拾参ノ舞 暗雲の気配
3話も続いた会議編もようやく今回で終了です。
「御霊降ろし」―――その言葉に会議室全体に動揺が走った。
「『御霊降ろし』――――――糸刀様はまだその術が残っていると仰るのかしら?」
彩乃が努めて平静を装いつつも糸刀へ問いかける。
「はい。我々の予想が正しければ確実に――――――」
糸刀の口から出た「御霊降ろし」という言葉。それは一哉ですらも今までに数度しか聞いたことの無い、馴染みの無い言葉である。かつて500年前に相伝する者の途絶えてしまったと言われる、失伝の霊術。
所謂召喚術と言われるもので、この世に存在するありとあらゆる精霊や神の力一部を現世へと顕現させる術であり、かつての陰陽師は式神と名付けられた精霊や神の力を操る事で知られた。その媒体は御神体や特殊な儀式で霊力を付加した紙など様々だと伝えられているが、無機物を使うという点は共通している。
確かに【焼鬼】が召喚された精霊や神と考えるのであれば、辻褄が合う部分もある。だが、『御霊降ろし』で精霊や神の力の一部を得たところで、決定的な弱点がある。
「だけど糸刀ちゃん。『御霊降ろし』で石に力を付加したとしても、自律行動は取れない筈じゃないのか? 昔そういう文献見た事あるぜ?」
糸刀の言葉に真っ先に反応したのは咲坂だった。
伝承によれば、精霊降ろしで用いる媒介の強度と式神との行動自由度には負の相関性があるとされている。つまり、紙のような柔らかく耐久性の無いものは、破壊されやすいが比較的自由な行動を取らせられる一方で、石や木などの硬い物を媒介にした場合、破壊されにくいが自律行動は取らせられない。
実際のところ、既に一哉の中では【焼鬼】が精霊の類いでないかという対策院調査局の見解は正しいと踏んでいる。『御霊降ろし』の一言で、今まで全く見当もつかなかった【焼鬼】の正体の仮説がまるでパズルのピースが組みあがるかのようにできあがっていく。
だが、その理由に後一押しが足りない。確信に変わる一言が欲しかった。そして、敵がわかれば対処する事も可能な筈だ。
だが、その期待は即座に裏切られる。
「その通りです。その事は今手元にある文献でも触れられていますし、確かに報告と一致していません。調査局でも結論が出てないので、何の根拠もない唯の妄言、という可能性もあります。だから『予想が正しければ』なのです。」
やはり失伝の霊術。その術の理を解していないので、伝聞の形でしか術がもたらす作用がわからない。
ここはダメ元で自分で調査するしかないのだろうか。
一哉が頭を悩ませていると、尊雄が相変わらずやる気の無さそうな声で調査局の予想を否定しはじめる。
「そんな説明できへん事なんやったら、違うんとちゃいますか? ワイ等のまだ知らん怪魔がおったっちゅう事ちゃうの。」
「そうですわ。そんな500年も遣うものが居なかった霊術を遣う者が現れたと言うよりも、よっぽど納得がいきますわね。」
彩乃も尊雄に同調して、「御霊降ろし」説を否定する。そしてあろうことか彩乃の言葉を聞いた源治と美麻も二人に同調している。
会議の方向は新型怪魔の出現説を推す方に傾き始めている。だが、一哉の直感がそれは違うと告げている。
「おいおいお前ら、なに動画一つ見て見解一つ聞いただけで理解した気になってんだよ。実際に戦った一哉の考え、ちゃんと聞いてねえだろ。全く、どいつもこいつも脳筋すぎんぜ。少しは人の意見聞いて考察するって事を覚えやがれ。」
敏夫は一哉にこっそりサムズアップすると、報告しろと一哉を促す。
咲坂自身にも自身の発言に全く根拠は無いようだ。面倒な事は全て一哉にぶん投げてきた。
それを受けて仕方なく一哉も席から立つ。
「そうですね。実際に戦った一哉君の意見が何よりも参考になるのは間違いないですからね。それに元々報告してもらう予定だったし、お願いできますか、南条特級?」
「はい、糸刀さん。」
糸刀に促され、一哉は【焼鬼】との戦いの一部始終の説明した。
もう既に重蔵には報告している事ではあるが、紅い魔石が現れた時の事、怪魔としての出現方法、敵の攻撃方法、殲滅に当たって注意すべき事。
