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鬼闘神楽  作者: 武神
第5章 聖竜に捧ぐ鎮魂歌
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参ノ舞 真なる冒涜者

 土煙の向こう側から聞こえてきたその声。

 土煙が晴れて見えてきたその姿。

 それは失ったはずの幻影でしか無い筈だというのに。



「瑠璃……ちゃん……」



 その存在は佐奈や咲良、結衣と比べて優先する程の物でも無かった筈だ。

 その関係は仮初で偽りの物でしか無かった筈だ。

 その想いは本当なら存在しないはずの物だった筈だ。

 それだというのに――



「一哉兄ぃ……? なんで……泣いてるの……?」


「あ……あ……? なん……だ……どうして……」



 一哉自身全くの無意識で。咲良の声が無ければ気付く事すら無かっただろう。

 だが事実、一哉の双眸からは光るモノが流れていた。

 この数年、涙を流す事など一度も無かったというのに。瑠璃が栞那に殺されたその瞬間ですら流す事は無かったというのに。



「……一哉……さん……。私と一緒に……来てくれますか?」


「あ…………」



 土煙の向こう側から姿を現したのは、漆黒の着物に身を包んだ幼い容貌の少女。

 妹――南条佐奈の親友だった少女。

 義姉である栞那に殺されたはずの少女。

 そして一哉にとって、たった数十分だけだが恋人だった少女――――百瀬瑠璃。



「瑠璃ちゃん……どうして……っ!!」



 瑠璃はトレードマークだった濃い目の茶髪のツーサイドアップの髪を下して、長い髪を風にたなびかせている。

 普段の瑠璃のイメージからはかけ離れた、丁度栞那が着ているモノに近い喪服の様な着物。

 そして大人しく、気の弱い瑠璃の普段のイメージからはかけ離れる、右手に握られた血塗られた日本刀。

 死んだ筈の瑠璃が今目の前に居るという事実だけでも頭がおかしくなりそうだというのに、あまりにも豹変した彼女の様子に一哉は戸惑いを隠せない。



「泣かないでください、一哉……さん……。私は……帰ってきましたから。これからはずっと一緒ですから。何があっても……誰が何と言おうと……例え死が……」


「瑠璃……ちゃん……」



 それでも、一哉は吸い寄せられる様にフラフラと瑠璃の方へと近づいていく。

 偽りである筈の恋人の下へ。まるで魅入られたかのように佐奈と栞那に対する復讐心すら忘れて。

 もはや何も、何一つ見えなくなって。



「瑠璃ちゃん……ッ!!」


「例え死が貴方に降りかかったとしても――――」


「ダメッ!! 一哉兄ぃッ!!!!」



 一哉の背後から膨れ上がる陽の気。

 それが咲良から放たれたモノだと一哉が気付いた時には、既に自分の胸の前に銀色の光が静止していた。



「なんで……邪魔……するんですか……北神センパイ……?」


「ア、アンタこそ何やってんのよ!! 正気なの?!」



 一哉はゆっくりと自らの胸の前で静止する光の正体を確認すべく、視線を下に移す。

 ゆっくりゆっくり、見たくないものを見るかのように。

 その正体を確認してしまえば、何かが終わってしまう――――そんな風にすら感じながら。



「瑠璃ちゃん、これ……は……」



 一哉の視界に入るのは、瑠璃が持つ、血塗られた日本刀。

 その刃先が一哉の胸にめり込む直前で止まっていて。

 そしてその刃の持ち主は、霊術で生み出した蔦で自らの身体を拘束する咲良の事を心底不機嫌そうな表情で睨んでいた。



「ごめんなさい、一哉さん。今すぐ……殺してあげますから……」



 本当に申し訳なさそうな表情と声でそんな事を宣う瑠璃。

 だが、行動と態度が言葉に伴っていないのは誰の眼から見ても明らかな事実で。



「瑠璃ちゃん……君も…………なのか?!」



 一哉には、数日前の佐奈と同じ状況にしか見えない。

 絶望、孤独、寂寥、慟哭、離反――――そういった感情ばかりが、復讐の地獄へと身を投げ打った筈の一哉の心の中に暴れまわる。

 それでも、いや、だからこそ都合の悪い現実から目を逸らす。

 逸らさざるを得ない。



「いや……瑠璃ちゃんが……あの瑠璃ちゃんがこんな事する訳が無い……っ!! こんな事、できる訳が無いんだ……!!」



 一哉は自らに突き付けられた刀を振り払い、「魔斬」を抜き放つ。



「貴様……何者だ……っ!! 瑠璃ちゃんの姿を利用して……何が目的なんだ!!」


「なんで……どうして……そんな事、言うんですか……?」


「ふざけるな!! どうせ佐奈か栞那姉さんの差し金だろうが、瑠璃ちゃんの姿を……瑠璃ちゃんの声を騙るんじゃない!! ……俺が知ってる瑠璃ちゃんは……俺の恋人だった瑠璃ちゃんは…………決して貴様の様な悪趣味な下種じゃない…………!!」



