拾壱ノ舞 終わらない夜
私の家は狭く、PCは床に座ってタイピングするのですが、あまり集中できないという点に困っています。
やっぱりタイピングするなら、椅子に座ってやるに限るんですよね。
早く引っ越したい……
視点は再び一哉へと戻ります。
「返してもらうよ、ボクの力――――――」
そう言って振るったアイナの拳が一哉の刀を砕く。南条一哉が特級鬼闘師となってから3年の時を共にした愛刀は、瞬きの間に破片へと砕け散った。
「あったあった。11年ぶりだね、ボクの欠片。」
アイナは砕け散った【霊刀・夢幻凍結】から落ちた白い破片の様なものを拾い上げ、愛おしそうな手つきで塵を払う。アイナが拾った物、それは白い鱗の様な物。
アイナが右手でそれをギュッと握ると、右腕全体が淡い光に包まれた。ゆっくりと深呼吸の様な仕草を見せるアイナ。
そうして広げた右手には、もう何も残ってはいなかった。
「悪いけど返してもらったよ、南条一哉。ボクの力を。」
「…………どういう…………事だ。」
「なに。ボクの力を返してもらった、それだけの事さ。」
「だから…………っ! どういう事かって聞いているんだ!! どうして俺の刀からお前の力が出てくる…………!」
一哉にとって、自らの法具を破壊された事以上に、信じられなかった事。それは自らの力として使役してきた刀から、敵の力が出てきた事。
確かに、一哉はこの霊刀の来歴を知らなかった。だが、だからと言ってなぜその力が敵を由来するものなのか、状況を飲み込めずにいる。
そしてその真実はすぐに、闇色を纏った、眼前の敵から語られる事となる。
「…………キミは不思議に思わなかったのかな? あの刀の持つ力が、鬼闘師が使う霊術とも、祈祷師の使う霊術とも根本的に違うって事に。北神咲良の使う『除魔の舞』と同じような効果を持ちながらも、ずっと負担が少なかった事に。」
「それは…………。だが、西洋式の魔剣の応用で…………。」
「いやいや、それこそバカを言わないでよ。西洋魔術にだって、あんなローコストで魔術を打ち消す手段なんて有りはしない。」
そこまで指摘されて、一哉も初めて自分の持つ霊刀の異常さに気がつく。
正直、今まで気にもしていなかった、いや、気にしないようにしていたという方が正しいのか。
「ねぇ、キミの【霊刀・夢幻凍結】ってさ、どうやって手に入れたのかなぁ……?」
「――――――!!」
アイナの言葉に、まるで頭をハンマーで殴られたかの様な衝撃が走った。
無意識に右手の『神裂』を握る力が強まり、手が痛いほどだ。続きの言葉は聞きたくない。聞いてしまえば、自分は、自分達は、南条家は元に戻れない――――――
「どうやら、何か気がついたみたいだね? なら、教えてあげるよ。キミが使っていた力、それはキミの父・南条聖が11年前にボクの父から奪ったもの。元々、ボクの父の物だったんだ。あの刀は、ボクの父がボクの力を使って作った傑作。それを南条聖は奪ったんだよ…………! 最終的に父を殺してまでなあ…………!!」
一哉へと叩きつけられる、悲しみと憎悪の感情。その声は機械処理されたモノであろうと、強く根強く感情までは処理されない。
語られた真実は実に残酷だった。まるで肩に鉄の塊を乗せられたかの様なズシリとした感覚が一哉を襲う。
本当の事を言えば、さっきアイナの魔術を見た時に嫌な予感はしていた。『龍の拒壁』なる魔術の行使時に現れた、あの赤い魔方陣。それは紛れもなく、霊刀の刀身に刻まれたものと同一。そして、一哉の霊術を全て無に帰した、その効果。
どこかで見たことがあるのは、当たり前だった。3年間、自分が遣ってきた力なのだから。
南条一哉の3振りの法具のうち、【神裂】と【鉄断】の2つに関しては一哉が法具としての機能回路を自ら設計し、刀匠に依頼して作成したものであるが、最後の【霊刀・夢幻凍結】に関してはその限りではない。
父――――――南条聖から引き継いだ物なのだ。
あの霊刀は、一哉が特級鬼闘師に昇格したその日に聖から受け取った物に過ぎない。父がずっと使っていた、特異な力を持つそれを利用していただけだ。
霊刀が持つ能力「霊力の切断」。それがどれだけ異質なものなのか、わかっていて敢えて気にしなかった。気に留めなかった。
自分の刀の力であり、父が遣ってきた力であり、受け継いだ物であり、父から認められたと密かに誇りに思っていたものであったので、都合が良いように解釈していただけなのだ。