何もかもを事細やかに説明する。この時ばかりは他の特級たちもおとなしく話を聞いていた。
「なんや全然信じられへん話やな。ワイらはメチャ強い怪魔に南条君がエラい苦戦させられた位にしか聞かされてへんかったけど、えらい大変な事になっとるやんか。」
「五行に当て嵌められない敵か。そんな大物、この10年出てなかっただろ。南条、本当によく無事に戻ったな。」
「確かにそうねぇ~。一哉君、よく頑張ったわね。お姉さん褒めちゃう♪」
なぜか一人とても楽しそうな人が居るのは置いておいて、先程とは打って変って一哉は称賛にさらされる。加島の掌返しが凄まじいが、それもどうせいつもの事なので、気にしてはいけないだろう。
「なるほど、確かに貴方がそれなりに苦労しただろう事は伝わりましたわ。――――――気に入りませんけど。それで? 貴方は【焼鬼】という怪魔についてどう考えていらっしゃるのかしら?」
あの彩乃ですら何だかんだと今回の一哉の戦闘を評価した事には少々驚きである。
だが、本題はここからだ。
別に一哉は自身の勘に絶対の自信を持っているわけではないが、今回の敵は対処を間違えればその先は間違いなく死だろう。実際、咲良がいなければ一哉は死んでいたのだから。
実際に交戦した者として、ここでの一哉の発言は非常に重要な意味を持つ。
「その通りだ彩乃。一哉、お前はどう思う? やはり我々も知らない新種の怪魔だと思うか? 我々の中で唯一の交戦経験者として意見を聞かせてくれ給え。」
「はい局長。率直に申し上げると、俺は『御霊降ろし』が使われた線が濃厚かと思います。」
「ほう……。理由は?」
「理由は2つあります。一つは奴の体は核を除いて全て実体が無かったことです。【焼鬼】自身に肉体を形成する能力があったとしても、物質の媒介を無しにそれを成し遂げたとは到底思えません。確かに【焼鬼】は強力な怪魔でしたが、能力は言ってしまえば爆破能力と高温の火炎を吐くことだけ。まだ式神の類いとした方が納得できます。」
一哉の推論に一同が唸った。証拠が無いとはいえ、一番説得力のある意見だったのだろう。
重蔵は続きを促す。
「もう一つですが、奴は自分の事を『炎獄の猟犬』と称しました。『炎獄』というのが何を指すのかはわかりません。ですが、同時に奴は『【砕火】の眷属』とも言っていました。この言葉から、奴が群れを成した怪魔というよりも、精霊に近い存在ではないかと考えています。」
一哉の推論の全てを聞いた者達の反応はバラバラであった。
感心したかのように頷くもの、推論に疑問を持ち首を傾げる者、判断がつかず困った顔を見せる者。
「さて。実際に戦った者の推論が出たわけだが、誰か意見があるものは?」
重蔵が音頭を取る。
真っ先に手を上げたのは咲坂だった。
「概ねお前の推論は正しいと思うぜ。」
咲坂は一哉の顔を見ながら疑問点を吐き出す。
「だが、核の水晶体が復活した件に関してはどう説明する。 『御霊降ろし』による精霊召喚が使われていたとしたら、なぜ水晶体は復活した? 説明がつかないだろ。その点に関しては石を媒介にして出現した新しい怪魔っていうアプローチでも決して違和感は無い筈だ。怪魔自身の自己修復という事で解釈すれば、瞬く間に元に戻ったというのも」
咲坂の指摘はもっともである。
実際、一哉の推論の中でもその点は一切触れていない。一哉としても持論の中でそこが一番弱いと自覚していた。
だが咲坂がこういった部分を突くという事は、周りを説得するチャンスだという事を一哉は経験的に知っている。
ここでうまく説明できれば、一気に会議の話の流れを自分に持ってこれる。
交戦経験者として、会議の流れには十分気を付けなければならない。見当違いの議決を出して犠牲が出れば、その報いはそのまま自分に返ってくる。
「まあ、その点に関しては完全に空想・妄想の類にはなってしまいますが……」
故に必要なのは冷静な思考と経験とそれに基づく推論を組み立てる事。
「【焼鬼】が【砕火】なる者の眷属という以上、【砕火】であれば【焼鬼】をある程度自由にできたとしても不思議ではないのではないでしょうか。」
「例えば裏切った時に即座に殺せる――――――みたいな感じか?」
