終ノ舞 エピローグ3~栞那~
第3章エピローグです。
一哉達に腕を斬り落とされた【壬翔】こと嶋寛二。
彼の運命やいかに。
「くそ………………っ! この僕が獲物を逃したばかりか、戦いにも敗れて、挙げ句の果てには情けをかけられて、命を救われるだなんて………………。とんだ屈辱だよ、南条一哉――――――っ!!」
【壬翔】こと嶋寛二は、とある廃ホテルへと逃げ込んでいた。一哉に切断された右腕を庇いながらも、何とか自分がセーフハウスとする部屋に転がり込むと、埃まみれのベッドへとその身を投げ出す。
腕を斬り落とした後の一哉が油断してくれていたのは不幸中の幸いだろう。
いかに怪魔の特性を持ち、人間を遥かに上回る回復速度を持っているとはいえ、当然ながら痛みは感じるし、素体が人間であるが故に一瞬で回復できるほど万能ではない。
加えて失った利き腕を取り戻す手段が無いのも痛い。
「あぁー、糞っ! 覚えてろよ南条一哉。お前の喉笛をいつか必ず掻っ切って殺してやるからさぁ…………。」
恨み言を叫ぶものの、そんな事もはや不可能であることは寛二自信がよくわかっていた。自身の陰霊剣『異界ノ刃』が自らにもたらす特殊能力は「自分の手の届く限定範囲内において、刃を振るえたかもしれないという可能性を引き出す」こと。
この能力は言ってしまえば、一手で二回の斬撃を繰り出せるという事。
つまり、力が増幅される訳でも、スピードが上がるわけでもない。
今まで殆ど常に右腕で振るってきた自らのナイフでの斬撃に比べ、左腕で振るうそれは、あまりにも惰弱で、みすぼらしく、児戯にも等しいただの動作だ。
そんなものでは、「刃を振るえる可能性」を引き出したところで、敵を斬れる確率は著しく下がる。
当然ながら、『魔人』化の際に人間を遥かに越える身体能力を手に入れている寛二だったが、あの南条一哉はそんなものモノともしなかった。
そしてそもそもの問題として、陰霊剣『異界ノ刃』はなぜか刃判定されない。
だから、陰霊剣本体を振るっても能力は発動しない。だが、具現化した陰霊剣を握っていなければ、能力自体が発動できない。
つまり、【壬翔】は自身の能力を封じられたに等しい。
「………………本当に惜しいことしたな。東雲結衣、僕の好みだったのに。あぁ、笑顔の彼女の喉を裂いて殺して、その死体でヤったら凄い気持ちよかっただろうなぁ。本当にムカつきますよ、南条一哉。」
寛二の頭に浮かぶのは、結衣の儚げな笑顔。
冗談抜きで、寛二はその笑顔が好きだった。
あれほどまでに壊して犯したいと思った笑顔は無かった。
本当であれば、結衣をデートに誘い、二人楽しく過ごした後で、笑顔の彼女を壊して殺し、最後に残った尊厳もグチャグチャに犯し尽くす。そういうプランだった。
南条佐奈と北神咲良につけられていた事には気付いていたが、その二人では【壬翔】にとっては足止めにすらならない。
例え【神流】の命令に背いて、南条一哉を殺し損ねる事になったとしても、結衣のあの笑顔を絶望に叩き落として、その顔をネタにして犯し倒す事ができれば、別に死んでも構わないとさえ思っていた。
だが、現実にはそうならない。
南条一哉のせいだ。あの男は結衣に好意を向けられながらも、それに気づく素振りすらなく日々を無駄に過ごしている。
それにも関わらず、今日のチャンスでは見事に邪魔してくれたし、自分の右腕まで奪っていった。
あの男が憎い。
元を辿れば、能力を用いない、自分自身の手で殺すことにこだわり過ぎ、一哉に能力を観察させ過ぎた事が敗因なのだが、【壬翔】にそんな事を省みる様な余裕はない。
頭の中は、一哉に対する憎しみで一杯になっている。
あの男は、至高の女を側に置きながら、それを活用することもなくただ無駄にする。寛二には赦しがたい事であり、出来ることであれば、1分1秒でも早く結衣を一哉から奪い、殺して犯したかったのだ。
例え勝ち目が無くとも、一哉は必ず殺す。そして結衣を奪い、最後の最後まで犯し尽くして自分だけのモノにするのだ。
そんな鬼畜な事を考えながら、静かに眠る寛二。
セーフハウスとして組織から与えられたが、この場所は最悪だ。もはや打ち捨てられて何年になるかもわからないこの廃ラブホテルは、埃にまみれ、カビはそこら中に繁殖し、不潔きわまりない。
いかに人を越えた存在となって、病気にならないとはいえ、人としての記憶を持つ寛二にはキツいモノがあった。
そうして少し眠っていた寛二は、廃ホテル無いに響くヒールの音で目が覚める。このヒールの音のパターンは、上司でもある【神流】のものである。そんな凄いのか凄くないのかよく分からない特技を発揮した寛二はベッドから身を起こす。
