壱ノ舞 日常の変化
第2章本編開始です。
またよろしくお願いいたします。
下弦の月が照らす夜の中を黒いトレンチコートの男が駆ける―――――――――。
鬼闘師・南条一哉だ。
今、一哉は【神裂】を手に鼬型怪魔【鎌鼬】を追っている。
汚染重度はCの雑魚怪魔。本来では一哉が出るまでもない相手ではある。
だが東雲家での戦いから1週間。先の戦いで受けたダメージがかなり大きかった事から、一哉は休養を余儀なくされた。というよりも、正確には佐奈と結衣から全力で止められたというのが正しい。
あの戦いから3日後の事である。
夜、自室で寛いでいた一哉の元に、対策院より再び重度B+の【餓鬼狼】が出現した旨の連絡が入る。
実の所、ここ最近の怪魔の出現ペースはかなりハイペースだ。この1週間だけで【餓鬼狼】が3体、【土竜鼠】が35体、【鵺】が1体。普段、特級たる一哉のひと月当たりの対処件数が5~6である事を鑑みれば、異常な出現ペースだった。
そもそも1週間前の【鵺】との対峙自体が想定外中の想定外。
今後、この様な想定外の事態に対処する事も考慮に入れ、なるべく体は鈍らせたくないというのが一哉の考えだった。しかし【鵺】との戦闘で負ったダメージは存外大きく、未だ本調子とは言えない。一哉はこの3日間特に何もせず大学に通っていただけである。
3日も鍛錬もせずにただ日々を過ごすだけでは、いざという時の力を発揮できない。と、リハビリ代わりに殲滅に向かおうと家を出ようとする一哉だったが、そんな一哉の前に突如佐奈が立ちふさがる。
曰く、「どうしても行きたいなら私を倒してから行って、お兄ちゃん」。
確かに佐奈から絶対に鬼闘師として出撃しないようにと言い渡されていたので、止めに来るのも当たり前と言えば当たり前なのだが、まさか妹と戦って出るわけにもいかず、どうしたものかと頭を悩ませてしまう。
「―――――――佐奈。相手は【餓鬼狼】だ。今の俺でも十分倒せる。というより、そろそろ体を動かしたいから俺は行くぞ?」
「―――――――。お兄ちゃん、東雲さん呼んでいい?」
「何でここで結衣が出てくる?」
話の流れが繋がらない。
「東雲さんに来てもらって、全力でお兄ちゃんを止めるから。」
その台詞に、一哉の顔が凍り付く。
【鵺】を倒してから3日、相変わらず佐奈は結衣に対して辛辣な態度を取る傾向にあったが、その一方で2人で何やら示し合わせている様な感がある。
実は一哉は結衣からも不要な外出禁止をなぜか言い渡されており、バレないようにこっそりと出てきたところだったのだ。
佐奈はスマホを操作すると、結衣へと電話をかける。
「あ、東雲さん? 申し訳ないですが、玄関に来てください。お兄ちゃんを現行犯逮捕です。…………え? その件なら問題ないですよ。知り合いの鬼闘師の梶尾さんって人に行ってもらいますから。」
用件を済ませたらしい佐奈はすぐに一哉の腕を掴んで、捕まえる。
「お兄ちゃん、聞いての通りだから。」
その後、奥から結衣もやって来る。
どう言い訳したものかと考えていた一哉だったが、突然泣きだされたときは、どうして良いかわからずガラにもなくオロオロしてしまった。
結局、出現した【餓鬼狼】は佐奈の手配通り梶尾に任せ、一哉は抵抗虚しく家の中へと引きずり戻されたのだった。
そんな4日前の事を思い出していた一哉。
今日はようやく佐奈のお許しが出たところだ。
「まったく、最近の佐奈は過保護というかなんというか…………。いくら大切な妹とはいえ、そろそろ兄離れの兆候位見せてほしいんだが。」
溜息をつきながらも【鎌鼬】を追う一哉は、うまく誘導しながら公園へと誘いだすと、霊術『炎原』を起動する。
「―――――――ギギィッ?!」
逃走を試みていた【鎌鼬】は自身を囲むように展開された炎の闘技場に足を止めざるを得ない。
一哉はそれを悠然と追うだけでカタが付く。
「ギィィィ……………!」
だが、例え怪魔―――――――輪廻転生の理から外れた異形の生命とはいえ、自己防衛本能位はある。【鎌鼬】は自身を滅ぼさんとする怨敵を倒すため、自身の武器を展開する。
【鎌鼬】は伝承では鎌形の爪をもつ鼬の怪異とされるが、実態は違う。鎌鼬の特徴ともいえる、つむじ風が抜けた時、肌を切り裂かれるというものは、小型の怪魔【鎌鼬】が高速で駆け抜ける時、前足の関節を突き破って現れる刃状の骨に斬られ、喰われているからだ。つむじ風は鎌鼬が骨の刃を展開する際に木の属性の、霊術とは似て非なる霊的な現象を引き起こしているからではないかと考えられている。
骨の刃を展開した鎌鼬は低く態勢を取り、唸り声をあげている。
その隔絶した実力差を感じ取っているからこそ、獣であるからこそ、仕掛けられない。