 一哉は抜いた「魔斬」に霊力を流し込んで霊術を練り始める。

 霊術は本来、平静な精神を以て緻密な霊力操作を行う事で扱える代物。

 悲しみと怒りに心を支配された今の一哉には、本来の力を扱う事は出来ない筈。

 それでも今一哉が練り上げる霊術は普段と同等、いや、それ以上に――――





「ちょっと…………貴方の恋人って……どういう事よ…………それなら貴方は……私は……何のために…………ッ!」





 だからそんな未知の力に知らず知らず溺ていく一哉には、咲良の言葉は届かなかった。



「俺の……俺の目の前からさっさと消え失せろ、この紛い物がああぁぁ……ッ!! 『炎刃連撫』――――ッ!!」



 霊術の起動によって「魔斬」に炎が纏う刀から飛ぶ炎の斬撃が瑠璃へと襲い掛かる。

 それを、これまた普段では想像もできない流麗な刀裁きと身体能力で瑠璃は難なく躱す。

 その光景を目の当たりにした一哉は思わず舌打ちする。

 偽物とわかっていても、瑠璃の姿をした相手に本気を出せないのか。復讐に身を委ねた筈の自分が、たったそれだけの事でこんな相手に攻撃を躱されてしまうのか。

 逡巡しながらも一哉は次の霊術起動を始める。



「《紅蓮の尖刃 我が仇を貫き 打ち滅ぼさん》――――『蒼炎旋葬』!!」



 そうして「魔斬」から放たれるのは球体状の蒼い炎。

 超高熱の火炎弾を相手にぶつけて焼き尽くすという、単純にして苛烈な威力を持つ霊術。

 だが、可燃物を霊力で無理やり生成する火の霊術は恐ろしく霊力消費のコストパフォーマンスが悪く、強大な威力を誇るこの術をとりあえずで撃つ様な鬼闘師は居ない。

 そんな技を高々一度攻撃を躱された位で使用する。

 それ程に一哉は冷静さを失っていた。

 ただ怒りと悲しみと憎しみに任せて無駄に霊術に霊力を注ぎ込むだけ。


 だから、そんな雑な攻撃が当たるわけも無く。



「私は……悲しいです……一哉さん………………せっかく恋人になれたのに……っ!!!!」



 瑠璃は血塗れの日本刀を持つ右手とは逆の手、つまり左手を虚空に掲げると、高々と宣言する。



「拒め阻めよ『絶楼』」



 途端、瑠璃の左腕が禍々しい瘴気に包まれて覆い隠される。

 そしてそのまま、瘴気を纏った左腕で火球を愚直に殴りつけた。



「なんだと?!」



 その瞬間、蒼炎の火球の運動のベクトルが180°向きを変える。

 すなわち、威力も精度もそのままに全てを焼き尽くす炎の球が術者である一哉へと逆に襲い掛かって来るのだ。


 あまりの予想外の展開に、一哉は何の備えもしていなかった。

 霊術を反射する術が無い訳ではないが、そんなものは一部の祈祷師しか遣わない、マイナー中のマイナーの霊術。そんなものを遣うわけがないと高を括っていた一哉は、この展開を予想していなかったのだ。

