拾撥ノ舞 陽炎をも裂く刃
第2章も本話を含めて後2話です。
VS【砕火】決着編です。よろしくお願いします。
嫌でも視界に入る、赤黒い光を放つ禍々しいドーム。そのドームの発生場所はどう見ても南条家の屋敷の場所。嫌な予感――――――そんな生易しいものではない。何か悪い事が起きている。そんな確信。
逸る気持ち。自然と動かす足は早くなる。それこそ陸上競技の選手も驚きのスピードを出して全力疾走できる秘訣は、緻密に制御された木の属性霊術で作った風によるアシストの賜物。
その緻密な霊力と霊術の操作は特級でなければ、出来る者は殆ど居ないだろう。そして同じ芸当に限って言えば、適正属性の観点から、恐らく可能なのは3人だけ――――――
ともかく、今は風のアシストによる高速移動術『疾脚』を使える事を感謝するしかない。鬼闘師が保有する高速移動術は制御が効きづらいか、とても目立つため、現代ではおいそれと使えないからだ。
もっとも、今回に限ってはその必要も無いかも知れないが――――――
「道端に倒れる人間の数が余りにも多い。何者かが催眠結界を張っているということか……。」
それにしては、やり方が雑すぎる。【焼鬼】出現の際は認識阻害結界を張った上で、催眠結界が展開されていたらしい。そうすることで、擬似的に無人の街を実現していた。
そこまで用意周到な筈の敵が、何の用意もせずにいきなり催眠結界だけを展開するとはどういう事か。
「何にしても、行かなければわからない……か。」
そう呟くと、さらなる全力疾走で現場へと向かう。
後1キロメートル――――――
● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇
「また偽物…………っ?!」
佐奈の薙刀が空を切る。
ここまでの約5分間、咲良と佐奈の二人は眼前の怪鳥に、傷を付けるどころか、触れる事すら出来ていなかった。
その理由は単純であった。
幻影――――――。
『炎獄の神鳥』を名乗る【砕火】の固有能力とでも言うべきそれは、若き二人の術師とって絶望的に高い砦の壁の前に掘られた、深い深い堀であった。
ともかく、二人は戦闘開始からこのかた、一度も【砕火】の本体を見つけることは出来ていない。唯一幸いなのは、意外にも【砕火】からの攻撃は非情に単調かつ非力で、ダメージを負っていないことだろうか。
【砕火】は突進を繰り返してくるばかりである。その度に佐奈が迎撃するが、それは幻影で、攻撃が当たった瞬間に幻が消滅する。そんな事をかれこれ何度も繰り返しているのだ。
咲良はこの与えられた若干の余裕の中で思考し続けていた。それが咲良に出来る数少ない事柄の一つだから。怪魔に対する有効的な攻撃手段をほぼ持たない咲良は、戦略で打ち克つしかない。
『式神怪魔』たる【砕火】に対抗できる戦略を打ち立てられるとすれば、それは現状では自分以外に存在しない。何しろ『式神怪魔』との交戦回数は咲良が一番多いのだ。自分が一番見ている。
咲良は一哉と【焼鬼】との戦いを思い出しながら、また幾つかの水晶と呪符をばらまく。【焼鬼】との戦いで最も注意すべきだったのは、体内から漏れ出す炎のカウンター。【砕火】も同じ能力を持っているという確証は無いが、眷属と言うぐらいだ、あると思って行動した方が良い。
そして、その対策はしてある。でなければ、佐奈に直接攻撃させることなどしない。みすみす親友を一人見殺しにするだけなのだから。ちなみに、対策の事に関しては、佐奈に何も伝えていない。下手に言って意識されると折角張った罠に気付かれる可能性があるからだ。佐奈にはこのまま前線で本体を見つけてもらう。罠は佐奈自身に張られているのだから。
