弐拾肆ノ舞 何より大切な言葉
第3章もこの話を含めて2話。
【壬翔】決着編です。
『大丈夫! 怪魔だろうと、不審者だろうと、君の事は僕が護ってあげるよ。だって僕は鬼闘師なんだから!!』
夢の中のあの言葉が。今朝から一哉の中では駆け巡っていた。
夢の内容はともかく、言葉の殆どを目覚めと共に忘れてしまう中で、その言葉だけが強烈に。
きっと過去にそう言ったに違いない。
確かな好意を持って発した。夢の中の、顔も思い出せない少女に言った。そんな気がする。
ただの夢の中の出来事の筈なのに、間違いなく過去の出来事だったと言い切れる気がする。
それは、何故かいつも一哉を笑顔で迎えてくれる東雲結衣という女性の顔を見れば強く思い出されて――――――
「ハハハハハ――――――ッ! 特級鬼闘師の肩書が泣いてますよ、南条一哉? さあ、この僕に一撃与えてご覧なさい!」
「少し黙ってろ、嶋……っ! すぐに斬ってやる…………!!」
「また出来もしない事を。」
嘲笑う【壬翔】に、一哉は霊術によって発生させた風で加速した斬撃を見舞う。
だが、その刃は届かない――――――
いや、正確には届いている筈だ。
実際、【壬翔】の攻撃の隙を突いて、絶対かわせない斬撃を叩き込むタイミングは何度か有った。
別にそのタイミングを逃す程、一哉も甘くは無い。
加えて言えば、【壬翔】は確かにパワーはその細身に似合わず桁外れなのだが、スピードに関しては然程でもない。それでも並外れたスピードを持っているのだろうが、一哉にとっては驚異という程ではない。
だが、事実として一哉はただの一撃も【壬翔】に与えられていない。別に、突然超スピードで動き出して避けられる訳でも、急に攻撃が遅くなる訳でもない。
ただ、何か見えないものに、物凄い力で弾き返されるのだ。
最初は何かの霊術かと思った一哉だが、それも違う。
少なくとも【壬翔】が霊術を使った素振りや気配は無い。
しかし、不可視の力は確実に一哉の攻撃を阻んでいる。
――――――ガキンッ!
一哉の高速の一撃は、金属同士がぶつかるような大きな音を立てて弾かれる。
あまりに強い力で弾かれる為、一哉は大きく体勢を崩され、後退することを余儀なくされる程だ。霊術で強化している筈の【神裂】も刃こぼれし始め、いよいよ不利を認めざるを得ない。
「ホラホラ――――っ! そんなところでボーッとしてたら、あっという間にこの世とお別れですよ、南条一哉ぁ?!」
「調子に乗るなよ、嶋ぁっ!! 三重起動『鐵飛刃』――――――ッ!!」
しかし、いくら不利な状況とは言え一哉も一方的にやられているだけではない。
弾き飛ばされた自分へと追撃を加えようと接近してくる【壬翔】に対し、同一霊術の3連射により鋼鉄の刃を3枚飛ばして攻撃。3枚とも"何か"に両断されるが、完全に不意を打って放たれたその攻撃は【壬翔】を大きく後退させる事には成功する。
「ちっ…………。まだそんな力が残っているんですか。いい加減くたばったらどうです? どうせ貴方は僕には勝てない。いわゆる時間の無駄ってやつです。」
忌々し気に舌打ちをする【壬翔】は一哉を睨む。
徐々に一哉に不利な状況が出来上がってきているとはいえ、【壬翔】としてはもうとっくに決着をつけている頃合という事なのだろう。
「ふざけるな。」
【壬翔】、そして先日の仮面の男と、『魔人』達は時に不可思議な力を遣う。
仮面の男は霊術の原則を無視した霊術起動を――――――
そして【壬翔】は不可視の力を――――――
そのどちらもが一哉にとっては未知の力。
戦いとは開始前、そして戦っている間にどれだけ敵の情報を集めたかによって優劣が決まる。
一哉はそんな風に考えている。
そして今、『魔人』達が遣う力の得体の知れなさの前に、一哉は敵の能力の判断がつかないでいる。
その法則に則るのであれば、この事は一哉に圧倒的不利をもたらす。
「貴様には聞かなければならない事が山ほど有るんだ。」
だが、現実としては一哉のやや不利という程度に落ち着いている。
それはただ鬼闘師としての力が、一哉と【壬翔】――――――嶋寛二では天と地程も隔たっているから。
唯一つ法則を越えた異常な力を振りかざそうとも、南条一哉という天才の立つ高みが簡単に崩されるわけではない。
(とは言え、このまま膠着が続くと危ないのはこっちだ。だが、コイツだけは必ず斬る…………ッ!)
