拾伍ノ舞 狂気のおもてなし
それが果たして武者震いだったのか、それともただ恐怖にうち震えていただけなのか。それは後々になって考えたところでわかりはしなかったが、ただ一つ、この場で理解できている事があるとすれば、それはこの現状が中々のピンチだということだけだった。
「やれやれ…………この二人の情報はほとんど持ってないんだけどね…………」
莉沙は突如背後から奇襲を仕掛けてきた男達の姿を鋭く睨み付けながら、一人そうごちる。
莉沙は対策院に籍を置いたことが無いにも関わらず、少なくない情報を持っている。現役特級鬼闘師の担当エリア、そしてその法具に至るまで。
それが一哉や彩乃という並みいる特級鬼闘師と相対しても負けなかった理由の一つでもある。
だが、莉沙の持つ対策院に関する情報は、決して自分で調べ上げて得たものではない。黒鉄晶――いや、【黒晶】によってもたらされた物に過ぎない。
そして目の前に立つ二人、ひょろ長い男――加島尊雄と無精髭を生やした筋骨隆々の大男――荒川源治に関しては、滅多に対策院本部に顔を出さないから、という理由でほとんど何も教えられていなかった。
「それにしたっちゃ、こやつが西薗一ん娘か。外ん人間んごたーば」
「いや、荒川はん。それ当たり前やから。この女は、西薗一とフィンランド人の妻の間に出来た娘やねんで。まあ、ハーフいう割には、えらい日本人顔やけどな」
「まあ、そげん事はどげんでんよか。しゃっしゃと斬って、ワシらんシマに帰るぞ」
「『シマ』て。ヤクザやないねんから、そないな言い方やめてくれます? まあ、ワイもさっさと片付けてタイ行かなあかんしなぁ。そこのお嬢と神童はんのお陰でお盆潰れてしもたし」
「なんやおまん、外で仕事あるんか?」
「いや、完全に趣味やけどな」
「またか、こん阿呆が!!」
情報が無い相手を、それも特級鬼闘師を二人同時に相手取るのは、さすがの莉沙でも辛い。マトモな戦闘となれば、恐らく一対一でやや優勢ぐらいの力関係なのだ。
個々の力が均衡状態にあるのなら、数が劣性になった今、勝てる見込みは薄い。だから、この状況で莉沙が勝つためには先手必勝しかない。まだ敵が戦闘態勢に入る前に一気に叩くしかない。
「よそ見してる暇があったらサッサと死ね、特級鬼闘師!!」
莉沙は龍魔術を用いた超速移動で一気に距離を詰める。
勿論敵を挑発することも忘れないが。
これは莉沙にとって、戦いを始める為の儀式でもあった。
そもそも西薗リーサが小倉莉沙となって以来、莉沙は戦いの日々とは縁遠い、それこそ普通の暮らしへとその世界を移していた。
かつてハーフの子供だからと虐められていた事も、西薗家の一員として命を狙われた事も、父に半ば無理矢理に聖竜の力を植え付けられた事も忘れて。西薗リーサは確かに全くの別人である"小倉莉沙"へとその姿を変えていった。
その筈だった。
だが、運命は莉沙が戦いの世界から、鬼闘師達の世界から逃げることを許さなかった。
ある日突然接触してきた黒鉄晶のせいで、突如としてこちら側の世界へと戻る事となったのだ。その時莉沙は、己の親の仇を知ることとなる。かつて幼き日に訳もわからず家から放逐され、なぜ両親が死に、なぜ西薗家が滅ぶこととなったのかも知ることもなかった莉沙に、復習の相手という明確な敵を抱かせて。
後々になって考えてみれば、唯の偽りの感情の植え付け作業に過ぎなかったのだろうが、それが切っ掛けで莉沙は再び鬼闘師達の世界へと足を踏み入れることとなった。それが3年前の冬の事だ。
3年――正確には2年半程だが――という歳月のなかで、実際に莉沙が戦ってきた期間はごく短い。訓練はアイドルとして活動する合間を縫って積んできたが、実際に実戦として敵と戦った回数などたかが知れている。
幾度か「陰陽寮」の雑兵達、そして【神流】と戦ったこともあるが、それも黒鉄晶――【黒晶】、ひいては「陰陽寮」頭目である【黒帝】の思惑通りということなのだろう。
つまり、小倉莉紗はどこまで行っても戦闘素人なのである。高々2年とちょっと訓練し、何回か死にそうな目に遭っただけの初心者だ。