「咲良ちゃん、何かいい案無いの……?! 無いんだったら、全力で霊術撃っちゃうからね!」
「もう少しお願いっ!! 多分、そんなに時間はかからないわ!」
「だったらいい…………けどっ…………! もうっ!! また外れ?!」
「何かいい案は無いのか」と言われても、そんなものが有ったらとっくに実行している。焦れた佐奈の脳筋発言に咲良は苦笑しながらも思考を続ける。同時に水晶と呪符を撒くのも忘れずにだ。
次に考えるのは【砕火】の作り出す幻影。実は咲良には幻影か否かを見分ける目処が立っている。それは影だ。頭上の紅い太陽に照らされ、本来なら3つ出来る筈の影。だが、幻影の【砕火】にはそれが無い。つまり、襲ってくる前から幻影かどうかを判断できる。
――――――佐奈は気付いて居ないようだが。
問題はどうやって本体を引きずり出すか。
今咲良が思考と平行して行っているのは、結界術『滅魔の陣』の構築。簡単に言えば『除魔の舞』の結界バージョンだ。『除魔の舞』は打ち消す霊的現象を目視していなければ使えないという欠点がある。だが、『滅魔の陣』であればその問題は解消される。結界の効果範囲内であれば、問答無用で霊的現象を打ち消せるからだ。
本来であれば、怪魔との戦いで用いるような術ではない。構築に時間がかかるし、術の発動に必要な霊具のコストもバカにならない。しかも効果範囲は結界の内側だけだ。動き回る怪魔相手には何の役にも立たない。加えて言えば、怪魔相手に発動したところで、こちら側が攻撃手段を一方的に失うだけで、爪や牙などで殺られるのがオチだろう。
それに、結界術全体に言えることだが、陣を乱されてもだめだ。実際【焼鬼】との戦いでは、一哉も【焼鬼】も地面を躊躇いもなく崩し続けていた。結界術陣の構築は早々に諦めざるを得なかったのだ。
咲良は【砕火】の本体を引きずり出す方法を考え続ける。
――――――自分が囮になる? いや、今この状況で出てこないのだ。意味がないだろう。
――――――気を探る? 無理だ。この世界自体が【砕火】と同調しているのか、何の気も感じられない。
――――――佐奈に手当たり次第に攻撃を撒き散らさせて攻撃を当てる? 否。敵のカウンターに対するカウンターは至近距離でなければ意味がない。
悩む咲良はいくつもの方策を考えるものの、いつまでも結論を出せない。実際問題として致し方の無い話ではあるのだ。何しろ、敵は全く未知の存在『式神怪魔』。しかも、一歩間違えれば即座にあの世行きの特急に乗る地雷付き。トライアンドエラーはあまりにも愚策であった。
そうしてそんな咲良を待てなくなったのか、とうとう佐奈に我慢の限界が来たらしい。襲い来る【砕火】の幻影を『黄閃断』で両断して掻き消すと、苛立たしそうに薙刀の刃を地面に突き立てる。
「咲良ちゃん、私もう限界……っ!! こうなったら、一気に吹っ飛ばすからっ!!!!」
「え……、ちょっ……、ま、待ちなさいよ……っ!!」
「いっけえええぇぇぇぇぇ――――――っ!! 私の固有霊術、『大地掃射』っ!」
佐奈が咲良の制止も聞かずに霊術を起動させると、地面に幾千もの閃光が走り隆起し始める。それらは全て大小様々な銃身を形成すると、その銃口を全て上空に向けた。完全なる対空一斉掃射だ。
ズガガガガガガガガガガッッ――――――――!!