こちらが相手の力を見切って攻略するのが先か。
こちらが力尽きて倒されるのが先か。
勝負の鍵はそのただ1点のみ。
少なくともスピード重視の戦い方では、戦局はこのまま悪化の一途を辿るだけだ。
そう確信する一哉は、刃こぼれして破損寸前の【神裂】を投げ捨てて【鉄断】を抜くと、切っ先を【壬翔】へと向ける。
「そう簡単に特級鬼闘師を討てると思うなよ、三下が…………!」
力には力。
どんなスピードで攻撃しても必ず物凄い力ではじき返されるのであれば、こちらも大きな力で対抗する。
そうやって構えた一哉だったが――――――
「貴方もですか、南条一哉。どうして、鬼闘師って奴は自分の優位性を信じて疑わないのか…………。不思議でなりませんよ。」
「どういう意味だ?」
「どういう意味も何も、そのままの意味ですよ。僕が殺してきた鬼闘師達。一部例外も居ましたけど、皆僕の階級を二級だとわかった瞬間、警戒を緩めるんです。多少不自然な理由で呼びつけたとしても、呼び出しの相手が僕だとわかると、途端に無防備になる。」
「…………」
「誰も彼も、自分が僕に負けるなんて事、欠片も考えていない。いや、僕が実は敵だという可能性に行きつきすらしない。」
【壬翔】の表情は、段々とその悪意を内包したまま怒りの表情へと姿を変えていく。
その怒りは、心からの声。その言葉は、恐らくこれまでに【壬翔】が一哉達に向けた言葉の中でも恐らく一番信じられる言葉。
だが、こんな事が犯行の動機だと言うのか。
だとすれば、やはり一哉には理解ができない。
やはり目の前の男は、イかれている、狂っている。理解する価値も無い怪物だ。
そんな風に思う一哉の気持ちを見抜いたのか、【壬翔】の顔は悪鬼の如く歪む。
「ほら、その顔。そういう所ですよ、南条一哉。本当に嫌いだぁ…………。まるで自分が聖人君子だと確信しきった顔おおおぉぉぉぉ!!」
「――――――!」
大きく吠える【壬翔】は術名を宣言する事も無く両腕のナイフを振るうと、その刃先から2枚の氷の刃を生成し、高速で飛ばしてきた。
不意を突かれたが、それでも慌てる事無く【鉄断】を真一文字に振るい、二枚の氷の刃を叩き割る一哉。
「あぁ…………っ!! 本っ当にムカつくなあ、南条一哉!! 『魂の階層を上げてもいない』癖に、この僕にすがり付きやがってさぁ…………!!!! 死ねっ、死ねぇっ! さっさと死ねよお…………っ!! ハハハハハハハハハッ!!」
攻撃を防がれた【壬翔】は狂乱したかの様に、その白髪の頭をかきむしる。目は血走り、そしてその瞳は紅く光る。
そうして一哉を睨み付けたかと思うと、今度はおぞましい笑顔を浮かべて狂ったかの様に笑いだす。
「な、なんなんだコイツ…………」
ここまで【壬翔】に対する怒りを募らせていた一哉でさえ、目の前の敵の情緒不安定さに圧倒されてしまう。
鬼闘師という仕事柄、多少気の触れた人間と関わる事もある一哉だが、今まで見てきたどんな人間よりも狂っている。屍姦趣味といい、この情緒不安定さといい、なぜこの様な危険人物が対策院に1年もの間正体も知られずにいたのか不思議でならない。
「ハハハハハ…………っ。ねぇ、南条特級? ちょっと聞かせてください?」
突然笑い止んだかと思うと、笑みは崩さず問う【壬翔】。
「何をだよ?」
「貴方、何のために戦ってるんですか? 人々の為? 正義の為? 家族の為? 自分の為? それとも何となく?」
「それを聞いて何になる。」
「単純に気になるんですよ。過去の事も、周りの事も何も見えていない貴方が普段何を思っているのか。」
まるで一哉の過去を知っているかの様な【壬翔】の発言。
本来であれば一哉の事など何も知らない筈のその発言に、それを聞いた一哉は眉をひそめる。