一度スイッチを入れれば残酷に敵を殲滅する暴力装置で居られるが、逆を返せば、スイッチを入れない限り小倉莉紗はとどのつまり、ただの女子大生なのである。
ゆえに莉紗にとって相手を挑発する事は、ただの女子大生を復讐鬼へとスイッチするという重大な意味を持っている。日常を捨て、どこまでも冷酷かつ残酷に復讐する者になるために。
かつて父が莉紗自身に求めた「全てを凌駕する存在であれ」という事を意識的に思い浮かべる事で、誰よりも優れた存在であると自覚する。そうする事でこれまで戦ってこれたのだ。
「失せろ――――ッ!!」
「ぐはっ!!」
そんな嘗ての事を思い出しつつ、まずは完全に油断しているひょろ長の鳩尾を掌底で撃つ。
敵戦力が複数居る場合、弱い方から減らしていくのは常套手段だ。どう見ても、荒川よりも鹿島の方が弱い様に思えるからして、先に狙うべきは加島の速攻排除。
いかに特級鬼闘師であろうと、莉紗の全力の攻撃が命中して無事でいられる訳が無い。予想通り、呆気なく吹き飛ばされて壁にクレーターを作る加島を見届けた莉紗は、今度は荒川へとその拳を向ける。
「次はキミだ、デカブツ!!」
荒川は見た目通りの重量級だろう。加島の様には吹き飛ばせないかもしれない。
そう考えた莉紗は、まだ加島が吹き飛ばされた事に完全に反応しきれていない荒川へとボディーブローの連撃を加える。
「はっ! ふっ! オラッ!!」
「ぐふぅ!! ぐっ!! オゴッ!!」
莉紗の弱点はその経験の少なさと、あまりにも拙い魔術運用能力にあるのだが、今まで莉紗はそれを自らの身体に流れる聖竜の血がもたらす圧倒的な膂力と龍魔術によって強引に解決してきた。
だから今もそうあるべきだ。
恐らくお互いが公平に戦いを始めた場合、特級鬼闘師相手には弱点を上手く利用されてしまうだろうが、ほとんど不意打ちにも近い戦いを仕掛けた今、圧倒的な力を相手に見せつける事が可能だ。
一撃一撃がコンクリートを砕くような常識外れの威力。今この瞬間こそ、魔力運用の問題で威力を落としているが、それでもこんなパンチをまともに受け続けて意識を保っていられる人間など居るわけがない。
だから、徐々に鈍くなってくる荒川の反応を確認した莉紗は、トドメとばかりに後ろ回し蹴りを全力で放つ。
「ぶっ飛べ!!!!」
ボディーブローの連打によって荒川の体力を大きく削っていたためか。莉紗の蹴りはあっさりと荒川の胴を捉え、いとも簡単にその身体を浮かせる。
目論見通りに大きく吹き飛ばされた荒川は派手な音を立てながら、彩乃が入ってきた穴の外へと飛ばされていった。
綺麗に飛んでいくその姿を見送って、莉紗は彩乃の方を見やる。
先程と変わらず、彩乃を圧倒し続ける一哉の姿は流石といったもの。対策院の実力No.3と言われていただけの事はある。
とはいえ、彼は彼で、中々面倒な欠点を持ち合わせているのだが。
「まあ、下手をこかれても困るし。鞍馬の裏切り者は一発ぶん殴らないと気が済まないし、手伝いに行っちゃおうかな」
当初目標の、加島と荒川の速攻撃破は呆気ない程にアッサリと達成することが出来た。そもそも力が均衡しているのはあくまでマトモにやりあった場合の話で、反撃を許さない一撃必殺の先制攻撃であるならば、遅れをとる訳がないのだ。
莉沙は3匹目の獲物を求めて足を踏み出そうとし。
「――――っ! あぶなっ!」
足元に向かって飛んできた刃物に足を止める羽目となった。
その刃物は、元々莉沙に当てるつもりが無かったのか、莉沙の少し手前に甲高い音を立てて落ちたが、その瞬間、猛烈な焔を噴き上げたのだ。
突然の事に、莉沙は思わず跳んで距離を取る回避行動をとった。
「さてと。身体も暖まってきたし…………。そろそろちょい早目のラウンド2といこか?」
莉紗が刃物が飛んできた方向へと顔を向けると、そこには信じ難い人物が目に映りこんだ。
壁を割る程の勢いで叩きつけられていた筈の加島が、確かにその姿を自ら確認した筈だった加島が平然とした顔で立っているのだ。
「…………どういう事だよ?」
「いやぁ~、ごっつビックリしたで!! あんなスピードで吹っ飛ばされたん、生まれて初めてやで!」