「ええ。実際に【砕火】が【焼鬼】に対してどの程度干渉できるのかはわかりません。ですが、心臓部を抑えてしまうというのは、完全な操り人形とするより無駄も労力も少ない効率的な支配方法です。遠隔破壊ができるなら、遠隔復元も可能。そんなところでしょうか。」
そこに美麻が話に割って入る。
「う~ん…………。でも、それだとあくまで遠隔で復元できる理由の説明でしか無くて、『精霊降ろし』が使われたって証拠にはならないんじゃないの?」
「そうですわね。確かに貴方の推論では【焼鬼】という怪魔が精霊や式神に類するものだという線が強いようですけど、だからと言って失伝の霊術が残っていたという方がやはり荒唐無稽ですわ。」
彩乃もやはり否定の意見を出してくる。
しかしこの指摘は一哉も予想済みだ。だからこそ、最後の切り札を切る。
「確かにその通りです。だけど、ただの怪魔だとしたら説明がつかない点が一つだけあるんです。【焼鬼】について説明した際に、傷口からカウンターで紅い炎が噴き出すと言いましたが、あれは奴にとっては攻撃では無いようなんです。『除魔の舞』で奴の身体を消した時に見えた炎の嵐。それがただ漏れ出ているだけです。」
「ん~、それじゃあまさか?」
確信めいた色の光を放つ美麻の瞳に、一哉は頷く。
「ええ。もし【焼鬼】が紅い石を本体として自ら肉体を形成するタイプの怪魔だった場合、この現象こそ説明がつかないんです。」
「どういう事ですの? ちゃんとわかる様に説明してもらいたいものですわね。」
その続きは咲良が続ける。
「肉体を怪魔自身が形成しているとしたら、肉体の中で渦巻く炎は絶えず霊力消費して生成しているはず。炎は疑似物質でもないから、常に霊力を注ぎ込まないといけないから……そう言う事でしょ、一哉兄ぃ。」
「その通りだ咲良。局長、結論ですが、俺の見解としては【焼鬼】達は何者かによって『御霊降ろし』で召喚された可能性が非常に高い。こんな大規模な戦闘でも誰も気づかないような工作――――――恐らく人払いか催眠か認識疎外の結界を貼り、さらに失伝の霊術を使う者が暗躍している。すぐに対策に動くべきです。」
一哉は重蔵へと進言する。
一哉自身が会議に参加して話す事で考えがどんどん纏まってきている。少なくとも現時点で方針などと悠長な事を言っている場合ではないだろう。
そしてそれを重蔵も理解したのか、深く頷くと立ち上がる。
「一哉の進言に異議のある者はいるか?――――――どうやら全会一致の様で重畳。それでは、今後について説明するからよく聞いてくれ給え。まず一哉が戦った【焼鬼】だが、識別名称はそのまま【焼鬼】を用いる。今までに無い、式神の様な特徴を持つ怪魔の為、仮に『式神怪魔』とでも言っておくが、『式神怪魔』としての汚染重度はSSSでいく。」
重蔵のその宣言に一同の顔が一気に引き締まる。
局長による最上級汚染重度「SSS~SSS+++」怪魔の出現――――――それが意味する事は、実質的な非常事態宣言。
「先日一哉が戦った【鵺】の変異体もそうだが、そもそも重度SS以上の怪魔の出現はこの10年で1度も無かった。それがこの1か月の間に2体だ。暗躍する者の目的はわからんが、特級各位は十分注意して各担当エリアの監視を行ってくれ給え。何か不審な点を少しでも見つければ、多少無茶でも全面的に活動する事をこの場で許可する。」
重蔵の言葉を受け、糸刀が続きを引き継ぐ。
「ここまでのデータで、異常熱波の中心は関東地方が中心になっている事がわかっています。担当の南条特級は病み上がりの所申し訳ないですが、調査及び『式神怪魔』出現時には即時出撃をお願いします。また、関東地方がレッドゾーンですが、各地方警戒を怠らず監視を行い、どんな些細な事でも報告願います。」
糸刀は一度言葉を切ると、一哉と咲良に視線を送る。
「南条特級鬼闘師及び、北神1級祈祷師から何か補足はありますか?」
「私からは特に。一哉兄ぃは何かある?」
「では俺から一点。次出現するが【焼鬼】なのか、はたまた別の怪魔なのか、【砕火】なる者なのかはわかりません。ただ、奴らと対峙する際には絶対に体表を破る様な攻撃は避けてください。かなり難しいですが、可能な限り体内の魔石を一撃で破壊するように立ち回りをお願いします。」