だが、だからこそ答えようと思った。
お前が俺の何を知っているんだと――――
「俺は…………俺は、妹の――――佐奈の為。仲間の為。その笑顔のため、戦っている。俺は聖人君子じゃないから、皆を救う為なんて言えない。だけど、せめて周りの人達の笑顔を、幸せを護れれば――――」
「あー、もう結構です。聞いた僕がバカでした。」
一哉は思いの丈を。
その胸に抱える想いを吐露したつもりだった。
一哉に言わせれば、【壬翔】の戦う理由の方が下らなく、忌避し、唾棄すべきモノ。
だが、その言葉は明らかにウンザリした顔の【壬翔】に遮られる。
「妹の為? 仲間の為? 周りの笑顔と幸せの為? 笑わせないでください。貴方ほど、この言葉を薄っぺらく言える人なんて居やしないですよ。」
「………………貴様。」
「貴方が本当に護りたいのは、貴方の妹でもなければ、貴方の仲間でもない。」
童顔に似合わぬ、あの邪悪そのものと言った気味の悪い笑みを浮かべたまま、【壬翔】は一哉へと弾丸の様な勢いで駆けだす。
振りかざされる刃を【鉄断】で受け止める一哉。
「くっ…………!」
「そもそも、貴方、僕に対してあんなに怒りを見せてたのに、今はさっきまでの事が無かったかの様に冷静じゃないですか。」
そう指摘されて初めて、一哉は思考がほぼ普段通りの状態まで落ち着いてきていることに気が付く。
戦闘高揚の影響を受けて若干興奮状態にあるが、あの、自らを燃やし尽くすような怒りの感情を。焼き尽くす炎の様な昂りを感じない。
「その理由は簡単ですよ。貴方は妹の事も、仲間の事も。本当は何とも思っていない、いや、精々便利な駒ぐらいにしか思っていない。だから、周りが自分の事をどう見ているかなんて気づきもしない。」
「そ、そんなわけが――――――!」
「良い子ぶるなよ、南条一哉。」
右手のタクティカルナイフ一本で一哉の【鉄断】と均衡し続ける【壬翔】は、更に左手に持つ歪な形の刃を加え、このまま力で押しきろうとする。
徐々に刃を押し込まれる一哉。
「貴方は何かと妹の為、仲間の為の行動と強調するが、そんなの見せかけだけだ。貴方の行動には中身がない…………。本当は自分の矮小な心を護る事で精一杯の癖に…………っ!」
「く…………っ!! 勝手な事を言うな!!」
「じゃあ、貴方は何の為に僕と戦う!! さっきの怒りは何に向けたものだったんだ!」
「決まってる!! 貴様はこれまで対策院の人間を何人も殺している。何の関係の無い、少し関わっただけの人まで巻き込んで…………。それにお前は結衣だけじゃなく咲良や佐奈にまで――――――」
「そういう所だって、言ってるんだよ!! 南条一哉! 自分が聖人君子じゃないと自覚してるなら、どうして3人を護るという目的が最初に出てこない! 本当に南条佐奈や北神咲良、そして結衣さんの事を大切に思っているなら、なぜ狙われているとわかった時点で何の手も打たなかった?!」
まさかの敵から、それも首謀者の張本人から糾弾されるとは思っていなかった一哉だが、何故か【壬翔】に反論することが出来ない。
言い返したい事は幾らでも出てくるのに、言葉が喉の奥に詰まったかの様に声が出てこない。
「貴方は自分の矮小な心を認めたくないから、『仲間の幸せを護る為』なんて理由付けしているだけだ!! 本当は『トラウマを刺激されたくない』だけなくせに!!」
「………………っ。」
「ほらっ! 何か言い返してみろよ、南条一哉ぁ!!」
そんな事はない。
そう言い返したいのに、言い返せない。
そんな筈はないのに、心のどこかで納得している自分がいるというのか。
一哉はそんな考えに囚われて、苦し紛れに返すことしか出来ない。