 自らに跳ね返ってくる火球をどこか他人事の様に見ながら、この現象が、今も瑠璃の左腕を覆う瘴気――――恐らく陰霊剣の権能によるものだろうと考えるのだが。

 だが、一哉の身体は動かない。

 偽物だとわかっていても、瑠璃を見ているとどうしても闘気が逃げていく。

 佐奈と栞那への復讐心を燃料に闘争心を燃え上がらせても、目の前に居る瑠璃の姿が、瑠璃の声が、瑠璃の仕草が一哉の心をかき消していく。


 瑠璃の事など、妹の友達だというぐらいにしか思っていなかった。

 形式上の恋人になったのだって、かつて瑠璃が言った通りの打算でしかない。

 そもそも男女の恋だとか愛だとかを信じられなくなったのは、栞那に裏切られたからだというのに。

 それなのに、瑠璃を見ていると一哉は戦えなくなる。

 自分のせいで死んだ、自分が弱かったから護れなかった恋人の事を見ていると、情けなさと申し訳なさで胸が張り裂けそうになって戦えなくなるのだ。


 そうして一哉は自らの炎に焼かれる覚悟で身を投げ出そうとして――――



「ふざけんじゃないわよ!! 『除魔の舞』――――っ!!」



 一哉の目の前に、咲良が飛び込んでくる。

 そして手に持った洋扇子を横なぎに一閃。一瞬にして一哉の火球をかき消す。

 『除魔の舞』は咲良達北神家の祈祷師が最も得意とする、霊的な現象を無に帰す滅魔の霊術。

 それを遣ったのだ。



「……っ! 咲良、邪魔をするな!!」


「馬鹿言わないで! こんなところで訳もわからず終わるなんて、私は認めないから!!」


「咲良……ッ!!」


「貴方と百瀬瑠璃の間に何があったのかは知らない。だけど、今の貴方もアイツも、どうみたってマトモじゃない!! そんな意味不明な状態でこの想いを諦めて、貴方を失ったまま生きて行けと? バカも休み休み言ってよ!」



 咲良は一哉の方を振り向く事も無く、叫んだ。

 それは一哉も知らない咲良の一面。ずっと強がっているだけだと思っていた幼馴染の、確かな強さを持った一面。

 その姿に、今の一哉は完全に毒気を抜かれてしまい、咲良を押しのける気力を削がれてしまった。


 そんな咲良に、瑠璃は濁った瞳で言葉を投げかける。



「なんで……邪魔するんですか……北神先輩……」


「邪魔するに決まってるでしょう。一哉兄ぃを殺そうとするアンタから一哉兄ぃを護ろうとすることがそんなに不思議かしら」


「…………そういえば……あなたも……一哉さんの事、好きだった……んですよね…………でも残念。その人はもう、私の物…………」


「アンタの言葉、一哉兄ぃの態度。それを見てたら、アンタたちが恋人になったってのも本当なのかもしれない。でもね、私、ネトラレは趣味じゃないの。私の知ってる百瀬瑠璃にだったら、一億歩ぐらい譲って許してあげても、今のアンタには到底許容できない」