その瞬間、咲良の耳は凄まじいまでの銃撃音に犯される。まるで、突然戦争の地に放り込まれたかの様な感覚。各銃口から雨霰と紅い岩の弾丸が発射され、空を埋め尽くす。佐奈の取った行動は咲良自身が却下した手当たり次第の攻撃。弾幕を張っていつまでも隠れている本体を炙り出そうというのだ。
「ちょ、ちょっと佐奈っ!! アンタ勝手に何してくれてんのよ?!」
銃撃音に負けないよう、咲良は佐奈に怒鳴った。負けじと佐奈も怒鳴り返してくる。
「咲良ちゃん、いくらなんでも考えすぎ! それで見つからないなら、力づくで見つけるしかないじゃんっ!!」
やはり佐奈はどこまで行っても脳筋だ。普段霊力消費を抑えて戦っているのは、こういう絨毯爆撃の様な派手な一撃を使いたいがゆえ。技術もくそも無い。ただ豊富な霊力量に任せた質量の暴力――――――
「この脳筋娘め! 私が折角苦労して組んだ陣が全部無駄じゃないっ! どうしてくれるのよ…………っ?!」
「ちょっと黙ってて、咲良ちゃん…………! これ、結構…………キツイ…………っ!!」
そう言う佐奈は確かに必死な顔をしてはいるものの、どこか楽しそうだ。このような無差別攻撃、街中ではとても使えない。だが、佐奈の担当地区は一哉と同じ関東で、殆どの場所が街中だ。その趣味嗜好を全開で発揮できる場所が無いのだろう。
周囲に被害を出さないために二つの大技を封印する一哉とは似た者兄妹ということか。一哉は決して嬉々として技を放ったりはしないが――――――
上空では、【砕火】の幻影が現れる端から岩の弾丸に当たっては消えを繰り返している。
つまり、本体の炙り出しは出来ていない。
この空の絨毯爆撃で現れないということは、もう答えは一つしかない。
「…………っ!! そこ、…………かあぁ………………っ!」
佐奈は更に霊力を地面に流し込むと、再び無数の黄色い閃光が走り、足下から銃身が更に生成・移動。
最終的に佐奈と咲良を取り囲むドーム状となり――――――
「行くよ…………っ!! 『大地掃射・全面』―――――――!!!!」
360°全ての範囲を蹂躙する雨を降らせる。そう、【砕火】の居場所は、頭上などでは無く地表。
容赦無い弾丸が全てを襲う。
周りの全てを、仲間までも巻き込みかねない超無差別攻撃。本来であれば、試し撃ちすら出来ないような危険な技だ。佐奈自身もお披露目の日が有るとは思っていなかっただろう。
――――――バシュバシュバシュバシュウゥ…………!!
空気が漏れるような音が響いたのは、咲良達の後方から。
振り返った咲良は、カウンターとして放たれた蒼炎の濁流を見る。アレを喰らえばひとたまりもない。それこそ焼き尽くされるだろう。
本来であれば、このカウンターは十分に佐奈に引き付けさせた上で、佐奈に設置した罠で対処・反撃する目算だった。そうできると確信したのは、言葉のわりに消極的な【砕火】の攻撃。もしかすると、【砕火】は幻影に特化していて、攻撃は【焼鬼】よりも弱いのかもしれない。
そういう大前提の元に組まれた戦略。
だから、至近距離でのカウンター返し等という一見無謀な作戦が成立するのだが――――――
そんな目論みも佐奈の行動によって意味を無くす。
こちらのカウンターは有効範囲が余りにも狭いのだ。しかも、相手の攻撃に反応して自動的に発動する。50メートル近く離れた敵へのカウンターなど、唯の霊力の使い損。意味の無い事なのだ。
だから――――――
「どいてっ、佐奈…………っ!」
佐奈を押し退けて、自分が前に出る。
この手は本当の緊急時まで取っておくつもりだった。この空間は余りにも陰の気に満ち溢れすぎている。『除魔の舞』の効率は落ち、いつも以上に霊力の消費を余儀なくされるだろう。ともすれば、先月東雲家の忌み土地化の際以上に。目算では、使えて1回か2回。
だが、ここで佐奈に仕掛けたカウンターを発動させるわけにはいかないのだ。だから、ここは自分の手で対処するしかない。
「遅延起動『除魔の舞』――――――!!」
いざというときのための、詠唱済み霊術のストックを使った『除魔の舞』。荒れ狂う蒼炎の濁流が二人を包み込むが、その瞬間に掻き消される。
同時に、咲良は自分の中から力がごっそりと抜け落ちる様な感覚に陥った。陰の気に満ち溢れるこの場所は、『除魔の舞』を使う負担が余りにも大きいのだ。これでは、例え身を守る為でも、鬼闘師と組んでいなければ、あっという間に天国行き直行である。隣に佐奈が居るのは最早類稀無い幸運なのである。
突然の疲労感に咲良は動きが緩慢になる隙を【砕火】は見逃さない。その巨大な深紅の羽を羽ばたかせ、突っ込んでくる。だが、それは咲良にとってもチャンスであった。
(影が…………ある……っ!)
