拾壱ノ舞 真相
最終盤、遂に主人公一哉が戦います。
事の元凶たる、結衣の姉の元へと向かった一哉達。
一番奥の部屋―――結衣の部屋へと入る。
結衣の部屋に入る一哉を迎えたのは青白い光に包まれた、血まみれの女――――――その悪霊だった。
結衣と同じ黒髪のロングヘアーに大きな黒目、小さな口元。結衣によく似た雰囲気を持つ容姿の女性だった。今でこそホラー映画の様に血まみれの霊体であるが、生前は結衣と同じく清楚系の女性と見られただろう。
結衣と大きく違うのは、眼鏡をかけていない事、そして結衣のささやかな双丘に比べ、明らかに大きい二つの山だった。
「この人が、東雲さんのお姉さんなのか――――――――?だが、こんなに近づいて大丈夫なのか?彼女はもう限界だって………………。」
「私の陽の気で悪霊化の進行を食い止めてる。だけど、気休め程度よ。私自身の限界も近いし、早く終わらせましょう。」
一哉と佐奈は『魂の言霊』を理解する能力を持たないので、その容姿しか確認する事ができない。だが、隣で荒い息を吐きながら静かに頷く咲良を見る限りそれで正しいのだろう。
だが、一番会いたかったであろう結衣にはほとんど見えていなかった。
「―――――――お姉ちゃん、なの?あはは、困ったな…………。私、凄くお姉ちゃんに会いたいのに、そこに何かいる事しかわからないよ…………。」
再び涙を流し始める結衣。
会いたい人が目の前にいるのに、会えない。しかも、自分だけが会えない。それがどれ程辛いだろうか想像もつかない。
そんな結衣を見つめる女の悪霊も困ったような、悲しいような表情を浮かべていた。
「東雲結衣、気持ちはわかるけどもう時間が無いの。とにかく、私が今から彼女の『言葉』を伝えるわ。」
そう告げた咲良は静かに語り始めた。
そもそも結衣の姉――――――東雲唯奈が妹の部屋に居座るようになったのは10年前。結衣と母と一緒に外出中、突如意識を失い、気が付いたら結衣の部屋にいたらしい。後に自分が死んで妹の部屋で意識だけを取り戻した事を知るが、初めは自分が死んでいる事にすら気付いていなかった。気づくきっかけは決して妹の部屋から出られない事、そして物に触れられない事、そして結衣が人知れず泣きながら「お母さん、お姉ちゃん……。どうして死んじゃったの――――――?」と呟いていたから。それからずっと、妹の成長を密かに見守り続けた。ほとんど夢か現かわからない様な状態が10年、途中本当に意識が遠退いたり、苦しくなったりする事があったがそれでも10年、居続けた。
だが、そんな日々も突如終わりを告げる。2週間前、苦しさと沸き上がる憎悪の感情に久しぶりに意識が完全に覚醒した。
苦しい。なぜ自分がこんな思いをしなければならないのか。結衣はあんなにも楽しそうに日々を過ごしているのに、自分はこのザマだ。妹が、結衣が憎い。この10年一度も感じた事の無い感情が心を埋め尽くす。
吐き出す当ても無いどす黒い感情を抱えたまま、部屋の中を徘徊する。
そんな中、唯一自由に動ける部屋の中、ふと外を見た。小さくて良くは見えない。だが、何かが大量に蠢いているのが見えた。
その光景を見た時、憎悪の感情はまるで無かったの様に消え失せていた。とにかく、アレをうちに入れてはいけない。そんな気はした。
それからは定期的に、だが確実に強くなっていく"発作"に抗う日々が続いた。自分の中の憎悪が抑えきれなくなった時、それは必ず何らかの現象を引き起こしている。そして今日、結衣が家を出たのを見送った後だった。自分の中で何かが弾けた。一瞬、意識が完全に途絶る。そして気が付いたら家の中が氷付けになっていた。
氷をある程度操作できる事はわかったが、この状態を戻すことは最後まで出来なかった。代わりに、せめて結衣が2階に上がってこない様に階段を斜面に変えた――――――
「――――――だ、そうよ。……はぁ、……はぁ。やっぱり、話ながら気を注ぎ込むのはキツいわね……。」
語り終えた咲良は見るからに辛そうである。荒い息はもはや肩でしており、額には汗も浮かぶ。もう本当に限界なのだろう。手早く次の作業に移っていく。
「悪いけどもう限界だわ。早速浄化に入るわね。」
「ま、待って……!」
「――――――――――――!…………何よ?」
法具たる洋扇子を振るい、今にも浄化を開始せんとする咲良の腕を、結衣は掴んで止めた。
