伍ノ舞 黒乙女の狂気
この5章は常時シリアス展開です。
日常回はしばらくの間出てきません。
「何よこれ……どうなってんのよ……っ!!」
目の前の光景を見ながら呆然とする咲良には、そう声を上げる事しかできなかった。
何しろ咲良には何も見えず、何もわからなかったのだから。
目の前には見るも無残な光景が広がっていた。
たった数秒前まで存在していた南条家の庭が跡形も無く吹き飛んで、大きなクレーターが出来上がっている。
そして――――
攻撃を受けたはずの佐奈と瑠璃は全くの無傷。
それだけではない。
佐奈の足元には血の池に沈む幼馴染の姿。
あのたった数瞬の内に、佐奈は一哉の攻撃を裁き、そして斬り伏せた。
「ふふふ……あははははははっ! ねぇねぇ見た?! これでわかったでしょ、咲良ちゃん!! 今の私の力は兄さんすら軽く凌駕する!!!!」
咲良の眼に映ったのは、もはや人間とは思えぬ程禍々しく凝縮された陰の気を放出・纏った幼馴染。
その幼馴染が自分の家の庭を跡形も無く消し飛ばす光景。
一哉には法具「鉄断」を使った一撃必殺の固有霊術「相克覇」という技が有るには有るが、あれは断じて「相克覇」などでは無かった。
一哉は自分の法具を使っていない。
「陰霊剣」と呼ばれる訳の分からない力、それを用いて発動したものだ。
それにもかかわらず、あれはその「相克覇」に匹敵、いや凌駕する威力があった。
そもそも、かつての一哉であれば、そんな技を自分の家の敷地内とは言え街中で遣う様な事などしなかっただろう。
そんな一哉の豹変ぶりも十分に咲良には理解不能な出来事であったが、それ以上にわからなかったのが佐奈だ。
一哉の技は確かに佐奈と瑠璃を直撃したはずだった。
実際、目の前の南条の屋敷の庭はかつての面影を探す事が全くできない程に抉り取られ、消え失せてしまっている。
吹き飛ばした、という表現は恐らく適切ではないだろう。
これは消滅させた、と表現した方が的を得ている。
瑠璃は瘴気を纏った左腕で霊術を反射する能力を持っているらしいが、今や百瀬瑠璃の左腕には瘴気は纏われていない。
そして一哉が倒されたのはあくまでも霊術が跳ね返ってきたからではない。
斬られたからだ。
強大な力による被害を自分の家の敷地内におさめている一哉の技巧には相も変わらず舌を巻くしかないが、それ以上にそんな攻撃を全く苦も無く切り抜けた佐奈には絶句せざるを得ない。
咲良の知る佐奈はただの三級鬼闘師に過ぎなかった。
いや、「ただの」というには多少語弊があったかもしれない。
南条家の末の娘として、そして天才・南条一哉の妹として並みの三級鬼闘師では比較にならない程の力を持っていた事は間違いが無い。
だが、佐奈はまだ任官されて3か月程の新人。
明らかに実戦経験が足りず、また、本人の脳筋思考も相まって本来の実力程の強さは無かった筈だった。
だというのに。
これはどういう事なのか。
あの天才の南条一哉が、対策院執行局の中ではNo.3の実力を持っていると目されている南条一哉が佐奈に敗れるなど。
それも運が悪かっただの、奇跡が起きただのそんな次元の話ではない。
圧倒。
その一言に尽きた。
佐奈は何の苦も無く一哉を斃して見せた。
それも咲良にはどうやって倒したのか全く分からない方法で。
そもそもの問題として、自分の親友が、自他ともに認めるブラコンである筈の佐奈が、その兄を斬ったという事実が全く受け入れられない。
だから、最愛の幼馴染が血の池に沈んでいても呆然としてその場を動く事ができなかった。
「嘘……でしょ…………何やってんのよ、アンタ……っ!」
「だから何度も言わせないでよ、咲良ちゃん。これが私達が兄さんと一緒に居るための、唯一の方法なんだから」
「ふざけないで!! 一哉兄ぃを傷つける事が……殺してしまう事が、どうして一哉兄ぃ一緒に居るための方法だって言うのよ?! そんな事しなくたって、この人はアンタの事を…………っ!」
「『大切に想ってくれてた』って? 兄さんが私の事を大切にしてくれたなんてそんな事、百も承知なんだよ、咲良ちゃん。だけど私はもうそれじゃ満足できない。兄さんは確かに私の事を大切にしてくれた。愛してくれた。でも、それはあくまで妹としての南条佐奈を愛していただけで、私を、南条佐奈という私個人を愛してくれていたわけじゃない…………。わたしは……私はもう、そんなの耐えられない、認められない。血の繋がった実の妹だからって、兄さんと永遠に一緒に居られないなんて……真の意味で愛し合えないだなんて、そんなの間違ってる。だから私は決めたんだよ。今ある全てを否定し、壊し、あるべき姿に創りかえるって」
