拾肆ノ舞 休息にならない休息
今回は陸ノ舞以来の日常回です。
皆さんは旅行はお好きでしょうか?
私は大好きです。
昨年は旅行に行きすぎてお金がピンチでした……汗
でも今年も行きたいんだ。
「一哉兄ぃ……。まさか選べないなんて言わないわよね?」
「そうだよ一哉君。これはとても大事な事――――――そう、国の予算を決める国会の審議よりも遥かに重要な事なんだよ~? だから絶対に……ううん。すぐに答えを出して欲しいな~。」
一哉は今、浴衣をバッチリと着こなした美少女二人から身に覚えの無い追求を受けていた。今日は佐奈が居ない。咲良と比較的常識人の結衣であれば面倒事を起こさないで居てくれる、そう思っていたのが見事に裏切られた形だ。
見れば二人な湯上がりの十分に温まった体は上気して薄紅に染まっており、蠱惑的でどこか艶かしい。特に夕食時に日本酒をたらふく飲んでいた結衣などはそれが顕著だ。また、風呂上がりの艶やかな濡れた黒髪も男を惑わせるファクターだろう。
「いや、お前ら何を言ってんだよ……。」
一哉は思わず溜め息を吐く。本当にどうしてこうなったんだ、と目の前の理解不能な現状をどこか対岸の火事のように見ながら。
「だから今日、どっちと一緒のお部屋で寝るの?! 私か咲良ちゃんか、さあ選んでよ一哉君っ!!」
「そうよ、ハッキリしなさいよ、このヘタレっ……! 決めなかったら一生軽蔑してやるわ!」
目の前の少女達の意味不明な発言に一哉はもう一つ溜め息を吐く。何もかもが自分の理解を越えている。
だから一哉は人知れず心の中で叫ぶ。
(態々男女別で二部屋取ったのに、何で俺は同室で寝る事を強要されているんだ……?!)
―――時は3日前に遡る。
対策会議出席後、【焼鬼】殲滅の事後処理に追われて結局今年のゴールデンウィークを全て棒に振ってしまった一哉は、延々と佐奈に小言を言われる日々を送っていた。
佐奈は、折角の大型連休でどこかに遊びに行けると思っていたのに、全然構ってくれなかったとお冠だったのだ。そしてその状態が2週間以上も続くと、相変わらず続いている異常熱波の影響もあってストレスが溜まってしまう。一哉は日々増えるイライラ感と戦っていたのだが、それが遂に爆発してしまう。
「佐奈っ!! いい加減にしろ! 一体いつまで同じ事で俺をなじれば気が済むんだ……?!」
「お兄ちゃんこそ逆ギレ!? 全然悪いと思ってる人の態度じゃないよ、それっ……!! この口先だけのダメお兄ちゃん……っ!」
いつもは軽い言い合いで終わる南条兄妹の喧嘩だが、この日に限っては激しい言い合いとなっていた。この二人が喧嘩らしい喧嘩をする事は大変珍しいというのは自他共に認めるところ。一哉としても佐奈と本気の喧嘩をしたのはいつ以来の事か思い出せない程だ。
「もう……っ!! お兄ちゃん本当にニブ過ぎ! そんなんじゃ咲良ちゃんに愛想尽かされても知らないよ!!!」
なぜここで咲良の名前が出てくるのか。まったく理由がわからない。
そんな首を傾げる一哉を見た佐奈はしばらくの間半眼でジトっと一哉を睨むと、肩を怒らせて自分の部屋へと戻ってしまった。
一哉はそんな佐奈を呆然と見送る事しかできない。無意識のうちにまた溜息が出てしまう。
最近の佐奈は、一哉にとって理解できない言動をする事が多くなってきた。元々事あるごとに咲良の事を引き合いに出す事が多かった佐奈だが、結衣が引っ越してきてからその頻度が高くなってきた気がする。
そんな時、何も知らない結衣が居間へと入ってきた。
丁度良い。妹も女だ。女性についてわからなければ、結衣に聞いてみるのが良いだろう。
そう思い一哉は結衣に相談をしてみた。
「えっと、それって私が答えちゃっていいのかな……?」