「その話と…………、お前との戦いに何の関係がある!! 俺が例え自分の事しか考えていないとしても、お前がしてきた事が消える訳じゃない…………!! 俺がお前を倒さなければならない事実に変わりは無い!」
「関係あるとも! 自分を偽り、自分の過去から目を背け、周りからの視線も気がつかないふりを続ける…………。そんな男に、『僕が僕である』ための儀式を邪魔させるものか!! 必ず結衣さんは僕が貰うっ…………!!」
言葉と共に、【壬翔】の力と陰の気の濃度が爆発的に上昇する。急激に力を上げた【壬翔】の前に、一哉はどんどん押し込まれ、2本のナイフを受け止めながら後退していくしかない。
「そんなこと言って、結衣を殺す気なんだろう! そんな男に態々友達を渡すとでも思ってるのか?!」
「無責任に彼女の心を縛った貴方よりは愛せるさ!! 命のやり取りという、最っ高の愛情表現でねぇ――――――ッ!!」
この男は完全に人としての心を壊している。
過去に何があったのかは知らないが、一哉はここまでの怪物は知らない。未だに委細不明ではあるが、この心の闇と『魔人』になることと何か関係があるのか。
「だからこそ、僕は貴方を殺す!! 例え【神流】様の命が無くとも、貴方だけはここで殺す!」
その言葉と同時に、膨れ上がった陰の気が研ぎ澄まされていくのを感じる。そしてそれは、左手の醜悪な形の刃へと収束していき、その刃が放つ光がどす黒く濁っていって――――――
「死ねっ、南条一哉!! 貴方だけは、僕の陰霊剣を使ってでも殺す!!」
(――――――!! 何かわからんが、コイツはヤバい…………っ!)
【壬翔】が左手に握る歪なナイフの輝きが完全に黒く染まる瞬間、一哉は何かを首筋に突きつけられる様な感覚に陥る。
しかし【壬翔】は変わらず、両手の2本のナイフを【鉄断】に押し当てながら力押しし、一哉を押し込み続けている。霊術を発動する気配も無い。何かをできる訳がない。
だが、一哉の直感は危機を告げている。
今すぐ離れろ。脳内の危険信号が激しく警報を鳴らし――――
「………………っ!?」
「お兄ちゃん?!」
「一哉兄ぃ…………っ?!」
離れて戦いを見守る佐奈と咲良の二人の声があがる。
殆ど反射的に霊術『疾脚』を自分に向けて放ち、暴風で強制的に【壬翔】から距離を取った一哉。その瞬間だった。
胸部に微かな違和感を感じた一哉は、視線を落とす。
「バカな…………。」
一哉の視界に入ったのは、自分の胸が浅く切り裂かれ、血が服に滲む光景。
恐らく、『疾脚』で浮き上がった所を斬られたのだろう。
何をされたのか、理解が出来ない。
いや、思い当たる伏があるとはいえ、確信が無い。
だが、間違いなく言えるのは、とっさに『疾脚』であの場を離脱していなければ、恐らく一瞬で首を落とされて死んでいたであろう事。
「ちっ…………。これを躱すんですか…………。まったく、忌々しい!!」
心底憎しみの籠った視線を一哉に送りながら舌打ちする【壬翔】だが、今の一哉は完全に地面に倒れてしまっている。次に同じ手を使われれば、間違いなく殺される。
(これはマズイ…………。嶋の能力が俺の予想通りなら、【霊刀・夢幻凍結】を失った今の俺に、打つ手は無い…………っ!! どうする…………?!)
実は、一哉には既に【壬翔】攻略の手が見えている。
しかし、その手を使うには、咲良をどうしても前線に出す必要があるのだ。だが、この状況で咲良にこっそり作戦を伝える時間も状況も無い。もっと言えば、咲良には自衛の手段が無く、佐奈も法具を破壊され、戦闘に参加しようが無い。
万事休すか。
さすがの一哉もそう思ったその時――――
――――――ガンッ!!