唯でさえも限界が近いにもかかわらず、ここぞという場面で茶々を入れられた咲良は本当に人一人を殺せそうな位殺気を込めた視線を結衣にぶつける。
だが、結衣はせめて一言だけでも姉と話したい、その思いから浄化を止めた――――――そんな短絡的な行動に出たわけではなかった。それはあまりに凡庸で、でも人としてとても大切な思いで―――――
「咲良ちゃん。せめて……。せめて、この言葉だけでもお姉ちゃんに伝えてください!!『ずっとありがとう、大好きだよ』って」
「………………」
咲良の表情が僅かながら驚きに染まる。
人によっては今がいくら切羽詰まっていたとしても、ここで「何としても一目会わせて欲しい」と言って聞かない場合も少なくない。結衣とて、つい数時間前までは唯の一般人でしかなかった。そんな人間から、全てを悟ったように人に託す言葉を聞くというのは確かに驚きであろう。
その言葉は結衣がどれ程の覚悟を決めて紡いだ言葉かはわからない。
だからこそ、一哉は後押しするしかない。
「咲良、頼む。」
「…………ええ。任せなさい。」
一瞬の静寂が凍り付いた世界を支配する。青い暗い世界の時計の針が再び動き出すとき、咲良の口から『言霊』は紡がれた。
≪輪廻転生よ 罪深きその魂を 浄化せしめて 迎え入れ給へ≫
言霊を唱え終えた咲良は静かに洋扇子を女の霊体に触れさせる。
まるで羽で触れるかのような、穏やかな、優しい触れ方。
その瞬間、女の霊体がまるで蒸発していくかのように薄くなっていく。
「お姉ちゃん…………。ありがとう、サヨナラ。」
そんな結衣の呟きが聞こえたのかどうかはわからないが、薄れゆく女―――東雲唯奈―――の顔が少し笑ったような気がした。
間もなく霊体は微かな光を残して見えなくなり――――――――――やがてその光すらも見えなくなった。
悪霊の浄化にしては抵抗も断末魔も無い、穏やかな消滅。
この瞬間――――――――東雲唯奈はこの世界のどこにも存在しなくなった。
● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇
東雲唯奈の浄化によって景色が変わってゆく。
今、東雲家を覆いつくす氷は蒼い光の粒子となって消えてゆく。
まるで何も無かったかのように。
「何も……何も残らないんですね。」
ふと結衣が呟く。
その胸に抱くのは寂しさか悲しさか、はたまた虚無感か。結衣の顔を見ただけではわからない。
だから一哉は事実を述べるしかない。
「ああ。霊や俺達が使う術は言ってしまえば現実には存在しないものだ。普通の人から見れば魔法や奇跡に見える事も、結局は神とか精霊とか魂とかそういう物質世界には存在しないものから力を借りて、この現実世界に投影しているだけ。だから、大元が術を解いたり居なくなったりしてしまえば、それは最早現実に投影するだけの力を失った、唯の過去の事実。何も残らない。―――――――――物や心の傷はそのままなのにな。」
―――――――ドサッ
緊張が解けたのか、咲良は倒れこんだ。
元々限界近くまで霊力を使ってしまっていたのだ。倒れてしまうのも無理はない。
「大丈夫か、咲良?」
一哉は咲良の体を支えるように抱きかかえる。久々に触れる咲良の身体は霊力を使い果たした影響と室温との影響で冷え切っており、とても軽かった。
「当たり前でしょ?私、プロなんだから。」
軽口を叩く咲良だが、額には微かに脂汗も浮かび、一目で体調が悪い事がわかる。明らかなやせ我慢だ。
体力を使い果たし、氷に閉ざされた低温の世界にいたのだ。こうなるのも無理はない。
だが―――――――
「お兄ちゃん…………。」
「ああ、わかっている。ここからは俺達の仕事だ。」
「え、南条君。どういう―――――――」
全てが終わったと思っていた結衣から疑問の声が上がると同時だった。
――――――――ガッシャアアアアァァァン
「今度は何?!」
階下から複数のガラスが割れる甲高い音が響いてくる。下の階のどこかの部屋の窓ガラスが破られているらしい。
そして、何かが蠢く気配。唯奈の消滅を待っていたとばかりにソレは次々と家の中に侵入してくる。
「東雲さん、思い出せ。全てが始まったあの日、この家の庭に蠢く存在をお姉さんが目撃していた事を。そして、この家の中と外では起こっている現象が全く違う事を。」
一哉は三振りの刀うちの一振りを掴むと、手に持った刀を抜刀する。
