玖ノ舞 不可解な痕
第1章もそろそろ佳境へと差し掛かってきます。
長かった日常パートもこの話で一旦終了です。
一哉の宣言に合わせて南条家を出た一行は今、電車で移動中である。
東雲家は一哉の家の最寄り駅から3駅東に向かう必要があり、徒歩の移動がほぼ不可能であった。武装の携帯の事も考えれば車で移動すれば良いのだが、南条家の車は2年前に父・聖が京都に持って行ってしまっている。
結局、車輛管理の事を考えると購入する方が面倒だと考えた一哉は車は買えていない。もっとも、一哉が鬼闘師の報酬で生活に困らずに過ごしているとはいえ、車を楽に購入できるかと言えば全くそうではないというのも理由の一つなのだが。
依頼者たる結衣を除いた3人は仕事着に着替えている。
一哉は白のワイシャツと黒のタイトパンツ。黒のトレンチコートは着ずに手に持っているので、辛うじて不審者認定は免れている。
次に佐奈は自分の通う美星女学院の指定制服の黒いセーラー服。本人曰く、部活の延長線上にいるみたいで一番集中できるからとの事である。しかし、佐奈の部活は中学からずっと薙刀部であり、普通制服のままではやらないハズである。妹の感性がよくわからない。
そして咲良だが――――なぜか黒と白を基調としたゴシックドレスであった。
「――――咲良ちゃん、そういう趣味だったんだ…………。もう10年ぐらいの付き合いなのに初めて知ったよ?」
「なんて言いますか…………人は見かけによらないってやつですよね……?」
一哉にとっては最早見慣れたものとなっていたが、今日が初対面の結衣はもちろん、咲良と初めて仕事をする事になる佐奈でさえも驚き倒していた。
鬼闘師や祈祷師にとって、戦いとは物理的なモノだけではない。霊力を制御し、繊細な術を操るための強い精神が必要となる。強い心をもって霊力を制御し術を操ればそれは強力なものとなるが、逆に弱い乱れた扱えば弱くなるばかりでなく、むしろ霊的な存在からの干渉を受けやすくなってしまう。そのため、対策院ではベストコンディションで任務にあたるためにも、服装は各人で用意してよい事になっている。そのため、誰がどんな格好をしていても文句は言えないのだが――――
素体が美少女の咲良がそんな恰好をしているので、一行は電車内の一般人からガッツリ見られていた。
「~~~…………ッ! べ、別にいいでしょっ、仕事着がゴシックドレスでも! この格好だと落ち着いて仕事できんのよっ!」
顔を真っ赤にして佐奈と結衣に噛み付く咲良。
確かに規定上は何を着ても良い。公序良俗に反さなければ、別に鎧や甲冑、極端に言えば水着で任務にあたっても問題は無いのだ。
本人がこれが一番だと言うのであれば、それを黙って認めてやるべきだろう。
そういう意味では、佐奈は鬼闘師としては風上にも置けない。
「咲良ちゃん。私は別にいけないなんて一言も言ってないよ? ただ、仕事着がゴスロリ服って色んな意味で凄いね」
だが、佐奈は鬼闘師としてのマナーを無視するくせに、人を煽る才能はこれでもかと発揮するらしい。親友であるはずの咲良に対しても平然な顔をして毒を吐く。
「うるさいわよ佐奈っ! ふん、だ! どうせ似合ってないわよ……」
親友の毒舌に、咲良も普段の勢いが無くなっていく。
一哉が咲良の方を見れば、少し涙目になって頬を膨らませているのだ見えた。後々面倒になるのも嫌なので、一応咲良にフォローを入れておくべきだろうと一哉は判断する。
「佐奈。いい加減にしとけ。それと咲良。前も言ったと思うが、俺は似合ってると思うぞ、その恰好」
「――――ッ?! そ、そう? ホントにそう思ってる?」
「ああ。それにお前は俺達とは違って姿を隠す必然性は無いしな。お前はお前の好きにすればいい」
その言葉を聞いた咲良の顔は、さっきまでの涙目から突如だらしなく緩んだものへと早変わりする。少しでも褒められると、とても嬉しそうに笑う所は一哉の知る昔の咲良の姿と変わらない。
一哉は2年前のあの時から咲良は変わってしまったと思っていたが、根本的な所は変わっていないのかもしれない。そんな事を思いながら、夜の車窓を眺めていた。
ちなみに。
「えっと、佐奈ちゃん。もしかしなくても咲良ちゃんって――――」
「あ。東雲さんもわかっちゃった? 咲良ちゃんもわかりやすいよね。私は咲良ちゃんと10年も付き合いがあるから普通に知ってるけど、周りから見てもバレバレだよ。まあ、本人はバレて無いと思ってるし、お兄ちゃんも咲良ちゃんに嫌われてると思ってるしね。」
「えーっと。もしかしなくても一哉君って物凄く鈍感……?」
「まあ鈍感っていうか、お兄ちゃんの場合過去の出来事がトラウマになってそういう事に対しては心を閉ざしちゃってる感があるからね。私としては、お兄ちゃんには早くあんな過去振り切って欲しいんだけど」
「そうなんだ……。はぅ、前途多難だなぁ……………」
「東雲さん、何を言ってるのかな? それに、お兄ちゃんは咲良ちゃんのものだから。可能性あるとか勘違いしないでね?」
「そんなのわからないよ? 一哉君が誰を選ぶかは一哉君次第だもの。私は諦めないし、諦めたくないの」
そんな会話が繰り広げられていたが、一哉と咲良の耳には全く入っていなかった。
● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇
電車を降り、さらに歩く事35分――――