「神坂美麻…………っ!!」
『魔人』を全て殲滅しきった美麻が放った『鐵飛刃』の鋼鉄の刃が【壬翔】へと襲いかかる。
【壬翔】も美麻の登場は想定していなかったのか、一旦二本のナイフで鋼鉄の刃を受け止める。そこに追撃をかけようとする美麻だったが、鋼鉄の刃は独りでに両断されて、大きな音を立てて地に落ちる。
「おいたが過ぎたわね、寛二。大人しく拘束されれば、命までは取らないわ。」
「ちっ…………。やはり量産品の人形では特級鬼闘師相手には足止めにしかならないか…………。」
美麻の登場により、何とか体勢を立て直した一哉。
だが、切り裂かれた傷は存外深く、そう長く戦っていられそうにもない。
そんな一哉の様子に気づいた美麻は一哉の横に立つと、下段に得物の大鎌を構える。
「南条一哉に接触するなら、貴女の部下になるのが手っ取り早いと思って貴女の元に就くよう手配しましたが、失敗でしたね。清水陽菜を殺った時は上手く事が運んだと思いましたが…………。思わぬ失敗ですよ。」
「言いたいことはそれだけかしら~? …………きっちり殺してあげるから、覚悟しなさい。」
「貴女こそ。貴女を選んだのは、僕好みの顔だってのもあるんですよ、神坂特級? しっかり殺して、結衣さんと一緒に限界まで愛してあげますから、楽しみにしていてください?」
おぞましい事を、事も無げに。
それも、まるでプレゼントを前にした子供の様な無邪気な笑顔で口走る【壬翔】。この男の情緒は安定という言葉を知らないのか。この戦いだけでコロコロと変わる表情は、【壬翔】の狂気を多面的に表しているかの様である。
一哉も【壬翔】と戦うべく、【鉄断】を下段に構える。
しかし、出血が酷いのか、足下が定まらない。
意識も少し薄くなり、立っていることに少し負担を感じる程である。
「南条一哉。貴方はそこで見ていなさい。貴方が仲間だと思っている者達が為す術もなく僕に討ち倒されて愛される様を。自分の事が大事で大事で仕方ないオ◯◯ー野郎の貴方には何ともない事でしょう?」
「きさ――――――「一哉君はそんな人じゃない!」」
再び激昂する一哉と【壬翔】の前に現れる人影。
それは結衣のものだった。
● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇
「ゆ、結衣…………?」
東雲結衣には、南条一哉を影から支えることしか出来ることは無いと思っていた。だが、一哉と嶋寛二――――【壬翔】の戦いを見守り、傷ついていく一哉の姿を見ているうちに、ある思いが結衣の中を満たしていく。
――――――今この瞬間、何でも良い、少しで良いから一哉を助けたい。
だが、事実として何の力も無い結衣には出来ることなど何一つ無い。歯痒い想いを内に秘め続けている中、ある言葉が結衣の心を激しく揺さぶった。
――――――『貴方は自分の矮小な心を認めたくないから、『仲間の幸せを護る為』なんて理由付けしているだけだ!! 本当は『トラウマを刺激されたくない』だけなくせに!!』
これは一哉に向けられた言葉。
だが、それは結衣自信にも深く突き刺さったのだった。
これまで結衣が一哉にしてきた事。
何の力も無い自分が一哉に出来る事、といって身の回りの世話などを引き受けたつもりだったが、それこそ自分の心を護るためだったのではないか。
一哉が10年前の事を覚えていなかったこと。
一哉が自分の事を見てくれないこと。
他ならぬ一哉が与えてくれたチャンスを、ただただ漫然と過ごして無駄にしていること。
全部人のせいにしていた。
一哉が覚えていてくれない。一哉がしてくれない。一哉が気づいてくれない。
そうやって想い人のせいにして、自分を正当化して自分の心を護っていただけ。
その事に気がつかされた。
そして今、一哉はその優しさにつけこまれ――――――
「一哉君はそんな人じゃありません。一哉君はとても優しい人です。たまたま街で会った人にだって手を差しのべられる人なんです。一哉君は私達だけじゃなく、皆のために…………皆の幸せの為に戦っているんです。」
10年前に会っていることすら、一哉が覚えていないという現実を真正面から受け止めるのが怖くて言い出せなかった。
だが今は違う。
力が無ければ、言葉で、知識で助ければ良い。
待っているだけじゃ、何も掴めない…………。
例え無力でも、今自分が出来る事を全部する!