たとえ、咲良の使う「除魔の舞」と効果が似かよっているのにも関わらず、平然と何度も能力を使用できる事を少しでもおかしいと思ったとしても――――――
目の前の能面の不審者・アイナが語った事。それが真実であると、頭が、心が、状況が、魂が肯定する。自分の力だと、受け継いだものだと、誇りだと思っていた物が、ただ父が人から奪ってきただけの物だった事を。
「ハハハ……! 傑作だね、その呆然とした顔! それを拝めただけでも、今日無理して来た甲斐があったよ!」
能面の不審者の、アイナの嘲笑う声がトンネル内に響き渡る。その声はまるで這い回る蛇の様に、静かに、気味悪く、確実に毒牙を一哉に突き立てようとする様だ。
一哉の中では今、意味も無く父が他人の力を奪う筈がないと信じたい気持ちと、自らの目標でもあった父に失望する気持ちがせめぎ合っている。
自分が信じていたものは何だったのか。父が霊刀をアイナの父から奪わなければ、こんな事にはならなかったのではないか。一哉にとって、鬼闘師とは自分の大切な者達を護る手段であり、最早数少ない、伝統的血筋を真の意味で継承する為の、南条聖の息子である事を証明するためのものでもあった。
ともすれば、自分が鬼闘師であることの意義の半分を占めかねない要素が、今揺らいでいる。
「まあ、そうやってキミの間抜け面を眺めているのも良いけど、ボクもそんなに暇じゃないんだよ。さっさとキミを殺して、終わりだ。何せ、キミの父も妹も殺さなきゃいけないんだから。あ、キミが囲っている北神咲良と東雲結衣には手を出す気はないから、安心してよ。」
未だ呆然と突っ立っているだけの一哉に向かって、アイナは拳を固めて駆け出す。その狙いは一哉の心臓。一撃で、確実に仕留めようという、必殺の拳だ。
普通であれば、何らかの防衛行動を取る筈の場面で、しかし一哉は微動だにしない。指一本動かすこと無く、ただ立ち尽くすだけだ。
そして、アイナは既に一哉の目の前まで迫り――――――
「さあ、パパに詫びて、さっさと死ねぇっ! 南条一哉ああああぁぁぁぁぁっ…………!!!!」
「避けろ…………っ、カズ坊……!」
龍の右腕が一哉の胸を貫かんと迫る。
つまり、瞬きの間に、一哉は命を落とす。そんな場面で初めて、ここまで沈黙していた光太郎の声が響いた瞬間だった。
「――――――っ?!」
それまで微動だにしなかった一哉は【神裂】を手放すと、大きく上体を反らす。拳が身体を貫くその直前に身体を反らして紙一重で拳を躱したのだ。更には、躱したアイナの龍の右腕を掴んでさえいる。
ゆっくりと上体を起こす一哉。その表情は、普段の無表情よりも更に感情を内包しておらず、まるで感情をどこかに置き忘れてきたかの様な、虚無の表情。
「クソッ……! 離して…………っ!」
「…………貴様の方だ………………。」
「は? 何を言って…………。」
「俺じゃない…………倒されるのは…………倒されるのは貴様の方だ――――――!」
一哉はアイナの龍の右腕を抑えつつも、アイナの顔――――――能面を掴み、そのまま頭を地面に叩きつけた。叩きつけられた、床面のコンクリートにヒビが入るほどの勢いで。
「ぐ…………っ!」
「父が…………親父が、貴様や貴様の父に何をしたのかは知らない。本当に許されない事をしたのかもしれない。だが…………。たが、貴様は佐奈にも手を出すと言った………………! それだけは許せはしない…………!」
叫ぶ一哉に浮かぶ感情は、紛れもない怒り。
自分の最愛の妹を傷つけるという狼藉者を、決して許しはしないという憤怒の炎。もはや、憎悪にも似たその昏い感情は一哉の心を黒く染め上げ、そしてドロドロに溶かし崩していく。
咲良を狙われた【焼鬼】の時とは比べ物にならない程の激情に包まれた一哉は、最早思考力も奪われ、アイナの能面を押さえつける指先に尋常ではない力が集まり――――――
「いい加減に…………離してよ……………………っ!!!!」
アイナの蹴りが一哉の脇腹を捉え、大きく吹き飛ばす。組敷かれた状態からの蹴り故に力が入っていなかったとはいえ、元のパワーが常人を遥かに超えているらしいその一撃は、一哉を後退させ、なおかつ僅かばかりの冷静さを取り戻すには充分だった。
