばで解散してしまう。それがこの、鈴木智一と林海音という二人であった。
「だいたい、毎回毎回何なんだよてめえは! いちいち人の言う事為す事にケチ付けてきやがって!! 俺になんか恨みでもあんのかっ!!」
「はぁっ?! どんだけ自意識過剰なんだよ、アンタは! 自意識過剰なのは見た目だけにしろ!!」
「んだと、このアマ?! 今日という今日は我慢の限界だ……っ! ちょっとこっち来い!!」
「上等だ、このバカ!! 返り討ちにしてやるから、覚悟しなっ!」
そのまま、勝手に二人で食堂から飛び出していってしまう智一と海音。
残された者は、ただ呆然と大声で罵り合いながら去っていく二人の背中を、見つめている事しか出来ない。
「…………。」
「え、えっと……。行っちゃったね、鈴木君と海音ちゃん……。」
唖然とした顔で呟く結衣に、一哉はただ曖昧な笑みを返す事しかできない。
確かに、智一と林海音が顔を付き合わせる度に喧嘩になるのは知っていたが、あんな感じで出ていくとは思っても居なかった。喧嘩する程仲が良いとは言うが、果たしてアレは仲が良いからああなっているのか、それとも本当にダメ相性という事だろうか。
それを判断するには、南条一哉には交友経験値が少なすぎた。
ただ――――間違いなく言えるのは、ボコボコにされて帰ってくるのは智一の方である。
そのチャラくてガラの悪そうな見た目に反して、智一は恐ろしく喧嘩が弱い。
それも、腕っぷしの方でも、口の方でも。
思わず一哉は、これからボロボロにされるであろう、親友に心の中で手を合わせる。
「で、さっきの話の続きやけど、いつから付き合ってんの、二人とも?」
そんな一哉に横槍を入れてきたのは、こちらもまた、智一と海音の二人に取り残された二人の女子学生の内の一人、奥野凜であった。
奥野凜はショートカットの黒髪に童顔、そしてその容姿には不釣り合いな、大きなピアスが目立つ女性だ。
実のところ、一哉は奥野凜に関しては、京都出身であるという事以外、殆ど何も知らない。林海音に関しても決して詳しく知っている訳では無いが、この奥野凜という女性に関して言えば、海音の事の方が遥かに知っていると言えるほどだ。
だが問題はそこではない。その台詞そのものだ。
そして、その台詞に過剰と言っていい程の反応を見せたのは、話しかけられた一哉では無く、結衣の方――――――
「ほえ――――――っ?! ちょちょちょちょちょ、ちょっと待って凜ちゃん!! そんな話どこから出てきたの?!」
「え、だってさっき鈴木君達と話してたやん? この夏に旦那さんがデート誘ってくれへんって。」
「ええええええ?! ちょ、ちょっと凜ちゃん、それを今ここで――――――」
「いや、奥野さん。旦那って何の事だ?」
「わわわ、わわ……っ! ちがっ、違うの一哉君!!」
顔を真っ赤にして焦る結衣は、ブンブンと手を一哉の顔の前でせわしなく動かして何とか誤魔化そうとしてくるのだが、その手が顔に当たり、ハッキリ言って鬱陶しい事この上ない。そしてそれ以上に、決して仲が良いわけではない――――――というよりは、一哉としてはほとんど関りの無い人間である奥野凜に"旦那"呼ばわりされる筋合いは無いのだ。
無表情で有名な一哉が、周囲からですらわかり易く顔を顰める程度には不愉快な事だった。
「――――――って、そんな嫌そうな顔せんかってエエやんか。んで、南条君は思う所は?」
「何だよ、思う所ってのは。」
「それは、南条君がゆいっちの旦那としてどう思ってるんかって事に決まってるやんか~。」
隣の席の結衣は、最早燃え出しそうな位顔を赤くして慌てふためいている。
いつもとは取って代わって落ち着きを無くした結衣は、相も変わらず煩いが――――
それとは別に、一哉は目の前の奥野凜の言いぐさに、言い様の無い苛立ちを感じていた。
いくら一哉と言えど、結衣との関係が「友人」のただの一言で済ませられる様な関係でないことはわかっている。更に言えば、東雲結衣という女性は一哉にとって初恋の相手でもある。今も同じ感情を持ち合わせているのかどうかは別として、その特別な関係性を何も知らない他人に揶揄される事は面白い事では無かったのだ。
「――――――」
「ほらほらぁ。もったいぶらんと、答えてーな?」
「だ、だからっ、凜ちゃん……?!」