だからこそ、圧倒的強者の取るべき行動は唯一つ。
「これにて終幕だ――――――『鐡飛刃』」
五行思想において、風は木行と深い関りがあるとされる。
――――――――『陽気は東に移動し風となって散って木行を生じる』。
一哉達鬼闘師が使う「霊術」は陰陽思想と五行思想を根幹に置く、いわば古代魔術。体系化と秘伝の相伝により脈々と受け継がれる由緒ある術式だ。
敵を理解すれば、それは自分達の系統内の体系に組み込むことができる。
五行思想における相克――――――「金剋木」。
だからこそやるべきは、金の属性元素術式で一瞬で葬り去る事――――――
「ギッ―――――――――」
怪魔【鎌鼬】は一哉の放つ霊術に反撃を行う事も、断末魔をあげる事すらも許されず、撃ち放たれた刃に二つの肉塊へと変えられ、その後二度と動く事はなかった。
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『それで1週間ぶりの復帰戦はどうだった、南条特級鬼闘師。』
スマホの通話スピーカーから中年の男の渋い声がする。「対怪現象対策院執行局」局長・八重樫重蔵である。
『まあ、君の事だ。相手から考えても何の苦労も無く倒したのだろう?』
「ええ、まあ……。傷は完治していませんが、問題なく動けますし、霊術の使用も問題なく行えています。まあ、問題は無いとは思います…………。」
『どうした、一哉。やけに歯切れが悪いが。』
実際問題、鬼闘師としての活動は全く問題が無い。
元々、多少の傷で床に臥せるようなヤワな鍛え方はしていないし、今日の実戦でも何ら問題ない事が確認できた。
だが、心配は別の所にあり―――――――
そして、そんな心配が態度に出ていたのだろう。
あまり突かれたくない事ではあったが、重蔵には伝わってしまったらしい。
「いえ…………、実は妹の事なのですが―――――――」
『『お兄ちゃんの怪我が治らない限り、絶対行かせないからね!』とでも言われたか?』
「…………。局長、超能力でも持っているんですか? 一言一句違わず当てられると、流石に気持ち悪いです。」
『ハハハ!!お前の妹は相変わらずだなぁっ!!ハハハハハハハハ!』
電話口の向こうで馬鹿笑いを始める重蔵。
一哉としては真剣に悩んでいるつもりだが、周囲から見ると微笑ましいブラコン妹の暴走にしか見えていないらしい。
『案外、お前が彼女でも作ればそのうち治まるんじゃないか?』
「そうですか?さらに悪化しそうな気がしますが……」
『ハハハハハ、そうかもしれんな! まあ一哉、そこはうまくやってくれ給え。』
重蔵は自分から話を振ってきておいて、面倒くさくなったのだろう。
さっさと話しを切り上げようとする。一哉はこの男のこういう所が苦手だった。
ましてやこれが自分の上司というのが何とも救えない。
一哉は電話口の前で密かに溜息をつく。
『妹と言えば、一哉。任官式の件だが――――――』
困った上司だ。
そういう大事な話は先にしてもらいたいものだと一哉は内心苦言を呈する。
妹―――佐奈の任官式。1週間前に一哉が任官試験に立ち会った事で承認された佐奈の鬼闘師任官。
鬼闘師として最も重要なイベントの一つだ。
「日程、決まったんですか?」
『ああ。来週の日曜日だ。お前も待ち望んでいたとは思うが、一番楽しみにしているのは南条佐奈だろう。さっさと家に帰って伝えてやれ。正式な案内は今日付けで発送してあるから、後で確認しておくように。以上だ。』
それだけ告げるとあっさりと電話を切られた。
相も変わらず勝手な男である。振り回される方の身にもなって欲しい。
だが、実際問題としてその勝手さに助けられているのも事実だ。
以前結衣に鬼闘師の事が露見した際、一哉の元に保護対象人物として匿う事を何の協議も無しに決定したのは彼に他ならない。
彼こそが「対怪現象対策院 執行局」局長にして8人の現役特級鬼闘師の一人。そしてその長。執行局――――――とりわけ実務処理班に絶対的な権限を持つ男。
重蔵自体は権力を振りかざす暴君のような人間ではないが、それでもやはり反抗はすべきではないだろう。
一哉がスマホを懐にしまうと、自宅の屋敷が見えてくる。
何だかんだと話したり、思いに耽ったりしているうちに帰ってきていたらしい。
明るい我が家へと入るため、自宅の大きな門を潜る。
「おかえりお兄ちゃん!」
「おかえりなさい一哉君。」
玄関に入ると、佐奈と結衣が出迎えてくれた。
【鵺】を倒して1週間。
一哉を取り巻く状況は確実に変化していた。
「ああ、ただいま。そういえば佐奈――――――」
一哉の日常の変化――――――それは全て【鵺】との戦いの後から始まったのだった。
次回は結衣が同居する事になったエピソードです。