「これはあくまでも推測に過ぎないが、君のお姉さんは無意識のうちにこの家に結界を張っていたんだ。でなければ、家の外を荒らしていたモノが家の中に入ってこないわけが無い。恐らくは家の中と外を境界として陰の気を持つ存在の出入りを遮断する効果があったんだろう。その証拠に、さっきまでの氷、家の外には一切出ていない。とにかく、理由や原理はどうあれ、お姉さんの存在が、外の怪魔の侵入を防いでいた。だが、今はそれも消えた。お姉さんの浄化と共に結界も消えてしまったからだ。ならばこの機会を逃すわけが無い。」
一哉は手に持った一振りを床に突き立て、残りの刀は全て鞘を専用の特注ベルトに通し―――――
「佐奈、一先ずはここから脱出だ。俺が先頭で戦う。悪いがお前は俺が討ち漏らした奴から咲良と東雲さんを守ってくれ。」
「任せてお兄ちゃん!…………えへへ、初めての共同任務、だね?」
「そうだな。…………行くぞ!」
一哉は佐奈の顔を見ると、床の刀を引き抜き、一気に部屋の外へ出た。
氷が消えて無くなった廊下を左手に鞘、右手に刀を持ち、一気に駆ける。もはや障害は何もないのだ。風の如く一本の道突き抜ける。
そのまま階段を降り――――――――
「キィ―――――!キキィ――――――!キシャアァァァーーーーー!」
踊り場に出た時、階下から鼠―――鼠と言うには前足と牙が異様に発達した醜い姿であるが―――
が飛び出してきた。鼠達は親の仇を見つけたと言わんばかりに、一斉に一哉に牙を剥き襲い掛かってくる。もう2週間お預けを喰らっているのだ。赤く輝く目は血走り、一刻も早くその血肉を体内に取り入れたいと飛び掛かってくる。
だが――――――
不意打ちを受けた一哉だったが、その心中は穏やかそのものだった。突然の襲撃にもかかわらず、視界の端に鼠を捉えた瞬間、一哉は右手に持つ刀を力任せに振りぬく。飛び掛かってくるのは3匹だ。うち2匹は寸分狂わぬ軌道の一振りで斬り落とせる。
「ギィィ――――――?!」
刀は壁を砕き、切り裂きながら鼠へと命中。バチュンと嫌な音を出しながら、弾け飛ぶように鼠が斬り落とされる。
一哉の持つ3本の霊刀の内の1本【鉄断】だ。
その名の通り、鉄をも切り裂く刀。3本の中で一番重く、分厚い刃を持つとにかく物を叩き斬る事に特化している一哉の特殊武装だ。普通の刀ではできない事を炭素繊維を混ぜ込んだ炭素鋼の刃と刀身に刻まれた印により、一哉の霊力を喰らって切断力へと無理やり変換する機能を有する法具。
【鉄断】を喰らわされた鼠は血をまき散らし飛んで行く。
だがまだもう一体いる。残り一体は健在のまま、変わらずその本能に従って牙を剥いてくる。
しかしそんな事は百も承知であった。
一哉は【鉄断】を振るった勢いそのままに、左へ体を捻る。そのまま半周体を回し、一瞥くれる事もなく左手の鞘を鼠に当てて叩き落す。
そのまま再び振り返り、叩き落された鼠にその刃を突き立てる。
一哉の戦い方は、佐奈の薙刀のリーチと霊術の遠距離攻撃性を活かしたフェイクを取り入れた戦い方とは違い、身体能力を活かして立体機動を行い、近づく全てを斬り払う完全な近距離戦闘特化型。狭い家の中とはいえ、佐奈よりもこの場で戦うのに適している。
一哉は自分の斬り落とした鼠を見る。
「【土竜鼠】か…………。穴でも掘って侵入してきたって事、か……?だが…………。」
外の状況と、今倒した怪魔。情報が全く一致しない。
【土竜鼠】は名前の通り、土中を移動する神出鬼没性の高い怪魔。
魂が陰の気にどれ程犯されているかの指標となる、汚染重度もDと、下から2番目の単体では唯の雑魚怪魔である。
複数で来られた場合に厄介なだけであり、あんな玄関口を破壊するような力は無いはずである。
「お兄ちゃん、これって…………」
後から追いついてきた佐奈が転がる【土竜鼠】の死骸を見やりながら話しかけてくる。
「ああ。【土竜鼠】、重度Dだ。まだ他にヤバいのが居るって事だ。」
【土竜鼠】は複数で行動する怪魔。殲滅は容易いが何しろ数が多いので、手数がいるのだ。そんな状況で強力な怪魔が出ようものなら、佐奈が居るとは言え戦闘力皆無の結衣とほとんど動けない咲良を守りながら戦うのは至難の業である。
一哉の顔も忌々しいものを見るような顔つきになる。
「とりあえずリビングから撤退だ。」
「え、玄関から普通に出ればよくない?」