奥野凜のふざけた発言に、苛立ちが募る。
そして、結衣の取り繕うような態度にも。
今までの一哉であれば、間違いなく二人の会話を取るに足らない戯れ言として処理していただろう。そもそも、何も感じなかった可能性すら有る。
だが事実、一哉は凜のからかいに不快感を感じている。そして一哉自信がその変化を「気持ち悪い」と感じているのだ。
一哉はその違和感に耐えられなくなりそうで、急いで席を立とうとする。そうしなければ、何か致命的に取り返しのつかないことを口走りそうだったから。
だが――――――
「凜。南条がわかりやすーく嫌がってるから、やめたげなよ。あと、あんまり東雲さん困らせるのもやめなって。」
図らずも一哉の動きを止めたのは、ここまで口を挟んでこなかった結衣のもう一人の友人、川部志乃。思わぬ横槍に、一哉は思わず浮かしかけた腰を落としてしまった。
川部志乃は、見た目はあまり東都大学では見かけないような、バリバリの茶髪ギャルだ。緩いパーマをかけた、セミロングの茶髪に黒いカチューシャを着けた格好がトレードマークのムードメーカーとしても、東都大学理学部3回生の間では知られている。
性格はムードメーカーと言われる通り、とにかく元気で前向き。一哉の基準で言うならば、鈴木智一を女性にして中身を妹の佐奈にすげ替えた様な人物。つまり、コミュニケーション能力皆無な一哉にとっては、結衣の友人3人の中で最も苦手な人物である。
「凜も、コイツの態度見てたらわかるっしょ?」
「まぁそうやけどさぁ…………。ちょいと、ゆいっちが可哀想やない?」
「まあそうだけど。いつまでもモタモタしてる東雲さんも悪いと思うわけで。責任割合は8対2ってとこだよね。もちろん南条が8で!」
「ちょっとぉ! 凜ちゃんも志乃ちゃんも、一哉君を悪く言うのはやめてよ?!」
カイワシナガラジト目で睨み付けてくる凜と志乃の二人に、一哉も思わず気圧される。女性が複数人集まって糾弾してくるという、謎の圧力は南条家で何度も体感しているが、何度受けても慣れるものではない。
「ちょっといい、南条?」
「な、何だよ…………?」
「ちょっとアンタには言っときたいことがあるから。」
そう言うと、志乃はウェーブのかかった髪をかきあげ、改めて一哉を睨んでくる。すっかり引き気味になってしまった一哉は気圧される一方だ。
「東雲さんってさ。ぶっちゃけ今年の春までは根暗なツマンナイ子だと思ってたのよ。話しかけても反応薄いし、すぐテンパるしね。」
「――――――」
「でも、今年になって話してみたら、普通に話せるし、実は凄くいい子だって事もわかった。同時に、東雲さんが明るくなった理由がアンタにあるって事もわかったんだけど……」
なるほど、志乃の所感は正しいだろう。
今でこそ、東雲結衣は一哉と10年来の知り合いである事がわかっているが、正直一哉としても今年の4月までは何とも思っていなかったのは事実である。
ただ、自分が結衣の変わった要因だとはとても思えないのだが。
ふと隣を見ると、照れ臭そうにはにかむ結衣がいる。
今の結衣を作ったのが自分だとすれば、嬉しいと思う気持ちが無いわけではないが、やはり実感は無い。
「だから、そんな東雲さんの笑顔を壊さないであげてよ。もし、東雲さんが悲しむような事あったら…………ウチら容赦せんからね。」
「あ、あぁ…………。」
どことなく凄みを効かせた志乃の態度に、一哉はただ頷くしか無かった。そんな脅しにげんなりしつつも、半ば諦め気味に頷く一哉であった。
「そ。ならいいけど。」
どうやら矛を納めたらしい志乃の様子に、一哉はほっとしてしまう。この場に残りたくない気持ちは代わりに増したが。
だが、ちょうどそんなタイミングで、都合よくポケットの中のスマホが振動を始めた。
最早誰かが助け舟を出してきたとしか思えない。この何とも居心地の悪い雰囲気の中で、この着信が絶妙なタイミングだと喜ぶ一哉は、即座にスマホを取り出した。
「…………あ?」
「どうかしたの、一哉君?」
「え? いや、ちょっとな……。電話してくる。」
スマホの画面。そこに表示された意外な相手からの着信に、一哉の顔色が変わったのを、結衣は見逃さなかったらしい。受けた驚きを隠しきれない一哉は適当に誤魔化してその場を去った。