今度の【砕火】は影を伴っていた。間違いなく本物だ。美しく羽ばたく、深紅の巨鳥を遂に捉えたのだ。佐奈の無茶が功を奏した形になった。本体を捉えた今、多少の狂いは有れども、策略は手筈通りである。
絶対に敵わないと思っていた。自分と佐奈だけではどうあがいても倒せないと。生き残るので精一杯だと。それ位【焼鬼】との戦闘は絶望的だったのだ。
だが、勝利は目前にある。自分達だけで『式神怪魔』を倒せれば、悩む事は何もない。そこにあるのは勝利の歓喜だけである。
(そうだ、折角だから一哉兄ぃにまたデートに連れていってもらおうかしら。)
どうせ自分はまた素直に言えないんだろうから、結衣を護った報酬として貰おうか。
そんな風に、勝利する前からお気楽なことを考えてしまう咲良。今自分の顔を鏡で見るとだらしない顔をしているに違いない。
だが、それと同時に頭の中で警鐘も鳴り始める。
――――――どうしてこんなに簡単に終わるんだろう?
――――――何か見落としてるんじゃないだろうか?
そんな疑念は湧いた瞬間に大きくなり、咲良の頭の中をいっぱいにする。
本当にこれでいいのか。これで勝利を掴めるのだろうか。何か致命的な見落としをしている気がする――――――
「咲良ちゃん、危ない……っ!!」
気がつけば【砕火】は目前。
佐奈が目の前に割って入ってくる。
考える時間は与えられない。どうせ迷っても死ぬだけ。ならば、行動するのみだ。後の事は――――――考えたくない。
「佐奈、ソイツを斬って――――――――――!!」
「オッケー…………!! はあぁっっ――――――――!!」
佐奈の薙刀が逆袈裟に【砕火】を切り裂く。
そうだ。これでいいのだ。
この斬撃に対して【砕火】のカウンターの蒼炎が襲ってくる。そうしたら、佐奈に仕掛けたカウンターが発動する。反応装甲の一種だ。敵の霊的攻撃に反応して自動発動する。仕掛けたのは、対象の目の前に対象への霊的攻撃を跳ね返す結界を張る『厄除の陣・乙』とほんの数十秒、霊力伝達を阻害して霊術その他の術式の構築を妨害する『阻魔の舞』。これが発動すれば、【砕火】は己の身体を構築する術式が不安定になって、更に自分の炎で焼かれる。炎に効き目が無くても、『除魔の舞』で結晶態に戻してしまえば、佐奈が破壊できる。
そう、この策略に欠点など無い筈。だから、自分達の勝利は確実で――――――
《俺/私ノ『陽炎座』ハ楽シンデモラエタダロウカ?》
そんな声が世界に響いた。
「「――――――?!」」
間違いなく本物だと思った【砕火】が靄の様に消えていく。
後には何も残らない。
「そ、そんな…………間違いなく影はあった筈…………。どうして…………?」
全ての根底を覆された咲良はここに来て狼狽えてしまう。全ての大前提を覆された。間違いはなかった筈だ。何が悪かったのかわからない。
咲良は今度こそ動けなくなってしまう。見えていた勝利という名のゴールが遥か遠くへと過ぎ去っていく。
――――――諦め、落胆、呆然、絶望。
そんな物が咲良の頭を占めたとき、大胆不敵にも【砕火】は咲良と佐奈の前に降り立つ。
「くっ…………!」
「さ、咲良ちゃん…………。」
佐奈も咲良の動揺を感じてしまったのだろう。完全に目の前の【砕火】の存在感に圧倒されてしまっている。
これまでの戦いは全て、神々しい神鳥が行う、愚かなる者を処刑する為の前戯。
それを二人は魂の奥の奥まで理解させられてしまった。
【砕火】には絶対叶わない。
《死ネ。》
無慈悲な男の声とも女の声ともつかぬ声が無情にも告げる。
見えたのは足元から噴出する蒼の炎。咲良にできたのは、残存する全霊力と引き換えに、不完全な『除魔の舞』を遅延起動する事だけであった。
《当然ノ事ト言エド、何トアッケナイ。俺/私モ『黒帝』殿ニハ甘ク見ラレタモノダナ。コノ程度ノ小蟻一匹潰スノニ俺/私ヲ寄越ストハ。》
尊大な声が世界に響く。
声が聞こえるということは、死んではいないらしい。咲良は全霊力を使い果たし、その場に倒れ臥していた。既に指一本、瞼一つ動かせない。佐奈が無事かも確かめられない。
とにかく、最後の『除魔の舞』の起動は間に合ったらしい。せめて佐奈が助かってくれればそれで良い。自分は最早助からないだろう――――――
(いやだ…………いやだよ……。こんな……ところで…………こんなところで死にたくないよ…………っ!)