目の前で母――――――南条澪を殺された経験とトラウマから、一哉は元々自らに近しい人物を喪う事を極端に恐れている節がある。これは一哉自信も自覚していることである。それ故に、佐奈や咲良に殺気を向ける者を徹底的に叩きのめす様に行動することもあったのだが、言ってしまえば相手は怪魔という怪物なわけであり、特に問題では無かった。
しかし、今はどうだろうか。人間相手にも――――――本当に人間かどうか怪しいが――――――殺意に似た感情を覚えてしまったではないか。一哉は組織により超法規的権限が与えられているとはいえ、その権限を使った殺人だけは、覚悟を決める事はあっても絶対に避けてきた。極力他の方法で対処してきた。そう、自分に課してきた。
そうしなければ、一度でも破ってしまえば、大切なものを護るという名目で沸き上がる衝動そのままに人も怪魔も関係無く壊してしまう、本当の化物となってしまうと思ったから――――――
たが、抑えが効かなかった。佐奈の事を出された事で、その悪意を佐奈へと向けられた事で、理性のほぼ全てを持っていかれてしまった。
「南条一哉………………。まさか、キミがここまでとはね。」
気づけば、アイナは一哉から大きく距離を取って、こちら側を睨み付けている。一哉によってヒビを入れられ、今にも割れそうな能面を左手で押さえながら、刺すような視線を送っている。
「あの【神流】とかいう、あの女の言う通りか…………。まさか、そっち側に覚醒しつつあるなんてね。」
まるで意味不明な事を呟くアイナは、後ずさりながらエレベーターの方へと去っていく。
「お、おい、待てよ…………っ!!」
「今日はもう時間切れ。悪いけど、帰らせてもらうよ。」
そう告げると、アイナは黒い外套の裾を翻して背を向ける。
対策院本部に攻め込んで来てまで一哉と戦いに来たと言う割には、あまりにもあっさりとした退却だ。だが、ここでアッサリと帰らせるわけにはいかない。この僅かな間にもアイナには聞かなければならない事が山程出来たのだ。
それに、少し我を忘れてしまったとはいえ、何か状況が好転してたわけでもない。少し時間を空ければ、また必ず一哉と佐奈を狙ってくる。
だからこそ、一哉はアイナ――――――眼前の能面の不審者との決着をつけるべく、その背中へと手を伸ばす。
しかし――――――
「『輝龍の噴光』――――――っ!」
「くっ………………!!」
アイナが龍の右拳で地面を殴り付けると、コンクリートの破砕音と共に、凄まじいまでの白い光が周囲へと拡がる。影すらも消し飛ばす神の威光の様な、ただただひたすらな純白が一哉を包み、飲み込んでゆく。そのあまりの光量に、もはや目を開ける事は叶わない。
「今日は退かせてもらうけど、これが最後だなんて思わないでほしい。また必ずボクはキミを殺しに来る。南条は必ず、全て滅ぼす。これは、ボクと…………父の復讐なんだから。」
そんな、機械処理音声がトンネル内へと響きわたる。殆ど反射的に声のした方へと駆け出す一哉だが、当然捕まえられるわけもない。
そして光が治まった時、一哉の眼前には、トンネルの床面を大きく抉るクレーターだけが残されていた。
「無事か…………カズ坊?」
唯呆然と立ち尽くすしかない一哉に、光太郎が声をかける。
「ああ。アンタこそ大丈夫なのか、梶尾さん。」
「俺は………………ちょっと強烈なのを一発貰っただけだ……………。それより、すまなかったな………………。」
心から申し訳なさそうな顔をして謝る光太郎に、一哉は首を振って応える。実際に戦ってみてよくわかったが、あの能面の不審者は上級鬼闘師が戦ってどうにかなるような次元の相手ではない。そして正直に言えば、一哉自身でさえも、あの拳を避ける瞬間、なぜかアイナの動きが何かに阻害されたかの様に遅くなっていなければ、確実に破れ去っていた。
だから、光太郎は気にする必要はないのだ。一哉を誘き出す餌にするために口を封じられていたのであろう事は予想がつくのだから。皆まで言うな、と言うやつである。
一哉はそういう気持ちを込めた視線を送ったのだが――――――
「アイツに口封じ………………されていたんだ………………。どこから仕入れたのか……五節ご丁寧に………………俺の家族のパーソナルデータまで…………持ち出してきてな…………。」
そんな一哉の気遣いは全く光太郎には通じていなかった。
思わず一哉はガックリと肩を落として頭を垂れてしまう。光太郎は寡黙で真面目な人間だが、真面目がクソ真面目の領域に達してしまっている点が難点で、ちょっとした機微などがわからない事が多いのだ。