「そうじゃなきゃ! 私は10年前にとっくに死んでた!! 一哉君があの時、例え嘘でも『護ってくれる』って言ってくれなきゃ、私は二度と立ち上がれなかった――――――!!」
殆どを涙声の結衣。
思いの丈を【壬翔】にぶつけると、今度は一哉の方へと向き直る。そして、結衣は一哉の方へと近づき――――――その血塗れの身体を抱き締めた。
「結衣?」
「私は一哉君に出逢えて良かったと思ってる。一哉君がくれた『あの言葉』は今も私を護ってくれてる。…………海音ちゃんには呪いだって言われたけど、私はそうは思わない。私にとっては、『私』を繋ぎ止めてくれた大切な言葉…………!!」
結衣は身体も服も血染めになるのもお構いなしに、一哉の胸へと顔を埋める。別離した10年間を少しでも取り戻りすかの様に。
そして、結衣はその目に涙を浮かべたまま、一哉の事を見上げる。
「10年前、一哉君が私を護ってくれたみたいに、今度は私が一哉君を護ってあげるから…………。私は一哉君みたいに怪魔とは戦えないけど…………一哉君の心が折れそうなとき、絶対側にいるから…………だから……………………っ!!」
一気に捲し立てて話した内容はまるで愛の告白。
その事に今更ながら気付いた結衣の顔はリンゴのように朱く染まる。こんな筈ではなかった。少しでも一哉に元気を取り戻せれば、力になれれば。そう思っただけだったのに。
「…………」
一哉も驚いた顔をしている。
それはそうだろう。
戦いの真っ只中に告白する人間がどこにいる。
いたとして、それは映画などではただの死亡フラグというやつだろう。
あまりの恥ずかしさに、結衣は一哉の胸へと潜り直すしかない。
そうした結衣の肩に一哉の手が置かれる。
思わず顔を上げる結衣。
「そうか…………やっぱり君が…………。」
「え…………?」
結衣を見る一哉の顔はとても穏やかだった。
そして、笑っていた。
あの10年前のあの日と同じような、心洗い流すような笑顔だ。
再会してから、ずっと見れなかったその顔。
いつの間にか一哉の顔は、心を覆い隠すような鉄扉面になっていて。
でも、何を考えてるのかわからないような感じでもなくて。
それなのに、やっばりその顔は無表情で。
だけどその顔が優しく微笑んでいる。
かなり血を流して、意識も低下しつつあるだろうに。
あの10年前に結衣が救われた笑顔と同じ顔を浮かべて。
「結衣、離れてろ。すぐにアイツを倒して戻る。」
「一哉君…………。」
一哉は結衣の肩を優しく掴んで引き剥がした。
血塗れの一哉に抱きついていたことで、体の前面が真っ赤に染まってしまっている結衣は、呆然と【壬翔】に近づいていく一哉を見送る。
「一哉君、行ける?」
「ええ、何も問題なく。奴の能力が俺の予想通りであれば、ほぼ確実に。」
まるで戦い始めとは違う一哉の様子に、結衣は何故か安堵を覚える。状況は変わっていない、いや、寧ろ悪くなっているのに。
怒った一哉が刀の鞘を投げ捨てた時とは丁度逆に。
「覚悟しろ、嶋。」
「ふざけるな、南条一哉!! どうして貴方は…………っ!」
両逆手に構えたナイフと共に一哉へと斬りかかる【壬翔】。
それを悠然と迎え撃つ一哉。
【壬翔】が跳び上がり、落下の勢いをプラスして乾坤一擲の一撃を――――――一哉の肉を、骨を、刀ごと切り落とそうとする、雷光の如き一撃を振るう。
それを一哉は避けようともせず――――――
「そんな…………どういう事……ですか…………」
瞬きの間に一哉の姿は消え、【壬翔】は地へと倒れ伏す。
結衣には目の前の出来事が理解できないし、佐奈や咲良、果ては美麻迄もが驚愕の眼差しで一哉を見つめている。
だが、事実は唯一つだ。その事実は揺るぎはしない。
結衣は一哉を見る。
いつの間にか【壬翔】の後ろへと回り込み、その右腕を斬り落とした一哉の姿を。
いつも読んでいただきましてありがとうございます。
次回第3章最終話。
お付き合いください。