任務失敗の仕置きをどうされるかわかったものではないのだ。少しぐらい殊勝にしておいた方がいいのだ。
気がつけば、切断された右腕の断面からの出血も止まっている。
これなら少し休めば、また獲物の狩りを続けられそうだ。
「こんばんわ、【壬翔】。」
寛二の予想通り、【神流】が顔を出す。
この【神流】、退廃的な雰囲気を纏っている今でも相当な美人である。
今でこそ『魔人』化の後遺症で髪が真っ白になっているが、こうなる前の彼女は、絶世の美女と言ってもいいであろう美貌を持っていた事は、容易に想像できる。
実は【壬翔】が【神流】に大人しく従っている理由自体がこれになる。
ただ単に自分の好みで。だが、絶対に敵わないほどの力の差があって。
だからこそ自我を保っているにも関わらず、量産体とは違う方法で産み出された【壬翔】が【神流】に従っているのだった。
「【神流】様、申し訳ございません。南条一哉抹殺の任務、失敗致しました。奴は恐らく『陽霊剣』に――――――」
「あぁ、いいのよ。その件は、もう。」
【神流】は興味が無さそうに、話を遮る。
南条一哉の抹殺指令は他ならない【神流】が出したもの。
だが、その【神流】自身が興味を失っているとはどういう事なのか。
【壬翔】は眉をひそめずにはいられない。
「どういう意味ですか、【神流】様。」
「私は言ったはずよね? 今回、手を出していいのは南条一哉と東雲結衣だけだって。それを、あっちこっち手を付けて、最終的にどうにもならなくなって逃げ帰って。世間では貴方みたいな奴の事、何て言うか知ってる? 無能って言うのよ、無能。」
「…………僕は用済み、というわけですか。」
俯き呟く【壬翔】。
その【壬翔】に向かって、【神流】は死体蹴りにも等しい一言を言い放つ。
「そもそもよ。貴方如きが一哉に勝てると本当に思ってたわけ? バカバカしい…………。一哉は私の全て。一哉は私の存在意義。そんな子が、貴方の如きゴミに負けるわけが無いじゃない。」
ずっと従ってきた【神流】から投げつけられる無情の言葉。
その言葉は【壬翔】がずっと保ってきた、最後の精神均衡を崩すにはあまりにも過剰な言葉だった。
「そうですか…………ハハハ…………ハハハハ…………ハハハハハハハハハッ!!! それならもう遠慮はいりませんねぇ!! 元々僕が貴女に従っていたのは、僕の好みだからだ!! それが敵だって言うんなら…………僕に愛させてくださいよぉ……っ!!」
【壬翔】は左手でタクティカルナイフを握り、【神流】の首筋へと一直線に刃を振るう。
今までの【壬翔】であれば、決してそんな事はしなかっただろう。
単に上司と部下という上下関係を除いても、その力の差があまりにも隔絶したものである事を理解しているから。
だが、今の【壬翔】は最後の正気を崩され、ただ本能のままに。本能の突き動かすがままに動いている。
だからこそ――――――
「さようなら【壬翔】。貴方は私の作った実験体の中でも、一番役に立って、一番役立たずで、そして一番嫌いだったわ。」
【壬翔】の意識は【神流】の右手に青黒い日本刀――――――『氷姫』が現れた瞬間に消えていた。
【壬翔】――――嶋寛二は脳天から両断され、崩れ落ち、そして凍り付いた後、塵となって永遠に消滅した。
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「さて、結衣。俺が何を言いたいかわかるよな?」
「はい、一哉君…………。ごめんなさい…………。」
南条家の応接間で向かい合って座る結衣と一哉。
普段は結衣に対して全く怒らない一哉だが、珍しく結衣を呼び出して説教していた。
その理由はやはり先日の嶋寛二――――――【壬翔】の件。結衣が独断で佐奈と咲良を動かして情報を集めようとした事。
「まったく…………。今度からは何か思いついても一回相談してくれ。流石に今回は肝を冷やしたんだからな。」
「ご、ごめんね、一哉君? 私、ちょっとでも一哉君の役に立ちたくて…………。でもまさか、本命を引いちゃうなんて思ってなくて…………。」
「違う結衣、そういう事じゃない……そういう事じゃないんだ…………。」
「一哉君?」
一哉は向かいに座る結衣の両手を握って、俯く。
「俺は…………忘れていた俺が言えたタチじゃないが…………。俺だってあの時の言葉は大切に思ってる。だからこそ、俺は君に傷ついてほしくなくて……。」
「もしかして……。思い出してくれたの? 10年前の事。」
「ああ。まだ全部思い出したわけじゃないし、俺の記憶は欠落だらけだが……。それでも、10年前に君と会った事、そしてあの『約束』の事も思い出した。」