「頼む結衣。正直に言って、今後いくら考えても理由がわかる気がしないんだ。」
情けの無い事だが、実の妹の事とはいえこういう時に佐奈が考えている事――――――俗に言う女心というやつだろうか――――――は一哉には全く分からなかった。今までそういった事を避けてきたし、理解する必要も無かった。周りの女性が実の妹しかいなかったからだ。
しかし、ここ最近の一哉の周りには大きな状況の変化があった。結衣と同居する事となり、咲良とは一応の和解を果たした。
さすがの一哉も、女心というものを少しは理解する必要があるかもしれないと考えていただった。
だから、ここは恥を忍んで結衣に聞くしかない。
そんな一哉に対し、結衣は「仕方ないなぁ」と苦笑する。
「佐奈ちゃん、ゴールデンウィークに一哉君と遊びに出かけるのを楽しみにしてたからね。一哉君が入院とお仕事で忙しいってのはわかってると思う。それでも佐奈ちゃんは寂しくて埋め合わせしてほしいんだよ。」
「と言っても、対策会議の結果を受けての事もあるし……」
結衣からの回答提示に難色を示す一哉。
先日の対策会議の結果を受け、最重要監視対象地域として関東地方が指定された。そして自分はその関東地方の担当である。一哉は動きを最小限にし、いつでも出撃できるようにと常々準備している。
妹のためとはいえ、妹のほとんど我儘に付き合うわけにもいかない。
だから、自分が動くわけにはいかない――――――
「一哉君っ! 一哉君のそういうお仕事に真面目で一直線な所、素敵だけど良くないところでもあると思うの。」
結衣は眼鏡の奥の大きな目を細めて、まるで慈しむかのように一哉の手を取る。
「私は一哉君や佐奈ちゃんや咲良ちゃんと違って、対策院のお仕事はしてないけど……。警戒するって事はいつもいつも緊張して張り詰めた状態を維持し続けるって事じゃないと私は思うの。じゃないと、本当に戦わなきゃいけない時に戦えないよ?」
「――――――」
「だから、佐奈ちゃんに時間作ってあげて? それに一哉君もここの所、何か肩に力が入りすぎているような気がするし。少しは気休めをするべきだと思うな。」
そう言う結衣の微笑みは暖かくて柔らかい。
言われてから思い出してみれば、対策会議後の美麻の言葉で必要以上に肩に力が入ってしまっていたような気もする。
「そうだな……そうかもしれないな。ありがとう結衣。」
「どういたしまして。でも、一哉君ももう少し女の子の気持ちがわかるようになった方が良いと思うな。」
「……善処します。」
最近自覚し始めたが、やはり結衣にもそう思われているらしい。具体的にどう改善しろと言われても何をすべきかわからないが、努力程度はすべきだろう。
一哉は一人そんな事を考えていた。
「じゃないと、佐奈ちゃんと咲良ちゃんに愛想尽かされちゃうかもしれないよ? ……私は別にそんな一哉君でも構わないけど。」
「……どういう意味だ?」
結衣もやはり佐奈と同じ事を言う。なぜここで咲良が出るのか。しかも、結衣は別に良いとはどういう事か。
「教えてあげませーんっ!」
結衣は質問に答えず、にっこり楽しげに笑うと、そのまま居間のソファに腰かけて本を読み出した。
――――――まるで意味がわからない。
結衣に問いただしたくなった一哉だったが、それよりも佐奈のご機嫌取りを優先することにした。
案は近場の静かな場所への旅行。
佐奈との時間も確り取ってやれるだろう。
関東圏内で一泊程度ならそう影響は無いはずだ。最悪、車で駆けつけられる。
それに次も近所で出現するとも限らない。
あまり拘って自宅と大学に引きこもって監視する必要も無かったことに今更ながら気づく一哉だった。
そんな出来事があって、栃木県の奥日光への旅行計画を立てたのが3日前だった。メンバーは南条家の3人。妹と水入らずの旅行も考えたが、結衣を家に一人残す訳にもいかず、結衣も連れていく事にした。