「佐奈、確かに養成機関では教えてはくれないが、これは覚えておいた方が良い。ああいう、複数で来る小型の怪魔から撤退する時に一人分しか通れない道を選択するのは自殺行為だ。脱出の順番待ちをしている間に後ろから喰われたくはないだろう?」
一哉は左手の鞘をベルトへと通すと、二振り目の刀を抜刀。二刀を手にすると、佐奈の返答を待つこともなく再び駆けだす。
一階の廊下で数匹の【土竜鼠】と遭遇するが、一哉は二刀を振るい、時には舞の様に、時には軽業師の様に空間全てを使って襲い来る敵を薙ぎ払う。
「お兄ちゃん、この数を霊術も使わずによく捌けるね?私ならめんどくさいから霊術で一網打尽にしちゃうけど。」
「俺とお前とでは戦闘スタイルが違い過ぎる。それに、今ここで霊術を使っても自ら退路を断つ事になりかねんしな。」
「そんなもんかなぁ。私なら、ドカアァーンっと一発派手に壁ごとやっちゃうけど。」
後ろから意外と脳筋な発言をする妹に呆れの視線を送りながらも、一哉はリビングに到達する。そこは、先程みた氷原などではなく――――――――鼠色の海であった。
そう錯覚せざるを得ないほど【土竜鼠】が埋め尽くしているのだ。
鼠色の海は一哉達の侵入を感知すると、一斉に津波を形成。一哉達を血と肉の海に沈めようとその赤い目を光らせながら襲い掛かってくる。
普通であれば絶望しそうな光景。
だが、ここには脳筋がいる――――――――
「佐奈!早速お前の出番だっ!」
「オッケー!ドカンと一発行っちゃおー!『刺突地獄』!」
佐奈は床に薙刀の刃先を突き立てると、一気に霊力を流し込む。
戦闘では極力霊力をケチろうとする佐奈には珍しい、ほとんど本気の一撃。
『キキィ―――――――!!キキィッ?!』
一瞬床を振動させたかと思うと、一気に床を突き破って無数の金属の針が現出。
灰色の津波は一瞬で銀の針の山へと飲み込まれ、血と肉の海に変えようとした者から逆に変えられてしまう。鼠を刺し貫く無数の針は、佐奈が薙刀を引き抜くと同時に銀色の光に変わって消滅。
後には怪魔の血と肉が飛び散る、凄惨な現場か残された。
「ちょっとコレ、ダメかも…………。…………うぷ。」
一哉達3人にはある意味日常茶飯事な光景だが、結衣には少々刺激が強すぎたらしい。このグロテスクな光景に口元を抑え、吐き気を我慢するのがやっとだったようだ。
だが、もっと穏便に済ませる方法があるかと言うとそうでもない。
あれだけ大量の敵を一瞬で処理するには、広範囲に攻撃を放つしかない。
家の中で、まさか炎で一気に焼き払うわけにもいかず、こう見えてベストな選択なのだ。
一哉は二振りの刀を納刀すると、しゃがみ込む結衣に近づいていき、同じく自分も腰を落とす。
「すまない、東雲さん。」
「え、……え?!ちょっと、南条君?!」
「お兄ちゃん!それはダメ!」
「一哉兄ぃ?!それちょっと羨ま………じゃなくて、ふざけないでよ?!」
一哉は何のためらいもなく、結衣の背中と膝の下に腕を回し抱きかかえた。つまりお姫様だっこだ。
動けない者を動かすなら、背負うよりもこちらの方が楽だ。最悪、投げ飛ばして両腕をフリにできる。と、一哉は考えていたのだが、乙女3人衆は皆顔を赤くして驚きの視線を寄せてくる。
「いいから行くぞ。」
そんな3人を無視してリビングを突っ切る。
十六夜の月に照らされる庭は平穏なように見えた。庭へと出た一哉は、柄にもなく安堵を求めて月を見上げる。
(とにかく一度、ここから出てまた明日東雲家の忌土地化に対処する。今はとにかく帰ろう……。まったく、今日はいつも以上に疲れたな……。)
佐奈も咲良も一息つけたと、安堵の表情を浮かべている。
結衣はまだ非日常の連続から抜け出せないのか、引き攣った表情をしていたが、それもやがて安堵に変わり、一哉の顔を見つめて微笑んだ。
思ったよりも大変な任務だった。だがそれも、妹と咲良の、そして依頼人たる結衣の穏やかな表情をまた見られたのであれば価値はある―――――――。
これから帰路に着こう、そんな少し気の抜けた雰囲気が漂い出した時だった。
「―――――――お兄ちゃん!上!」
ふと、一哉を影が覆う。
上にいたのは巨大な影――――――――。
「!?」
結衣を抱えたまま慌ててその場から大きく飛び退く。
とにかく何が降ってきたのかと、顔を上げた一哉が見たもの。
それは―――――――。
「バカな…………。鵺、だと――――――――――?!」
次回、1章の山場です!お楽しみに。