佐奈は咲良に微笑みかけながら、それでも瞳に何も映さない虚無な眼で足元に倒れる一哉を見やる。
表情とはあまりにも裏腹な、その虚無を湛えた眼で。
もし佐奈の話す内容が、咲良にとって理解し得て、納得できるものだったならば、咲良は親友の為と言ってこの場を引き下がったかもしれない。
あるいは眼の前の出来事にギリギリ目を瞑って佐奈に協力したかもしれない。
だが、現実はそうではない。
佐奈の口から飛び出してくる言葉は虚言・妄言としか思えぬ類のものばかり。
これまで聞いてきた事で理解できる事など殆どありはしなかった。
だから。
だからこそ。
「じゃあ何? アンタは一哉兄ぃが自分の思い通りにならないから、一哉兄ぃを裏切ったってわけ? そんなの、まるっきり子供じゃない。欲しいおもちゃを買ってもらえないからって公衆の面前で泣き喚く子供と同じよ」
「それは違うよ。私は選ぶ側。私は正す側。間違った制度を改正する、王様みたいなもんだよ」
咲良は止めねばならない。
元親友として、佐奈の凶行を咎め、阻止せねばならない。
例え10年の付き合いのある、最も信頼する友だったとしても、その道を阻まなくてはならない。
そうしなければ、佐奈は全て取り返しのつかないところに行くまで止まらない。
止まるわけがない。
それに。
「笑わせないで。アンタが王様? アンタみたいな我儘で傲慢でブラコンな王様、こっちから願い下げよ。それにさっきもそこの女に言ったけどね。私、ネトラレは趣味じゃないの。アンタがそうやって一哉兄ぃを私から奪うって言うのなら、いいわ。力づくでも私達の……私の下に連れ戻して見せる!!」
やはり一哉を傷つけられた事は許せない。
最愛の兄と言っておきながら、顔色一つ変えずに一哉の事を斬ってしまった佐奈の事は許しては置けない。
当然、一哉にも問い詰め吐かせるべき事はこの数十分でごまんと出来てしまったが、そんなものは二の次だ。
まずは佐奈に詫びを入れさせ、斬られ倒れた一哉を救う。
それが咲良にとって、今最も優先すべき最重要事項。
例え相手が一哉を斃した圧倒的な格上だとしても。
「遅延起動・『風槍閃』――――っ!」
咲良はほとんど不意打ち気味に自らの法具を横薙ぎに一閃。
起動準備済みの霊術を起動し、佐奈へと向かわせる。
洋扇子から放たれる不可視の槍。
空気の激流が生み出す槍状の真空の刃が佐奈へと襲い掛かる。
「「――――ッ」」
途端、先程迄の余裕が嘘かの様に慌てて槍を回避し、咲良から距離を取る佐奈と瑠璃。
当然防がれると思っていた咲良は、二人の行動に逆に驚いてしまう。
(一哉兄ぃのあんな凄まじい霊術をモノともしなかった二人が……たかが私の攻撃を避けた?! どういうことよ……!)
咲良は本来、祈祷師であって鬼闘師ではない。
咲良が得意とするのはあくまでも祈祷師としての霊術だけで、それらに鬼闘師と対等に戦うだけの力は無い。
そもそも祈祷師が相手をするのはあくまでも霊魂そのものであり、怪魔や人間ではないからだ。
そして鬼闘師と祈祷師の霊術は根幹を同じとする術式でありながら、その術の技法をお互いに流用出来ない、つまり、普通であれば鬼闘師は祈祷師の霊術を、祈祷師は鬼闘師の霊術を使用できないという明確な欠点がある。
それにもかかわらず鬼闘師の霊術を咲良が扱えるのは、独学による絶え間無き努力、そして又従姉でもある特級鬼闘師・西薗彩乃による手解きがあったからだ。
客観的に見ても、咲良の鬼闘師としての力は決して高くはない。
その筈だというのに。
(アイツらが持っている陰霊剣――それが何なのかはわからない。でも、一哉兄ぃの霊術を防いだのが佐奈のソレの能力だったのだとしたら、どうして私の霊術を陰霊剣で防がなかったの? もしかして――)
もう咲良の思いつく限り、咲良の攻撃に対して回避という選択肢を取った佐奈達の行動の理由は一つしか思い浮かばない。
だから咲良が打つべき手はただ一つしかない。
「《幾多なる息吹よ その欠片集わせ 我が腕と成せ》――――『樹縛鞭』ッ!!」