旅行の事を聞かされた佐奈は天地がひっくり返るかと思うほどの喜び様だった。連日の不機嫌さが目に見えて無くなり、誰よりも旅行を楽しみにしているのが手に取るようにわかったものだ。
だが、今朝になって実は薙刀部の遠征があったことが判明。
原因は、佐奈が旅行が楽しみすぎて日程を確認もせずに日取りを決めて忘れていたからだった。
朝7時半。まだ結衣しか起きていなかった南条家に、あまりにも集合場所に来ない佐奈に痺れを切らした部長が襲撃してきた事で事態が露見。
頭に「!?」マークを大量に浮かべる一哉と結衣を横目に、佐奈は地の涙を流しながら連行されていったのだった。
一哉としても、宿とレンタカーをドタキャンするわけにもいかず、とりあえず咲良に連絡してみたところ、二つ返事で参加を表明。考える間も無く承諾した咲良に、思わず目を丸くして驚く一哉だったが、深く考えないようにした。
斯くして、唐突に企画された奥日光旅行は、一哉、結衣、咲良の3人で執り行われることなったのだが―――
時間は再び旅館での一幕に戻る。
今、一哉の目の前では「今晩、一哉と同室で寝る権利」をかけて、結衣と咲良によるはた迷惑な喧嘩が繰り広げられている。旅館の廊下という場所にも関わらずだ。
この際最悪、結衣は良いとしよう。
この宿の晩御飯は、元より酒好きの一哉でなくとも思わず酒が進む、不思議な魅力に満ち溢れていた。囲炉裏を囲んで鳥や川魚の焼を楽しみ、膳には山菜がメインの数々の逸品。
これにテンションを上げたらしい結衣は、次々と冷酒を注文し、あっという間に8合を飲み干してしまった。しかもそのまま温泉に浸かったのである。酷く酔っぱらっていても不思議はない。
しかし、それに対して、咲良はまったくの素面である。咲良は全く酒を口にしていない。
美味そうに日本酒を飲む一哉と結衣を見て飲みたそうにしていたが、それは結衣が全力で阻止していた。
これは全くどうした事だろう。
思えば、あのデート以来、咲良は何かと一哉と一緒に居ようとする事が増えてきた。あの辛辣な口調はそのままに、である。
あの夜、咲良と話して一応の和解を果たしたというのは咲良の方もそう思ってくれている様だが、相変わらず辛辣な事をいうし、かと思えば旅行先の部屋まで態々一緒に居ようとまでする必要があるのだろうか。
そんなほとんど現実逃避に近い事を考えていた一哉は、遠い目をして立ち尽くしていたのだった。
目の前の結衣と咲良の論争をどこか他人事の様に眺めていると、自分が呼ばれている事に気が付く。それに応じて一哉がふと意識を目の前に戻すと、完全に酔っぱらった結衣が抱き着いてきていた。
「一哉く~ん……。いい加減にそろそろ決めようよ~? ね? 私と一緒の部屋にしてくれたら、損はさせないよ~……。」
「ちょ、ちょちょちょちょっと、東雲さん?! アンタ何やってくれてるのよっ! う、う~ん……っ!!!! は、離れなさいよっ、この馬鹿力女……!! ほら一哉兄ぃも、鼻の下伸ばしてないで、引き剥がしなさいよ!」
「いや、鼻の下伸ばしてなんかねぇよ……。」
咲良が一生懸命結衣を引き剥がそうとするものの、結衣は微動だにしない。単純に咲良の腕力が無さすぎるだけなのだが、中々どうして思い通りにいかないからか、最終的に一哉に飛び火してきた。
自分の胸元にぴったりと密着して離れようとしない結衣。上気した体が微かに汗ばんでいるのがわかるし、仄かに甘い匂いもしてきた。だからこそ色々と問題だ。
一哉の親友・智一でなくとも、男子の大半が両手を上げて喜びそうなこのシチュエーション。しかし一哉にとっては地獄だった。トラウマによって呼び起こされる悲痛な感情。僅かに吐き気が込み上げてくる。