「別に……あなたの許可なんか……必要ないです……」


「アンタがマトモだったらね。だけど、そんな訳のわからない状態のアンタに、一哉兄ぃは渡さない。死んでも渡さないから」



 咲良が洋扇子を自らの前に構える。



「そう……ですかぁ…………なら……………………………………さっさと死んでください、キタカミセンパイ」



 そう言い終わるや否や、瑠璃は血塗られた日本刀を咲良目掛けて投擲。

 まるでプロ野球選手の投げた野球ボールの様な勢いで投げられた日本刀は、真っすぐに咲良の心臓目掛けて飛んでくる。

 そんなものを避けられるほど咲良の身体能力も動体視力も高くはない。

 だからそれは咲良にとって死に至る必至の一撃だった。

 もはや反応する事も出来ずにたった一撃で終わってしまう。

 その筈であった。



「はあああっ!!」



 だが、そこに一哉が割って入る。

 咲良には防げない超高速の一撃も、一哉であれば弾く事ぐらいはできるから。

 甲高い金属音を上げて刀は明後日の方向へと飛んでいく。



「一哉兄ぃ!!」


「…………コイツは俺がやる」



 再び瑠璃へと向かっていく一哉。

 瑠璃は咲良への攻撃で刀を失っている。

 つまり、今の瑠璃には陰霊剣と思われる左腕以外に一哉の剣戟を防ぐ術は無いという事。

 その隙を突いて瑠璃を倒そうという算段だ。


 袈裟斬り、返しの横薙ぎ、右後ろ回し蹴り、再びの横薙ぎ――――

 剣術と体術を織り交ぜた一哉独自の戦法。

 一刀で戦う時に一哉が好んで用いる戦い方だ。斬撃一撃一撃の威力よりも、手数と霊術によるコンビネーションで相手の反撃を許さない、スピード重視の戦い方。

 これまでも数多くの戦いを制してきたその戦法は、目の前の瑠璃を圧倒する。



「……っ!! かずや……さん……っ!!」


「その顔で……その声で…………俺の名を呼ぶなっ!!」


「そんな……っ! ひどいです……一哉さん……っ!! せっかく私たち、恋人になれたのに!」


「黙れ……!! 黙れ黙れ黙れ黙れ!!!!」



 左腕の陰霊剣で斬撃を防ぐのが精一杯な瑠璃は、一哉の蹴りや殴打を防ぐ事が出来ていない。

 瑠璃の陰霊剣は霊術などの霊的な現象を反射する事ができるが、物理的な攻撃にはその権能が発揮されないらしい。


 確実にダメージが蓄積していく瑠璃が吐き出す言葉に吐き気すら催しながらも、一哉は攻めの手を緩めない。

 それだけ、咲良に手を出されたのが嫌だったのか。それは一哉自身にもわからない。

 切り捨てるとすら宣言した幼馴染を今更護るのか。

 そんな矛盾した行動が許されるのか。自分は一体何をしているのか。

 それがわからなくても、瑠璃が咲良を手にかける。そんな光景を見るのが嫌だったのは間違いない。


 そして――――



「あうっ…………!!」



 一哉の後ろ回し蹴りが瑠璃の肩を捉えて薙ぎ倒した。

 初めてのクリーンヒットを見舞った一哉はそこで連撃を止める。

 それは追撃を諦めたのではなく。



「トドメだ」



 一哉は「魔斬」を鞘に納める。そして。

 


「君臨せよ『月影封魂』」



 一哉の右手には光をも呑みこむ漆黒の刃が現出。

 一哉自身の膨大な気を一気に昏い陰の気へと変貌させた。

 それと同時に、常人では平静を保つことすらできない程の禍々しい気が周囲に放出される。



「一哉兄ぃ……それ……っ!!」


「《月の光が魂照らす》」



 咲良の戸惑いの声も無視した一哉は『月影封魂』の権能を発動。

 『月影封魂』が一哉にもたらす権能は「魂の停滞」。一哉と対象の魂の間に強制的に霊的経路(パス)を形成し、繋いだ相手の時間の流れを1/3000にしてしまうという、この世の常識を遥かに超えた能力。それはつまり、敵から見れば周囲が3000倍の速度で動く事と同等で。見方によっては瞬間移動したかのように錯覚させることができる絶対的な権能。

 限定的とはいえ、絶対に人間が扱えないとされる空間と時間に干渉する術を手に入れている時点で、陰霊剣がいかに絶大な力を有するか誰にでもわかる。


 あまりにも強力な能力故にその代償は当然ながら大きい。

 一度権能を発動すると、再発動までのクールタイムは24時間。一度の戦闘では一度しか扱えないし、権能自体の継続時間は僅か3秒。

 時間以内に何かできなければ、発動した意味すら無くす、扱いの難しい能力だ。

 だが、今のこの状況、3秒間もあればトドメを刺すのには十分過ぎる。



「俺の前から消え失せろ、紛い物ぉ!!!!」



 3秒間。

 その時間は一哉にとっては、敵の首を刎ねるには十分な時間で。

 そして瑠璃にとっては、一哉の陰霊剣の権能で0.001秒のごく僅かな――一瞬の出来事で。

 だから、一哉は何の問題も無く瑠璃を斃し、事を終えるはずだった。





 そう、何の干渉も無ければ――――



「離せ『血染花嫁』」



 一哉は一瞬の躊躇いの後、「月影封魂」の漆黒の刃を振り下ろす。

 その時聞こえた、聞きなれた声の事を気にする間もなく。

 そして――――瑠璃の首目掛けて振るった刀は不自然な軌道を描いて逸れた。



「――――?!」



 思わず目を見開く一哉。

 そしてその間に一哉の『月影封魂』の権能の効果が切れた瑠璃は素早く飛び上がって一哉から距離を取った。

 一日に一回しか使えない一哉の『月影封魂』の権能。この手はもう使えなくなってしまった。

 そして、決定的な瞬間を逃した一哉が見たのは、瑠璃の左薬指に光る血の様に紅い宝玉が煌めく指輪――――佐奈の陰霊剣『血染花嫁』。



「悪いけど、今はまだ瑠璃はやらせないから。兄さん」



 一哉を裏切った元・最愛の妹――佐奈が塀の上から一哉を見下ろしていた。

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