「梶尾さん…………。アンタ、もうちょっと冗談とか空気とか読める様になった方がいいぜ?」
「おい…………人の事言えるのか、カズ坊…………?」
ただし、それは一哉にとってもブーメランであったのだが。光太郎の返しにはぐうの音も出ない一哉だが、さっきの光太郎の言葉には気になる点があった。
――――――『どこから仕入れたのか……五節ご丁寧に………………俺の家族のパーソナルデータまで…………持ち出してきてな…………。』
アイナの言葉をそのまま信じるのであれば、その狙いは南条家全員の抹殺。であれば、一哉の周りの事を調べていても不思議ではない。だが、結衣や咲良には手を出さないと公言している割には、あくまでも唯の部下にすぎない光太郎のかなりプライベートな事も調べあげている。
「なぁ、梶尾さん。」
「何だ…………? カズ坊。」
「梶尾さんは親父と付き合い長いんだろ? あの男の正体、何か心当たりないのか?」
「すまないが…………わからないな。あの霊刀だって……ある日突然…………聖さんが持っていたものなんだ……。」
現役の鬼闘師の中で、最も南条聖と近しい関係だった梶尾光太郎ですら心当たりが無いのであれば、最早対策院に正体の手がかりを持つ者を探すことなど絶望的である。肩を落とす一哉だったが、光太郎の言葉はそこで終わりではなかった。
「だが、アイナという名前であれば…………聞き覚えはある。」
「そうなのか?」
「うろ覚えではあるが…………確か、対策院最悪の裏切り者・西薗一………………彼の妻の名前が……アイナだった………………筈だ。」
突然飛び出してきた、西薗一という名前。それは一哉の母――――――南条澪の敵でもある人物。
あの能面の不審者は、自らの事を「龍の遣い・アイナの子」と称した。そして自らの行動原理が自信と父の復讐にある事を語った。
条件は合致する。そうであれば、自ずと能面の不審者の正体は西薗一の息子ということになり――――――
「カズ坊………………わかった気になった顔をするのは良いが………………お前の考えは間違っている…………」
「え? どういう事だよ。」
一哉は疑問の声をあげたものの、同時におかしいということにも気がつく。こんな単純な推理で辿り着ける結論に、光太郎が辿り着けない訳がないのだ。その上で、光太郎は心当たりが無いと言った。つまり、一哉の考えは間違いであるのだ。
とは言え、現状最も可能性の高い推論なのだ。何が違うのか聞いておかなければならない。
「西薗一には、実の子と義理の子の二人がいたが、どちらも娘だ。男子じゃない。つまり、ここに侵入してきた男の筈がない。」
光太郎の根拠は、西薗一の子は娘であるという事。だが、理由としてはかなり薄いだろう。何か他に理由がないかも聞き出さなければ、到底納得はできない。
「いや、可能性はあるだろ。性転換したとか、実は隠し子が居たとか。奴は声を加工して喋っているわけだし。」
「隠し子については、あり得ないだろう。妾や、浮気相手との間に作った子ならまだしも、本家の正当な妻との間に出来た子だぞ。隠す意味が無い。」
この点に関しては、納得せざるを得ない。一般家庭はどうかわからないが、少なくとも西薗家の様な名家が第一子の男子を隠し置く意味はない。次代当主の候補となるからだ。
そしてもう一つの可能性も光太郎によってすぐに否定される。
「そして、性転換の方もあり得ない。なぜなら、西薗の娘は実の娘は10年前、義理の娘は8年前に死んでるからな。まあ、死人が動いてああなってるっていうなら、話は別だがな。」
光太郎の回答で、また真実から遠ざかった徒労感に襲われた一哉はまたしても肩を落とす。
法具を破壊され、襲撃者を取り逃がし、その正体もわからない。かつて無いほどのやるせなさに項垂れるしかなかった。
「…………ん?」
一哉は、ふと自分のスマホのバイブレーターが作動している事に気がつく。画面を見れば、着信は「東雲結衣」。スマホを操作して、何事かと応答する。
「結衣、どうした…………?」
「一哉君、大変なのっ! お家がよくわからない人と怪魔に襲われてて――――――っ!!」
一難去ってまた一難。
7月下旬のとある夜。南条一哉に朝はまだ来ない。
いつも読んでいただきましてありがとうございます。
次話で第3章も折り返し地点です。
次回の「拾弐ノ舞 乗り越えた先に」の後、extra episodeが2話続き、後半戦へと突入します。