言霊に霊力が反応、霊術へと変換され、そしてそれが法具である洋扇子へと収束していき、一気に放出。
放出された霊力は一哉の攻撃の余波で倒れた松の木を変化させた。
途端、変化する倒木。
倒木は音も立てずに静かに、そして速やかに細長い縄状の形状へと変形し、荒れ狂う木の鞭をへとその姿を変えた。
そして佐奈と瑠璃、二人に木の鞭の激流が襲い掛かる。
「……ッ! 『鐡飛刃』!!」
咲良の霊術に対し、佐奈は今度は回避の選択を取らなかった。
佐奈は薙刀を横薙ぎに一閃して、巨大な鋼鉄の刃を飛ばしてくる。
「な……っ! デカ……ッ!!」
同じ『鐡飛刃』でも一哉が放つモノとは規模が違う。
常識では考えられないサイズの鉄の刃が木の鞭を割り、粉砕し、破壊しつくしながら咲良の方に飛んでくる。
咲良はそんな規模のカウンターなど想定していない。
本来であれば、咲良の得意とする祈祷師の霊術『除魔の舞』で無効化が可能だ。
だが、今の咲良は鬼闘師の霊術『鐡飛刃』の制御に意識を割いてしまっているため、言霊の詠唱破棄による『除魔の舞』の高速起動は不可能。
故に、『鐡飛刃』の凶刃が咲良に当たらずに足元に突き刺さって止まったのは偶々運が良かったからに過ぎない。
「きゃあっ!! ちょっと佐奈、私を殺す気?!」
「最初から言ってるでしょ、咲良ちゃん。私の邪魔をしたら、例え咲良ちゃんだって殺すって」
「~~~っ!! 佐奈、ホントにアンタどうしちゃったのよ!!」
「何回も何回もおんなじ事聞いてきてしつこいよ、咲良ちゃん。それより咲良ちゃんこそさっきの霊術どうしたの? 私の記憶では霊術の起動はできても、遅延起動なんかできなかった筈でしょ?」
「今のアンタに教えてあげる筋合いは無いわ」
「ふーん、冷たいね咲良ちゃん…………それで、咲良ちゃんのパワーアップは兄さんの為?」
「うぇ?! あ……ぁ……そ、そうよ!! 悪い?!」
「そう、それはご苦労さま。だけどそれも全部無駄なんだよね、この私の前では」
佐奈は再び薙刀を構える。
その刃先を咲良の心臓目掛けて。
そして咲良を虚無の瞳で嘲笑うように見つめながら高らかに詠唱を始めた。
「《黒き炎柱 黒き渦潮 黒き土塊 黒き鉄杭 黒き大木……》」
「霊術の詠唱?! でもこんな言霊……ッ!」
佐奈の詠唱は、咲良には全く聞き覚えの無い未知の霊術。
放たれる霊術の効果がわからないとなれば、相手の出方を伺って対策する事も出来ない。
ただわかるのは、言霊の詠唱の長さと、先程の一哉の霊術にも匹敵しうる程の膨大な陰の気が佐奈から放たれているという事だけ。
それゆえに咲良に打てる手はただ一つしか無い。
「仕方ない……ッ!! 《八百万の神よ その御力我が元に貸給へ……》」
それは咲良が最も得意とする、霊術を打ち消せる霊術『除魔の舞』。
(この規模……ッ!! 今の私の残存霊力で打ち消せる……?!)
だが、その唯一打てる手すらも実際に通用するかは完全に未知数。
元々、咲良は才能が有っても、総保有霊力量が平均以下だという致命的な弱点を持っている。
そして今回、一度霊力を大量に消費する『除魔の舞』と遅延起動を遣った。
たった2回しか霊術を遣っていないにもかかわらず、既に咲良の残り霊力量は6割程しかなく、その全てをこの『除魔の舞』に注ぎ込んだとして、果たして防げるのかすら疑問だ。
それだけではない、仮に佐奈の攻撃を凌ぐ事が出来たとして、霊力が完全に尽きてしまったら、もはや咲良に出来る事は何も無くなってしまう。
咲良はこの一瞬のうちに選択を迫られていた。
『除魔の舞』に全霊力を注ぎ込んで生存の確立を上げるか、次の一手の為に霊力を割くのか。
「《……我は万物と語らう者 我が意志の元に 夢現を打消し給へ》」
「《……我 黒き乙女の名に於いて 我に仇為す者を闇に塗り込めん》」
そうしてほぼ同時に二人の詠唱が完了する。
(ダメッ!! もう迷ってる場合じゃない……ツ!!)
「『除魔の舞』――――ッ!!」
「『黒葬喪克閃・一閃』……」
咲良の法具――洋扇子からは破魔の神気が、そして咲良の法具――薙刀からは禍々しき必滅の漆黒の刃が放たれる。
そして衝突――――
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