一行は東雲家のすぐ近くまで来ていた。
「そういや、すぐに対処が必要とはいえこんな夜中にお邪魔して大丈夫だったのか?」
結衣の話を聞く限り、直ぐにでも対処すべき状況なのだが、現場はあくまでも一般家庭の、それも家の中だ。いくら大学の同期とは言え、夜中に突然訪問するのはあまりにも非常識極まりないだろう。
だが、その点は特に問題なかったらしい。
「全然大丈夫だよ。今、うちに誰もいないから」
「そうなのか?」
「うん。今、お父さんは長期海外出張で家を空けてるから」
「…………お母さんは?」
「もう居ないよ……。10年前に死んじゃった」
「すまない。余計な事を聞いた」
「ううん、大丈夫。もうだいぶ昔の事だもの。―――着いたよ、ここが私の家。」
そうして話しているうちに、一行は東雲家に到着した。
結衣の家は、一哉とは違って比較的街の中という印象の区画に建つ一般的な一戸建ての家で、人通りもそれなりにある。
人通りの多い場所と言うのは、基本的には霊なる存在の溜まり場とはなり辛い。それは生者の陽の気が集まりやすく、悪霊や怪魔の力の根源ともなる陰の気が相殺されやすいからである。その観点から言えば、結衣の家はとても悪霊が棲みつく場所とは到底思えない。
だが――――
「……ッ。かなり濃いわよ、ここの陰の気」
「あぁ、ちょっとした忌土地ぐらいに気が淀んでる……。それも東雲さんの家の敷地だけ。一体何が起きたらこんな事になるんだ」
「お兄ちゃん、ちょっと私気分悪いかも……」
忌土地――――それは過去、凄惨な事故や事件が起きた場所というのは無念や憎悪、怨念といった強い負の感情が引き寄せる陰の気が溜まりやすい土地となる。そういった土地は当然ながら悪霊や怪魔の発生率が高く、対策院にて監視対象とされ、先行対策班による浄化が行われる。
逆に、浄化が行われないままその土地が再利用されることは決してない。そのような場所を放置しようものならあっという間に怪異の巣窟となる。神隠しや心霊現象が噂される場所というのは、浄化が不十分であったり、放置されていた土地なのだ。
そして結衣の家は、あろうことかその忌土地になりかけていた。
街の真ん中で。それも一般家庭の住宅敷地内だけが選択的に忌土地化している。
この家で連続殺人事件でもあったのであれば、死者の妄念が強く陰の気を引き寄せるが故に、その線も頷けるのだが、今回は流石にそれは無いだろう。
こんな異常な状態は今まで見た事も聞いたこともない。
事の深刻さをわかっていない結衣だけが呆けた顔をしている。
「えっと……。南条君、何かあった……?」
「ああ。これは本当にすぐに対処しないとマズイことになってる。むしろ今日相談してくれてよかったぐらいだ――――」
「そ、そうなんだ……、良かった……」
一哉のその言葉に不安げな、それでいてなぜか嬉しそうな表情を浮かべる結衣。
一方の一哉は結衣の家を見て、何かを思い出しそうになっていた。
――――10年前。死んだ母親。そして少女。
「いや、まさかな――――」
「南条君、どうかした?」
「いや、何でもない……。早速で悪いが、案内してくれるか?」
「う、うん!」
記憶に変な引っ掛かりを覚えながら、一哉は東雲家へと足を踏み入れた。何か思い出せる気もするが、記憶に蓋がかかったように思い出せない。
思い出せない事をいつまでも考えていても仕方が無いと、一哉は思考を切り替える。
頭の中は完全に仕事モードだ。可能な限りの霊的防御を施し、敷地の中へと入っていく。
だが、それは突然の事だった。
門扉を通るなり、異常な光景が目に入ってくる。
「な、何これ…………? こんなもの、今朝は無かったのに!」
玄関へと続く道を、何本もの爪痕の様なものが這っている。そして、地面を穿ついくつかのクレーター。
玄関アプローチ材として敷き詰められたタイルは無残にも引き剥がされ、粉々になっている。
「これは間違いない……」
結衣の話から、恐らく事の一端に怪魔が関わっている事はわかっていた。
しかし、街中で発生する怪魔なら重度E~D程度の雑魚だろうと思っていたのが大きな間違いだった。明らかにかなり強力な怪魔が潜んでいる。
おかしいのが、爪とクレーター。特徴が一致しない。
――――――【餓鬼狼】の様な爪や牙が特徴的な怪魔。
――――――【鉄鬼熊】の様な力が特徴的な怪魔。
怪魔は生物の死体を元手に現れる存在であり、その姿は元の生物の特徴を強化したものである事が多い。考え難い事ではあるが、2体いるとしか考えられない。
そして異常な事がもう一つ。
一目見て異常だとわかる状況であるというのに、門扉の内側に入るまで気付かなかった。いや、気付けなかったのだ。まるで東雲家の中だけが外部と分断されているかのように。
そんな異常な事態を不審に思いながらも一哉は破壊された道を進み、家の中へと侵入を開始する。
結衣から鍵を受け取ると、玄関の扉を開け一気に解き放ち、そのまま中へと飛び込む。
中の状態を確認ようとし――――その瞬間に襲い掛かってきたのは凄まじい冷気だった。
「寒っ! ちょっと異常すぎるわよ、この寒さ?! アンタこんな家に住んでたの?!」
「そんなわけないです! 朝までは普通だったの!」
あまりの寒さに身震いする一哉達。
一行を待ち受けていたのは、春先の暖かい季節にもかかわらず氷河のように凍り付いた東雲家の光景だった。
次回から遂に怪異達との戦いが始まります。




