拾陸ノ夜 怨嗟の声
それから何分が経っただろうか。
その時間は莉沙には30分程にも感じられたし、莉沙の思っている程時間は経っておらず、実は5分も経ってないのかもしれない。
そう思える程に莉沙と加島の戦いは混迷を極めた。
何しろ、お互いに決め手が無い。
加島の攻撃は莉沙が粉塵爆発を見切った事で、有効打が無くなった。加島の攻撃はどれもこれもワンステップ置いてから発動するのだ。普通はそれでも喰らってしまうような攻撃でも、莉沙には『輝龍加速』がある。かなり無理しなければならない場合もあるが、ほとんど見てからでも十分攻撃を回避できる。
対して、莉沙の方も謎の技によって自分の攻撃をほとんど無効化されてしまい、マトモにダメージを与えられていない。加島の動きが徐々に鈍ってきている事を見れば、全くのノーダメージという訳ではないようだが、それでも動けなくなる程ではない。といった様子だ。
(まあ、ドラ◯もんの四次元ポケットじゃないんだから、向こうの弾切れも近いだろうけどね)
莉沙は勝機を消耗戦に見出だしていた。
莉沙は確かに超威力の打撃と魔術に頼る戦法しか取れないが、別に佐奈の様に脳筋という訳でもないと思っている。作戦勝ち出来ればそれで良いし、力押しの方が早ければ力押しする。それで勝てれば別に問題は無いと思っているし、莉沙個人自信では口で言う程、相手に圧倒的な力を誇示することに拘っているわけではない。
ただちょっと、身内をバカにされると頭に血が上りやすいだけなのだ。頭に血が上ると、術に必要以上に魔力を込めてしまって、結果洒落にならない威力になるだけなのだ。勿論、それが脳筋だと言う事に莉沙は気付いていないが。
だが、勝機を見出だしたといって、莉沙に有利に働くわけではなかった。
(早く決着つけないと……ヤバい気がする……)
内心舌打ちする莉沙だったが、それは今の莉沙が本調子には程遠い事に起因する。力を遣えば遣う程弱体化し、寿命まで削るという悪質な呪い。それを佐奈にかけられた時から、いや、より正確には2週間前の乗鞍高原での戦いで【神流】に完膚なきまで叩きのめされたあの時から、莉沙は全力で戦うことが出来なくなっていた。
佐奈にかけられた呪いは進行性の呪いで、何もしなくとも死に至る。しかも、佐奈の気分一つで魂の侵食深度を上げて一気に魂を消滅させる事ができた。
それに対抗するため、莉沙は己が身体に流れる竜の血がもたらした知識によって、莉沙の魂に融合する"白き竜"の魂の占有率を50%にまで引き上げた。自らの存在を"半ドラゴン"とすることで佐奈の干渉から逃れる術を得たのだ。
だが、それからというもの、今度は逆に力を遣う度に、そして自分が弱る度に、自分が自分でなくなってしまう様な感覚に悩まされる事となった。
元々、莉沙は佐奈の呪いによって魂が腐り落ちて消滅し、死に至る筈だった。たが、今や莉沙を苛む現象はそれだけではない。
魂の底から響く声が告げるのだ。その肉体を明け渡せ――――と。
(冗談じゃない……! ボクの身体はボクのモノだ!!)