「なんでだ…………っ! ボクの一撃は完璧にキミの急所を捉えた筈だ! 手応えはあった! 防御する間も無かった筈だ! なのに、なんでキミはボクの一撃を受けても平然と立っていられる?!」
「いや、案外無事ちゃうで? 背中めっちゃ痛いもん。腹もめっちゃ痛いもん。ただの打撃でボクの技貫通してダメージ与えられたん、神童はん除いたら、キミだけや。友達に自慢してもエエで!」
「いい加減にしろ! ボクは何故キミが無傷でいられたのか聞いてるんだ!!」
莉沙は吠えた。
人間誰しも理解できない事に恐れを抱き、そして心を乱す。
これまで素手の状態ならばともかく、龍化した肉体で放つ一撃が直撃して、ダメージを受けなかった者など居ない。勿論、全てが全て一撃で葬ってきた訳ではないが、それでも平然と立っている者など皆無だった。
最早人外の領域へと至ってしまった従姉・西薗栞那ですら、かつて燃え盛る森で戦ったあの時には、一撃で防御壁を破られた事に驚きを隠せないでいた。
だというのに。
「どうやってキミは……ッ!」
莉沙は唇を噛む。
自らの力は、父が与えてくれた力は、己が身に流れる白き竜の力はたかが人間の力如きでは破れる訳が――――
「はあぁ……っ。さっきからうるさいやっちゃな。戦いの最中やで、今。自分の手札見せるアホが何処におんねん。自分の立場なって考えてみ?」
だが、加島から帰ってきたのはあまりにも冷淡だった。
そして加島は先程投げつけてきた刃物――よく見れば、刺身包丁だ――をめんどくさそうに拾い上げ、構える。
「な? 教えたないやろ? まあ、アンタが何起きてんのか少しでも理解出来るんやったらヒントぐらいはあげたってもエエけどな」
そう言い終わるか否か、加島は何やら白い粉を目の前に投げて撒き散らし。
「『爆』」
そう唱えた。途端――
ドガアァ――――ッ!!
何かが凄まじい熱量と衝撃を伴って爆ぜた。
「うわあぁぁぁ…………っ!」
予想外の攻撃に、莉沙は何の防御手段も取る事が出来ずに吹き飛ばされる。爆風によって負った傷と火傷は、"血"が勝手に修復してくれるが、乱れた思考回路までは戻らない。
「休んでる場合ちゃうで? ほれ、次や!」
その言葉と共に投げられたのは、今度は魚の切り身。
さっきの粉以上に意味不明な物体の出現に、さらに訳がわからなくなるが。
(コイツも何かある……っ! だったら!!)
「喰らうか! 『The Holy Arrow』――!!」
莉沙は詠唱無視で光の矢を放つ。
無詠唱はそれなりに魔術に造詣が深くなければ、術を発動することすら出来ないという、中級技術だ。それは霊術だろうが魔術だろうが変わらない。
だが、莉沙の場合は違う。
莉沙の身には、人類を遥かに凌駕する存在である竜の血が流れており、その血がもたらす恩恵によって、簡単な魔術であれば常に呪文詠唱無しで起動できる。莉沙にとって呪文の詠唱というのは術の強化以上の意味を持たない。
したがって、意味不明な切り身に向かって、過剰威力な光の矢が飛んでいく。
この急場に於いて、無詠唱は速効性という意味で多大な意味を持つ。そして「わからないものには触れない」というのは理系の学生には当然の事であって。
だから、莉沙の選択は間違いなくベストなものの筈だった。
「な……っ!」
だが、物事は上手く運ばない。莉沙の思い描く通りの展開とならない。光の矢が命中、貫通した魚の切り身が突如破裂する。
「うわっ?!」
破裂して飛び散る何かに、両腕で顔を庇う莉沙。
両腕は硬い竜の鱗に守られるが、胸を、腹を、脚を、何かが刺し貫く。
「どうなってるんだよ!!」
再生能力のお陰でダメージはほとんど無いが、何をされているのかわからない以上、どう対処していいかもわからないのだ。
莉沙は自分の身体へと視線を落とした。
「よそ見してる場合ちゃうで!」
莉沙が目線を逸らした瞬間、再び白い粉が撒かれ、次の瞬間、爆発が莉沙を襲う。さらにそこに刺身包丁の投擲と、そこから噴き上げる炎に、莉沙は更なる後退を余儀なくされる。
しかしここまで来て、莉沙にも僅かながら見えたことがあった。
(アイツは決して近接戦闘をしない……っ! 常にボクと距離を取る戦いを選んでいる! だったら――ッ!!)