もう何一つ動かせない身体。でも、涙だけは堰を切った様に流れてきて。思い浮かべるのは後悔ばかりだ。
――――――今日の選択はああしておけば良かった。
――――――どうしてあの時の告白を誤魔化したんだろう。
――――――苦手なニンジン、食べなかったバチなのかな……?
――――――あの時、あの病室で、彼の唇を奪っておけば良かった。
頭の中に浮かぶのはそんな事ばかり。
死にたくない。生きていたい。もっと別の生き方をすれば良かったのか。彼に、一哉に会いたい。
《ソレデハサラバダ、北神咲良ヨ…………。》
無慈悲な神が最後の鉄槌を振り下ろそうとする。
とても短い17年5カ月の生涯。悔いしかない自分の人生。
(生まれ変われたら、また一哉兄ぃと逢いたいな…………)
咲良は全てを諦め、意識を手放さそうとする。
死ぬときはせめて苦しまずに死にたい。
そんな咲良の耳に聞こえてきたのは―――――――
「佐奈……っ、咲良あああああぁぁぁぁっっ………………!!」
聞こえる筈の無い、でも一番聞きたかった、最後に顔を思い浮かべた男の声だった。
● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇
南条家に鎮座する気味の悪い、赤黒いドーム。
禍々しい陰の気を放つそれは、手をつけて良いものか一瞬判断に迷う。
だが、その迷いは一瞬で絶ち切られた。ここにいる筈の咲良と佐奈が居ない。由衣はドームの外側で気を失っている。つまり、二人は何かあってドームの内側に囚われている。
ならば、迷う必要なんか無いのだ。自分は大切な者を護るだけだ。
一哉は三降りの日本刀のうち、【霊刀・夢幻凍結】を抜き放つと、霊力を込めてその刀身を赤く染める。【夢幻凍結】の能力である、霊力の切断を使うには、刀身に霊力を注ぎ込んで赤く染め、その状態で対象に触れなければならない。
何の躊躇いもなく一哉はドームの表面に刀を突き立てると、一気に斬り開く。
崩れるドーム。
赤黒い破片がバラバラと落ちては光へと還る。
中に見えたのは、悪趣味な紅い世界の中に居る一羽の血のように紅い巨鳥と、気を失った佐奈、そしてボロボロの状態で倒れている咲良だった。その光景が目に入った瞬間、一哉の頭に一閃の稲妻が走る。
大切な者を傷つけられた。自分の居ないところで。最早赦すことなどできはしない。
「佐奈……っ、咲良あああああぁぁぁぁっっ………………!!」
《貴様ハ…………南条一哉…………ッ!》
男とも女とも取れる、いや、そのどちらもが喋っているかの様な不快な声が耳に入る。
眼前の巨鳥は一哉を警戒してか、佐奈と咲良から距離を取る。もはや崩れ落ちて世界の体を為していない赤黒いドームの内側の世界から脱出していく。
――――――ガシャアアァァァン………
主を失った世界は完全に崩壊。ガラスを割ったかのような甲高い音を立てて崩れ落ちた。
バラバラと赤黒い破片となって飛び散り、最後は紅い光となって消える。
後には倒れた佐奈、咲良、結衣の3人が残っている。
一哉はまず佐奈の元に寄る。
得物の薙刀を握ったまま気を失っている佐奈。だが、目立った外傷も無く、呼吸も安定している。きっと霊力を使い果たして眠っているだけであろう。ならば、佐奈はあまり心配いらない。
結衣も眠っているだけだった。
少なくとも、佐奈と結衣の2人に今一哉の手はいらない。
「一哉…………お兄……ちゃん……………?」
「よく頑張ったな、咲良。」
一哉は一人ボロボロになっている咲良の元に寄って腰を落とす。
咲良の見た目は酷いものだ。トレードマークのサイドテールは髪紐が焼け落ちて解けてしまっているし、体中軽度の火傷を負っている。意識はあるようだが、明らかに霊力を限界を超えて使い果たした影響で衰弱している様だし、呼吸も浅い。先程別れた時は綺麗だった服もかなりの部分が焼けてしまっており、身体的にも露出的にもギリギリといった様相だ。