莉沙は復讐に走ったあの瞬間から自分の生死に、然程の興味は無かった。仇を討てさえすれば、別に死んでも良いと思っていて、そしてそれは今でもそう思っている。
だから、佐奈の呪いは実は莉沙にとっては復習のタイムリミットが設定されてしまった以外の大きな意味も持っていなかった。だが、自分の身体が何者かに好き勝手されるのは話が違う。
それではまるで怪魔だ。
普段の消耗は、自前の魔力で補うことで最小限に抑えることが出来る。だが、竜の力を引き出す度に莉沙の魂は消耗して腐り、代わりに謎の声は近づいてくる。莉沙の主戦力たる龍化すら、実は十全に遣えないのが実情だ。
だから、今の莉沙は本当は持久戦などしたくはない。本来の目的は栞那と佐奈を倒す事、そして最後は父の仇である南条聖を討つ事なのだ。
それが、本来予定に無い戦闘に大幅な消耗を強いられている。一刻も早く決着を付けて消耗を抑えなければ危険なところまで来ている。声が聴こえ始めたのが何よりのその証拠。
だが早期決着を望んだところで、加島の防御手段には皆目検討もつかない。本来一撃必殺の威力を誇る莉沙の攻撃も加島には通用しない。結局のところ、自分の消耗を極限まで抑えつつ加島の弾切れを狙うしか方法が無いのだ。
「――ったく!! いい加減倒れろよ!」
既に何度目になるのか。莉沙の渾身の中段蹴りが加島の胸を打つ。
放物線を描いて飛んでいく加島は、途中で体勢を立て直すなどといった超人的な動きもすること無く、呆気なく床に叩きつけられるのだが。
「いった!! もうなんちゅう威力やねん! ホンマ勘弁してえな!!」
「はぁ…………はぁ…………っ。勘弁して欲しいのはこっちなんだけど。ホント、いい加減死んでくれない…………?」
そこまで大したダメージになっていないにも関わらず、大袈裟に痛がりながら立ち上がってくるのだ。消耗戦の先に勝機を見出だしたとはいえ、ここまで粘られるとさすがにウンザリしてしまう。
肉体の疲労も決して無視できない。
元々ロクな休息を取る事もできず、食事だって満足にできていない。そしてこの加島との戦いでは魔術の使用を極力控えるために――本調子でも特級鬼闘師との魔術と霊術の撃ち合いは避けたいのだが――身体一つで戦うことを余儀なくされている。
莉沙の龍化は本来、竜の身体能力を我が身に降ろす術式であるが、今の莉沙は攻撃の瞬間以外は敢えてその能力を切っている。龍化しつづけているだけでどんどん魂が削られていくのだ。必要最低限の運用を選択した結果、竜の鱗による防御以外はハリボテと化してしまっているのが実情。
だから、体力も元々莉沙の持っている、アイドルとしての人より多少多い体力だけ。あくまでも人間基準なのだ。だから、ここまで戦い続けてきて、肉体的にも限界が近づいてきている。
「いや、それはワイのセリフやがな。アンタこそさっさと死んでくれへんか? ワイ、これ以上痛いの嫌やねんけど」
「ふんっ。痛いのが嫌なら、家に帰って寝てれば良いじゃないか。ボク達にはやるべき事があるんだ。ボクらを逃がしてくれたら、キミも見逃してあげるよ?」
全くの無意味と知りつつ、そんな戯れ言を吐き出す莉沙に、加島はあからさまにバカにしたような顔をする。
「アホ言うな、アホを。アンタ、対策院に喧嘩ふっかけて、無事に過ごせると思てんのか? 残念やけど、キミも南条君もここでジ・エンドや」
「やれやれ。交渉は決裂かい?」
「当たり前や、ボケ。もっとも、ハナから交渉の余地無いけどな」
わかっていた事とはいえ、この長く辛い戦いがまだまだ続くと考えると思わず溜め息が漏れそうになる。また、魂を削る命懸けの戦いを演じる羽目となる。
(仕方がない……こうなったら、アレに懸けるか…………)
莉沙はチラ、と一哉の方に視線を送る。
どうやら、彩乃はマトモに戦う事を諦め、防御一辺倒の時間稼ぎをしているらしい。霊術によって形成された岩壁や、土壁、生垣を崩すのに苦労している。
だがあの様子であれば、逆に彩乃は動けまい。そして、加島は弾切れ寸前。
この状況であれば――――逃げる、という手を打てる。
(まずは『輝龍加速』の超加速でひょろながをぶっ飛ばす! 次に『輝龍の噴光』で視界を遮って撤退…………。周りの鬼闘師共に囲まれる可能性は有るけど……特級さえ居なければ、ボクと南条クンなら突破できる!!)