「お、おい結衣……。頼む、一回離れて………………っ!」
何とか結衣を引き剥がそうと、結衣の両肩に手を乗せた一哉だったが、その時結衣の力がふと弱まった。
「やだ~……。私も、……一哉君と一緒に………………、くぅ…………」
「「え……?」」
なんと結衣は一哉の胸元を枕にし、立ったまま寝てしまったのだった。唐突に電源が落ちた結衣を、一哉と咲良の二人は呆然と見つめるしかなかった。
「おーい、結衣ー? 結衣さーん? ダメだ、完全に寝てやがる……。」
「うわ、酔っぱらって立ったまま寝る人なんて、実物初めて見たわよ……。」
呆れたようなジト眼で結衣を見る咲良。
一哉も、普段酒を飲んでもまるで酔う気配の無い結衣の、今日の酔っぱらいぶりには驚かされたが、何にせよ、このままにしておくわけにもいかないだろう。
一哉は結衣をお姫様抱っこの要領で抱き抱える。
「咲良。俺は結衣の看病をするから、咲良がそっちの部屋で寝てくれ。酔い潰れた人間をほったらかして死なれでもしたら、それこそ大事だしな。」
「はぁ……?! とか何とか言って、東雲さんにいやらしい事でもするつもりなんでしょ?! そんなの許さないわよっ!」
「いや、意味がわからん。唯の看病だ。お前はまだ酒を飲めないからわからないだろうが、酔い潰れて寝た人間は確り見てやらないと、本当に死ぬ事もあるんだぞ。そう目くじら立てられても困る。」
一哉は固まって動かない咲良へと呆れの目線を送ると一転、自分の部屋に入っていき結衣を布団に寝かせる。何故か布団は最初から二枚引かれており、特に準備する事も無かった。恐らく旅館側が結衣は恋人だと謎の気を利かせてくれたのだろうが、余計なお世話である。
「まったく、結衣も結衣でよくわからないな。」
普段、色々な部分で結衣に助けられている一哉。友人として急速に仲が良くなっていた二人だったが、それでもよくわからない事もあった。
それは結衣の視線だ。
結衣は普段包み込むような優しい、大袈裟に言ってしまえば、母の様な、家族を愛するような視線で一哉と佐奈を見ている。だがそれとは別に、結衣は時折自分の事をどこか憧れや好意の目で見ている節があるのだ。それ自体は嫌なわけではないが、トラウマを引きずり出される事もあり、ちょっと困っている。
どちらが本当の結衣なのか、一哉も計りかねていたのだ。
一哉が結衣に掛け布団をかけたタイミングで、遅れて咲良が入ってきた。茫然自失状態からようやく脱したらしい。
すると咲良は、結衣と一哉が寝る予定の布団の間に布団を引くと、そそくさと結衣の隣に寝転んだ。
「おい、咲良?」
「私もここで寝るのっ! 一哉兄ぃを監視しないと何あるかわからないじゃない。そんな不安な夜を過ごすぐらいなら、こうするだけよっ!!」
頬を薄紅に染めたままそんな事を宣う咲良。
要は3人で寝ようということらしい。態々二部屋取った今がなくなってしまう。
だが――――――
「ダメ……?」
そんな風に上目遣いで見られると、断りたいものも断れなくなってしまう。
「はぁ、折角二部屋取ったのに……。まぁ良いぞ。好きにしろよ。」
そうどこかぶっきらぼうに返す一哉。
咲良はどこか安堵したような嬉しそうな顔を一瞬見せると、掛け布団にすっぽりと隠れてしまった。
結衣の看病というミッションがある一哉は、窓側に置かれた椅子に座って、部下の鬼闘師達から送られてくる報告書を読んで夜を過ごす。
しばらくして布団から這い出てきた咲良と思出話に花を咲かせ、もうそろそろ大丈夫だろうと就寝したのは午前2時を回ってからだった。
いつも読んでいただきましてありがとうございます。
え?最近佐奈が空気じゃないかって?それは自覚してます。