「お前が佐奈を護ってくれたんだろ……?」
見ればわかる。
咲良は佐奈を庇って、ダメージの大半を引き受けた。こうなった経緯はわからないが、咲良の奮闘だけは伝わってきた。
世界で一番大切な妹を自分を犠牲にしてまで護ってくれた咲良には感謝の念しかない。
見るからに咲良は危険な状態だ。恩人をこんな所で死なせてはいけない。この決着は早々につける以外に他は無いのだ。
そしてそれ以前に、咲良は一哉の大切な幼馴染である。この少女を失う事は自分の一部を失う事に等しいと言えるだろう。
刀を握る一哉の手に力が籠る。
「ごめんね…………一哉お兄ちゃん…………。私……………ダメ……だったよ…………。」
「そんな事無い。お前はよくやってくれたよ。ゆっくり休むんだ……。」
そう言って巨鳥へと顔を向ける一哉の袖を、咲良が弱弱しく掴んできた。
「咲良……?」
「一哉…………お兄ちゃん………………アイツ……………【砕火】って…………………。」
咲良はそう告げると、完全に意識を失ってしまった。
むしろあの状態で気を失っていない方が不思議なのだ。
この少女には充分な治療と休息が必要だ。
今するべきは目の前の敵の即時殲滅――――――
「貴様が【砕火】か。」
≪南条一哉…………予定デハ貴様ガ来ル前ニ北神咲良ヲ消シテオク筈ダッタンダガナ……。何事モ上手クイカヌモノダ。ソレニシテモ貴様ノ到着ガコレ程早イトナルト、【神流】ハヌカッタヨウダナ。全ク使エン奴メ。≫
目の前の怪鳥にとっては、一哉の到着は予定外の事だったらしい。
【砕火】。あの時戦った【焼鬼】よりもさらに上に位置する上位存在。『式神怪魔』、その親玉ともいえる存在とこんなにも早く遭遇するとは、少し意外でもあった。
その【砕火】は予想外の一哉の到着にも慌てる事無く、知らない誰かの不手際を嘆いている様だが、そんな事はどうでもいいのだ。
「どうでもいい事を喋ってるんじゃない、クズが…………。貴様にはこの落とし前をキッチリとつけてもらうぞ。」
≪ホウ…………。貴様ハ捕獲対象、殺シハセヌ。ダガ、ソノ様ナ嘗メタ口ヲ利ク蟻ハ確リト躾テヤラネバナランナ。招待シヨウ、俺/私ノ『炎獄』ヘ――――――――!!≫
冷静そうに見えてその実、【焼鬼】よりも頭に血が上りやすいらしい【砕火】は紅い閃光を放ち霊力を放出。どんどん膨らむ霊力と光に一哉は包まれる。
眩しさに目を背けた一哉が次の瞬間見た光景は死の大地だった。
空には深紅の太陽が3つ並び、紅い空が頭上を覆う。血のように紅い地面はひび割れ、荒れ果て、生命の息吹が全く感じられない。
おおよそ、最初に一哉が赤黒いドームを割って入った際に垣間見た光景そのものだった。
≪ヨウコソ、俺/私ノ『炎獄』ヘ。≫
男と女が同時に喋る様な不快な声が世界に響く。
なるほど、咲良には能力的に辛い世界かもしれない。五行を用いず、陽の気を直接操って霊的現象に干渉する咲良達祈祷師には、ここの濃すぎる陰の気は霊術の妨げにしかならない。
その状態で『除魔の舞』などを発動すれば、あっという間に霊力は枯渇するだろう。
よくその状態で佐奈を護ってくれたものだと、一哉は内心感心する。
そして――――――
「――――――主従揃って趣味が悪いのは、性格だけじゃなくて住む世界もか。調子に乗るのもいい加減にしろよ。」
咲良と佐奈はこんな悪趣味な世界に引きずり込まれて、戦っていたのだ。
自分達を散々甚振ってくれた【焼鬼】も赦し難いが、目の前の【砕火】はもっと赦し難い。自分の目の届かないところで、それも態々一哉と咲良達を引き離してまでこの世界に引きずり込み、その命を奪おうとした。
この悪趣味な敵を、世界を一秒でも早く終わらせる。終わらせなければならない。一秒だって目の前の屑を永らえさせてはいけないのだ。