一哉は結衣の両手を離すと、再び結衣の顔を見てハッキリと言った。
「だから…………。いや、あんな約束なんか無くても、俺は君の事を護るよ。だって君はもう、とっくに俺の大事な仲間の一人なんだから。」
少し呆気に取られて一哉の顔を見る結衣。
この流れでその発言かよ、と思わなくも無いが…………。
それでも今は10年前の言葉を一哉が思い出してくれた事が嬉しい。
それに――――――
結衣自身、一哉との向き合い方をしっかりと見直す事ができた。
確かに結果的に自分は相当危ない橋を渡ってしまって、またしても一哉に護られたからこそ今も生きている事は間違いない。
だけど、結衣のやるべき事は、これから前に進んでいく事だけだ。
今まで言い訳して諦めていた事を。一哉の隣には並び立てなくても、何時までも待っていないでやるのだ。
彼の戦力にはなれなくても、その心を支えるために。
「一哉君、一つだけいい?」
「何だ?」
「私は一哉君の事、友達だなんて思ってないから。」
「え…………?」
明らかに戸惑った顔をする一哉。
まさか、自分が嫌われているとでも思っているのだろうか。
だとすれば、この先も結衣にとっては辛い恋路になるのは火を見るよりも明らかだ。
それでも。
「正確には、ただの友達だなんて思ってないから。だって、私は10年間、一哉君の事忘れた事無かったんだよ?」
いたずらっぽい笑みを浮かべて一哉を見る。
「一哉君が思い出してくれたんだったら、もう私、遠慮しないから!! ずっと離れてた10年間、ぜったい! 取り戻すんだから! 覚悟しててね、一哉君!」
今度は一哉が呆気に取られる番だった。
驚いた顔で結衣の顔を見つめている。
そんな一哉の事を見た結衣は、どこか満足げに応接間を去っていくのだった。
応接間から出た結衣は、自分の部屋へと戻る途中、突然ある部屋が気になった。
それは結衣の隣の部屋。
しかし、今までそんな部屋は無かった筈だ。
ここまで3ヶ月をこの家で過ごし、掃除で各部屋を周った事だってある。
だが、結衣の部屋の隣に、部屋がある事なんて今の今まで知らなかった。
だが、事実としてその部屋は存在する。
まるで今まで認識する事を拒んでいたかのように。
そしてこの瞬間、その部屋は結衣の目の前に存在する。
結衣はまるで吸い込まれるかの様にその部屋の中へと入っていく。
その部屋は、整った和室だった。
部屋の主は女性らしい。
几帳面な性格が表に出たかのように整理整頓の行き届いた部屋は見ていて気持ちが良いほどで、黒と白のツートーンを好む結衣の趣味とよく合う。
きっとこの部屋の主とは、さぞかし話が合う事だろう。
だが、それは叶わぬ事だとも察する事ができる。まるで忘れ去られたかのように人の気配が無いのだ。
部屋は人が過ごしたような痕跡があるのに、まるで生活感を感じさせない。
それにも関わらず、部屋に埃が積もっていない。
つまり、それが表すのは、今でも誰かが何かの目的で足を踏み入れているという事実に他ならない。
結衣は初めこの部屋の主が佐奈かとも思ったが、それにしては様子が変だ。
最初に結衣が感じたこの部屋の感覚と違わず、置かれた家具や本、その他あらゆる物に人が触れた形跡が無い。
そして何より、部屋の趣味が佐奈とはあまりにもかけ離れている。
そんな部屋の光景の中。
目の前にある机。
綺麗に整理されたその机の上にポツンと置かれた、どこか古臭い感じのする手紙のような紙がふと目に入った。
普通であれば気にもしなかっただろう。ただの紙だと見過ごしてしまうだろう。だが、何故か結衣はこの紙の内容が猛烈に気になった。
ことわざによれば、「好奇心は猫をも殺す」という。結衣は頭のどこかで鳴る、「絶対に見てはいけない」という警鐘を無視して紙を手に取った。
「これって………………!」
結衣はその紙の内容を見て目を見開いた。
それは8年前の8月の書簡だった。
そしてその内容は――――――
『平成22年8月10日を以て、以下の者を上級鬼闘師に任ずる
対怪奇現象対策院 執行局 実務処理班 南条聖特級鬼闘師付
南条栞那 一級鬼闘師』
~~~ 第3章 闇からの挑戦 完 ~~~
これにて第3章「闇からの挑戦」編は完結です。
第4章からは物語の核心へと段々と迫っていきます。
そして最後に結衣が見つけた名前「南条栞那」とは何者なのか。
第4章を楽しみにしていただけますと幸いです。
それでは第4章「滅亡の氷姫」編でお会いしましょう。
第4章プロローグのみ、6月22日21:00掲載です。
それ以降の話はこれから書けた分だけ掲載となります。
よろしくお願いいたします。