それは、加島が決して自分から直接攻撃をしないということ。
つまり、加島は近接戦闘が苦手なのだ。ならば勝機はその懐にしか無い。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず……ってね!! 『輝龍加速』――――ッ!」
莉沙は再び龍魔術による高速移動術を起動。瞬きの間に加島の眼前へと移動したのだ。
前進を選択した莉沙に対し、加島は迎撃しようと白い粉を撒き散らすが。
「遅いっ!!」
莉沙は白い粉を爆発させること無く通り抜け、加島の胸に飛び膝蹴りを見舞った。高速移動の慣性を乗せたそのキックは、加島の痩せた身体を再び吹き飛ばすのには十分で。
加島は地面を転がって再び壁に叩きつけられる事となった。
「あの爆発、キミはあんな至近距離にいるのにノーダメージだなんておかしいだろ。だから、爆発する前にキミの目の前に出てしまえば、ボクもダメージを受けない。どんな術を使ってるのかは知らないけど、キミはあの爆発の衝撃に指向性を持たせる事ができる。そうだろ?」
莉沙は歩いて加島に近づきながら種明かしをする。
莉沙が考えたのは粉塵爆発だ。可燃性粒子間で引火が起き続ける事で爆発が起こる。有名な話だ。
だが、普通人が可燃性粒子をバラ撒いただけで粉塵爆発など起こせる訳がない。そんな事があるのだとしたら、パン屋など町の中に爆発物がある様なものだ。
だか、加島尊雄は鬼闘師だ。
粉塵の分散度や酸素の供給、それらを霊術で強引に解決し、さらにそこに爆発の霊術を混ぜ込むことで、爆発の方向性に指向性を持たせて、かつ殺傷力を持つ爆発にまで昇華した――そういうことなのだろう。
「キミの粉塵爆発の攻略法は見いだした。同じ手はもう通用しないよ」
莉沙は倒れて起き上がらない加島へと声をかける。
これ以上向かってくるならば、今度こそ殺す。そんな脅しを込めて。
それなのに。
「あ~、いった! ホンマかなんわ~、こういう、人が考えた小手先の技を強引に力押しで解決するやつ。ワイのキライなタイプやん」
加島は再び平然と起き上がってくる。
まるでゾンビ。そんな印象を抱いてしまった莉沙は、思わず半歩後ずさってしまった。
「まあ、ここまでやれるキミに敬意を表して、ちょっとだけ教えたるわ」
「……」
「ワイな、鬼闘師なる前は親父の店継いで、定食屋やるつもりやってん」
「は…………?」
唐突に始まった加島の過去語りに莉沙の口からは、気の抜けた声が出てしまう。
「だからな。ワイは刀だの槍だの斧だの持つのよりも、包丁の方がしっくり来んねん。変なお札とか、意味わからん石持つ位やったら、食材触れとった方が心安らぐねん」
加島は吹き飛んだ際に取り落とした刺身包丁を再び拾って、莉沙の方へと視線をやる。
「ワイはな、自分が一番やりやすい方法で戦ってるだけなんやけど、やっぱ食材にバチ当たることやっとんのがアカンのかなぁ。ワイが特級に上がる時に付いた二つ名、『狂気のおもてなし』やで? アホちゃうか、思うたわ! 何やねん『狂気のおもてなし』って」
そして今度は錐を腰にぶら下げた工具ホルダーから取り出して、それを逆手に持つ。
「まあ、ちゅう訳でボクは身近にある調理器具と食材で戦う鬼闘師や。よろしゅうな」
そう言って莉沙に向かって駆け出した。