一哉は【鉄断】と【神裂】を抜き放ち、両刀を持って構える。
≪…………フン、驕ルナヨ人間風情ガ。四天邪将・朱雀位―――『炎獄の神鳥』・【砕火】、貴様ノ身ハ俺/私ガ貰イ受ケル―――――――!!≫
【砕火】はその言葉と共に急加速して上空へ飛翔。
ある程度の高さまで飛び上がった【砕火】は翻して急降下。
猛禽類の狩りのように両足の爪を広げ、一哉を捉えにかかる。
その姿は傍から見れば、紅い美しい鳥の狩りの様にも見えるだろう。
一哉は与り知らぬ事だが、そのスピードは佐奈と咲良が戦っていた時のものとは比べ物にならないぐらい早い。もし二人が今の速度の【砕火】と戦っていれば、あっという間に心を折られていただろう。
要するに【砕火】は手を抜いていた。その程度の相手だと本気で戦う事をしなかったのだ。
だが【砕火】は今、紛れもなく全力である。自分より下位存在とは言え、自分の眷属たる【焼鬼】をその力と発想で破ったのは間違いなく南条一哉なのだ。「神」を名乗ると言えど、いや、「神」を名乗るからこそ万が一の負けも許されない。だから、全力で、一瞬で終わらせる。人間如き、自分が相手をするまでも無いと、その力を見せつける為にも。
高速飛翔と急襲。【焼鬼】の眷属としての『式神怪魔』の特性、体内の炎も併せ持ってその一撃は並の鬼闘師では欠片も受け止める事が出来ずに肉塊と化すだろう。
しかし――――――
「くだらない真似…………してんじゃねぇ…………!!」
一哉は何のためらいも無く、【神裂】を頭上に一閃。その刃先から風の刃が飛び出し、上空の巨鳥を両断する。
二つに斬り裂かれて動きを止める【砕火】だが、その切断面からは蒼炎が漏れ出し、濁流となって降ってくる。
それは散々【焼鬼】に苦しめられた、最悪の特性。
だが、一哉はその場から動く事も無く、かと言ってもう一本の霊刀を抜こうともせず唯々立っている。
蒼炎の濁流はもう目前。
≪何ダ?! モウ諦メタカ、南条一哉ヨ?!≫
世界に男とも女ともつかぬ声の、驚きの声が響く。
そうしても一哉は何もしない。微動だにしないのだ。 そして、一哉は蒼炎に呑まれ――――――
「だから、くだらない真似してんじゃねぇって言ってんだろう…………!」
中から無傷の一哉が出てくる。
静かな怒りをその瞳に燃やし、変わらず二振りの刀を持って。
≪ナ、何故ダ…………?! 何故アレヲ躱ソウトモシナカッタ…………ッ?!≫
明らかに動揺の色が滲む声を出す【砕火】。
【砕火】は両断された地点で何事も無かった様に飛んでいるが、明らかにその動きが鈍い。
「何故だって…………? そんなもの、貴様が唯の子供騙しの遊びをしているからに決まっているだろ? 今更何を驚くことがあるんだ。」
≪違ウ…………ッ!! 何故、俺/私ノ陽炎座ヲ破レタッ!! 何故アレガ幻影ダトワカッタノカト聞イテイルンダ……ッ!!≫
そんな焦りを見せる【砕火】に一哉は唯々冷たく言い放つ。
「それは俺が天才と言われる人種だから。」
≪――――――何ノ話ダ…………!≫
「俺自身はそう思ってないが、どうも俺は、世間的には天才と言われる人種らしい。昔からそうだったから全然意識した事無いが……。だが、俺の霊力の探査能力はちょっと人より敏感でな。わかるんだよ。この薄気味悪い空気の中に佇む、貴様の本体の位置が……!!」
≪――――――!!≫
「確かにこの世界の気の性質は、貴様自身の気とよく似ている。佐奈や咲良ではその違いを感じ取って、本体の居場所を突き止めるなんて事は出来なかっただろう。だけどな、俺にはそれがわかる。だから、躱すまでも無かった。どうせ幻影なんだからな。」
まるでつまらない物語の話でもするかのような口調で語る一哉。
上空の【砕火】は言い返すことも出来ないのか、何も喋らない。