心の中で呟くと同時に、莉沙は行動に移した。
この目論見は悟られた瞬間に終わりだ。莉沙の愛用する目眩ましの龍魔術『輝龍の噴光』の起動を妨害されれば、莉沙の体力が尽きて、保たれていた力の均衡が一気に傾く。
そうならない為にはスピードが大事だ。相手に気取らせず、反応させず、何もできない内に片付けなくてはならない。
「『輝龍加速』――――ッ!!」
莉沙はこの超加速魔術に全開時と同等の魔力を注ぎ込み、魔術を起動。周り全ての景色を光の筋に変えながら移動する。そして瞬きの間に加島の前へと瞬時に現れると。
「――ッ!!」
「消えろっ!」
魔力を乗せた正拳突きで、まるで人体を貫きそうな程の威力の突きで加島の胸を打つ。
終始莉沙の『輝龍加速』に対応できていない加島は目の前に莉沙が現れた事を認識すると同時に、まるでジェットコースターの様なスピードで吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
「ぐはっ……!!」
その様子を見届けた莉沙は拳をそのまま天に掲げ、魔力を拳へと集めていく。それは、莉沙お得意の閃光爆発魔術を発動するためのクセみたいなもので。
発動に最低限な魔力を練って集めた莉沙が術式名を宣言する。
「『輝龍の(フラッシュ)』――――!」
そして、拳を床へと叩きつけようとして――――
視界は暗転した。
莉沙が気付いたとき、莉沙は全く見覚えの無い、青空の広がる草原の真っ只中に居た。
「え…………どこだよ…………ここ…………」
見渡す限り雲一つ無い空と、青々とした草原が広がっているだけ。
ついさっき吹き飛ばした筈の加島の姿も、今や共に戦う相棒となってしまった一哉の姿も無い。莉沙は状況が飲み込めず、呆然と呟く。
「どうなってるんだよ…………どうしてボクは……ここに……。それに南条クンは…………? ボクはどうなったんだ……?」
戸惑いと共に辺りをキョロキョロと見渡す莉沙だったが、遠くに十字架の様な物が見えた。今ここに留まっていても仕方がない。そう思った莉沙はその十字架に向かって歩き始めた。
歩けば気持ちが良いもので、日本の夏とは大違いの、涼しくてカラッとした空気。日差しは柔らかく莉沙を包み込んでくれる。
やがて十字架の大きさがかなり大きくなってきた頃、莉沙は十字架に誰かが磔られているのが見えた。何故かはわからないが、莉沙はその磔られた人を確認したいと思った。だから、その十字架の元まで走って移動した。
十字架に磔られていたのは見た目麗しい白い少女だった。
この世に存在するとは思えぬ程に整った顔立ちと、恐ろしい程に美しい白に包まれたこの少女の事を莉沙は知らない。記憶を辿っても思い当たる節すら無い。だが、梨沙は何故か知っている気がする。
少女は全てが白かった。
肌も、クセのあるウェーブロングの髪も、睫毛も眉毛も、着ている豪勢なドレスすらも、穢れを知らぬ純白で構成されていた。全てが病的に白く、他の色の存在を許さぬ程に完璧に統一されていた。
その姿は神々しいというよりは、むしろ恐ろしく、そしておぞましくもあった。
少女はゆっくりと瞼を開く。
そして現れた白銀の瞳を莉沙が見た時、やはりこの少女の事を知っていると感覚的に感じた。一度たりとも会ったことは無いというのに。
「西薗リーサ。愚かで不届きなアイナの娘よ」
「え……なに……? キ、キミ……は……?」
「怨めしい……憎らしい……忌々しい……」
突然呼ばれる自分の真の名。理解も及ばぬ内に次々と叩き付けられる怨嗟の言葉。
そんな事を言われる謂われなど無いというのに。なのに、何も言い返すことができない。
自分はこの少女を知っている。そしてこの少女も自分を知っている。全てを浄化し、何もかもが透き通りそうな美しい声が莉沙をんだ時、莉沙は魅入られたかの様に動けなくなってしまった。
「妾はうぬに魂を貸し与えた。ならば、此度はうぬの肉体を頂こう」
莉沙の視界は暗転し。
そして意識すらも唐突に遠退いていく。
「その魂朽ち果てぬ内に眠るが良い。愛しくて愚かな妾の孫よ」