この一哉の言葉を以て会議は終息へと向かっていった。
細かい調整を各特級鬼闘師間で行い、約2時間にわたる会議が終わる。
会議終了後の帰り際、一哉は美麻から声をかけられる。
「一哉君、ちょっといいかしら。」
「何ですか、美麻さん?」
美麻は一哉を連れて会議室を出、隣の部屋へと入る。
「10年ぶりの対策会議に10年ぶりの重度SS以上の怪魔の出現だなんて、今回は大変だったわね~。大丈夫?」
「俺は大丈夫ですけど……。どうしたんですか?」
「いえ、一哉君10年前の事まだ気にしてるかなって思ってね。」
あまりにも唐突なその台詞。美麻の言っている事がよく理解できない。
確かに10年前、母が亡くなった時の事は一哉にとってトラウマであるが、それをなぜ今のタイミングで聞いてくるのか。
だが、何となくこの先の事は聞きたくない気がする。
一哉は美麻からの逃走を試みる。
「美麻さん、10年前の話ならまた今度時間がある時にお願いします。では。」
「待って。」
だが美麻に腕を掴まれ、逃走を阻まれてしまう。
それを受けて一哉は大量の汗をかく。抉られたくない傷をまるで穿り返すかのような仕打ちだ。身体が聞く事を拒否している。
だが、美麻はそれを許してくれなかった。
「よく聞いてね。一哉君はまだ当時対策院に入局したばかりで詳細は知らなかったと思うけど、前回の特級対策会議と前回現れた重度SS++【地獄蟷螂】の出現には深い関りがあるのよ。」
「――――――」
「わかってないようだから、ハッキリと言うわね。あなたのお母さん――――――澪先輩が亡くなった原因の【地獄蟷螂】を人為的に作った人物――――――西薗一。対策院始まって以来の最悪の裏切り者を始末する為に対策会議は開かれたの。」
一哉の視界から周りの景色が消え去り、話しかける美麻だけが不気味に映っている。
一哉はここまで大小の修羅場を潜ってきた。特級として5年も活動し、心身ともに強くなったつもりだった。これからトラウマを突かれる、と身構えてもいた。だが、一瞬で頭の中が真っ白になってしまい、何も考えられない。
「―――――――。やっぱりまだ吹っ切れてはいないのね、一哉君……。って、目の前でお母さんを殺されたんだから当たり前か。ごめんね一哉君。でも、あなたもいい加減真実を知っても良いと思ったの。あの時も西薗一はくだらない自分の野望の為に、対策院の多くの仲間や何の力も無い人たちを生贄にしたの。そしてあろう事か人の身で怪魔を作り出して、あまつさえ澪先輩を死に追いやった。」
美麻からはいつものおっとりとした雰囲気が消え失せてしまっていた。伏し目がちに一哉を見、申し訳なさそうにしている。
「何だか、今回もあまりにも状況が似てると思って放っておけなかったのよ。この前はあなたのお友達。今回は咲良ちゃんが巻き込まれた。もしかしたら10年前のあの事件はまだ終わっていないのかもしれない――――――」
そう言うと美麻は一哉にもう一度謝って部屋を出て行った。
静かな部屋に一哉一人が残される。
一哉は美麻の話を処理しきれずにいた。
思い出すのは目の前で体を半分に裂かれ、血溜まりの中に打ち捨てられる母の遺体。そしてそれをかき抱いて泣きわめくしかなかったかつての自分。
やり場のない悲しみと怒りが湧いてきて、思わず部屋の壁を殴りつけて穴を開けてしまう。
10年間、ただ母は怪魔と戦い、敗れて命を落としたと思っていた。ずっと、当時上級鬼闘師であった母が戦って負けたのだから仕方が無いと思っていた。
だが真実は違った。母の死は直接か関節かはわからないが、人為的に起こされたものだ。10年も経って初めてわかった仇の正体。もはやどれだけ望もうと、決して報いを受けさせられない男の名前――――――西薗一。
それは一族の没落と共に消え、既にこの世に存在しない西薗家最後の当主の名前であった。
次回はextra episodeを1話挟みます。
次の視点は初めてヒロイン以外の視点で書きます。
お楽しみに。
それが終わったら、久々の日常編です。