「ま、この感知能力は普段は意図的に封印しているんだがな。ちょっとキツイんだよ。そこらへんにうようよいる精霊だとかそんなのまでわかってしまうんだから、気分悪くなってしまうし。咲良の『言波遣い』の能力がキツイっていうのがよくわかるよ。」
心底呆れた口調で言い放つ一哉。
その暴露ショーは続く。
「そして、直に貴様の技を見た事でよくわかった。貴様、能力は自分の世界に引きずり込む事と、幻影を作る事じゃないな? いや、側面的にはその能力で合ってるんだろう。まあ、普通の怪魔には無理なんだろうが…………。貴様の正体、本当に神だったりしてな――――――」
そして一哉は上空の【砕火】へと背を向けて走り出す。
上空の【砕火】を完全に無視して。
だが、その向かう先には何もない筈で――――――
≪貴様…………ッ、本当に俺/私ノ居場所ガ…………!!≫
「だから言ってるだろ? わかるって。それに、貴様は一つ致命的なミスを犯している。」
≪ナ、何ダト…………?!≫
「貴様、この結界自体を取り込む対象者を俺だけにしただろう。」
≪ソレガ何ダトイウノダ!!!!≫
「遠慮なくぶっ飛ばせるんだよ……。周りの事も何も考えずに、唯全力で…………っ!!」
一哉はさらに走るスピードを速める。
やはりそこには何も見えない。だが、一哉は確信している。そこにこそ【砕火】の本体が、討ち滅ぼすべき敵がいるのだと。
「それともう一つ教えておいてやる……。」
死の紅い大地を駆けながら、一哉は二刀を交差して構える。
「俺が天才と言われる所以は感知能力というよりも、むしろこっちの理由の方が大きい。――――――普通の人間は、五行全ての属性の術式を扱えないんだそうだ。」
【神裂】と【鉄断】を激しい五色の光が渦巻く。
赤、青、黄、白、緑。五色の光は一度【神裂】に宿って一つになり、それが【鉄断】に移動して、やがて弾けて――――――
「【鉄断】最終奥義――――――『相克覇』」
一見何も無いように虚空へとその刃を突き立てる。
その瞬間、猛烈な爆発が起こる。
爆発の衝撃は一哉を追って飛翔していた幻影を吹き飛ばし、隠れていた筈の本体の場所を詳らかにする。
それだけでは終わらない。
衝撃はそのまま【砕火】を構成する肉体を吹き飛ばし、体内から漏れ出た蒼炎をもそのまま押し返す。
一哉は完全な無傷のままだ。
衝撃波は【砕火】の肉体と内包する炎を纏めて飛ばし、周囲の世界を蹂躙する。地面には巨大なクレーターが、周りに僅かに存在する枯れ木も跡形もなく吹き飛ばし、真に何も存在しない本当の不毛の大地を作り出す。
【鉄断】最終奥義・『相克覇』。
それは五行全ての属性霊術を扱え、さらに並々ならぬ霊力のコントールセンスを持つ一哉だからこそ可能な絶対破壊技。
その正体は単純なものである。
五行全ての属性の霊術を完全な等量発生させ、それを属性の相性を完全に無視して融合させる。それを【神裂】か霊刀の刀身上で行い、力の象徴たる【鉄断】へと移す。そしてその状態の【鉄断】で斬る事で、融合した霊術を開放。解放された霊術は再び5つの霊術へと分離すると、反発し合い、「破壊」に特化した【鉄断】との相乗効果によって最終的に猛烈な爆発を起こし、全てを破壊する刃となる。
それが『相克覇』。二つある大技の内、周りへの被害を何も考えない本当の最終奥義。
当然こんな技は街中はもちろん、山奥でも使えない。
だからこそ、こういった隔離空間へと一人追放されたのは都合が良かったのだ。
【神裂】最終奥義・『次元断』に比べると霊力の消費も少なく、ともすれば連発すら可能な無茶苦茶な技。
唯々破壊に特化したその刃は、死神の振るう処刑鎌そのもの。無差別に、無慈悲に、幻影も炎も、世界すらも切り裂いて吹き飛ばし、全てを終わらせたのだった。
第1章とは打って変って、主人公の圧倒的勝利!!
だが、それでも……
次は遂に第2章最終話。
次回もよろしくお願いいたします。