相手が相手だ。どうせロクな案件では無いのだろうが
物陰に隠れ、その電話を取り――――――
「こんな時間帯に一体何ですか、珍しい。」
『私から直接連絡があった事自体には驚かんのだな。』
受話スピーカーから、重苦しい雰囲気のする、かなり低い男の声が聞こえてきた。
その声は、人によってはすくみ上ってしまうような冷たく、威圧的な老人の声だった。この電話を取ったのがもし一哉でなく、結衣であったならば、驚きと恐ろしさで思わずスマホを取り落としてしまうであろう。
長く生きてきた経験が、存在そのものに鬼気を纏わせている――――そんな様子が手に取る様にわかる声であった。
一哉はその声の主の第一声に心底ウンザリした顔をすると、皮肉めいた台詞で電話の向こうの相手を攻撃する。この後に聞かされる面倒な事を思えば、先に嫌味の一つでも言ってやらなければ気が済まないのだ。それぐらいの、人間的な器の小ささが今の一哉には備わっていた。
「驚いて俺に何か還元してくれるんだったら、いくらでも驚いてさしあげますが?」
『ほぅ……。貴様もそんな冗談が言えるようになったとは、これは今年一番の驚きだな。今年の忘年会のネタにしてやろう。加島辺りは馬鹿笑いして大ウケするだろうな。』
楽しそうにクツクツと嗤うその声に、一哉は珍しく苛立ちを隠せない。
元々揶揄われるのは好きではない質なのに加え、どうしてもこの声の主の事が好きになれないのだ。
こんな時、さっさと話題を変えて話を先に促す術を、黙ってやり過ごす以外に南条一哉は知らない。
『ん? 南条? 何か反応したらどうだ? え? 折角貴様も年相応の若者の機微を身に着けている様なのに、勿体なかろう?』
「…………。」
『おい、南条? 聞こえとるか?! 何とか返事せい!!』
電話の向こう側で喚き散らす声の主の男。
だが、完全に無視し続ける一哉の態度に流石に諦めざるを得なかったのだろう。
ブツブツと文句を言いつつ、大きなため息を一つ吐くと、わざとらしく咳ばらいをする。
最初からそうすれば良いのに思いつつも、それを口には出さない一哉は無言を貫き、
『まったく、貴様は相変わらずつまらん男よのぉ…………。まぁ良い。無駄話もこれ位にしてさっさと本題に移ろうではないか。』
自ら話の腰を折っておきながら、無駄話とは一体どういうつもりか。
そんな事をこの男に問うたところで意味は無い。
そして、その「本題」とやらも、どうせロクでもない面倒事なのだ。
『南条一哉。今すぐ対策院本部へ来い。』
「対策院本部…………?」
聞いただけで厄介な事に巻き込まれる事がわかっているワード。それがよりにもよって、この男から飛び出したという事は、まず間違いなく不愉快な思いをさせられる事は間違いが無い。
だが、その内容がまるで見当がつかなかった。
ただ対策院本部に呼び出すだけであれば、それは対策院執行局局長である、八重樫重蔵がすれば良いだけの話で、態々この男が、それもこんな昼間に直接連絡を取ってくる筈が無いのだ。
『ふむ。流石は南条聖の倅という事か。この一言で何かあるという事をしっかり予感しておる。当たりだ。お前の事を幹部連中――――――それも"表側の本部"の連中がお呼びだ。』
その男の言葉を聞いた時、一哉の脳裏にはある男の顔が過った。
それは、先月倒したばかりの対策院の裏切り者。
何となく予感はしていたが、悪い形で的中してしまった事に思わず一哉は舌打ちしてしまう。
『南条、貴様何をした――――』
「承知いたしました、"神坂総議長"。至急、"表の本部"へと向かいます。」
一哉は電話の主――――神坂仁十郎の少し戸惑った様な声も無視して電話を切った。
どうせその声を聞いたところで何も解決しないし、一哉の予想通りであれば、恐らく美麻も同様に呼び出されているはずだ。
そうすれば、神坂仁十郎もその場に出て来る筈だ。
何しろ美麻は仁十郎にとっては可愛くて可愛くて仕方がない孫娘なのだから。
一哉はこれから起こるであろう事にウンザリしながらも、本部へと向かう。
智一は勿論、結衣にさえその行き先を告げる事無く――――――
よろしければ、感想、評価、ブックマークお願いいたします。
次回更新も出来るだけ早くできるように頑張ります。
次回はextra episodeとなります。




